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前編

「は? もう一回言ってくださる?」

 そこは、我が屋敷の応接室でのこと。落ち着いた壁紙、どっしりとした家具、ふかふかの絨毯。

 窓から差し込む陽の光は穏やかに床に落ちていて、外からは鳥の鳴き声もする、そんな午後のこと。

 わたしが唇を引きつらせていると、婚約者のアーネスト様は出された紅茶に口をつけることもなく、居心地悪そうに視線を宙に彷徨わせる。そして、その秀麗な顔に申し訳なさそうな、苦しそうな笑みを浮かべて繰り返したのだった。

「自分の心を偽って君と婚姻を結びたくない。婚約解消してもらえないだろうか」

「はあ?」

 手に持っていたカップをソーサーに戻すと、いつもより派手にかちん、と鳴った。動揺が手元に現れているらしい。

 しかし、これが動揺せずにいられるかという話である。

「婚約解消、ですか」

「そうだ。もちろん、君が悪いわけじゃない」

「そうですわね、全てアーネスト様が悪いです」

「元々、他に愛している人がいるのに君と結婚しようとしたのが間違いだった」

「まあ、貴族同士の婚姻って愛よりも家同士のつながりを重視しますから」

「それでも僕は気が付いたんだ」

「何をでしょうか」

「愛のない結婚の無意味さに」


 ――アホか!


 わたしはおそらく、凄まじい笑顔で彼を見たのだろう。怯えたようにびくりと肩を震わせたアーネスト様は、わたしから視線を逸らすとぎこちなく言葉を探している。

 彼は背が高く瘦せ型。一目見たら忘れられなくなるくらい、美しい風貌を持つ人だ。隣に立つ女性の影が薄くなるくらい完璧な輝きを放つ金髪と、深い蒼の瞳。笑えば堕ちない女性はいないと噂になるほどの美青年。

 そんな、ウェストウッド伯爵の三男であるアーネスト様は、わたし――ミルドレッド・ロックフェラー男爵令嬢にはもったいないほどの優良物件だったはずだった。


 まあ、多少、気の弱そうなところは気になったけれど。流されやすいし、浅慮なところも多い。

 でも逆に、わたしがそんな彼を守ってあげると思ったし。お母様だっていつも、男の手綱を引くのは女なのよ、なんて笑ってたし。

 それが。

 どうしてこうなった。


「いつからですの?」

 わたしは必死に呼吸を整えつつ、静かに彼に訊いた。「その恋人とお付き合いされていらっしゃるのは」

「ええと……」

 アーネスト様の視線がまたふらふらと泳ぐ。「言わなきゃ駄目かな?」

「誠実さを見せてくださいませんか?」

「いや、でも。ここは穏便にその……婚約解消を」

 煮え切らない彼の言葉。ぶつからない視線。

 はっきりしなさいよ!


 相手が自分より爵位が上だろうが気にならないほど、苛立ちは最高潮に高まっていた。だって、「何故なのか」と脅して彼の本音を訊き出したら、とんでもないことを言われたんだもの。


「うう……だって、恋人が君の領地で取れる林檎酒が好きだっていうから」

「は?」

 諦めたように肩を落としたアーネスト様は、その秀麗な顔を情けなく歪めて頭を抱え込んだ。

「だって君のところの林檎酒、国王陛下にも献上した高価なやつだろう!? 年間の生産数が限られていて、滅多に手に入らないやつだ! でも君と結婚したら、それが好きなだけ手に入ると思ったし! ずっと前から、恋人と相談してたんだ。誰と結婚したら一番有益か。それで君だったら……その、上手くやれば君の持っている農園を自分のものにできるって。君は男爵家で御しやすいって言うし、一度手に入れたら離縁すればいいって恋人が」

「はあ!?」

 あり得ない。

 何、とんでもないことをぼろぼろ口に出してくれてるわけ!?

 人を馬鹿にするにもほどがあるってものよ!

 暴言を吐きたかったけれど、必死に言葉を整えるわたし、やればできる子だと思うわよ!?

「ええ、そうですか、婚約はなしですわ、そうしましょうそうしましょう! ただ、解消ではありませんわ。婚約破棄! こちらから破棄させていただきますし、何もかもアーネスト様が悪いのですから慰謝料も請求します!」

 わたしは椅子から立ち上がると、びしっと彼に指を突き付けて宣言した。すると、彼は慌てたように椅子から立ち上がり、わたしをなだめようと必死になった。

「いや、事を荒立てるのはお互い問題が」

「問題!? そりゃありますわね! でも、そんなもの、くそくらえですわ! ああ、言葉が悪くて失礼いたしました! しかし、もう一度はっきり言います。くそくらえですの!」


 アーネスト様との最悪な午後を過ごしたわたしは、彼を蹴り飛ばす勢いで屋敷から追い返した。

 そして、早速何があったのか両親に報告すると、お父様もお母様も鳩が豆鉄砲くらったような顔をして硬直していた。それはとてもよく解る。

 ただ、お兄様のリチャードは、自他共に認めるシスコンであるから、額に青筋が浮かんでいたけれど。

「慰謝料は搾り取れ。破滅させておけ」

 と歪んだ笑みで言われた時には、思わず「協力してね」と手を握ってお願いしたけれども。


 やっぱり、どうしても納得いかないのだ!


 アーネスト様は元々、好きな人がいたらしい。

 でも、家同士のつながりがどうこう……というか、それすらもどうでもよかった。絶対に結ばれない、許されない恋だから。

 それで彼は、その人と結ばれないのならば誰でもいいと決めたのがわたしだったらしいのだ。しかもその恋人と相談して、利用できる格下の家を選んだ、というんだから!


 ――君は自分の意思がはっきりしていて、とても魅力的だ。


 そんな言葉をくれた彼は、そう言えばわたしに一度たりとも『愛している』とは言ってくれなかった。『好ましいね』くらいだ。

 でも、わたしだってアーネスト様のことを愛していたかどうか問われたら何とも言えない。それでも、一生をかけて愛していこうと思ったし、支えていくつもりだった。

 だって、それが貴族ってものでしょ? 自分の立場があるから、結婚相手は下手に選べない。

 アーネスト様との婚約が決まったのも、相手の家から随分と頼み込まれた結果だ。我が家は男爵家とはいえ、それなりに大きな領地を持っている。郊外にある広い農園、そこにある有名な酒造。それなりにお買い得商品だったわけよね、わたし。

 お父様はアーネスト様――ウェストウッド伯爵家のことをよく調べた上で、特に問題はないということで婚約話を受け入れた。アーネスト様もわたしを大切にしてくれるって言ってたし。

 それなのにあっさり捨てられたわけだ。

 一年ほどの婚約期間は全く時間の無駄だった。っていうか、そこまで好きな相手がいるなら婚約なんかするな!


 わたしは自分の部屋に戻ると、ベッドの上にあった枕を思い切り殴り飛ばしてから、「友人の屋敷へ連絡を」と侍女にお願いしたのだった。


 で、現在。


「ほんっと、信じられないのよ、ちょっと聞いてる!? アンジェリーナってば!」

「はいはい、聞いてる聞いてる、落ち着いてよミルドレッド」


 わたしは今、幼馴染であるアンジェリーナ・イングランド伯爵令嬢のお屋敷にお邪魔している。長い付き合いだから、爵位とか関係なしに何でも言い合える仲である。

 アンジェリーナは艶やかな黒髪と黒い瞳を持つ、エキゾチックな感じの美女だ。わたしと同い年なのに、年上みたいに落ち着いている。

「わたしだって、アーネスト様の横に立ってもおかしくないよう、綺麗になろうと努力してきたわよ!? 見てよこの髪! お化粧も、ドレスも!」

 そう、わたしは元々、そんなに性格が大人しいというわけじゃない。

 見た目は結構、恵まれている。

 緩やかなカーブを描く金髪も、長い睫毛も、白い肌に赤い唇も。子供の頃から女だてらに頑張っている剣の稽古のせいで、妙に背筋が伸びて『男の子みたいで格好いい』とか言われてしまう雰囲気はあるけれども。


 それでも、頑張ってきた!

 女らしく、美少女であろうと頑張ってきた! 勉強もマナーも、社交だって苦手だったのに!

 わたしはアンジェリーナの部屋の柔らかなソファをばしばし叩きながら、唸るように続けた。

「ぽろっと口に出してくれちゃったんだけど、幼馴染なんだって」

「幼馴染?」

「アーネスト様の恋人」

「へー」

「わたしだってね、恋愛小説くらい読むわよ。最近の流行りとかも知ってる。婚約者が心変わりして急に婚約破棄されたり、性格の悪い妹とか姉に婚約者を奪われたり。冤罪で国外追放だったり、いきなり聖女に選ばれたり。色々読んでるのよ?」

「結構読んでるわねー」

「自分に女らしさが欠如してるって解ってるし、勉強しようと思ったのよ。男心をくすぐるヒロインってどんな感じなのかなって思ったし」

「……成功してる?」

「してない」

「でしょうねー……」

「してないどころか! 見事に婚約者を彼の幼馴染に取られるという、お決まりのパターンにハマっちゃったじゃないのー!」

「お疲れ様」

「しかも」

「うん」

「幼馴染が」

「うん」


 ――すまない。


 アーネスト様は言った。酷く冴えない顔色で、額に汗をかきながら。


 ――僕が好きなのは、幼馴染の。


「シリウス・ファリントン公爵! 男じゃん! わたし、男に負けてるー!」

 何で男!?

 どうしてもどうしても納得できないじゃないの!

 せめて、普通の婚約破棄だったらまだよかった! わたしよりも身分が高い美女とかだったら、諦めが――いや、余計にムカついたかもしれないけど、でもこんな恥辱にまみれることなんてなかったはずだ!


 そこで、わたしはがばりとソファに倒れ伏して、じたばたと身体を動かした。

 今、わたしの手の中に枕があったら、穴が空くまで殴り飛ばしてやるのに!


「どうどう」

 まるで馬を宥めるように、しかもおざなりにそんなことを言うアンジェリーナだったけれど、それでもわたしが吐き出したいだけ言い続けるのを見守っていてくれた。

 だから、ちょっとだけすっきりする。

「ごめんねえ、アンジェリーナ」

 わたしがソファから起き上がると、彼女はうふふ、と笑って見せる。

「大丈夫大丈夫。でもね、ミルドレッド」

「何?」

「男女の婚約破棄とかって、女性側の方が分が悪いというか、悪評が立ったりするじゃない?」

「そうね」

 そう、不本意だけどそうだ。

 この世の中、どうやったって男性の方が立場が強い。そして、わたしは男爵家の人間で、アーネスト様は伯爵家。いくらわたしから彼に婚約破棄を言い渡したとしても、名前に傷が残るのはわたし。

 何て不条理な世界なの、この世の中ってのは!

「だから、ちょっとこれから、外にお茶しにいかない?」

「え?」

 わたしはアンジェリーナのその提案に首を傾げた。

「最近、貴族の子女たちに人気のカフェができたの知ってる? ケーキもお茶も絶品なんですってよ? そこでもう一度、さっきの話をしてくれない?」

「さっきの話?」

「アーネスト様が男色家であることを誤魔化すために、あなたを利用したって話。噂話として、そのカフェで流しておきましょうよ。きっと、たくさんの貴族の娘たちが耳を澄まして聞いてくれると思うわよ? それにほら、そういう話は広めておかないと、あなた以外の女性がまたアーネスト様に騙されるかもしれないし?」

「なるほど、あったまいい」

 わたしはまじまじとアンジェリーナを見つめ、その笑顔の裏に潜む腹黒さに惚れる気がした。思わずわたしがソファから立ち上がって、がしりと彼女の手を握った時、アンジェリーナの部屋のドアがノックされた。

「アンジェリーナ、入っていいかな?」

 そう扉の向こう側から投げかけられた声は、わたしもよく聞き覚えのあるものだった。

「ええ、どうぞお兄様」

 アンジェリーナの返事の後で、ゆっくりと開かれた扉のところに姿を見せたのは、彼女の兄であり、わたしの幼馴染でもあるランドルフ様だった。

 短い黒髪と、黒い瞳。精悍な顔立ちと細身であるけれど鍛えられた身体。いかにも男らしい、といった感じの美丈夫。

 彼はわたしの姿を見るなり、にこりと微笑んだ。

「久しぶり、ミルドレッド」

「ええと、お久しぶりですわね」

 慌てて居住まいを正し、淑女らしく挨拶をしようとしたけれど、すぐにそれは彼に寄って押しとどめられた。

「堅苦しいのは好きじゃない。いつも通りでいい」

 そう言った彼は、昔と同じようにわたしの頭を乱暴に撫でたのだった。

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