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カーニバルの陥穽、仮面の王子

 姉がアルダート公爵家のパーティーに出かけた次の日の朝。朝食を終えた僕は裏庭に向かい、キャスリーンが洗濯場にやって来るのを待っていた。

 深夜をかなり過ぎてから帰宅した姉はまだ眠っているという話だったから、もしかしたらキャスリーンもそうかもしれないと危惧していたが、しばらくすると籠いっぱいの洗濯物を抱えた彼女がやって来た。


「おはようございます。アトレ様」


 心なしか声が弾んでいる。「パーティーは楽しかったかい?」と僕が言うと、彼女は寝不足などまったく感じさせない明るい表情を見せた。


「楽しかったです。なんていうか夢の国にいるみたいで……それに、私きちんとお仕事できるか心配だったんですけど、びっくりしたことに何にもしなくて良かったんです。トゥーラ様を玄関でお見送りした後は他の人たちと一緒に部屋で待っていただけでした。途中で呼び出される人も中にはいたんですけど私はそれもなかったんで」


 僕の予想が当たっていたようでほっとする。姉はめったなことで連れていったメイドを呼びつけるような真似はしないが、突然の体調不良かなにか不測の事態が絶対に起こらないというわけではないのだから。


「残念だったといえば……すっごくおいしそうなお食事やお菓子がたくさん用意されてたんですけど、私、緊張していたせいであんまり食べられなくって、もったいないことをしてしまいました」


 お喋りに夢中になりながらも、キャスリーンの手は全く止まらない。それどころか彼女の洗濯の手際は日に日に上がっているから僕の方は自分の物を確保するのに全く気が抜けない。まあ僕の休暇中の日課のようになっていた洗濯の手伝いも姉のダンスの練習に付き合っていたために中断せざるを得なかったから、今さらという感はあるが。


「じゃあ、他家のメイドと話したりはあまりできなかったのか」


 パーティーでの姉の様子も少しは聞ければと思っていたが、さすがにそこまでは望みすぎというというものだろう。姉が起きれば話してくれるだろうし、日を改めてエルナンの元を訪ねてみてもいい。


「喋りすぎないようにって気をつけていたんで、そんなには。でも、意外っていうか、皆さん愛想よく話しかけてくれて、トゥーラ様って女の人からも好かれてるんだなあって思いました」

「嫌われてると思ってたのか?」

「……だってトゥーラ様ほどの美人で、しかも男の人にあんなにモテる方だったら、やっぱり妬みとか嫉みとかあったりするもんじゃないですか。うちの村でだって……」


 村一番の美人が同年代の女性たち数名と村長の息子を巡って争ったという話をキャスリーンは詳細に語ってくれた。僕がついつい積極的な相槌を打ってしまったのは、話の内容に興味があったからというよりも彼女の歯切れのよい口調が心地よかったせいだ。

 娘たちの争いは親同士の争いにまで発展し、それに嫌気がさしたのか村長の息子が旅の踊り娘と駆け落ちしたところまでをキャスリーンは一気に話し終えた。


「というわけだったんです。これって別にうちの村に限った話じゃないですよね」

「女性同士の嫉妬はよくある話だと思うが、姉上に関してはその心配はほとんどないはずさ」


 僕の知る限り姉がどこかの令嬢と一人の男性を争ったことはない。

 既婚者や婚約者のいる男性には努めて冷淡にふるまっていたし、どこかの令嬢が姉の取り巻きの誰かに想いを寄せていると知れば、その恋の成就を積極的に手助けしていたぐらいだ。

 世の中には逆恨みというものもあるし、どうにも相性が悪いという相手もいるだろうが、姉が同性から距離を置かれているということはないと思う。


「そうみたいですね。メイドさんたちだけじゃなくって、他の家のお嬢様方にも好かれてて。帰り際までたくさんのお友達に囲まれてらっしゃいました」

「姉上の様子はどうだった?」

「楽しそうに笑ってらっしゃいました。でも、ちょっとお疲れだったかもしれません。やっぱり王子様とダンスするのって特別なことですもんね」

「もう噂になってるのか……」


 どこかの令嬢がうっかりメイドにまで喋ってしまったのだろうか。いずれ広まる話ではあろうが、今の時点で不確かな噂が独り歩きするのは喜ばしいことではない。


「キャスリーン、君が聞いたのはどんな話だ。つまり、その王子様と姉とのことをできるだけ正確に知りたいんだが」


 行き過ぎた姉思いを笑われるか呆れられるかと危ぶんだが、キャスリーンはしばらく真剣な表情で考え込んでから答えた。


「私が聞いたのは、どこかの伯爵家のメイドさんからでした。王子様はカーニバルで偶然出会ったダンスの上手な女性のことが忘れられなくて、どうにかして身元を突き止めようとしていたんだとか。それがトゥーラ様だということがやっとわかって、それでアルダート公爵に頼んでパーティーに招待してもらったんだって言ってました」


 カーニバルということは仮面を付けていたのか。意気投合したのならその場で名と身分を明かせば良さそうなものだが、まあ互いに何らかの事情があったのだろう。それにしても、ヴィトス殿下がカーニバルに参加されていたとは意外だった。そのような無礼講での大騒ぎはむしろ苦手とする方かと思っていたが。


「その伯爵家のメイドさんは私を励ますような感じだったんですよね。『エラト様なら大丈夫よ。末の王子だし、ご本人もお母上様も世間体や身分にこだわらないとの評判だから』って。どういうことか今一つわからなかったんで『ありがとうございます』だけ言っといたんですけど……」


 キャスリーンは不意に言葉を切り、こちらを不安そうに見つめていた。たぶん僕の表情がこわばったものになっていたからだろう。


(エラト殿下……そうだ、その方がずっとつじつまが合うじゃないか。どうして僕も姉さんもヴィトス殿下だと思い込んでしまったのか)


 我が国の国王アグノス四世陛下には五人の王子と一人の王女がおいでになり、それぞれに母君が異なる。

 第四王子のヴィトス殿下の母君は伯爵家出身のシンシア様。

 第五王子であるエラト殿下の母君は男爵家の養女であるフィリナ様。

 フィリナ様の母君はもともと舞踏教師でその縁で男爵家の後妻となったのだという。当然のごとくその血筋を受けたフィリナ様はダンスの名手として知られており、エラト殿下もまた同様であろう。

 カーニバルで踊った相手に興味を持って探し出そうとすることは充分に考えられる。


「あの、私何か良くないことを言ったりしてしまいましたか?」


 キャスリーンは何も悪くない。エルナンがエラト王子の名を出さなかったのはある種の配慮によるもので、誤解させるつもりなんてなかっただろう。自分に都合よく思いこんだ姉と、姉の勘違いの可能性を思いつきもしなかった僕がうかつだったのだ。

 

「いいや、大丈夫だ。念のため確認しておくが、昨夜姉上と踊ったのはエラト殿下で間違いないんだな? 他の王子が出席していたりとかそういうことはなかったか?」

「それは……わかりません。私が聞いたのはエラト様っていう王子様のことだけで」


 怯えさせるつもりはなかったのだが、僕の言い方は問い詰めるようなものだったのかもしれない。キャスリーンの声は震えていた。


「とりあえず、洗濯を終わらせようか」


 僕はそれだけ言い、無言で作業を始めた。キャスリーンも同じように無言で洗濯物の山を片付けていく。すべての洗濯物を干し終える頃には僕の中である程度の考えがまとまっていた。

 できるかぎりもの柔らかな口調を心掛けながらキャスリーンに尋ねる。


「この後スアレス侯爵家に行かねばならない。君にもついてきてもらいたいんだが、いいか? パメラには僕から話しておくから」

「はい、アトレ様」


 慌ただしく外出の支度を整えた僕は、エルナンが在宅であることを願いながらキャスリーンを連れて家を出た。

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