01 目覚めたらネトゲ
「ルチア…ルチア…」
誰かを呼ぶ女性の声がする。
誰かは知らないけれど、早く返事してあげてほしい。私は起きたくない。起きたらまた会社に行って膨大な量の仕事に飲み込まれなきゃいけないじゃない。せめて目覚ましのベルがなるまではギリギリまで寝かせておいて…。
ノー残業デーだのプレミアムフライデーだのは上流階級職に就く皆々様のためのもので、私みたいな下流勤め人には縁のない話なのよ。
あー…だめだ。今の声で意識がきっちり覚醒してしまったらしい。二度寝はむりかぁ。
学生時代はTTOというネトゲをやるか寝るかの二択生活だったのになぁ。あの時期と同じような生活サイクルと言うのも、それはそれで問題なんだろうけど…。
今の状況も人としてどうかと思うわ。生きる楽しみってなんだっけ…とか哲学したくなっちゃうもの。
就職したらゲームとかの趣味をやる暇もなく、残業続きで倒れるように寝てるんだからさぁ。
あぁ、起きたくない。
永眠したい…。
(あれ? …そういえば)
脳内でひとしきり現在における愚痴をこぼすと、重要なことを思い出した。
朝、私は睡眠不足な頭をむりやりに起こして、軽く貧血をお越しながらもフラフラと通勤していた。
そして、死んだはずだ。
そこまで思い出して、ガバッと起き上がる。
未だにクラクラする脳裏によぎるのは、自分の最期に見た光景だ。グワングワンと揺れる視界と痛む頭。
気付けばこちらに向かってくる電車が目の前に…。
それから…覚えているのは味わったことのない全身の痛みと、耳に残る誰かの悲鳴。
そうして私は意識を手放したんだったっけ。
じゃあ…今ここにいる私は?
「ルチア、目覚めたのね。良かった…」
目の前にはどえらい美人。
髪の毛はシルバーで、目の色は青。大きな目からは今にも大粒の涙があふれんばかりだ。顔の造作だけでも現実感がないどえらいキレイな作りをしているが、もっと違和感があるのは服装だ。
胸元が大きくひらいた…鎧? のようなものを着ている。鎧ならその露出量はおかしくないだろうか。なにも守れそうにない。貞操すら守れるのだろうかそれは…。
ここはコスプレ会場か何か?
(…でも、この鎧、どこかで見たことあるような…)
ともかくも、彼女が話しかけている相手は私らしい。
だが、私はルチアという西洋風の名前ではない。
「ルチア…? ううん、私は…」
ただの、運悪くブラック企業に就職してしまった下流勤め人で。名前は…えーと…。
「名前…なんだっけ…」
思い出せない。
そういえば両親も仲の良い友達も、好きだった漫画やゲームも。自分に関する記憶がとても曖昧だ。
そういった大切なものがあった、という事は思い出せるけど、細部は靄がかかったまま。
無理やり引っ張り出そうと考えてみるけれど、次第に頭痛が襲ってきた。
「頭痛い…」
「無理をしないでルチア。
あなたは侵略者との戦いの前線で、深い傷を負ったの…。生きているのが不思議なくらいだわ…女神テルースに感謝しなきゃ…」
「侵略者? 女神テルース…?」
なんだろう。このセリフどこかで聞いたことがあるような気がする。
しかも何回も何回も…。
よくわからないデジャヴを感じて私は辺りを見回す。
そして、驚愕した。
浮遊する色とりどりの、液体のような、水晶のような何か。
透き通りながら、時折様々な色の光を放つ地面。
遠くからは見たこともない生物と、目の前の彼女と同じような鎧を着た人たちが戦っている。剣と、おそらくは、魔法で。
そして、そのもっと遠くでは、見たこともない飲み込まれそうな紫の空と、それを打ち消すような眩しい星々が輝いていた。
明らかに、私の知っている地球じゃない。
「なに、ここ…」
「もしかして…怪我の影響で記憶が定かじゃないのかしら…。
あなたの名前はルチア。私はアトリア。
ここはこの大地ルウナーを狙う侵略者たちと戦う最前線、星の基地よ」
この景色や、アトリア・ルウナーなどの言葉には覚えがあった。
私が一時期ドハマりしていたネトゲ、TTOと全く同じ設定じゃないか!
夢の中の設定を練るのがめんどくさかったからって、わざわざソレを選んで焼き直しすることないじゃない、私!
そう思って自分の頬をつねると…。
「痛い…」
「そりゃそうよ…。
ルチアってば何を考えたのか、あの強化されたギガンテスの前にフラフラ出て行っちゃったんだもの。
しかも、そのままボーッとしてて、攻撃をモロにくらって…。幸いにも一命はとりとめたけど、代償に貴女の星の力は自己修復に消えてしまって…。
もう前線にはいない方がいいわ」
あーうん。
そういうシステムだったね。最初に無茶をして戦闘能力を失くした戦士が、また一からやり直すっていう趣旨のゲームだったね。
平和な星に突如侵略者が現れて、どうのこうの。
プレイヤーは侵略者たちが奪った星の力を、モンスターを倒すことによって奪い返し、レベルを上げていくっていう。ようするに普通のゲームで言う経験値の話だ。
でも、このネトゲ。私は途中で引退しちゃったから、エンディングがあったかどうか全然わからないんだけど。
少なくとも、このOPはキャラを作り直すたびに見なければならない必須イベントだから内容も全部覚えてる。
そんなことをぼんやり考えていると、アトリアが言葉を発した。
「一度神殿に戻りましょう。
もしかしたら、あなたはもう戦えないかもしれないけれど…。でも、どんな道を選んでも、それはあなたの自由だから」
悲痛な表情を浮かべるアトリア。
美人な上に滅茶苦茶リアルなので、ものすごく動揺してしまう。よかった、私男じゃなくて。危うく惚れてしまうところだ。
ゲームの時よりも100倍リアルに感じる。その理由は何と言っても、視点が私目線だからだろう。
ゲームの時はプレイキャラクターの背中から世界を見ていたので、なかなか新鮮な視界だ。
と、いうよりも、だ。
おそらくこれは、本当の名前も忘れた私にとっては現実なのだろう。その証拠に先程思い切りつねった頬はまだヒリヒリとした痛みを訴えている。
少なくとも夢ではないらしい。
こうして私は、よくわからないまま「ルチア」として、引退したネトゲにそっくりの世界で第二の人生を歩むことになった。
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