三人の妃候補
入学式の日、セイラは我慢出来ずに早めに学校に行き、校門近くで銀髪ヒロインとその攻略者達を待った。
学園は十三で入学、十八で卒業だ。
銀髪ヒロインの攻略者達は全員二歳年上で、彼らの卒業の年の一年間をどうすごすかでエンディングが変わるゲームだった。
校門前に馬車が止まり、クリフとアリシアと知らない生徒がふたり降りてきた。七歳で見かけて以来のふたりは、すっかり見違えるほどに成長していた。
門の近くにいた生徒も加わり、何か打ち合わせをしているようだ。そこに新たな馬車が到着し、降りてきたのはグレンだった。
「よお、おはよう」
「一緒に来たの?」
「おまえの入学式くらい、みんなで顔を出そうって事になった」
続いてセドリックが馬車を降り、最後にサイラスが姿を現した。
まさか全員が揃って登場するとは思わず、セイラは唖然と彼らを見ていた。
「目立つ一団よね」
声をかけられてびくっとしてしまって慌てて振り返る。そこにはお妃候補のライバルであるエレインとロレッタがいた。
小説ではよく、お妃候補同士の熾烈な争いが書かれているが、現実は違う。いつどこから見られているかわからないのに、ライバルを蹴落とそうなんてしたら、すぐに妃候補から外される。
そうじゃなくても毎日のように顔を合わせ、ダンスに礼儀作法、各国の歴史、政治経済まで学んでいれば仲間意識もわいてくる。愚痴を言い合える貴重な仲間だ。
「でもよろしいのかしら、あの顔ぶれ。本来なら王太子殿下の傍にいるべき方々ではないの?」
「でも陛下がお許しになっているそうですわ」
「学園内は平穏であってほしいわね」
宰相の長男に王弟殿下の息子、代々国王の側近の侯爵の嫡男、魔道士団最強の災害級ヒロイン。
どう見ても次期国王の側近になるべき顔ぶれだ。王太子が孤独を感じたり焦るのも仕方ないかもしれない。
グレンと知らない男子生徒が歩き出し、その後ろをセドリックとサイラスが並んで歩く。クリフとアリシアはそれぞれ側近らしき生徒達と話しながら、サイラスの背後を守っている。
そこに浮ついた色恋の香りは全くない。サイラスとアリシアは笑顔で挨拶していたが、特別な関係には見えなかった。
(クリフの瞳が金色だった)
両目とも無事なクリフの成長した姿を見られただけでも嬉しいが、彼が既に心に決めた相手がいると知った衝撃の方が大きかった。
それにゲームの中では攻略者同士の繋がりは、ほとんど触れられていなかった。例外はサイラスと側近のセドリックだけだ。少なくともサイラスルートの銀髪ヒロインは側近ではなかったはずだ。
ゲームと違う。
自分の方はゲームの流れを変えられず、要所でゲーム通りの出来事が起きていた。でも銀髪ヒロイン側は、もうゲームから大きく外れているのかもしれない。
(大丈夫かしら。私の行動が彼らの足を引っ張ったりしないかしら)
だがもう賽は投げられている。変更は利かなかった。
彼女が十四の時、計画通りヒロインは行動を開始した。
セイラは全てのルートを攻略していたので、大神官の息子にどのタイミングでどう接すればいいのか知っていた。
でも彼女には失敗してもらわなくてはいけない。
さすがに平民の娘では王妃になれないだろうけど、大神官の息子は国王と聖女の間に生まれたというトンデモ設定だ。まさかの事態は避けなくてはいけない。
だから、彼女には最後に裏切ってもらった。彼女が愛していたのは王太子だ。
計画はこわいくらいに上手くいったが、まさか大神官の息子が自害するとは思わなかった。
テレビでは、みんな失恋した話をしていたではないか。何回も恋をしている人だってたくさんいた。この世界だって同じはずだ。じゃなかったら、クリフの設定の意味がないではないか。
「ごきげんよう、殿下」
伯爵以上の子供達が使用出来るサロンで、妃候補の三人は、帰ろうと席を立った王太子とその側近と顔を合わせた。
「……ああ。最近きみ達は三人一緒にいることが多いな」
少し前まで学園で挨拶しても、フェリックは迷惑そうな顔を向けるだけで無視をしていた。聞こえないふりをされたこともある。そのたびに彼の側近が追い払うようなしぐさを見せたので、さすがに三人共キレた。
「私達に挨拶されるのがお嫌でしたら、妃教育の教師か宰相におっしゃってくださいな」
「私達は挨拶するようにと指示されているのです」
「私達からも伝えておきましょう。このような扱いを殿下とその側近から受けるなんてありえませんわ」
そして言葉通り三人で、どうやら妃候補は王太子とその側近に軽んじられているようだ、王宮の意向が理解されていないようだと必要な相手にさりげなく話したのだ。
その後、彼らの態度は改まり、側近達は彼女達に気を遣い顔色を窺うようになった。
「お茶をいただきながら一休みして、王宮にまいりますの」
必要最小限失礼にならない会話を終わらせて、彼女達は王太子の横を通り過ぎた。一緒にお茶をどうかなどと誘う気はない。
もうすでに王太子とその婚約者候補とは思えない、冷ややかな関係が出来上がってしまっている。
そこにやってきたのがサイラス、セドリック、グレン、クリフの四人だ。入り口あたりが賑やかになり、うんざりした顔で振り返った王太子に気付いたサイラスは、口角を緩く上げ堂々とした足取りで近づいた。
「これは兄上。学園でお会いするのはひさしぶりですね」
ふたりの微妙な立場は、この場にいる誰もが知っている。
注目されている中でもサイラスの傍にいる三人は自然体で、王太子に全く興味がなさそうだ。一方、王太子の側近達は敵意を込めた顔つきで彼らを睨んでいる。
「そうだったか? 学年が違うと会う機会が少ないからな。……相変わらずおまえは個性的な顔ぶれを従えているな」
「与えられたものを受け取っただけの兄上と、優れた資質を持つ信頼出来る者を自ら口説いた私の違いですよ」
「おや、私は口説かれた覚えがありませんが」
「おまえは口説く前に押しかけて来ただろう」
「あー、そうでした」
王太子とのやり取りに一緒に加わっているのはセドリックだけだ。
「よお、綺麗どころが三人も揃っているじゃないか。今日も王宮で勉強か?」
グレンは妃候補の三人に笑顔で話しかけ、クリフは家の仕事関係の話を他の生徒と無表情に行っている。ふたりとも王太子の存在を無視だ。
「お……すごい顔ぶれが……この空間は何?」
遅れてやってきたアリシアはサロンの入り口で足を止め、そのまま帰ろうとしたが、あいにく彼女は目立つ。
「アリシア嬢、あなたには確認したいことがあったんだ」
アリシアに気付いたフェリックがすたすたと彼女に歩み寄る。だがいつの間にか移動していたクリフが道を塞ぎ、ふたりの間に体を割り込ませた。
「ちょっと、邪魔しないで。確認とは何でしょう」
彼の腕を掴んで脇にどかせようとしながら、アリシアは横から顔を覗かせた。
「なぜ魔道士団はイアンの警護をしていなかった。あいつの様子がおかしいから見張って守ってくれと要請を出しただろう」
「イアン?」
「自害した大神官の息子だ」
アリシアが首を傾げるとすかさずクリフが説明する。それでもアリシアは怪訝な顔をしたままだった。
「そのような要請は受けていませんよ?」
「そんなわけは……」
「確かにそのような依頼であれば、特殊部隊を率いる私のところに来る案件ですが……誰に依頼なさったんですか?」
「陛下と宰相だ」
サイラスとその側近達全員が、なんとも微妙な表情になった。たぶんセイラも同じような顔をしているだろう。
イアンが国王と聖女の間に出来た息子だと知っているからこそ、大神官は好き勝手なことが出来ていたのだろう。国王や宰相にしてみれば、イアンの存在は危険すぎる。せっかく邪魔な大神官がいなくなったのに、彼を守るわけがない。
「兄上、情報も与えられたものを受け取るだけでは駄目ですよ」
「どういう意味だ」
サイラスとその側近達の表情を見て、自分の知らない何かを彼らは知っているとフェリックもようやく気付いた。だが彼にとっては、国王と宰相が友人のイアンを見殺しにしたことの方が重要だ。
「くそ。なぜ父上は……」
「公共の場で何を言う気ですか?」
サイラスはフェリックのすぐ隣に近付き、耳元に顔を寄せた。
「国王への不満を王太子が公の場で口にする気ではないでしょうね」
「……」
「そもそも友人のお守りを国王に泣きつくとは……。自分の手元に何もないと言っているようなものだ」
「おまえに言われる筋合いはない」
「……まあ潰されないように頑張ってください。このままだと宰相の操り人形になりそうで見ていられない」
フェリックは顔を青くしてサロンを飛び出していった。その後ろを慌てて側近達が追いかけていく。
「……まさかあのまま文句を言いに行く気ではないでしょうね。うちの腹黒親父に見捨てられたら終わるのに」
「自害とは限らないってことも?」
「いや、それは間違いないようだ」
サロンの隅に移動したサイラス達の会話は聞こえなくなってしまった。
情報を集める。それはセイラにとっても大切なことだ。
妃候補になって、以前よりずっとたくさんの情報が集まるようにはなったが、まだ足りない。女性にしか集められない情報もあるはずだ。
もっと強く強かになろう。銀髪ヒロインの攻略者達に負けないくらいに。
イアンは弱かった。自分を育ててくれた親を糾弾し破滅させたくせに、恋人に振られたくらいで死ぬなんて心が弱すぎたのだ。
この件でサイラスと自分を比較することになった王太子は、更に追い詰められていった。
そしてそこに新たなヒロインが登場した。
彼女は王太子ルートだ。
セイラは辺境伯の娘が計画通りに王太子に近づくのを、自分の目で確認することになった。
もうマリオネットを使用してから五年近く経っている。あの時はまだ子供で、貴族社会について何もわからなかった。行き当たりばったりで始めた計画が、どんな影響を誰に与えるかなんて、全く考えていなかった。
表面上とはいえ、挨拶はかわすようになっていた王太子が、妃候補をあからさまに避けるようになった。側近さえ遠ざける始末だ。
代わりにいつも隣にいるのは赤い髪の少女だ。うっとりと英雄を見るようにフェリックを見つめ、彼の全てを肯定してくれる恋人だ。
妃候補は辺境伯の娘に負けて、王太子に相手にされないと噂になっても、三人は静観することにした。フェリックは日々、自分は無能だという証拠を積み重ねているだけだ。
それでも気分がよくないのは確かで、共通の敵を前に三人の結束はさらに強まった。
「よりによってあの辺境伯とは。殿下は何を考えていらっしゃるのかしら。……いえ、何も考えていないのでしょうね」
いつも冷静なロレッタは、母親がサロンを開きさまざまな客を招待しているので、社交に慣れ情報通だ。今日は彼女のタウンハウスに招待され、眺めのいいテラスで午後のお茶をいただいているところだ。
「あの家は隣国との関係が深すぎるそうですわ」
「そもそも辺境伯の娘が妃候補に選ばれなかったのはなぜかを考えれば、彼女とあんな目立つ形で逢瀬を重ねるなんて出来ませんでしょう」
「もう宮廷でも噂になっているそうですわ」
もう三人共、王太子の妃になりたい気持ちなどこれっぽっちもなかった。彼女達も親に命じられて妃候補をしているのだ。王子に惚れているわけではない。
「殿下が王太子から外された場合、どちらが次の王太子になられるのかしら」
「あの……私……」
深刻そうな表情と消え入りそうな小さな声で、突然エレインが話し始めた。
「実はお慕いしている方がいるので選ばれたくないのです。私はグレン様が……」
エレインとグレンが幼馴染だという事は、情報としては知っていた。
でもゲームの中では妃候補はふたりとも金髪ヒロインのライバルで、銀髪ヒロインの方には登場しなかった。まさかグレンが妃候補のひとりと恋仲とは思いもしなかった。
「それはサイラス様も御存じなのです。あの方が王太子になったら、私はグレンと婚約出来ることになっているんです」
「まあ、でしたらサイラス様には頑張っていただかないと」
「そうですわね。ユージン殿下には近づかないようにしますわ」
ユージンもセイラが作ったヒロインに心を奪われ、王太子にはなれないはずだが、こちらからも彼がヒロインに恋をするように仕向けた方がいいかもしれない。
辺境伯の娘が捕らえられたと聞いたのは、それからすぐの事だった。
意味のわからないことを話し始め、今のままでは王太子に危害を加える恐れもあるという。
その五日後、王太子が廃嫡されたとの連絡が入った。次の王太子は未定だそうだ。
ここまではおおよそ計画通りだった。
だがその何日か後、王太子が辺境伯と共に娘を救い出し、王太子と娘は行方不明。辺境伯は病に倒れて引退したと、教師役の侍女長から聞かされた。
噂に惑わされないように、早めに大まかなところは伝えておこうと判断されたようだ。
マリオネットを使った時、辺境伯と隣国の繋がりは知らなかった。
王太子と辺境伯の娘が生きていてはまずい人が、この国にはたくさんいる。辺境伯の引退も理由は同じだろう。
誰が計画し誰が実行したかはわからない。
ただひとつはっきりしているのは、セイラの力を知られたら、今度は彼女が殺されるかもしれないという事だ。
それでもひとつだけ、どうしてもやらないといけないことがあった。
上流貴族は皆、耐魔、耐魅了、耐毒を付与されている装飾品を身に着けている。
マリオネットはスキルなので使用出来るが、魅了が封じられては三人目のヒロインが動けない。
セイラは錬金術の教師ダリルに、妃候補なので装飾品に付与する効果で相談したいことがあると持ち掛けた。
彼は簡単に引き受けてくれた。彼女を疑う者などいない。妃候補なのだから。
大人も問題なくマリオネットにかかってくれた。でもきっと彼の記憶を誰かが覗けば、今度は成長した金色の髪の女性の存在に気付くだろう。
顔はわからないように認識障害を起こさせてある。ただひとつだけ、彼女は賭けをした。
ダリルとの話が終わった後、彼女はそっとピアスをはずした。
それは、あの日から一度もつけていない両親の形見のピアスだった。




