1-2 神社に来た少女
この神社に住み込みで働くようになってから早くも2日が経った。この2日間でこの神社にもずいぶん詳しくなった。
最初は不気味に感じていた拝殿にもだいぶ慣れてきたように思う。何せ俺が隅々まで磨いて掃除してるからな。
そして神社の清掃が終わった後は、神代さんの家での家事をする。ご飯支度から家の掃除に洗濯、風呂を沸かすところまで全部俺がやっている。
神代家の中も歩き回った大体の間取りが頭に入った。1日の密度が濃いせいで、今日で3日目だというのにすでに1週間以上はここにいるような感覚に陥る。
なんというか、夏休みに田舎のおばあちゃんの家に行った時みたいな感覚だろうか。時間がゆっくり流れているような感じがあって、それでいてイベントが多くて1日の密度が濃い。例えるならそんな感じだ。
この神社という空間が織りなす不思議な空気のせいなのかもしれない。
今日を含めて後5日。それが終われば大金が手に入る。契約書も書いてもらったし俺のバイト代は保証されたも同然だ。
「今日も拝殿の中の掃除ね。どこが汚れてるかは君のほうが把握してると思うから指示は出さない。以上」
朝食を済ませた神代さんが部屋から出て行った。
俺もすぐあとに食べ終わると自分と彼女の食器をお盆に乗せて台所へ向かう。
手短に食器洗いを済ませてから借りている部屋に戻り、神代さんにもらったジャージに着替える。
神代さんもそうだけど、神社なのに羽織とか着なくてもいいんだろうか。あの人がジャージ以外を着ている姿をいまだに見たことがないんだが。勝手なイメージだが、神職がジャージってのはあまり良くない気がする。
着替え終わり、庭にある小屋から掃除道具を取り出して拝殿に向かう。
拝殿に入る前に、俺は必ずお辞儀をしてから入ることにしている。神代さんに何かを言われたわけではなく、自分なりにそうしたほうがいいと思ったからだ。
俺は神も仏も信じていない。自分勝手ではあるが、神や仏は俺が困っているときに助けてくれないからだ。
俺だけじゃない。世界中には俺よりもっと神や仏の力を必要としている人たちがいる。だが彼らに救いの手が差し伸べられることはない。世の中そんなに甘くはないということだ。
結局自分のことは自分でどうにかするしかない。信じられるものは自分自身だけ。
なら自分のことが嫌いで自分が一番信用できない俺は、何を信じたらいいんだ?
ーーおっと。また気が滅入ることを考えすぎてしまったな。ギャンブルで負けた時や、借金のことを考えている時はいつもこうなる。
今は仕事中だ。やるべきことに集中しなければ。
拝殿の中は至ってシンプルな作りだ。
中に入るとすぐ目の前に畳の部屋が広がっている。
この畳の部屋でお祈りなんかをするのだそうだ。そして俺は入れないが拝殿の真後ろにある建物が本殿であり、そこに神代神社の御神体が祀られている。
昨日は畳の清掃を行った。定期的に掃除されているのか埃が多少積もってるくらいで、カビなどは生えていなかった。
今日は部屋の奥に鎮座している祭壇の清掃をしようと思っている。横一面に広がっているし、細部の溝なんかも細かいのでこれはなかなか骨が折れそうではある。
ただ黙々と仕事をするのは案外嫌いじゃない。何かに集中している時だけ、俺はあの衝動を抑えれるからだ。
負けた時なんかは、もう2度とやらないと思っているのに気づけば自分じゃないもう1人の自分が体を動かしてギャンブルをしている。
俺は一生このままなんだろうか。
ギャンブル依存症は完治がほぼ不可能な病だとネットの記事で読んだことがある。あの時は自分がこんなことになるなんて思ってもみなかったが今ならわかる。きっと死なないと、治らないんだ。
いかんいかん。また思考がマイナスになってしまっていた。こんなんじゃいつまで経っても仕事終わんないって。
そこからは無駄な思考をすることなく、ただひたすら祭壇を掃除した。頭の中が真っ白になっていて、まるで汚れを取り続けるロボットになったかのような感覚だった。
コツ
いきなり聞こえた音にびっくりして背筋が伸びた。そしてその直後ーー
カランカラン!
鐘を鳴らす音が聞こえた。
そうか、参拝にきた人が鐘を鳴らしたのか。最初の音はおそらく賽銭箱に小銭を入れた音だろう。
この場合、一応お礼の挨拶をしたほうがいいんだろうか? でも俺はただの掃除バイトだしなぁ。
迷った挙句、拝殿の入り口に向かうことにした。やっぱりお礼を言ったほうがいい。バイトとはいえ今の俺はここの神社で働いている人間なんだ。お客さんにお礼を言うのは当然のことだし、それがこの神社の評判を上げることにつながるかもしれない。
入り口が近づくと、手を合わせて目を閉じながら祈りごとをしているお客さんの姿が見えた。
学生か。どこの学校かはわからないが、制服と肩に掛けているよく見かける学生鞄を見てそう判断した。
けどなぜ時間に学生がここにいるんだ?
俺がそんなことを考えていると、お祈りが終わった女子学生が顔を上げた。目の前にいる俺と目が合う。
「うわっ!」
彼女は俺を見て驚き、勢いよく後ろに下がった。そんなつもりはなかったのだが、確かにこの状況でいきなり目の前に男の人がいたら驚くよな。悪いことをした。
「大きな声を出してごめんなさい! びっくりしちゃって」
彼女は深々と俺に頭を下げた。礼儀正しい子だな。たぶん中学生だと思うんだが、今時の子はこんなにしっかりしてるのかと年寄りっぽいことを思ってしまった。
「いや、俺のほうこそ驚かせてごめんね。中で掃除をしてたんだけど音が聞こえたからさ」
「あの、もしかして神主さんですか?」
「いや、俺はただのバイトだよ。ここの掃除をしてたんだ」
「そうですか」
彼女はどうやら神主に用があるらしい。さっきも真剣な祈り方といい、何か訳ありなのかもしれない。お祓いとか、それから学生だから占いとかか?
「呼んでこようか?」
「いいんですか! ありがとうございます!」
満遍の笑みを向けられると眩しくて見ていられない。
「ちょっと待ってて」
逃げるようにその場を離れ、神代さんを呼びに行った。
彼女はというと、リビングで横になりながら甲子園を見ていた。おっさんかよ。
「神代さん、なんか女の子が神代さんに会いたいみたいなんですけど、今いいですか?」
「ああ」
彼女はぶっきらぼうに返事をしてテレビの電源を切った。なんか機嫌悪いんだが、タイミング悪かったか?
「すいません。急に」
「いやいいよ。ちょうど応援してた高校が今負けたところだ。ったく、6回でピッチャー変えてればあんなに炎上することなかったのに。前回も投げてんだから疲労溜まってるに決まってんだろ。監督は何考えてんだか」
神代さんはぶつぶつと文句を言いながら立ち上がった。この人、野次を飛ばすタイプか。なんかイメージ通りかも。
「青年、お前の主観で構わないからその女の子の印象を教えてくれ」
「え、はい。わかりました」
急にそんなことを言われて戸惑ったが、さっき出会った女の子のことを思い出しながら話した。
「礼儀正しくて、いい子でしたよ」
「他には?」
「こんな時間に神社に来てるのはおかしいと思いました。不登校ですかね」
「さあな」
「こんなこと聞いて何かあるんですか?」
「ただの雑談だよ。着くまで暇だろ?」
「まあ、それもそうですね」
そうは言ってもなんだか探りを入れられてる気がしてしまった。
この2日間、神代さんと過ごして見てわかったことがある。この人はいつも気怠げで適当でのらりくらりとしているが、時々俺の心の中を読んでいるかのような発言をする。
神代さんにはそういう不思議なところがあるんだ。まさかとは思うが、本当に人の心が読める霊能力者ーーとかじゃないよな?
「あの子です」
竹藪も道を抜けると、物珍しそうに周りをキョロキョロ見渡している彼女の姿が見えた。
彼女は俺たちが来たことに気づくと元気一杯に手を振った。
神代さんはヒラヒラと片手をあげてそれに応え、彼女に近づいた。
「やあやあ。私がこの神社のボスだけど、お嬢ちゃんは私に何か用があるのかな?」
「ボス? 神主さんってことでいいんですよね?」
「そうだとも」
神代さんが頷くと、少女は真剣な表情になり一度口を開いたが、ぎゅっと唇を噛み締めて口を閉じた。何かを言おうとしてやめた?
それでも決心がついたのか、数秒後にもう一度口を開けた。
「あの......実は神主さんに相談があってここに来たんです。学校に幽霊が出るんです」
「お嬢ちゃんはその幽霊を見たのかい?」
「はい。私だけじゃなく、周りの友達も見たって言ってます」
「で? そいつは何をした?」
「最初は机に手紙が入ってたんです。手紙には『殺す』と書かれていて、誰かの悪戯なんだと思ってました。でも噂を聞いたんです。学校には昔から人を襲う幽霊ーー花子さんがいるって。そんなの噂話だし、私も友達も信じてませんでした。でもだんだんエスカレートしていって、普通じゃ考えられないようなことが何度も起きて......。怖いんです」
平常を装ってはいるが、彼女の足は微かに震えていた。
幽霊。歳頃の女の子なら信じてしまうのも無理はない。でもそんなものは存在しない。
この子の周りで起きていることは、恐らく他の学生がやっていることに違いない。底しれない悪意を持った人の手によって起きている現象を、この子は幽霊のせいにすることによって自分の心を守っているんだ。これはあまり考えたくないが、この子を妬んでいる友達がやっている可能性だって十分に考えられる。
この子がすべきことは神社で神頼みをすることではない。親や先生に相談することだ。大人の力を借りることが、解決への近道なのだ。俺はそう思う。
「......昨日の夜、部活が終わった後の校舎で、その幽霊に襲われました。トイレの鏡から手が出てきて.........その手がどこまでも追ってきて.........。気づいたら学校の外に逃げてたけど......次はきっと助からない」
「だから学校に行くのが怖くなってここに来たと」
「......はい」
「お嬢ちゃん、名前は?」
「村瀬里奈です」
「里奈、今日の夜一緒に学校へ行くのなら私が花子さんを除霊しよう。恐らく花子さんの狙いは学校の生徒の命だ。私が単独で乗り込んでも、彼女は姿を現さない。どうする? 決めるのは君だ」
神代さんの言葉を聞いて、村瀬さんは黙り込んだ。顔が青ざめ、足も震えている。よほど怖い目に遭ってきたんだろう。
神代さんは黙って村瀬さんを見つめている。俺には神代さんが何を考えているのか全く見当がつかない。
夜の学校に行ったところで、村瀬さんを取り巻く環境が変わるわけがない。花子さんを除霊だって? 馬鹿馬鹿しい。これは塩を撒いたり、お札を貼ったり、お経を唱えたりして解決できる問題じゃない。
神代さんだってわかるはずだ。まさかとは思うが、一時的に彼女を安心させるために芝居をしてるんじゃないだろうな?
ここは俺が何か言うべきなのか? どうしようもないダメ人間な俺だけど、一人の大人として現実を教えてあげるべきなんじゃないのか?
拳を握りしめて、一歩前に出ようと片足を伸ばした瞬間ー神代さんの左手が俺の動きをを止めた。
彼女の顔を見るとニコリと笑ってはいたものの目は笑っておらず、余計なことをするなと語っているようだった。
「......本当に、お姉さんなら花子さんを除霊できるんですか?」
「できる」
神代さんは宣言した。
「わかりました。今日の夜、一緒に学校へ行きます」
「決まりだね。時間は23時だ。いいね?」
「はい!」
先程まで不安に押しつぶされそうだった村瀬さんの顔に笑顔が戻っていた。神代さんのおかげで少し安心したのだろう。
「じゃあまた後で」
神代さんはそのまま家の方に向かって歩き始めた。
「ねえ、夜遅くに出歩いて平気なの? ご両親は許さないんじゃないか?」
俺の一番の心配はそこだった。中学生の娘を夜遅くに出かけさせる親なんてそうそういるはずもない。
「もちろん本当のことを言えばダメって言われると思います。......なのでこっそり家を出てくるつもりです。うちの両親は寝るのが早いのでおそらく大丈夫です」
「でもバレたらまずいんじゃ」
「そうです。でもこれから先学校で安全に過ごすためには、お姉さんに花子さんを除霊してもらうしかないんです」
「わかった。ここにくるときは気をつけてくるんだよ。夜道は危ないからさ」
「はい! それじゃあお兄さん、よろしくお願いしますね!」
彼女は最後に元気な挨拶をして帰っていった。
両親に怒られるリスクを犯してもなお、彼女は神代さんと一緒に学校に行こうとしている。
ーー俺は花子さんなんていない、村瀬さんの中に溜まったストレスが見せた幻なんだと思っていた。
けれど彼女は自分以外にも被害を受けているし見た人間がいると言っていた。その話が本当なら、やっぱり花子さんは......。
ダメだ。今ここであれこれ考えていても答えは出ない。もう考えるのはよそう。今日の夜学校に行ったら何かしらわかるだろ。
一人拝殿の前に残された俺は、とりあえず掃除を再開することにした。
*****
掃除を終えて家に戻ると、縁側で神代さんが仰向けに寝転んでいた。座布団を二つに折って枕がわりにしている。
心ここに在らずといった感じで天井を見つめている。きっと腹が減ってるんだろうな。時間的にも昼食の時間だ。
「お疲れ様です。お昼にしますか?」
「ん、ああ。そうだな。冷蔵庫にあるもので適当に作ってくれ」
「わかりました」
いつも気怠げな人ではあるけど、今の神代さんからは全く覇気を感じられなかった。夏バテ? いや、人間離れした身体能力を持つ神代さんに限ってそれはないか。
昼食メニューを考えながらその場を去ろうとした瞬間、神代さんが口を開いた。
「村瀬里奈の制服は、青蘭中学のものだったな」
「え? 俺はこの辺に住んでないので知らないですけど、そうなんですか?」
「ああ。青蘭中学はこの辺で一番頭がいい奴らが行く学校でな......まあそんなことはどうでもいい」
「……はあ」
「青年は最近、新聞やニュースを見たか?」
「いえ、全く読んでないし見てません」
「そうか。ーーならこの話は終わりだな」
「どういうことなのかさっぱりわからないんですけど? 何が言いたかったのか教えてくださいよ」
「そのうちわかる」
「今知りたいんですけど......」
この人はいつもこうだ。俺に詳細を説明する気が全くない。出会ってから3日間ずっとだ。
不満げにする俺の様子を見て神代さんがニヤリと笑った。
彼女は勢いよく起き上がり俺の方へ体を向け直した。
「そういえばこれが初めての夜勤だな。たまにしかない仕事だから、青年のバイト期間には依頼が入らないと思っていたが……お前は運がいい」
「運がいいって、どこがですか」
「だってお前、金ないんだろ? 除霊は命懸けだからな。お前にやってもらうのはせいぜい荷物持ちくらいだが給料ははずむつもりだ。よかったな!」
「う、それを言われたらその通りとしかいえないです」
「素直でよろしい。ーーあ、けど死んでも恨むなよ?」
何気なく放たれた『死』という言葉。まさかそんなわけないよなと思いつつも、背筋がぞくりとした。