スー=ラ=ファル
私の名前は、スー=ラ=ファルという。とう昔にすてた名前だ。今は、スーズーと名乗って、義勇兵をしている。ファル家と聞けば、この国の人間ならば、容易にわかるだろう。
そうだ。現教皇 ファン=ラ=ファルは、私の叔父にあたる。
私は、ライファル教国に絶望し、名前を捨てた。だが、結局はこの国で生活し、この国にしがみついている。そして、いやしくもその名をいまだに利用してすらいる。そんな自分が私は、大嫌いだった。
最愛の人を失った傷は大きく、私は胸に空いた穴をふさぐかのように、魔族領との境界線にある森を敵を探し回った。国中に、ファル家の名を使って、指名手配もした。奴は、もうこの国では生きてはいけない。
国中の人間が、英雄になる予定だったリクリエット様の死を悼み、悪逆な闇子に、憎悪と恐怖を抱き、目を光らせている。ならば、やつが生きることができるのは、最後に見失ったこの森以外にはないだろう。
かならず、かならず、私が見つけて、殺してやる。
嬲ったうえで、もう殺してくれと希っても、殺してやらずに、もう何も感じなくなって、打ち破れて、くるってしまってからようやっと殺してやる。
それだけのことをお前はやったのだ。リビィ。何が、リビィだ。悪魔め。
思えば、あの人との出会いは苛烈だった。
酒場で、あの人の志を誰かが笑った。
「おまえが、魔王を殺し世界を救うだと。笑わせるぜ、惰眠のダリと魔女カリンの子供だろ。」
あの人は、強烈な炎を身にまといながら、その男の胸倉をつかんだ。
華奢なその体にどこにそんな力があるのか、その男は椅子から持ち上げられ、その炎の熱さに悶えていた。手首を返して、首を締め上げてあの人は言った。
「私の志を笑うならば、いくらでも笑うがよい。その笑いを平和の喜びの笑みにいつか変えることが、私にはできるからだ。今は、世界を救えてはいない代償に、私をネタに笑うことを許可しよう。
しかし、たとえだれであろうと、父上と母上に嘲笑を向けることは許さん。命が惜しくないのならば、取り消さなくてもよい。だが、もしお前が魔王のいない世界に未練があるのならば、取り消せ。今言った言葉を、地に這いつくばり、天より見守る母上を仰ぎ見て、聖地より憂う父上にこうべを垂れて、謝り許しを乞え。」
そして、男を投げ捨てた。
強烈な熱量だった。すこし離れた場所に座っていた私さえ熱さを感じた。男の熱さは筆舌に尽くしがたいものがあったであろう。
男は、頭を地にこすりつけながら何度も謝罪した。その男に、あの人は言った。
「許そう。そして、暴力をふるって悪かった。この金で、今日は存分に飲んでくれ。」
金貨を手渡し、あの人は男に笑いかけた。
酒場の皆が、あの人に注目していた。
あの人は、美しく、そして強く、気高かった。注目する者たちに、あの人は言った。
「さぁ、世界を救おう。私に力を貸してくれ。頼む。私は、私とともに、魔王と戦ってくれる仲間を探している。世界に平和を、魔王のいない世界をもたらそう。世界を救おう。」
あの人は、高らかに語った。それは、誰もが夢見て、そして誰もがなそうとしないことだった。それをあの人は、その美しい声で呼びかけた。その声に、呼応するものはいなかった。
酒場は、静まり返った。だれも、あの人を笑うことはできなかった。しかし、誰もあの人には応えるものはいなかった。皆は命が惜しかったのだ。そうだ。これがこの国の実情だ。だれもがみな、国を変えたい、変えなければならないとは思っているが、行動には移さない。思っていたり、口にしたりするだけだ。自分に被害や損害がかかるのが嫌なんだ。
誰かがやってくれる。
他人に任せてしまえばいい。
そんな国だ。教皇含め国を動かす者たちがその最たるのだ。国民がそうなってもなにも不思議ではない。
残念ながら、これが現実だ。
私は、いつかあきらめてしまうと思った。
あの人も、私と同じで、高い理想や志を抱いても、変わらない周囲や、仲間のいない状況に絶望し、あきらめてしまうのではないかと思った。
しかし、違った。あの人は違った。私とは違ったんだ。
「まぁ、いい。それもいい。だれだって、死ぬのは怖いだろう。恐れることは悪いことではない。
だから、私がなさねばならぬのだ。弱いものを助くのは、貴族の責務だ。だから安心しろ。卑屈に思ったり、自らを責める必要は一切ないことを私が保証しよう。
貴様らは、己ができることをしろ。そうして、我が国を盛り立ててくれればよい。そちらは、任せた。代わりに私が戦おう。私が魔王を打とうではないか。それを待て。邪魔をしたな。」
あの人の眼は、前だけを向いていた。
その人は、名をリクリエット=リ=グランリースといった。
彼女は、国を愛した。腐った国だ。私が腐っていると思っていた国だ。
魔族領に面し、毎年多くが魔族や魔物に命を絶たれるのに、一切攻め込まず、聖地の周りばかり守りを固める国だ。
魔の者たちに殺される命を悼みはするが、自分ではなくてよかったと安堵する国だ。
十分に全国民が暮らすだけの穀物を生産しているはずなのに、毎年魔の物に殺されるよりも多くの人間が飢餓で死ぬような国だ。
奴隷制度がまかり通っている国だ。毎日なんの罪もない奴隷が、過酷な労働に耐えきれず命を落としていくような国だ。
教凰十字軍は守るだけだ。聖地を、教皇を守るだけだ。
その恩恵に、貴族は群がる。そして、できたのがライトカノンだ。他を切り捨ててもいいのだ。それが、我が国だ。
だれも損をしたくない。だれも責任は取りたくない。だれも他人の為に動きたくない。
それで、教国だというのだろうか?神が照らす国だというのか?
反吐が出る。
預言者 ライファノンは、果たしてそんなこと説いただろうか?
違う。この国は長い歴史の中で、ライファノンの教典を曲解し、自分たちの都合のいいものに作り替えていったのだ。腐っている。病んでいる。この国は終わっている。そんな国だ。
だが、そんな国を彼女は、心底愛していた。
ただ純粋に彼女は、この国を救うことを望み、人々が絶望することを否定した。
彼女は、よくこういった。
「人は、弱くもろい。だからこそ、あがく。それが、いとおしいではないか。」
私には彼女がまぶしかった。気づけば、私は彼女の仲間になっていた。わざわざ、偽名を使って、義勇兵の登録をして、彼女に近づいた。
その中で、分かった。彼女は、ひどくもろく、危うい。
彼女の言葉は、決して外にだけ向かっているわけではなかった。彼女は、常に自分に言い聞かせるように語った。先の言葉だってそうだ。愛おしいと思っていなければ、つぶれてしまいそうだったからかもしれない。彼女は、その言葉を何度も、何度も口にしていた。
そんな彼女が私はたまらなくいとおしかった。そんな彼女を殺したあいつが憎くて、憎くてたまらない。
森を歩く。
憎悪と殺意を宿し、そしてリクリエット様との思い出を胸に、私は歩いた。
もう一週間ばかり森にこもりきりだ。
あいつを見失ってから、一か月ほどが経過していたが、まだ見つかっていない。
もしかしたら、もう魔物に殺されているかもしれない。飢えて死んでいるかもしれない。
もしそうであったとしも死体を見つけるまでは、やめるわけにはいかない。
あの二人のためにも、私が引くわけにはいかないのだ。
「よう。あいつが憎いか?おまえ、火剣の仲間だろ?」
魔物を蹴散らしながら、潜る森の中で、男が尋ねてきた。
その男は、真っ黒な髪に、真っ黒な目、黒いローブと全身黒だらけの男だった。年齢は、だいたい20歳くらいだろうか。そいつが、へらへらと笑いながら、私に近づいてきた。
「あなたは誰ですか?」
私は、警戒しつつも、いつでも魔法を打てる準備をした。その男からまがまがしい空気を感じたからだ。
「俺の前いた世界では、『相手に名前を聞く前に、名乗るのが礼儀』なんだぜ。
まずは、俺の質問に答えろ。そしたら、名乗ってやる。
どうなんだ?お前は、火剣の仲間なんだろ?」
「そんな礼儀は聞いたことありませんが、まぁいいでしょう。私はスーズーと言います。リクリエット様の仲間をしていました。」
男は「マジかよ。ないのかよ」などと、心底残念そうにつぶやいた後、私のほうに居直った。
「次は、俺の番だな。俺の名は、ホウジョウ モトキ。悪逆非道の闇子だよ。」
その言葉に私はさらに警戒を強めた。ホウジョウ モトキ……聞きなれないイントネーションと言葉だ。
何者だ?闇子?
奴と一緒の闇子……つまりは敵か?
「そう警戒するなよ。確かに俺はお前を殺すが。まぁ、なんていうか、肩の力を抜いて少しくらい話をしようじゃないか。」
最初は、意味が分からなかった。あまりにもなんでもないというふうに語られたために、その言葉をすぐには飲み込めなかった。
しかし、すぐにこの男はこともなげに私を殺すと宣言したのだと気が付いた。
準備していた魔法を発動させる。高出力で、水の濁流を打ち出し、ホウジョウと名乗った男を攻撃した。
所詮、闇子は闇子。私の邪魔をするなら、殺してやる。私の邪魔をするものは何人たりともいかしてはおかない。全部、全部殺してやる。
かなりの魔力とイメージを込めた魔法だった。願わくば、一撃でと思って放った攻撃だった。
しかし、その攻撃は、いとも簡単に防がれた。
ホウジョウの体の周りから、黒い靄のようなものが、出現したかと思うとそれが、私の攻撃を飲み込み、ホウジョウを守ったのだ。私の攻撃は、靄に包まれて、吸い込まれ見えなくなってしまった。当然のように、ホウジョウは、無傷だ。
「おいおい、せっかちだな。俺はあんたと話がしたいんだ。」
靄は、煙のようにふわふわと漂い、こちらに流れてきた。
嫌な予感がする。この靄には絶対触れてはいけないと本能で分かった。
すかさず、後ろに飛んで、ホウジョウと距離をとった。
強い。それもかなり……
少ないやり取りだったが、分かった。背に、じっとりと汗がにじむ。
本来後方支援と回復を得意とする私では、直接の戦闘では勝てない。それが分かってしまった。
ゆっくりと後ずさりするように、さらにホウジョウから距離をとる。
「そんなふうに女性に露骨に距離を開けられると、少し傷つくな。キキット。やれ。」
ホウジョウがそう言った刹那、足に強烈な熱を感じた。そして、踏ん張れなくなり、無様に転げる。
見れば、足が、私の両足が、無様に切り離されていた。
倒れた私の前に、何事もなかったかのように私の太ももから足先だけが立っていた。
よほど鋭利なもので切り裂かれたのだろう。そんな場違いな感想を抱いた瞬間に、遅れて痛みがやってきた。
「うっ、ぎゃぁぁぁぁっぁぁぁ」
あまりの痛みに、うめき、のたうち回った。思考が止まる。
痛い。熱い。痛い。熱い。痛い。熱い。痛い。痛い。痛い。
血がとめどなく流れていく。力が抜ける。
「もろいな。人間。」
腹の底に響くような冷たく低い声に、顔を上げる。そこには悪魔がいた。
比喩でも、暗喩でもない。
正真正銘の悪魔がいたのだ。
異常に角が発達したヤギの頭に、でっぷりと油を蓄えて醜く太る人間の体。黒々とした毛がみっしりと生え、退化した下半身。先端が鋭利にとがった三本の尻尾。そして、背に生える巨大で、分厚く、硬質な羽。教典に書かれている悪魔が、そのままに目の前にいた。
悪魔は、空を悠々と飛んでいた。
怖い。身をよじる恐怖が襲ってきた。震える。体が心から寒く、冷たい。
「キキットやりすぎだ。俺は、この女とトークを楽しみたかったんだ。ウーロンハイを作ってもらって、職場の愚痴でも聞いてもらおうと思っていたんだ。壊してどうする?」
「モトキよ。人間がもろいのが悪い。私は、少し足を折って逃げられないようにするつもりだったのだ。それが少し撫でてやっただけで、このざまだ。人間は、もろい。それが悪い。」
悪魔は、もう私を見ていなかった。頭上をくるくると飛び回りながら、不満そうに、嘆き、そして笑っていた。
あぁ、私はここで死ぬのか。リクリエット様の仇も打てず、わけも分からず殺されるわけだ。
悔しい。
大量の魔物に押しつぶされて死んだダリッデやソーラスの思いを継ぐこともできない。
悔しい。悔しい。
嫌だ。死にたくない。生きたい。生きて、殺したい。あいつを、あいつだけを。
「まぁいい。さて、火剣の仲間よ。お前の恋い焦がれるリビィの身柄は俺が預かっている。同郷のよしみてやつだ。俺が世話してやっている。」
この男は、やつの居所を知っている?
こいつを倒せば、あいつの元までたどり着ける?
私は、気力を振り絞り、魔法を発動させようとした。しかし、それは悪魔によって防がれる。
私が、魔法の発動をイメージしようとした瞬間、悪魔が私の頭をつかんだ。
「うぁっあぁぁぁ、やめろ、やめろ」
痛みだ。ものすごい痛みが私の頭を襲った。割れるように、痛い。頭から中身がこぼれているのではないかと疑うほどに痛い。何か、痛みを与えるものを注入されている感じもする。
とにかく、とにかく、頭が痛い。
いやだ。やめて、もうやめて。痛い。いたい。いたい。いたい。
痛みが私を壊していく。私がどんどん壊れていくのがわかった。
思考が、イメージが、意識が。破壊されていく。
ゆっくりと自我が溶かされていく。何も考えれなくなっていく。
痛みすらももう感じない。
なにか大切なものが、ぽろぽろと抜け落ちていった。自分が空っぽになっていく感覚、それに艇庫しようとする意志すらも溶けていく。
大切なものや人を思い浮かべようとする。うまくいかない。大切な人?
リクリエット様……あれ?リクリエット様ってだれだっけ?
大切ってなんだっけ?
わからない。もうなにも、わからない。
「だから、キキット。壊すな。会話を楽しめないだろ?」
「知るか。人間が弱いのが悪いんだ。」
悪魔とホウジョウが会話しているが、意味は分からなった。
なにか大切で、重大なことがあった気がするが、もうどうでもいい。なんでもいい。よくわからない。
「一つだけ聞かせてくれ。俺はお前の物語の中で、何番目に最低だ?
願わくば、一番であって欲しいね。なぜなら、真に大切なものをおまえから奪うのは俺だからだ。
その思いまでもなくして死ぬがいい。火剣の仲間よ。死にな。」
死ぬってなんだろ?意味が分からないや。
「わからない」
私の返答に、目の前の物体は、ふははっとよくわからない音を出した。その次には、その物体もなにもかもみえなくなった。




