マリオネット
我が国には王侯貴族を中心に、選ばれた優秀な人材が通う国立の学園がある。学問を学びながら社交での行動も学べるようにと予算をつぎ込み、国王が趣味に走って建設したと言われる最新の機材を詰め込んだ校舎の隣には、予約制で生徒が使用出来る豪勢な個室と、身分によって使用出来る大小さまざまなサロンのある洋館が建っている。
アリシアは伯爵以上の貴族なら誰でも使用出来る広いサロンの、一番目立つ中央のソファーに腰をおろし、半ばクッションに埋まりながら扇で口元を隠してため息をついた。
「アリシア・マクラウド! なぜシュリルを陥れるようなことをするのか、是非とも理由を聞かせてもらおう」
目の前に仁王立ちになっているのは、第三王子のユージンだ。彼の背後には側近がふたり、同じように蔑むような目つきでアリシアを睨んでいる。
このシーンは、小説でも漫画でもよく登場する、愛するヒロインを守るために、恋人の王子が悪役令嬢を糾弾するシーンなのだろう。乙女ゲームでは定番らしい。
だがおかしい。アリシアはいつのまに悪役令嬢になったのだろう。
それにユージンとは初対面のはずだ。よくアリシアが自分だとわかったなと、こんな場面でも一瞬感心しかけてストーカーかも? と思い直した。
アリシアは転生者だ。
ある事件がきっかけで五歳の時に前世の記憶を取り戻し、この世界が乙女ゲームの世界だと気づいた。だから断言出来る。彼女はヒロインのはずなのだ。
たとえ身体強化でクラスの男子生徒を全員ぶっ倒してしまっても、魔力が強すぎて魔道士団で戦闘する時以外、リミッターの腕輪をつけなくてはいけなくても。錬金術師として冷風機を完成させ、莫大な財産を持っていてもだ。
前世ではいろいろなゲームを楽しんだが、乙女ゲームは面白いとは思えなかった。敵を倒してスカッとするのがゲームだと思っていたアリシアには、相手の好みに合わせて選びたくもない選択肢を選んで、やたら声のいい声優が、背中がぞわぞわするような甘い台詞を吐くのを聞くだけというのは楽しいと思えなかった。なのにこの世界を知っているのは、その乙女ゲームが戦闘メインのゲームだったためだ。
そのゲームにはふたりのヒロインがいる。
ひとりはお妃候補に選ばれ、学園で学問やダンスを学び自分磨きをしつつ、攻略対象と恋愛をして、最終的には王妃になるという、ごくありきたりの普通の乙女ゲームを楽しめる金髪ヒロインだ。メインの攻略対象は王太子。子供の頃から厳しい教育を受け、孤独を感じている彼に寄り添い関係を深めていくというお約束な展開だ。
そしてもうひとりが、どの攻略対象でもいいので金髪ヒロインで一回クリアした後に選択できる、戦闘メインのストーリーの銀髪ヒロインだ。
こちらのメインの攻略対象は第二王子。頭脳明晰、文武両道。肩まで伸びた黒髪にガラス玉のような青い瞳。美しくも酷薄そうな顔と人気声優の低く艶っぽい声、腹黒どころかどこからどう見ても真っ黒い王子が、天才錬金術師でありながら多彩な攻撃魔法を操るヒロインと、魔獣や侵略してくる他国の兵をなぎ倒して国王夫婦となるストーリーだ。
ヒロインが連れ去られても誰も心配せず、民間人に被害が出るのはまずいと王子がひとりで助けに向かえば、辺り一面の火の海の中からヒロインが無傷で姿を現すという、もはやどこが乙女ゲームなのかわからない内容だが、戦闘が簡単なのに派手で、女性でも気分良く敵を倒せるバランスが良かったのだろう。魔王と災害級ヒロインとして、ゲームの箱に描かれている金髪ヒロインや王太子より人気が出てしまった。
アリシアは、その災害級ヒロインと言われた銀髪ヒロインのはずなのだ。けっして悪役令嬢ではないのに、あまりにお約束のこの流れ。シュリルとそのツバメ達の行動は把握していたので驚きはないが、なぜ自分が糾弾されているのかわからない。
「アリシア! 聞いているのか!」
サロンにはたくさんの生徒がいる。彼らに注目されているのも気にせずにわめいているユージン第三王子は、金髪ヒロインの攻略対象者のひとりだ。金色の髪に青い瞳の末っ子王子は、正義感が強く真っすぐでやさしい性格だとゲームの説明書には書かれていたはずなのだが、正義感を間違った方向に暴走させているようだ。
「お初にお目にかかります。私、アリシア・マクラウドと申します。なぜ初対面にもかかわらず、私の名を呼ぶのかお聞かせ願いたいですわ」
立ち上がり、恭しくカーテシーをしてみせた後、眉尻を下げた困った顔を作り扇で口元を隠す。独身の令嬢に相手の許可なく名前を呼ぶなど、礼儀に反する行為だ。
「きさまのような卑劣な女に礼儀など関係あるか! シュリルの制服を破いて教室の窓からまいたくせに!」
「大声を出さなくても聞こえますわ。他の方々のご迷惑ですわよ。話がおありならお座りになったらいかが?」
礼儀など関係ないというのならと、アリシアはユージンが腰をおろすより先にソファーに座り、優雅な手つきで紅茶のカップを持ち上げた。
周囲では生徒達が青い顔で右往左往している。サロンの外に駆け出していく生徒もいるようだ。キレたアリシアが王子をぶっ飛ばしでもしたら、学園関係者の首が何個も飛ぶ。
「それで? 私がそのシュリル様? の制服を破いたというのはいつの話でしょう」
「しらばっくれるな。五日前だ」
イライラしながらも言われた通りに腰をおろし、質問に律儀に答えるところが真っ直ぐな性格なのだろうかと思いつつ、アリシアは背後にいる側近に声をかけた。
「パティ、その日の私の予定はどうなっていたかしら」
「はい。魔道具研究機関の要請で朝から一日中、研究所でお過ごしでした。お疑いでしたら所長に確認ください」
「え?」
突然、国立の研究機関の名前が出たために、ユージンは怒りを忘れてきょとんとした顔をしている。
「まあ私、学校に来ていないのにそのシュリル様でしたかしら? その方の制服を破ったのね。どうやって破ったのか教えてくださる?」
「どうって、はさみが横に落ちて」
「風魔法も炎の魔法も自由に操れる私が、はさみ?!」
しらじらしく目を見開いて椅子の背凭れに寄り掛かかり、どうしても笑みが浮かんでしまう口元を扇で隠す。正直、声を出して爆笑したかった。
「殿下はもしかして、私がどういう立場の人間かご存じないのでしょうか」
「侯爵令嬢だろう」
「はい。それ以外に魔道具研究機関魔道具制作部門ランクS錬金術師であり、魔道士団特殊部隊隊長でもあるリミッター付きSランク魔道士です」
「……は?」
三人揃って聞いた言葉が信じられないようで呆然としている。話したアリシアも厨二病全開の肩書に、自分で言っておいて少し精神的ダメージを受けていた。
「そのために忙しくて週に二日ほどしか学園に来られないのですけれど、誰をなんでしたっけ?」
「いや……しかし……シュリルを階段から突き落として……」
「これはいったい何の騒ぎだ?」
さすがにこれだけ楽しそうな話は、広まるのが早い。もう少し虐めたかったのに、さっさと話を終わらせてしまいそうな男が登場してしまった。
「あら、グレン」
灰色の髪を無造作にかきあげながら近づいてきた長身の男は、王子の存在を無視して、堂々とアリシアの隣に腰をおろした。
「おもしろいことになっているな」
「ちょっと来るのが早すぎよ」
背凭れに腕をかけて顔を耳元に寄せて囁く男に、扇で隠した口元に笑みを浮かべてアリシアが答える。
「ひさしぶりだな。ユージン」
「グレン。なぜあなたがここに……」
「なぜ? 俺はこれでもこの学園の三年生だが?」
魔法は身体強化しか使えないが、騎士としての腕は一級。近衛騎士団の第一部隊副隊長で、将来の公爵という華々しい身分を持つ色男は、王子の従兄でもある。
銀髪ヒロインの攻略対象のひとりで、尊大な態度を取ってはいるが、実は頭の回転が速く一途にヒロインを想うロマンチストだ。
「おまえたちの会話は廊下にまで聞こえていたぞ」
「ならば話が早い。この女は……」
「ユージン、暫く黙って話を聞いてくれ」
有無を言わさないグレンの表情に気付き、ユージンは驚きに目を見開き、グレンとアリシアの顔を見比べた。
「この女は、あなたを騙して味方に引き込ん……」
「なあ、ここはわが国唯一の高位貴族の子供達が通う学園だとわかっているな」
いい加減うんざりした顔で、グレンが話を遮った。
王子の言葉を遮るなんて失礼な態度を取られているのに、王子も側近も何も言わない。これは何かまずいと思い始めているのだろう。
「もちろんだ」
「なら知っているな? 実はここの生徒の二割は本物の学生じゃない。不審な者から生徒を守り、生徒達の動向を宮廷に知らせる役目の者達だという事を」
「……え」
高位貴族の子供と王子が揃っているのだ。テロでも起こされたら大惨事だ。
生徒に気付かれないように配置された護衛達も、授業中の教室にまでは入れない。なにかあった時に生徒達を守るために、また将来有望な生徒をスカウトするために、多くの組織が生徒の中に隠密を紛れ込ませている。
「だからアリシアが女生徒を虐めてなどいたら、とっくに陛下にまで話が届いている。だがそもそもアリシアは仕事が忙しくて、ほとんど学園に顔を出していない」
「そ……んなはず……」
「シュリル様でしたっけ? 直接お会いしたことがないのですけど、男爵のご令嬢でしたかしら。その方を側室になさりたいの?」
「側室?! 失礼な。彼女は私が愛する女性だぞ。正室にするに決まっているだろう」
「でも、身分が……」
「そんなものはどうにでもする。私はシュリル以外は娶らない!」
王子が自信満々に言い切った言葉を聞いて、グレンとアリシアは口角をあげてちらりと目を見交わした。
「ユージン、俺はちゃんと警告したぞ?」
「あなたは今、王位継承権を放棄するとおっしゃったのと同じですのよ。半刻も経たないうちに、宮廷の主だった方達にあなたの発言が届きますわ」
「なにを言っている。次期王太子は私だ。自分の正妃は自分で決める!」
「第一王妃が亡くなったあと、誰もまともな教育をしてくれなかったのか? 妃候補はすでに三人に絞られている。王子はその中から正妃を決めなくてはならない。でなければ、内乱になるぞ」
自分の恋愛問題が内乱にまで繋がるとは思っていなかったのだろう。グレンの話を聞いて、ユージンの顔つきが変わった。
「……彼女達は兄上の妃候補だ」
「ええ。フェリック様が王位継承権を放棄し行方不明になってしまわれたので、三人の妃候補の中のおひとりが、そのまま次の王太子になられた方の妃になることが既に決定しています。ご存知ではありませんでした?」
「い……いや」
「ユージン。複数の男と親しくしている男爵令嬢の存在は、すでに陛下の耳に届いている。彼女が王太子妃になれる確率は万にひとつもない」
「そんな……」
ユージンの背後では、側近のふたりも今にも倒れそうな顔つきになっていた。ひとりは宰相の次男で、もうひとりは騎士団長の嫡男のはずだ。シュリルは彼らともいちゃつく姿を目撃されているので、ハーレムルートのつもりなのかもしれない。
「ユージン様?!」
そこにタイミングよく噂のシュリルがサロンに駆け込んできた。
本来ならこのサロンは伯爵家以上の高位の貴族しか使用出来ないのだが、シュリルと一緒に伯爵家の三男が顔を出したので、招待されたというのならまあ許される範囲だろう。
「シュリル?!」
「その女です。その女が……グレン様?!」
悲痛な表情と声で話し始めたのに、グレンの存在に気付いた途端、シュリルの顔が喜色を浮かべた。
ふわふわの栗色の髪に目尻の下がった大きな目の、美人というよりは可愛らしい顔をしている。小柄で華奢で、男から見たら守ってあげたいと思うような女性なのだろう。
「グレン様、やっぱりこの女に騙されていたんですね。私、わかってました」
グレン以外の他の誰も彼女の視界にははいっていないようだ。グレンに手が届く位置まで一直線に駆け寄ったところで、彼が握っていた小さなガラス玉が空中に浮かびはじけて消えた。
「見たかアリシア。この女、俺に魅了を使ったぞ」
ぎょっとした顔でシュリルを見る生徒達の中で、グレンとアリシアだけが楽しそうな笑顔だ。
「私もようやく目の敵にされていた理由がわかりましたわ。彼女の狙いはグレン、あなただったのね。それで噂を信じて私とあなたが恋仲だと思ったのでしょう」
「噂?」
「冗談だろ。おまえに手をだしたらクリフに殺される」
「クリフですって?!」
興奮して叫ぶシュリルの首に背後から手が伸び、かちりと音をさせて首輪がつけられた。
「な……これはなに?」
「おい、彼女に何をする!」
話の流れに取り残されていたユージンが、シュリルに首輪をつけた生徒に掴みかかった。
「魔防の首輪です。これで彼女は魅了が使えない」
「魅了だと?!」
別の生徒がユージンと三人の側近にキュアの魔法をかける。彼らは何度も目を瞬いたのち、シュリルを見て驚きに目を瞠った。
「え? シュリル? あれ」
「なんだろう、イメージが違う」
「私達は魅了をかけられていたのか?」
一瞬、身を翻して逃げようとして、いつの間にか生徒に囲まれている事に気付き、シュリルはユージンに縋り付いた。
「こわいわ。助けてユージン」
「魅了を使っていたのか? 私達を騙していたのか?」
「そもそも耐毒、耐魔の装飾品をつけるのは貴族として当然だろう。なぜはずしたんだ」
グレンに聞かれてユージンと側近達は顔を見合わせ、記憶を辿るように遠くを見つめた。
「あ、そうだ。ダリル先生に、耐魔の装飾品は成長を阻害するから外した方がいいと言われたんだ」
「ダリル先生って錬金術の先生だろ」
呆れた雰囲気の生徒に囲まれ、ユージンはがっくりと肩を落としてソファーにへたり込んだ。シュリルは彼では駄目だと思ったのか、今度はグレンに縋り付いた。
「グレン様、みんな何か勘違いしているんです」
「初対面で名を呼ぶな。不愉快だ」
「え?」
「許可もなく名を呼ぶなと言っている。そもそも男爵家の娘が公爵家の俺に声をかけるとは何事だ」
「そんな。グレン様は身分なんて気にしない優しい方でしょう」
「シュリルさん」
「話しかけないで!」
アリシアを睨むシュリルの表情は、周囲の者達が息を飲むほど敵意に満ちていた。
「あなた、グレンじゃなくてクリフを選んだの? それともサイラス?」
第二王子の名前を聞いて、さすがにアリシアも顔色を変えた。
「あなた、それは不敬罪になるわよ」
「平気よ。私はヒロインだもの。この世界はゲームの世界。私のための世界なの」
シュリルは、恍惚とした表情で胸の前で手を握り合わせて微笑んだ。
「あなたは知らなかったでしょう? 次期王妃は私なのよ」
「あなたがヒロイン?」
「そうよ」
「困ったわね。この世界はゲームの世界で自分はヒロインだっていう人、あなたで三人目なの」
目と口を丸く開いたヒロインは、少しも魅力的には見えなかった。