整理整頓は嫌いでも苦手でもない、が
姉は平常心を失い、しかも筋道だった話をすることを苦手としている。
エラト殿下は平常から筋道だった話をする必要性を感じない方であるらしい。
この二人から話を聞き出し、事の次第を把握するのに僕がどれほど苦労したか……いや、きっとこれも神々の与えられた試練だったのだ。そう思おう。そうでも思わなければやっていられない。
「姉上、もう一度確認します。エンシハール男爵との結婚を決めたのは愛ゆえではなかったと、そうおっしゃるんですね」
「もちろん好きは好きだったのよ。好きでもない方の妻となることはいくら何でもできないし、でも、この人のためならばどんな苦労をしてもかまわない、と言い切れたかというと……」
富裕なエンシハール家であれば生活の苦労はないし、多額の持参金を要求されることもない。下手に身分の高い相手に嫁げば政治的な意味合いの強い社交や広大な領地の経営に頭を悩ませることになるかもしれないが、男爵家であればそういった煩わしさは最低限で済む。
とまあ、姉なりの打算もあった末の選択だったらしい。一応姉を弁護しておくが、エンシハール男爵の方も姉の美貌が貴族社会で男爵家の評判を高めるのに役立つと考えていたようだ。
「お互いに夫婦として誠実であれば問題ないと、そう思っていて……でも、あの方は運命的な恋に落ちてしまわれたの」
「それが、例の酒場で働いていたとかいう娘ですか」
「ええ、あの方はおっしゃったわ『彼女と結ばれるためならばどんな犠牲でも払う、家も身分も捨てて構わない』と。それを聞いて私は思ったの、ああやはり私の自分勝手な考えを神々が戒めておられるのだわと」
姉がやつれ果てるまで部屋に引きこもっていた理由は本当に神々への畏れだけなのだろうか。愛ではない、と姉は言ったがエンシハール男爵への愛情が皆無ということはなかったに違いない。燃えるような恋だけが真の愛情へと通じる路というわけでもない、ような気がする。
「運命の恋っていうか、理屈じゃなく人を好きになってしまうってことは結構あると思うんだよね。ヴィトス兄さんはその辺がわかってないんだよ」
「そんなことはありません。ヴィトス殿下はただただ深いお考えと思いやりをお持ちの方なのですわ。だから私のような者の身の上を気にかけてくださったのです」
姉はヴィトス殿下の話題になると急に気丈さを取り戻していた。つまり、姉の運命の相手と言うのは……
僕はエラト殿下の心中が気がかりだった。勘の鋭い方のようなので、すでに姉の想いを察していないとも限らない。
しかし、ご本人はヴィトス殿下にさんざん説教をされたことを不満げに語るだけだった。
「そりゃあ、僕がカーニバルで踊った相手を探し回ったのは確かだよ。エルナンや他にも何人かに喋ったかもしれない。でも、その噂が広まって、エンシハール男爵の耳にも入って、で、彼が僕に遠慮して先回りしてトゥーラと別れたっていうのはさあ……いくらなんでもありえないだろう?」
「ありえなくはない話、とだけ申し上げておきます。今回の件はそうではありませんでしたが」
「……うーん……ヴィトス兄さんと君が言うんなら、そっちの考え方が常識的っていうやつなんだろうけどさ」
エラト殿下はまだあまり納得がいっていないようだった。どうもこの方は自分が王子であるという自覚に乏しいのかもしれない。
妾腹で、しかも第五王子となれば王位に就く可能性は限りなく低い。となれば母君のフィリナ様もこの方の自由気儘を厳しくたしなめる必要を感じなかったのだろうが。
「ま、いいや。僕のせいでトゥーラに迷惑をかけたっていうわけじゃないんだね。また、ダンスに誘っても構わない?」
「もちろんですわ。殿下とダンスをするのはとても楽しいですから」
「うん、僕も君とは本当に踊りやすい。だから、君の結婚相手は嫉妬深くない男の方が嬉しいな」
晴れ晴れとした笑顔でエラト殿下は言い、「領地の館に閉じ込めておくような夫を持たれるとパーティーに誘い出すのも一苦労だからなあ」と付け加えた。
僕は思い切って一つの問いを投げかけてみた。
「不躾は承知でお伺いいたします。では、エラト殿下はうちの姉に思し召しがある、というようなことはないと?」
「もちろんトゥーラは物凄い美人だよ。ダンスも上手くて話していても楽しい。だけど自分のものにしたいかっていうと何となく違うかなって。あ、こういうのもまたヴィトス兄さんに怒られるのか」
「いいえ、そのようなお気遣いは不要ですわ。私だって最初からダンスのお相手をつとめるだけで十分光栄と思っておりましたもの」
姉の声には安堵と喜びが入り交じっていた。やはり、エラト殿下の愛人になるという決断は相当に無理をしていたのに違いない。エンシハール男爵とのいきさつから罪悪感を感じていたところへヴィトス殿下との出会いがあり、さらに恋にまで落ちてしまったのだ。
情緒不安定な時に重大な決断を下してはいけないという見本のようだが、当人がそれと気づいて決断を先延ばしにしようなどと考えられるはずもない。そんな風に冷静に考えられるようなら情緒不安定とはいわないだろう。
「弟は私があらゆる男の方から好意を寄せられるものと決めてかかっているのですわ。実際にはそれほどのこともないのですけれど」
「ううん、それほどのことはあると思う。そう遠くないうちに君が心から好きだって思える人とちゃんと結ばれるんじゃないかな」
「だと良いのですけれど。こればかりは恋愛の女神様の加護を祈るしかありませんわね」
殿下と姉の間には友情らしきものが生まれているようだった。それはそれで喜ぶべきことかもしれない。姉が美しいドレスを身に付けて贅を凝らしたパーティーに出席する機会はこれまで以上に増えるだろうが、それにかかる費用はさっき受け取った金貨で軽く賄えるはずだ。
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エラト殿下が帰られたのと入れ替わるように両親がスアレス侯爵家から戻って来た。母は気疲れからか台所に立つことはなく、その日の夕食はコックが一人で仕上げることになった。
まずいとまでは言えないが、味付けにやや物足りなさを感じる夕食をあたりさわりのない会話と共にとる。平凡だが平和でもある光景が僕の目の前に広がっていた。
そのような時間が永遠に続けばよいなどと贅沢なことを思っていたわけではないが、昼間さんざん試練に耐えた僕としてはせめて夕食からベッドにはいるまでの間ぐらいは平穏無事に過ごさせてもらいたかった。
が、デザートを食べ終えて自室に引き取ったばかりだというのに、僕の部屋に慌ただしいノックの音と深刻きわまりない父の声が響きわたる。
「アトレ、大変だ。助けてくれ」
「父上、落ち着いてください。一体何があったんですか?」
「とりあえず、この手紙を読んでくれ。たった今ヴィトス殿下から届けられたんだが、私はもう何をどうしたらよいものか」
きっと今日は我が家に奇想天外な出来事が起こる星の巡りなのだ。これがヴィトス殿下から姉上に対する求婚の申し出であっても驚くまい、そう覚悟を決めて僕は父から手紙を受け取った。
封筒は意外に分厚く、中には何枚もの便箋が入っていた。
「水源地の管理料……某公爵家より我が家に対して支払われるはずが長年にわたって滞っているのは何か理由があってのことか……契約書や覚書などがあれば提出……ってなんですかこれは?」
「私にもわからん。父上の代の話かもしれないが、そんな話は何も聞いていない」
「そうですね、とにかく書斎を探してみましょう。お祖父様もひいお祖父様も書いたものは何でもとっておく人でしたから、探せば見つかるかもしれません」
「ああ、そうだな。そうしよう、お前も手伝ってくれ」
ヴィトス殿下の手紙にはおそらくという但し書きつきで契約が結ばれたと思われる年代や当時の詳細な状況が記されていた。それを手がかりとすれば、さほど苦労せずに目当ての書類が探し出せるはずだった。
だから、僕が書き損じの恋文や作物の取引記録、未完成の戯曲や請求書の束の間から曽祖父の署名の入った契約書を見つけ出した時には真夜中をとっくに回っていたが、その責任はすべて我が家、ブルハト子爵家にあるのだった。




