両親は反省し、姉は決意する
久しぶりに家族全員が揃っての食事だというのに、食堂に漂う空気はひどく重かった。
いつもならば率先して明るい話題を振りまくはずの姉はさえない顔色でミルク粥をつつき、普段は旺盛な食欲をほこる父ですら一口サイズの肉入りパイを持て余している。母は父と姉の様子を心配そうに見守りながら、スープに浮かんだえんどう豆を一粒ずつフォークで突き刺していた。
この空気を僕ごときがどうにかできるわけもない、さっさと食べ終えて自室に下がってしまおう。そう考えて肉入りパイを二つまとめて口に放り込んだところで父が突然僕に向かって話しかけてきた。
「勉強の方はどうだ? アトレ」
「なんとかついていけてます。優秀な学生が各地から集まって来てるんで、想像以上に大変ですが」
なんとかついていけているよりはもう少し上の部類に入ると自負しているが、この場は一応謙遜しておく。下手に期待を掛けられても困るし、優秀な学生が集まっているのは事実だから僕がこの先追い抜かされないとは保証できない。
「寮での生活はどう? 何か不自由はしていない?」
「食事はきちんと出ますし、洗濯や掃除もそのために雇われている近所の者がやってくれます。自分の身の回りのことはし慣れていますから大丈夫です」
「規則が厳しいという話を耳にしたのだけれど?」
「確かにその通りですが、やむをえません。学生の本分は勉強ですから」
「そうなの? でも、ずいぶん朝早くに起こされるのだとか聞いたのよ。皆さん夜遅くまで勉強しているんでしょうに大変そうね」
母までが熱心に僕に話しかけてきた。しかも、僕があえて不愛想な応対をしているにも関わらず、話題を広げようと必死だ。
それでいて父も母も視線をちらちらと姉の方に送っている。僕との会話に姉が加わることを期待しているのだろう。その希望がかなうとはとても思えなかったが、僕の予想は外れた。
「昨夜はアルダート公爵家のパーティーに行っておりましたの」
やや弱々しい声ではあったが、姉がこちらに話しかけてきたのだ。
「まあ、さぞ盛大な催しだったでしょうね」
「それはそうだろう。何しろ王家に次ぐほどの権勢をもつ名家なのだから」
両親の視線は即座に姉に集中した。僕が三つ目のパイを喉に詰まらせかけてパメラに水のお代わりをもらったことにも多分気付いていなかっただろう。
「ごく内輪の集まりということで、招待されていたのはそこまで大人数ではありませんでしたけれど。些細なところにまで贅沢な趣向が行き届いていて、さすがアルダート家と感じ入りましたわ」
静かに、よどみなく語る姉の表情は穏やかだった。パーティーでのあれこれを弾むような声音で語るいつもの調子に比べれば元気がないのは確かだが、様々な状況を考え合わせればむしろ落ち着いていて一安心とさえ思える。
「そうか、楽しんできたのだな。良かった」
「美しいものを見たり、美味しいものを食べたりするのは良い気分転換になるわね」
理由は違えど両親も僕と同じように思ったらしい。ほっとした顔でうなずき合っている。
「でも、やはり久々のパーティーで張り切りすぎてしまったようですわ。立て続けにダンスをしたせいもあるのでしょうが、とても疲れてしまいましたの。今日は自分の部屋でのんびりと過ごしていたいのですけれど、よろしいかしら?」
わずかに微笑みを見せて姉は言い、両親が承諾の返答をするかしないかのうちに立ち上がって食堂を出ていった。残された僕は再び両親の視線を受け止めることになり、しかも早々に立ち去る機会は与えられそうになかった。
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「私のせいだよ、全部」
「いいえ、私のせいです」
昼食の残りを食べ終える間僕が不愛想に徹していたせいでもあろう、両親は二人だけで非建設的な反省会とでも呼ぶべきものを始めていた。適当に流しながら聞いていたが、要するにエンシハール男爵が姉との婚約解消に踏み切ったのは我が家の資産や人脈があまりにも頼りないせいだと両親は言いたいようだ。
確かに我が家はまごうことなき貧乏貴族で、かろうじて人脈と呼べるのはスアレス侯爵家とのつながりぐらいしかない。だが、そんなことは周知の事実だ。姉に言い寄る男性たちがその程度のことを知らないはずがない。家柄や財力目当てであれば最初から他家の令嬢に近づくはずだ。
もっともその事実が、慰謝料を積みさえすれば大して揉めずに婚約解消に持ち込めると男爵や弁護士に判断させる材料になったのも確かだろうが。
「なぜトゥーラは私たちに相談してくれなかったのか……」
「きっと私たちに心配をかけまいとしたのですわ。優しい子ですもの」
頼りにならないからですよ、と言ってやりたいところだが面倒なことになりそうなので僕は沈黙を守った。エンシハール男爵の一方的な申し出を姉がすぐに受け入れたことについては僕も釈然としない点は残っているものの、両親が事の解決に役立ったとは全く思えない。事態を長引かせるだけ長引かせたあげく、妙な噂の種をまき散らすだけになった可能性すらある。
「こうなってしまったからには……せめて私にできることといったら、古典の写本を頑張って仕上げるぐらいだな。持参金の足しにはなるだろう」
「私はこの後台所で料理に励みます。領地で採れた作物をいろいろと持ってまいりましたから、あの子の好物をたくさん作ってあげることにしましょう」
両親の努力の方向はおそらく間違っていないのだろう、娘を愛する父親母親としては。
貴族の端くれであれば……領地経営に熱意を向けて収益を上げる工夫をするとか、王都に来たこの機会にパーティーなどにこまめに顔を出し人脈を広げるとか……そういった方面の努力をするべきではないかと思わないわけでもないが。
まあ、人には向き不向きがある。不適当な努力をしたところで大した成果は得られまい。
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父が書斎に、母が台所にそれぞれ籠ってくれたのを見はからい、僕はこっそりと姉の部屋を訪ねた。ノックをするとすぐに返事があり、部屋に招き入れられる。
「アトレ、来てくれて良かったわ。大事な相談があるの」
深刻そうな表情の姉だったが、声には意外に張りがあった。僕の方からも尋ねたいことはあったが一旦棚上げにして、まずは姉の話を聞くことにした。
「なんでしょう? 僕で役に立てることならいいんですが」
「あなたは私よりずっと頭がいいし、いつも冷静で頼りになるわ。だから、あなたが賛成してくれるなら、私そうしようと思っているの」
「そうしようって……何をどうするつもりなんですか?」
嫌な予感、というほどのことでもない。ただどこか居心地の悪さのようなものを僕は感じた。僕がいつも冷静だと姉は言ったが、今日の姉はいつもと違って冷静すぎる。
「私、エラト殿下の愛人になるかもしれない」
伏し目がちにそう言った姉の横顔は美しかった。その美しさに一瞬見惚れた僕は、うっかり「よろしいのではないでしょうか」と言ってしまいそうになった。すんでのところで冷静さを取り戻した自分を褒めてやりたい。
「姉上、それがどういうことなのか、わかっておっしゃっているんですか?」
「もちろんよ。私ももう田舎から出てきたばかりの小娘ではないのだから」
姉は軽く微笑んでみせた。その様子は特に無理しているようには見えなかった。
姉が自身の判断でそう決めたというなら何の問題もない。エルナンの言葉を伝えて、正式に結婚できる可能性も大いにあると喜ばせてもやりたい、しかし……僕は聞かずにはいられなかった。
「本当にいいんですか? 姉上が好きなのはヴィトス殿下なのでしょう?」