人間関係はギブアンドテイク、だけど俺はバイト先で足手まといの同僚にギブばかりしている
人間関係はギブアンドテイクというのが俺の信条だ。
何かしてもらったら恩を返すし、こっちが何かしたなら見返りを期待するのは当然のことだと思っている。
小学生ぐらいの頃からこういう思考だったし、そうやって20年間生きてきた。それで上手くやってきた。
公言するかはともかく、俺の座右の銘といって間違いないだろう。
だからこそ腹立たしいのだ。
俺は今、ギブばかりしている。
***
俺は20歳の大学生。高校卒業から一人暮らしを始め、講義にはそこそこ真面目に出て、サークルにも一応入って、まあ大学生としてよくやってる方といえるだろう。少なくとも講義のサボりや留年の危機を武勇伝のように語る連中よりは。
大学でも俺は持ち前のギブアンドテイクぶりを発揮し、テスト前にはノートを見せる代わりに飯をおごってもらう、なんてことをやっている。
俺は大学入学からしばらくして、自宅アパート近くのスーパーマーケットでアルバイトを始めた。
動機は社会経験を積みたかったから。それとやっぱり遊ぶ金欲しさ。恋人なんかいないけど学生ってのは金がかかる。
スーパーでの業務は多岐に渡る。レジ打ち、品出し、店内の清掃。これらがきっちり分担されていることもあるが、うちの場合はそういうことはなく、皆が持ち回りで業務を行うシステムになっていた。
ようするに品出しをやっている人間にレジをやらせることもあるし、その逆もある。状況に応じて臨機応変にやろうというわけだ。
俺はバイトを始めて一年半になる。
手前味噌になるがきびきび働いてミスらしいミスをしたことはないし、座右の銘ギブアンドテイクをこなしてきたつもりだ。
だが、同僚の中にどうしても気に食わない奴がいた。
それが『あいつ』だった。
あいつは大学こそ違うが、俺と同じ大学二年生で、一言でいえばとろかった。
何をやらせても遅く、人より時間がかかる。
ここまでなら“バイト先の足手まとい君”で話は終わる。
が、問題は――
「君は年が近いでしょ。彼のこと手伝ってあげてね」
「はい……」
こんな具合であいつの世話を焼く役目を押し付けられてしまったのだ。20歳前後のバイトは俺とあいつしかいなかったので、年が近い同士仲良くやれるだろうという魂胆の采配だろう。
ここからだ。俺の「ギブだらけ生活」が始まったのは。
あいつが台車で段ボール箱を運ぶ。が、積み方が下手くそだとバランスが崩れてしまう。俺は嫌な予感がしたが、やはりそれは起こった。
「ああっ!」
段ボールが崩れた。あいつは慌てて拾う。
俺はあいつの世話を仰せつかってるので、すぐ駆け寄って、拾うのを手伝う。
「ありがとう」
あいつは申し訳なさそうな顔で礼を言う。
この顔がまた癪に障るのだ。いかにも捨てられた子犬的といった感じで、こちらが責めることを許さない。
だから俺は「いいっていいって」と言うしかないのだ。
清掃も遅い。
決められた時間内に一定のエリアをやらなければならないのだが、明らかに終わらないペース。終わるようにペース配分しろよとため息が出る。
仕方ないので、俺もモップを持って手伝ってやる。
「ほら、俺も手伝うよ」
「ありがとう」
本来なら俺がやらなくていい仕事なのに……そんな不満はどうにか押し殺し、俺は床の汚れを拭き続けた。
体も弱く、月に一回か二回は体調不良で休んでいた。
こうなると、店長も人手が足りないから俺を頼ってくる。
「今日さあ、彼が休みだっていうから、出てこれない?」
「分かりましたよ、出ます」
通話を切ってため息をつく。俺も断ればいいのだが、妙に責任感の強いところもあって、結局引き受けてしまう。
この一年半、ずっとこんな感じだった。
逆に俺があいつに何かを手伝ってもらったとか、休みたいから代わりに出てもらったとか、そういうことは一切ない。
俺ばかりギブしていて、あいつからのテイクは一切ない。
かといってとろくさいあいつに「見返りよこせや!」「お前のせいでこっちの仕事が増えてんだよ!」などと言おうものなら、俺が悪者になってしまう。
仕事も覚えて、あいつのこと以外特に不満のない今のバイトを辞めるつもりもないし、我慢するしかない。
「彼、陳列手こずってるから手伝ってあげてよ」
「……はい」
今日もギブギブギブギブギブ……。
ギブアップしたくなってくるよ、まったく。
***
俺はあいつに冷たくするようになった。
俺の信条はギブアンドテイク。しかし見返りをくれないあいつは、俺にとっては金を貸し続けてるのに全然返さない債務者のようなものだ。温かく接してやる必要などない。
相変わらず足手まといなのであれこれ手伝ってはやるが、そっけなく対応する。挨拶されても小声で返す。帰りも一緒には帰らない。こうすることで多少は気が晴れた。
一方あいつからの俺への態度は変化がなかった。内心どう思ってるかは分からない。もしかしたら「冷たくなったな」などと思ってるかもしれない。だとしても知ったことか。
こっちにギブばかりさせてテイクをくれないあいつなんかに、接待してやる必要などあるものか。
ある日の夕方。
俺はいつものようにスーパーで業務をこなしていた。
今やこのスーパーのエースであるという自負もある。レジ、品出し、陳列、清掃、てきぱきとこなし、心の中でドヤ顔すら浮かべていた。
閉店時間となり意気揚々とバイトを終えた俺に、予想だにしなかった災難が降りかかる。
「ちょっと来てくれるかな」
店長から呼ばれる。
用件に思い当たることがない。日頃の頑張りから昇給でもしてくれるのかな、とまで考えていた。
ところが、そうではなかった。
「お客様からクレームが入ったんだよ」
「え……」
寝耳に水、青天の霹靂とは、まさにこのことだ。
俺にクレーム? 完璧にバイトをこなしてる俺にクレーム? そんなバカな……。
俺がバイトしているスーパーには利用客が意見を投書できるボックスが備わっており、その中に俺へのクレームがあったという。
店長から差し出されたそのクレーム内容を俺は読む。
字は綺麗で、なんとなく年配の客を想像させる。
まとめると以下のような内容だった。
いつも無愛想でイライラしたような態度をしている。
ある客にはにこやかに、ある客にはそっけなく、といった客を選んでいるような接客が気になる。
同僚の人と一緒に作業しているのを見たが、その同僚の人を睨むような顔をしていた。
こんなことがびっしりと書かれていたのだ。それも明らかに俺と分かる外見的特徴まで添えて。
全身から汗がにじみ出るのが分かる。
なぜなら、身に覚えがあるから。
ただでさえあいつのお守りをさせられてイライラしていたし、俺の接客は信条である「ギブアンドテイク」に基づくものだった。
よく買い物に来て商品をたくさん買ってくれる客にはにこやかに接するし、ほとんど何も買わない冷やかしのような客にはそっけなく接するということもやっていた。
もちろん、自分ではバレないようにやってるつもりだったのだが、見る人が見ればバレバレだったのだ。
「困るんだよねぇ、うちのような小さなスーパーはお客との信頼関係が大事だから、こういうことがあるとまずいんだよ」
「は、はい……」
汗だくで返事をする。
このスーパーのエースであるはずの俺が、足手まといになってしまうとは思わなかった。
「そうだね、確かに君はそういうところがあった」
「損得勘定で動くって感じがさ」
「もうちょっと愛想がよくないとねえ……」
やり取りを見ていた他のメンバーも鬼の首を取ったかのように俺への不満を噴出させる。
クレームによって「仕事はできるから」というバリアーが破られ、俺を守るものがなくなってしまった。
人間関係はギブアンドテイク。
「この人にはギブしよう」「この人にはしなくていいや」と上手くやってたつもりだったのに、周囲からは心の中で常にそろばんを弾く俺の心根を見透かされていた。
このままではこのスーパーで居場所がなくなる。いっそ辞めてしまうか。次のバイト先はどうしよう。できれば今と同じような時間でやれるバイトがいいな。どうせなら就活に有利になりそうなバイトを。この期に及んで俺はそろばんを弾いてしまう。
「皆さん、いい加減にして下さい!」
いきなりの大声に、俺だけでなく皆が驚いた。
「彼は僕のことをいつも助けてくれて、それに人一倍働いてるのをよく知ってます! なのにこんなクレーム一枚でみんなして攻撃するのはよくないと思います!」
あいつだった。
俺を擁護するような発言をする。
なぜこんなことをするんだ。俺はお前を足手まといだと思い、ずっと見下してきたんだぞ。
「みんなだって、彼に助けられたことあるでしょう!? 例えば……」
あいつの擁護は陳腐だったが、それゆえに妙に胸を打つものがあった。
店長を始め、皆が黙り込んでしまう。
そして、店長が俺に言った。
「まあ、こういうクレームがあったから……今後は気をつけてくれると助かるよ」
「そうします……」
話は終わった。俺も反省はしたし、今後は気をつけるつもりだ。
もしもあいつの擁護がなかったら、俺はいたたまれなくなってバイトを退職していただろう。
それはきっと後々まで尾を引いたに違いない。
帰り際、俺はあいつに話しかけた。
「おーい!」
「ん?」
「さっきは……ありがとう」
「いや、別に……思ったことを口に出しただけだから」
あいつはいつものように気弱そうな笑みを浮かべる。
「だけど、よかった」
「何が?」
「君はいつも頼りになって“僕なんかに助けてもらいたくないだろう”って思ってたから、こうして助けられて嬉しかったよ」
「……!」
これを聞いて俺は愕然とした。
俺はあいつにギブばかりして、テイクがないことが不満だった。
だが、それは当然だった。俺はあいつを見下して「お前なんかに手伝ってもらいたくないオーラ」を出してしまっていたのだ。
俺は仕事ができるんだ。誰も俺を手伝うな。ましてや足手まといなんかに――と。
俺は目をつぶる。
今まで俺があいつにやってきたことがひどく醜悪なものに感じられた。
「どうしたの?」
「いや……今まで……ごめん」
「ごめん? 謝らないといけないのは足手まといだった僕なのに……」
「いや、ホント……ごめん」
目の奥が熱くなるのが分かった。
こらえなければ、涙の一つもこぼしていたかもしれない。
「俺はまだここのバイト続けると思う。だからこれからも……よろしく」
「うん、こちらこそ」
俺たちは別れた。なんというか朝起きたら風邪が全快してた時のような清々しい気分だった。
それから、俺とあいつは不思議と仲良くなっていった。
俺がもうあいつを見下すことはない。
むしろ俺があいつに頼る場面も多くなった。
「これ重いんだ……運ぶの手伝ってくれ~!」
「うん、分かったよ!」
心なしかあいつも俺が頼るようになってから、仕事のスピードが上がったようだ。
もしかすると頼られると力を発揮するタイプだったのかもしれない。
お互い大学も違うし、一緒に遊ぶということはなかったが、バイトの時はよく話すようになった。
そのせいで時には店長に怒られることもあったが……。
結局、俺たちは大学卒業寸前までこのスーパーでバイトをした。
こんな俺も今では立派な社会人。あいつとも疎遠になってしまったが、あのスーパーでのバイトの日々は忘れないし、きっとあいつもそうだと信じている。
さて、そんな俺の信条だが、実は今でも変わっていない。人間関係はギブアンドテイクだ。
だってそうじゃないか。
ギブばかりしてた俺は、あいつからあまりにも大きなテイクを返してもらえたのだから。
完
お読み下さりましてありがとうございました。