船の上でも樹は樹
しんみりとした別れをしたその日の船上。樹はさっそく女性を侍らせていた。
客の中に20代後半と思われる、美人を見つけて声を掛けたのだ。
「そうですか。結婚相手を探しに……」
「はい。お恥ずかしい話ですが、亡くなった親の借金を返すために夜の仕事をしていて、婚期を逃してしまいました」
娼婦はかなり稼げる仕事である。しかし、いつまでもできる仕事ではないため、20代後半くらいになると、娼婦を辞めて商売を始めたりする人が多い。
高級娼婦などは、礼儀作法や文字の読み書き、計算なども習得しているうえに、娼婦の仕事で資金や人脈を稼いでいるので、商売でも成功する人は多い。
「オレからすればまだお若い。魅力的な女性だ。きっといい人が見つかりますよ」
娼婦の仕事を辞めてから、商人の妾になる人も多いので、それほど焦る必要もないだろう。
樹からすれば、日本で20代後半なら、別に行き遅れたというわけでもない感覚なので言った言葉だった。
常識のズレは仕方ないことだが、樹が自覚していないというか、実感がまだないのだろう。
「ありがとうございます。あなたは何をしにマーレイ王国に?」
「オレの仕事は冒険者なんですよ。充分に稼いだから別の国にも行ってみようかと」
本当は指名手配されそうだから、とっとと逃げようとしただけである。
しかし初対面の相手に言う必要もなく、樹はさらっと嘘をついた。
「冒険者の方にしては、ずいぶん物腰がやわらかいのですね」
「オレの故郷では普通のことですよ。舐められないように、必要な時は砕けてますが」
「文明のしっかりした国からいらっしゃったんですね。私が働いていたお店では、あまり乱暴なお客様はいなかったので、そちらのほうが安心できます」
やはり高級娼婦だったのだろう。路上で客引きをしている娼婦とは客の質が違う。
「私もあなたのような穏やかな方の妻になれればいいのですが、元娼婦では妾になるのがやっとでしょうね」
樹からすれば、日本では純潔のまま結婚する女性は珍しいので気にはならないが、こちらは少し事情が違う。
DNA鑑定などない世界なので、女性には貞淑が求められる。
貧しい人や普通の人なら気にしないが、財産がそこそこある人からすれば、確実に自分の子どもに財産を継がせたい。
だから財産のある者は、純潔の女性を正妻に迎えて、そうでない女性は側室にする場合がほとんどだった。
たまに気にしない豪気な貴族や商人がいるが、たいていはバカにされる。
自分の子どもではない者が家を継ぐことになる可能性が上がるので、高貴な血が途絶えているかもしれないのだ。
そんな家に自分の娘を嫁がせようとする貴族は少ないのは当たり前だ。
「オレはまだ結婚する気はないので、あなたを口説くのはやめておきましょう。もっと生活が安定した時に会いたかった」
樹の言葉に残念そうな表情を向けるが、さすが元高級娼婦。すぐに笑顔になり、巧みな話術で樹の退屈を紛らわせた。
「あなたのおかげで楽しい時間が過ごせましたよ。船旅は退屈ですからね」
「私も楽しかったです。ずいぶんと励まされました。頑張って相手を見つけてみせます」
樹は娼婦をバカにしたりしないので、女性としての自信が出てきたのだろう。女性の表情が明るくなっていた。
女性の頬に軽く口付けをしてから、樹は一等船室に戻っていった。
無駄遣いをしたい男ではないが、空きが一等船室と三等船室しかなかった。
三等船室は複数の人間がいるので、樹は一等船室を選んだ。
本当は普通の個室である二等船室がよかったのだが、ないものは仕方がない。
「こらっお前! ここには入ってくるんじゃない!」
自分の船室に戻ってきた樹の耳に、怒鳴り声が聞こえてきた。
振り向くと子どもが船員に怒られているのが目に入った。
どうやら三等船室の子どもが、一等船室のあるこの場所に入ってきたことを、咎められているようだ。
「ご、ごめんなさい……」
あまり上等とは言えない服を着ているので、ひょっとしたら大部屋に押し込められている子どもかもしれない。
「謝ってすむ話じゃない! ここは貴族や大商人の方がいらっしゃる場所だ。貧乏人が来ていい場所じゃないぞ!」
船員も仕事なのだろうが、あまりにも言い方が酷かった。
こちらの世界では権力者を怒らせると命が危ない場合があるので、船員も神経質になっているのだ。
「待った。子ども相手なんだ。注意するくらいでいいだろう? 君が怒鳴っているほうが問題になるんじゃないのか?」
樹が仲裁に入る。
「も、申し訳ございません。お騒がせしてしまいました。すぐに子どもは追い払いますので」
「オレは気にしていないので、あまり乱暴なことはしないでください。坊やもオレ以外に気にする人が来る前に帰ったほうがいいぞ」
樹は子どもの頭を撫でて、自分の部屋に戻るように促した。
「はい……ごめんなさい」
素直に帰る子どもを見送ると、船員が頭を下げて謝った。
「ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。この場所で大声を上げるなど」
「仕事なんですから仕方がないですよ。細かいことを気にする人間は金持ちにもいますからね」
そう言って立ち去る樹が部屋に入るまで、船員は頭を下げていた。
数日後、樹は広い甲板の上で、子どもたちと鬼ごっこをしていた。
樹も子どもたちも暇で仕方がなかったのだ。意気投合するのに時間はいらなかった。
平民らしき若い女の子たちも誘って遊んでいるあたり、樹も絶好調だ。
樹は一等船室なので、金持ちだと思われている。実際に樹は小金持ちではある。
10代中頃から後半の女の子、取り分け少し貧しい家の女の子などは、少しでも今の境遇がマシになることを夢見ているので、一等船室を取っている樹は、ぜひお近づきになりたい男だった。
若くて顔もよく、気さくな樹に惹かれる女の子は多いだろうが、そこにお金が加わると女の子たちも必死になる。
先行きが不安な女の子ほど、結婚に必死になるのは当然のことで、普通の仕事に就いているだけでも、貧しい家の女の子にはモテる。
樹の常識では、10代の女の子が結婚に必死な感覚は理解できず、樹の気を惹きたいがために子どもたちと全力で遊んでいる女の子たちを、まだまだ子どもだな、などと思っていた。
日本でも婚活に必死な女性を、世の男性たちは理解できないかもしれないが、異世界とはいえ10代の女の子なら、なおさら樹に理解して貰うのは難しいだろう。子どもたちは楽しんでいたが、女の子たちは哀れだった。
『常識を学んだほうがいいのでは?』
「オレはいたって常識人だが?」
ナレーションが忠告したが、樹は自分を普通の社会人だと思っていたので、意味はなかった。
樹からすれば異世界も極端に非常識な世界ではなく、きちんと法整備された世界なので、戦い以外の普通の生活は、自分の常識が通用するだろうと思っていた。
『樹は走り回る女の子たちのスカートが、ヒラヒラするのを楽しそうに見つめていた……どこが常識人なんでしょうかね?』
「それだとオレが変態みたいだろ! 男はみんな女の子のスカートを見る。それが常識だ」
樹ほど堂々と見る人は少ないだろうが。
そんなアホなやり取りをしていると、船員たちが騒がしくなった。
「嵐でも来るのか?」
『樹の目には嵐が見えるんですか?』
「見えんな」
『なら、そういうことです』
樹は目を凝らして、見張りが見ている方向を見た。ドクロのマークを掲げた船が近付いてくるのが見える。海賊船だ。
樹は子どもと女の子たちを船室に避難させ、武装する護衛に加勢を申し出た。




