テストで90点を取った子供に「100点じゃなきゃダメ!もっと上を目指さなきゃダメ!」と叱りつけるような風潮を感じる、今日この頃
昨日、痛ましい事実を知った。
昨年の小中高生の自殺が、過去最多だったそうだ。
自分は数年前まで、小学生の教育に関するアルバイトをしていた。
作曲で生計を立てられるようになってからはかなりシフトを減らしてもらったが、学生時代から働いていたのでかれこれ10年以上続けたことになる。
言うことをなかなか聞かない子ももちろんいたが、それでもみんな頑張っていた。
「今時の若者は……」なんてことを言う人もいるが、実は近年、青少年の犯罪件数は凶悪な犯行も含め、激減している。
真面目に頑張っている子の方が遥かに多いのだ。
そんな子達が、コロナ禍で学校生活が壊れたり、経済悪化や生活変化のストレスで両親による八つ当たりやDVが増えたり、将来に絶望したり……そんな状況に耐えきれなくなって自ら死を選んだとしたら、なんともやりきれない。
そして子供達だけじゃない、多くの人はこのギスギスしたコロナ禍の中で、それぞれの場所で、それぞれの問題に対し、一生懸命向き合って頑張っているのだ。
感染症対策だって、多くの人は真面目にやっている。
なのに、今の日本にはそれを評価する風潮はほとんどない。
アルバイトをしている時、子供と接していて気をつけていたのは、「上ばかり見ないこと」だ。
例えばテストで90点を取った子がいたとする。
ここで褒めるどころか、「90点じゃダメ! 100点じゃなきゃダメ!もっと上を目指さなきゃダメ!」と叱ったら、子供の心はポッキリと折れたり、自信を失い自己肯定感が欠落してしまう。
なんだか、今のテレビ報道などを見ていると、同じような空気を感じるのだ。
例えばテレビのニュースを見ていても、今日の感染者数について「何曜日では過去最多」「何日連続1000人越え」などと、どうにか数字を悪く印象付けようとあれこれこじつけるばかりで、1日の退院者が過去最多だったとか、実行再生産数が1を切ったとか、そんな話は一切しない。
「皆さんのご協力のおかげで、我が国は欧米に比べて遥かに少ない死者数に抑えられています、ありがとうございます」なんて、一度も聞いたことがない。
それどころか、「もっと死者数が少ない国がある!それに比べて日本は対策が甘い!抑え込めてない!ゼロコロナを目指さなければ!」なんて話ばかりでは、先の「90点を取ったのに100点じゃないとダメだと叱られた子供」のような気持ちになるのは、自分だけだろうか?
お偉いさん方も「気を緩めるな」「若者が感染を広げている」などと説教ばかりしているが、注意喚起を続けなければいけないのはわかる反面、本当に羽目を外して好き勝手やっているのはごくごく一部だと思う。
そのごく一部のために、若者全てが悪者にされるのはどうなのだろうか?
テレビはコロナをバカにする若者の意見を報道し(やらせかもしれない)、それがさも若者全体の総意であるかのように錯覚させる。
たまったものではない。
生活様式の変化を強要され、ほとんど学校行事も潰れ、単なる思いつきレベルで色んな店がターゲットになり叩かれ、営業短縮を余儀なくされ、経営悪化で閉店倒産が増え、仕事をクビになる人も沢山出て、それでも多くの人は真面目に感染症対策をやっている。
学生世代、現役で働く世代という非常に大切な時期に、ゴールの見えない苦しさ(マスコミがゴールをどんどん遠ざけているように思う)の中で、将来への不安などを抱えながらなんとか気持ちの糸を切らさず、日々を生きるだけでもう十分頑張っている。
そこへ、「気を緩めるな」「お前らのせいだ」と一律に吐き捨てるのは、残酷すぎないだろうか?
また最近、日本でなぜ医療崩壊になるのか、コロナを受け入れてない病院がどうこうという話が出ているが、身内に医療従事者がいるがもともと冬場は人が死にやすく、インフルが流行すれば医療崩壊寸前なんて前からだったそうだ。
自分の近所でも1月はほぼ毎日、救急車のサイレンが鳴っている。
そんな中、医療リソースを割かれまくるコロナ患者なんて簡単に受け入れられるわけないし、風評被害で病院が潰れたら元も子もない。
大体、この高齢化が加速する日本で、いつでも誰でも病院にかかれるシステムが保てているのは医療従事者の皆様が頑張ってくれているからだ。
決して、当たり前じゃない。
そう考えれば医療従事者の皆様への偏見差別や批判なんて、もってのほかなのだ。
2020年は2019年よりも総死者数が少なかったそうだ。
先の、小中高生の自殺の件を考えると、素直に喜べはしないのかもしれない。
それでも、未知のウイルスに対し未知の対応をし、沢山の犠牲を払い、沢山の苦痛を味わい、それでも総死者数が激増どころか減少したことは、そんなに価値のないことだろうか?
日本には多種多様な産業があり、国際的にもまだまだ影響力の強い国だ。
日本だけが勝手に鎖国することもできないし、医療制度も簡単には仕組みを変えられない。
山ほどの問題や制約が複雑に絡み合う中で、バランスを取りながらコロナ対策をしているのだと思う。
また、新型コロナ被害の大小はその国の対策だけでなく、気候や環境、人口、年齢層、食生活、生活習慣、遺伝子的なもの、はたまたその国の産業構造や経済規模、経済体制など、他に様々な要因が考えられる。
死者数などの情報を隠蔽している国も当然あるだろう。
なので、他国と必要以上に比べることはフェアではないし、場当たり的に「〜が悪い」と決めつけるのは短絡的であり、非科学的な感情論でしかないと感じる。
きっと、これを読んでくださっている皆様も感染症対策を守りながら、それぞれの日常で何かと向き合い、戦っている。
感染症対策だけじゃない、日々の生活の中でも、ほとんどの人がルールをきちんと守り、信頼があるからこそ成り立っていることばかりだ。
他人に迷惑をかけることを気にも止めないのは、ごくごく一部の人だけだ。
妹の旦那が商社マンで、各国に転勤(現在はニューヨーク)しているが、「日本は治安も良く、食事も美味しく、安くていいものが沢山ある、本当にいい国だ」といつも言っている。
(反面、日本はコロナ被害が少ないのにどうしてそんなに悲観しているのかとも言われる)
また、身内の医療従事者とも「今はお互いに辛いけど、なんとか乗り切ろう」と励ましあう。
医師や看護師のとてつもない忙しさは知っているが、それでも身内は自分がリリース延期やコンサート中止が続き、収入に大きなダメージを負っていることを心配してくれる。
そこにあるのは、お互いの仕事への敬意と感謝だ。
疑いあい、批判しあい、揚げ足をとりあい、首を絞めあうことが、果たして正しい社会のあり方だろうか?
デマも含め様々な憶測や意見が飛び交い、何が正しいのかわからなくなりそうな中、
皆様が働き、学び、誰かのために何かをし、この息苦しい日々を生きてくださっていることが、
今この社会を支え、未来を作る力になっていると、自分は確信している。
そこに、心からの敬意と感謝を述べたくて、このエッセイを書いた。
そして願わくば、お互いに監視しあい、首を絞めあうのではなく、お互いに感謝しあえる社会になってほしいと……甘い幻想とは知りつつも、陰ながら祈っている。