秘密と枷(かせ)
「ウォルト。お前、わざわざ一人で俺に喧嘩売りに来たのか?」
「違うぞユリシーズ。今回ばかりは看過できない。友人として忠告に来た」
「なにがだ」
「王国内で採れた希少な資源は、全て王国に届け出る義務がある!」
「青晶石のことを言ってるんなら、俺の研究の副産物だ。採掘したわけじゃないし量も片手分しかないぞ」
「にしてもだ!」
聞き耳を立てなくても声が廊下まで漏れるぐらいに、二人の声量は大きい。
「ったく。俺の研究成果を一体誰が勝手に漏らしたんだ? ドレス職人ぐらいしか出入りしてねぇぞ……ああ商人か。一般人に間諜させるとか、騎士団のくせに卑怯な手を使うんだな」
「話を逸らすな!」
「そっちこそ。いかにも王国の大義を背負って来てますってツラだけどな。また俺から奪おうとしてるだけじゃねえか。友人? 聞いて呆れる。反吐が出る」
扉前に居た私は、その膨れ上がった魔力を感じ――
「だめっ!」
大声を上げながら、執務室の中へ飛び込んだ。
驚いた顔の大の男二人は、執務机を挟んで立っていた。今にも掴みかかりそうな勢いのままに、私を振り返っている。
「なんだ!?」
「ぐ、セ、ラ……」
ああしまった。
ユリシーズを、封じてしまった。その証拠に、たちまち苦悶の表情で胸を押さえたかと思うと、机に片手を突いている。
「ラーゲル王国騎士団長、ウォルト様。ご無礼をお許しください。御覧の通り、主人は体調がすぐれませんの。どうか今すぐお引き取りを」
「奥方。これは我が王国の」
「お引き取りを!」
声高に言うと、ウォルトは驚愕の表情のまま歩を部屋の出口まで進める。上半身は抗おうとしているのに、足が言うことを聞かない――そんな戸惑いと恐怖が伝わってきた。
バタン、と扉が閉じられるや、私はすぐさまユリシーズに駆け寄り、抱き着く。
「ごめんなさい!」
抱きとめてくれた彼の体から、やがてふっと力が抜けた。
どさり、と私を抱えたまま革張りの椅子に腰を落としたユリシーズは――
「はは。大魔法使いを、声だけで封印するとはな」
天井を見つめながら苦笑している。
「ごめ、ごめんなさい」
私は申し訳ない気持ちでいっぱいになり、みるみる涙が溢れてきた。これはきっと、私のもう一つの秘密のせいだから。
だがユリシーズは優しい顔で、私を膝の上に抱え直した。そして、
「いい。逆に助かった。ぶちギレて騎士団長を傷つけたとあったら、さすがの俺もただではすまない。むしろ恩に着る」
低く落ち着いた声で諭すように話す。
「……えぐっずびっ」
「ああもう泣くな。悪かったよ。短気な性分で」
「違います! また奪われるってなんですか!」
「あー……ちょっと制約があって話せねえ。王宮魔……が嬉々として俺に……した……で。くそ、やっぱ無理か。なんのことか分かんねぇよな」
「そっんなの! いらないっ! リス様は、リス様はいつだって!」
こんなに! 優しいのに!
私が大声でそう泣きじゃくると、『パキンパキンッパキパキパキンッ』と何かが割れるような乾いた音が、連続で響いた。
「っ!?」
ユリシーズが、宙を見据えたまま信じられないという顔をする。
「お前……この『五重の枷』すら破ったのか! 声で!」
「え」
「王宮魔術師の一位から五位の五人がかりで課した枷だぞ」
「ぎょわ!?」
「っくく、あっはっはっはっは! ざまあみろだな!」
途端に満面の笑みで、私の脇に両手を差し込み、抱き上げて
「ありがとう! ありがとうセラ! 奇跡だ……解放されたぞ……!」
それからまた膝の上に乗せて、ぎゅうっと抱きしめられた。彼の喜びが、全身から満ち溢れているのが分かる。
「え……枷って……ずっと、封印か何かが?」
「そうだ。俺は反抗的で染まらなかったからな。五つの制約に縛られていた」
「そんな!」
「あー怒るな、怒るな。どっちにしろ俺は家族に迷惑しかかけねえ」
「でもっ」
ユリシーズが簡単に語ってくれたことには――
王国に従順でないユリシーズを憂いて、国王はまだ若く未熟だった彼を抑えるよう、五人の王宮魔術師に王命を下した。それが『五つの枷』と呼ばれる魔法での制約で、いかに大魔法使いと言えども五つを同時に解くことは難しく、研究中だったそうだ。
――ひとつ。王国外に出ない。
――ひとつ。王国に逆らわない。
――ひとつ。王国のために力を使う。
――ひとつ。王国の利益にならない言動、行動を封じる。
――ひとつ。国王の命令は絶対。
ひとつでも破られた際には、家族を投獄する。
「まあ要は、言うこと聞いてりゃいいって話だ」
「ひどい……ひどすぎる……」
「セラ。泣くな。しゃあねえよ、大きな力は恐ろしいもんだ」
ああ本当になんてこの人は優しいのだろう、と私はますます涙が止まらなくなる。
「ぐす、ぐす。リス様……お願いが……」
「ん? なんだ?」
私は身をよじって後ろ髪を手でかき上げ、ユリシーズにうなじを見せた。
「外してください。貴方の手で」
「っ!」
私の服は、その全てが首まで布で覆われるデザインだ。高い位置まで、ボタンで留めている。
一人で脱ぎ着するのは大変だが、今ではすっかり慣れた。
「無理、するな」
「ぐす。いいえ。これは秘密の共有です。いわば、共犯者です」
「……そうか」
ユリシーズは慎重な手つきで、上から順番にボタンを外していく。
ひとつ、ふたつ、みっつ……外したところで、息を呑んで止まったのが分かった。
「セラ……これ、は」
「気持ち悪いでしょう?」
「美しい」
「え?」
「なんて、美しいんだ……触ってもいいか?」
「え、ええ」
ユリシーズの温かい指先が、うなじから肩をなぞる。
「綺麗だ……確かにこれは隠さないとならないな」
「気持ち悪く、ないですか」
「ない。信じられないか」
だって。だって!
「証明するが……怒るなよ?」
吐息が、肩にかかったかと思うと――キスをされた。一度ではなく、何度も肩をなぞる柔らかい唇の感覚に、私の頬は否が応でも紅潮してしまう。
「リ、ス……様……」
「ああ、なんて美しいんだ。セラ。日の光に当たると、虹色に輝くぞ。まるで宝石のようだ」
ああ。拒否されなかった。良かった……
私のうなじから肩にかけてをびっしりと覆っているのは『水色の鱗』だ。知っているのは、父とサマンサだけ。
「そうか、分かったぞ。その声の力は、神獣の末裔ってことに違いない。俺以外で初めて会った。運命を感じるな」
「え?」
「俺の推測では、かつての転生者が持ち込んだであろうヤバイものさ」
ユリシーズはボタンを上まで丁寧にとめ直すと、膝の上から降りるよう促した。
恥ずかしくて俯く私の手を取り、壁にある巨大な本棚までエスコートしてくれる。
「確かここに……ああ、あった」
背表紙には『創世記』とある。今にも綴じがバラバラになりそうな古い本だ。
「これは俺が偶然見つけた、恐らく数百年前のものだ。この世界の始まりが描かれているんだが……この本によるとだな、その昔異世界への扉を開き、神獣をこちらに呼び込んだ不届き者が居たらしい。転生者が監禁される理由だな。あの結界は、そのヤバイ神獣を閉じ込めるために作られたのを、俺なりに再構築したのさ。だから最強ってわけだ……ええと、ほら。ここだ」
ぱらぱらとめくって止めたページには『ヨルムンガンド』の絵と物語が書かれている。雷神トールをその吐いた毒で殺せるほどの、巨大な蛇。
「似てるだろ? この刺青と。で、セラは多分……ああほら、こいつだ」
さらにめくって止めたページには『セイレーン』。鱗、または鳥の羽根で覆われている美しい女の姿で、歌声でもって人間を誘い、食い尽くす海の神獣。北欧神話とギリシャ神話。間違いなく、私の前世の世界からやってきたものだ。
「俺がヨルムンガンドだから、セラがセイレーンだとしても、何も心配要らねえよ。な?」
子供みたいに笑って見せるユリシーズに、私はもう一度横から抱き着いた。
――本当は優しくて照れ屋で、可愛い貴方のこと……大好きになっちゃった。でもこれは、白い結婚なんだよね……




