温かい手
そんな何も問題がないままに魔法の練習のみを行える日々は長く続かなかった。
その日も俺はPMPを使いきり、気持ち悪さとだるさと戦いながら眠っていた。
そこに、聞きなれない声が聞こえてきた。
「おい!ちゃんとうちの商品どもは育ってるんだろうな!」
俺は首だけを動かし、そちらの様子を伺う。
品の悪そうなふてぶてしく太った豚みたいな男がそこにはいた。
俺たちの世話役奴隷であるリンスさんと話している。
豚は、酷く不味そうにキセルをふかしながら、俺たち赤ん坊を、下卑た目で見下していた。
「はい。グレイ様。恙無く。」
リンスさんは豚ことグレイに恭しく頭を垂れた。
リンスさんは、3人の世話役奴隷の中でも一番熱心に俺たちを世話してくれる人だ。
この人だけが、俺たちに語りかけ、童話を話してくれ、微笑みかけてくれる。
とくに、童話は俺が言葉を覚える上で非常に役に立った。
リンスさんは、だいたい40代前半で顔には深くシワが刻まれており、体は酷く痩せ細っている。
手はあかぎれて、ボロボロだ。
グレイはリンスさんを平手でパシンと叩く。
ぶよぶよと醜く太りきった手が、強烈にリンスさんのか弱い頬を打つ。
俺は殺意を抱く。
この豚が俺の主人なのだろう。
そう思うと、吐き気がする。いつか必ず殺してやる。そう思った瞬間だった。
首輪が淡く光り、全身に激痛が走る。
いてぇ!
堪えようもなくぎゃーっと泣いた。
グレイとリンスさんがこちらを見る。
まずいと本能的に思うが、泣くことはやめられない。
赤ん坊が泣きわめくように、俺も赤ん坊らしく泣きわめく。
「ちっ、隷属の首輪が発動しやがった。
この餓鬼いっちょまえに俺に敵愾心を抱きやがったのか?奴隷の分際でよー」
グレイが俺に大股で近付いてくる。
痛い。まるで、全身に針を刺されているかのように全身がいたい。
グレイがこちらをみた瞬間から痛みがどんどん増している。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
「お止めください。どうか、ご容赦を。」
リンスさんがグレイと俺の間に割ってはいった。
「奴隷のくせに邪魔すんじゃねぇよ!」が、すぐにグレイによって蹴飛ばされた。
リンスさんは、グレイに重い前蹴りをくらい2、3歩よろめいた後、後ろに倒れた。
この豚が!
そう思うと、さらに痛みは強くなった。よりいっそう大きな声で泣く。喉まで痛い。
「うっせぇんだよ。くそ餓鬼が!」
グレイは痛みで身動きとれない俺を思いっきり蹴飛ばした。
強烈な衝撃と痛みを感じた瞬間、世界が回る。
頭がぐるぐるする。
そして、徐々に視界が暗くなる。
何か声が聞こえるような気がするが、判然としない。視界がブラックアウトし、俺は気を失った。
しかし、それは束の間だった。
バッシャ!!
すぐに冷たい感覚を感じ、意識が覚醒する。
冷たい。痛い。寒い。気持ちわるい。辛い。苦しい。痛い。体がちぎれそうだ。
目を開けると俺はグレイに頭を片手で握られ、宙吊りにされていた。
自分の体はビショビショだった。どうやら、水をかけられて無理矢理に起こされたようだ。
俺は恐怖と共にグレイを見る。もういやだ。痛いのは嫌だ。辛いのも嫌だ。
こんな一方的な暴力は嫌だ。こわい。こわい。こわい。
「どうか、どうか。」
リンスさんは、グレイの足にすがりつき頭を地面に擦り付けていた。
そんなリンスさんの頭をグレイは蹴り飛ばす。
「てめぇみたいな餓鬼には教育が必要だ。」
いやだ!こわい。
これ以上は無理だ。
耐えれない。
助けて。頼む。もうおまえには逆らわないから。
もう痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。助けて。許してお願いします。
必死に声を出して許しを乞おうとするが声がでない。
泣くこともできない。怖くて体がブルブル震えた。
オムツに小便も大便も垂れ流している不快感もあるが、
そんなのよりも恐怖の方が何十倍も、何百倍も俺の心を縛っている。
グレイはそんな俺の様子にニタニタと満足げに笑ったあと、
空いてる手に持ったキセルの灰を俺の首筋に落とした。
あ、あっ、あー!!!
痛い!熱い!
声にならない声をあげると、グレイは俺を床にたたきつけるように落とす。
ドン!と腰から落ちた。
「これに懲りたら、俺に逆らうな。」
そんな言葉を聞きながら俺は今度こそ完璧に意識を失った。
あぁ、なんだか温かい。
それに柔らかい。いや、ところどころごつごつしている。けど、妙に心地よい。
あぁ、なんか聞こえるなぁ。「…なさい。ごめ…。」
泣き声?
なぜだ?
俺はこんなにも心地がいいのに、誰が泣いているというのだ?
「…なさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい。」
なんだよ。誰だか知らないが謝るなよ。
俺は今最高に気分がいいんだ。
こんな安らかな気持ちは死んだときですら感じなかったよ。
ゆっくりと意識が回復していく。
それと共に痛みが戻ってくる。
しかし、それを引いてあまりあるほどに心地よい感覚が俺を覆っていた。
目を開けると俺は、リンスさんに抱かれていた。
リンスさんは俺を抱いてゆっくりと頭を撫でながらしきりに謝っていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私にもっと力があれば。本当にごめんなさい。」
頬に冷たい感触を感じる。水滴?よく見ると、リンスさんは泣いていた。
泣くなよ。
おまえにはおまえには罪はないだろ?
おまえは、俺を守ってくれようとしたじゃねぇか。
なんとか声を出して伝えようとするが、声帯が発達していないのかうまく声が出せなかった。
「あう、あう。」
俺はせめて、リンスさんに触れたくて手を伸ばす。俺の手はぷにぷにで不必要に短く全然届かない。
「許してくれるというのですか?あなたは、賢い子ですね。」
涙声ではそう呟いて、リンスさんは俺の頬をやさしく撫でてくれた。
温かい。
こんなにも人の手って温かかったか?
ごつごつしてあかぎれた手だったけど、どんな物で撫でられるよりも心地よかった。
いくら前世で女を抱いてもこんなに気持ちよくはなかったし、こんなには満たされはしなかった。
けれど、リンスさんに撫でられると胸のなかにすーっと温かいものが入り込むそんな感じがした。
そういえば、前世では餓鬼の頃からこうやって親にあやされた記憶なかったな。
俺はそんなことを思い出しながら、温かいまどろみのなかで眠りについた。