ヒロインがいっぱい
最初のヒロインは平民の娘だった。ハニーブロンドの髪を肩で揃え、ほとんど化粧もしない働き者の可愛い女性だった。
彼女が選んだのは大神官の長男ルートだ。
国王にも負けない権威を持ち回復魔法が使える偉大な大神官が、実は金の亡者で、若い女性を何人も囲っている事を知り絶望した長男を、ヒロインが慰めて愛が始まる。ふたりは学園で密会し、大神官の悪事の証拠を集め、それを全て同級生の王太子を通して王宮に届けるのだ。
神殿の最高権力者のスキャンダルだ。揃えられた証拠の数々に、国中が大騒ぎになった。
大神官と彼に加担していた神官達はすぐに捕らえられ、神殿の影響力は弱まり、国王と繋がりのある男が次の大神官に選ばれた。
「よくこれだけの証拠を集め、国のために動こうと決断したな」
王太子に聞かれた時に彼女は答えた。
「私はゲームのヒロインなの。だから物語のままに動くのよ。私はあなたに会うために動いたの」
大神官の長男ルートを選んだ場合、実は彼は国王と聖女の子供で王位継承権があり、自分に自信のない王太子が、彼の方が次期王にふさわしいと言い出して旅に出るというトンデモ設定だったはずだ。証拠集めを楽しむルートだったと言える。
それなのに、突然あなたと会うために動いたと言われても、王太子からしたら友人の彼女だ。相手にするわけがない。
帰る場所をなくした元大神官の息子は、彼女の心変わりに耐え切れずに自害し、彼女はそれでも王太子を追いかけまわし、幽閉された。
私はヒロインだ。この世界はゲームの世界だ。
ずっと言い続ける彼女に何があったのかを知るために、魔道士が彼女の記憶を覗いた。国内に出来る者が五人しかいない魔術だ。
それによると、彼女は九歳の時にそれは美しい女の子と会っていた。豊かな金色の髪と深い緑色の瞳。美しいとはわかるのに、認識障害を起こしているのか顔の造形があいまいだ。
そしてその女の子が語り始めるのだ。あなたはゲームのヒロインなのよと。
二番目のヒロインは辺境伯の次女だった。華やかな赤い髪と大きな薄茶色の瞳の活発な女の子だ。
彼女が選んだのは王太子ルートだった。
生まれた時から次期国王になるために厳しくしつけられ、周りに集まるのは気に入られようとする者ばかりで、誰もが彼自身を見てくれようとはしない。三人のお妃候補も皆、王太子として誇れる行動をしろと言ってくる。どうせ彼女達は自分よりも第二王子のサイラスの方が、次期国王にふさわしいと思っているのだ。
友人が届けてくれた大神官の悪事の証拠のおかげで、彼も見直され称賛を浴びたが、それは一瞬。女の方が妙なことを言い出し、仲が良かった大神官の息子は自害してしまった。
孤独と重責に押しつぶされそうになっていたフェリックは、明るく元気で、普通の友人として接してくれる彼女に恋をした。
初めての恋で、甘やかしてくれる彼女に夢中で、フェリックは判断を誤った。
国王に、妃候補ではなく彼女と結婚させてくれと言ってしまったのだ。
妃候補は全て、国内有数の高位貴族の令嬢だ。もう何年も厳しいお妃教育を受けている。ここで違う女を王太子妃に迎えられるわけがない。
彼女は城に呼ばれ、フェリックに会わないように注意を受けた。
その時彼女は答えたのだ。
「私はこの世界のヒロインなの。王妃になる運命なの。ここはゲームの世界なのよ」
話している言葉が意味不明で、フェリックを害する危険があるために彼女は塔に軟禁された。一年前、同じようなことを話していた少女がいたために、国としても放置は出来なかったのだ。
彼女もまた魔道士に記憶を覗かれ、予想通り、あの金色の髪の美しい少女に会っていた。
彼女達ふたりが受けていた認識障害と洗脳は、宮廷魔道士でも解けないほどに強力な術で、無理に解こうとすると命の危険があった。
おそらく彼女らに何らかの魔術をかけた者は、Sランク級の魔道士だろうと結論が出された。
二番目の物語は、まだここで終わりではない。
フェリックは彼女を諦めきれず、彼女の親である辺境伯に手助けを求めた。
辺境伯は娘を救い出し、フェリックと共に自分の領地に匿い、付き合いの古い隣国に亡命させようとした。
だが、ゲームで魔王と呼ばれた第二王子のサイラスがそれを見逃すはずがない。
辺境伯と隣国の親密さは有名だ。亡命したフェリックが正当な後継者は自分だと兵を起こしでもしたら戦争が勃発する。辺境伯は自分の娘を王妃にするために、王太子側につくだろう。隣国も大きな貸しを作るために動き、内政干渉してくるに違いない。
フェリックと恋人は辺境伯の領地に向かう途中で、忽然と姿を消した。
辺境伯は急な病に倒れ、まだ若い嫡男が後を継ぐことになった。彼はサイラスのクラスメイトだった。
そして今回、第三王子は王位継承権を剥奪され、シュリルは捕らえられた。
彼女もまた、他のヒロインと同じように認識障害と洗脳を受けていた。
「これであなたの立太子は確定ね」
城内の別館にあるサイラスの住まいに、アリシアは訪れていた。
壁際には盗聴防止の魔道具が置かれ、廊下とテラスには信頼出来る護衛が並んでいる。
「本当に見事な手際だな。素晴らしい」
まだ十八とは思えない低く艶やかな声で呟き、微かに笑いを漏らしたサイラスは、本来ならアリシアの攻略対象だ。だが、彼女は現実とゲームは違う事を理解していた。だいたい結婚相手が魔王では気の落ち着く暇がない。
「これはどう考えても、おまえを次期国王にするために動いているよな」
ワインを片手に呆れ顔のグレンは、サロンで第三王子と話していた時よりずいぶんと寛いだ様子でサイラスに接している。
「他には考えられないな。王妃になり息子をお飾りにして実権を手に入れるのが望みなら、サイラスよりフェリックのほうが操りやすい。いや待てよ。王族に恨みがあり、根絶やしにするのが望みというのはどうだ?」
メガネを押し上げながら話すのは宰相の長男のセドリックだ。
父親は王太子のフェリック派で、セドリックを彼の側近にしようとしたのだが、サイラスの方が次期国王にふさわしいと、独断でサイラスの側近になった男だ。今年で二十歳。この中では最年長で、腹黒そうな顔のくせに世話好きで皆のまとめ役になっている。
「それは尚更興味がわく。ぜひ、俺をどう殺そうとするのか見てみたい」
「悪趣味な。こっちにはこれだけの駒がいるんだぞ。これでおまえを害せたら、その女はもう人間じゃない」
なにしろゲームの世界だ。銀髪のヒロインの攻略対象はそれぞれ得意とする武器が違う。セドリックは魔道士だ。アリシアほど突き抜けてはいないが強力な氷魔法の使い手だ。
グレンは騎士団有数の槍使いだ。槍は現実の戦でも活躍したが、この世界では範囲攻撃が出来てしまう。スキルなので魔力は関係ない。身体強化で防御力をあげ、敵の中に突っ込んで範囲攻撃で蹴散らす。戦闘ではグレンが一番楽しいと言われていた。
クリフはデバフをまき散らしつつ短刀で戦う。彼の場合だけ、日本の忍びのような一族が仲間になる。後に詳しく説明するが、乙女ゲームらしい設定のテンコ盛りの男だ。
そして災害級ヒロインアリシアと自分の身は自分で守れてしまう魔剣使いの王子。銀髪ヒロインの攻略対象が勢揃いしているのだから、戦闘力も防御力もあり余ってしまっている。
だが魔王とゲームで呼ばれたサイラスが、こんな危険な連中をなんの確証もなく信頼するわけがない。彼らは三人共、サイラスに借りがあり貸しがある。一蓮托生の仲間なのだ。セドリックだけは子供の頃からサイラスに惚れこんでいるので、誰も気にしない。
「金色の髪に緑の瞳の美しい女性。銀色の髪のアリシアは残念ながら違うな」
「わざわざ俺を煽るな。他のやつと違って、俺は国王など誰がなっても構わないぞ」
金色の瞳を光らせたクリフをちらっと見てサイラスは口元に笑みを浮かべた。
「おまえは本当に毎回、脅しを忘れないな。おまえの婚約者に手を出すわけがないだろう」
「惜しいと思っていたくせによく言う」
「私には早く会いたい女性がいる。彼女に焦がれているんだ」
遠くを見つめるサイラスの瞳は、確かに普段の冷ややかさが嘘のように熱を秘めている。
「彼女、お妃候補のひとりよね」
「サイラスの隣に立つのが目的なら、そうだろうな」
「三人とも金髪に緑の瞳だ。めんどうな」
「いや、ふたりだ。エレインは関係ない」
エレインは、王家さえ接し方に気を遣う公爵家令嬢でグレンの幼馴染だ。ふたりがどんなに愛し合っていても、妃候補に彼女が選ばれるのは当然と言える。
愛するエレインを諦めきれず、荒れていたグレンにサイラスが声をかけたのだ。
「俺が王位につく手助けをしろ。そうしたらエレインはおまえにやる」
妃候補で選ばれなかったふたりは、王太子の側近に嫁ぐことになる。サイラスが立太子することが決定すれば、ひとりはグレンの、もうひとりはサイラスの筆頭補佐官になるセドリックの元に嫁ぐことになるだろう。
「妃候補の中に彼女がいるとなると、他の妃候補の身が危険じゃないのか?」
「エレインにはサイラスが彼女を俺の嫁にする気だと、他の妃候補に話すように言ってあるから問題ない」
「被害者はひとりか。そのくらいなら」
アリシアの座ったひとり掛けのイスの肘掛けに腰をおろし、背凭れに腕を伸ばして寄り掛かるクリフは、全身で彼女は俺のだと主張している。短い黒髪に、夜行性の肉食獣のように明るさに合わせて瞳孔が動く金色の瞳。冷静沈着な男がアリシア絡みだとポンコツになるというのは、彼らの周囲では有名な話だ。
クリフがここにいるのはアリシアのためだ。彼女がサイラスを王と決めている間は、クリフはサイラスを裏切らない。
「そんな心配はいらないわよ。王子ふたりが馬鹿なことをしでかしたせいで、彼女達の結びつきは強くなっているみたいなの。もう親友よ」
「そういえばエレインがそんなことを言っていたな」
「王太子妃になった後も王妃になっても、信頼出来る女性は必要よ。賢い彼女なら、そのあたりはわかっているはずよ」
「ならばいい。さすがにこれ以上はフォローしきれないぞ」
ひとり目のヒロインは急病で亡くなった。
ふたり目のヒロインとフェリックは、もう二度と姿を現すことがない。
ヒロイン達は、金髪の少女に会っている。どこかで接触してしまって、記憶がはっきりと蘇ってはまずい。
「そういえば、耐魔の装飾品が成長を阻害するとかなんとか言い出した教師がいたな。彼の方はどうなったんだ?」
「私が聞いたところだと、今はもう過去の記憶をだいぶなくしていて覚えてないみたい」
「ほお」
「それでサイラスは、彼女を見つけられるのか」
「ああ、問題ない」
目を伏せて微笑む彼は、ひどく満足そうだ。
「アリシアも誰が彼女かわかっているのだろう?」
「おそらく」
「ならば彼女達に会ってみてくれ。王太子妃になった暁には、おまえには彼女の側近兼護衛になってもらいたい」
「ええ、喜んで」
もともとゲームは三人のお妃候補にヒロインがなったところから始まる。
学問、ダンス、礼儀作法を学園で学びながら攻略対象と親しくなり、最終的に三人の中で一番いい成績を取らなければ、王妃になってハッピーエンドにはならない。だから金髪ヒロインの攻略対象者は、王太子と第三王子と実は国王と聖女の子供という大神官の息子なのだ。
ヒロインは男爵家のひとり娘だが、実は母親が侯爵家の娘で父親と駆け落ち同然で結ばれていたため、事故で両親を亡くしたヒロインは侯爵家に引き取られるという設定があった。
「その通りの人がいるのよね」
三人の中にひとり。そのままの境遇の女性がいる。
ここまで来たら偶然はないだろう。
「そういえばユージンと共に魅了をかけられた者達はどうなった?」
「ああ、うちの弟は領地に帰されて軟禁状態ですよ。一から鍛え直しだそうです。他のふたりも似たようなものでしょう」
サイラスの問いに答えたセドリックの口調は、身内の話とは思えないほどに他人事だ。サイラスを推す兄とユージンの側近の弟では、会話する機会さえなかったのかもしれない。
「男の方はいい。たしか騎士団長の長男には婚約者がいただろう」
「それなら相談されたお妃候補たちが、さっさと婚約を取りやめた方がいいと助言して、両親と騎士団長に息子の愚行を報告して別れたらしいぞ」
大事な娘を悲しませた男に対する怒りは強く、騎士団長側は平謝りだったそうだ。
「彼女はまだひとりか」
「いえ、例の辺境伯との縁組が決まっております。殿下のご友人の」
「仕事が早いな、セドリック。辺境伯は先代が病に倒れたばかり、婚約の準備も大変だろう。出来るだけの援助を」
「承知しております。ご令嬢の方にもお祝いの品をお届けしましょう」
「そうしてくれ。弟のしでかした不始末の詫びだ」
あいかわらず抜かりのないサイラスとセドリックの会話を半分聞き流しつつ、たったひとりで秘密を抱えて立っている金髪のヒロインを思う。
彼女のしたことは、決して褒められる事ではない。多くの人の人生を台無しにしたのだから。
しかしヒロインを名乗る女性に骨抜きにされた男達は隙がありすぎた。一国の権力の中心にいる自覚が足りなかった。これが貴族だ。
「今度は狙われる側に立つのだけど、彼女は大丈夫かしら」
アリシアは彼女に会うのが実に楽しみだった。