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外道は外道のまま世界を救う  作者: カタヌシ
乳幼児期 奴隷編
18/54

リクリエット=リ=グランリース ―①

 これは、才気に富みながらも志半ばで打ち果てた少女の物語である。

 少女は、神聖国家 ライファル教国の貧村に生まれる。

 神聖国家 ライファル教国は、同盟列強四国と呼ばれる人間界で最も力を持つ四国の中で、一番最西端に位置し、唯一魔族の住まう魔族領に接する国である。

 故に、ライファル教国に住むものは常に魔族の恐怖に去らされていた。


 そのライファル教国においても、辺境と呼ばれる地でその少女は生を受ける。

 両親は農奴で、田畑を耕すこと以外なんの知恵も持っておらず、主人に付き従うだけの存在だった。本来であれば、その少女も農奴として生きるか娼婦として生きるかという二つの道しかなかった。


 そう本来であれば、奴隷の娘という立場に生まれた少女の命にはその程度の価値しかない。

 いかに絶望しようと、ライファル教国において、奴隷という身分は絶対であり、奴隷も奴隷の子どもも等しく価値のない存在だった。


 しかし、その少女は違った。

 まず、才能があった。魔力に関する才能だ。それも絶大な才能だった。

 彼女は、自らの母親を自らの魔法で焼き尽くして生まれてきた。彼女は、母親の産道を通って生まれていない。母親の胎内から母親を焼き尽くし、骨も残らぬ灰に帰して、灰の中で産声をあげたのである。彼女を守る高熱の炎は、彼女を取り上げさせることを許さず三日間燃え続けたという。その炎に抱かれて彼女は、泣き続けた。世界的にも類を見ないほどの壮絶な炎属性の魔法の才能だった。


 生まれながらに、魔法を使う人間の報告例は世界各地である。

 英雄として有名なメルディエルは、生まれながらに光属性の魔法を操り、誕生と同時に後光がさしたという。

 奴隷国家 サヴァー独立国の現国王で、隷属の首輪を作ったエリシャンテは、生まれると同時にその場にいるすべてのものを平伏させたという。

 魔剣流の始祖であり、魔法で生成した剣を一度に一万本操るというマリゲリは、生まれながらに強固な剣を手に携えていたという。

 からくりの国 キタラクタの歌姫と呼ばれるエリーテは、誕生を知らせるその産声で、国中のものを魅了したという。

 いずれも後世になお残す偉大な魔術師たちの誕生の瞬間である。


 報告を受けた彼女の持ち主は、狂喜乱舞した。

 これほどの才能を持った赤ん坊の奴隷だ。高く売れないわけがない。

 早速、彼女はライファル教国、首都の奴隷オークションにかけられることになった。生後、5日目のことである。この世界、赤ん坊の生存率はそれほど高くない。病気や不慮の事故、栄養失調、魔物や魔族による殺害などさまざまな理由で、赤ん坊はおろか大人ですら簡単に死ぬ。

 主人は、それを恐れ、一刻も早くオークションにかけてしまい、金を手に入れようと計画した。そのために急いで準備を整えたのだ。

 火急の準備だったため、隷属の首輪は用意できなかった。今は、かなりの安価になった隷属の首輪だったが、10年ほど前までは、値段がはり、なかなか手に入らないものだったのだ。

 主人は、まだ生まれてまもなく、自我すら持っていないその少女に必要を感じていなかった。


 そして、出品前夜、その少女が住む村は魔物を率いた魔族に襲われた。


 村人は、そのことごとくを魔物と魔族に殺された。当然、少女の主人も例外ではない。しかし、彼女は生き残った。炎に燃えた村の中で、自身の魔力で作られた炎に抱かれて、彼女は生き残ったのだ。だが、生き残ったのは彼女のみだった。


 調査に来た義勇兵団は、打ち壊された村の中で、彼女を発見する。

 隷属の首輪は、彼女には付けられていない。彼女を奴隷と証明するものはすべて燃えてしまい残ってはいない。故に、彼女は、村唯一の「人間」をして保護されることとなる。


 保護されたその少女は、名門貴族であるグランリース家に養子として引き取られることになった。グランリース家は、代々枢機卿を輩出している名家であり、少女が住んでいた村を治めていたのもこのグランリース家だった。家長であり、ライファル教の枢機卿の一人であるダリ=リ=グランリースは、家の更なる発展の為、魔法の才に優れたものを求めていた。そして、生まれながらに周囲とは隔絶した才能を持つ少女は、喉から手が出るほどに欲しい存在だった。その魔法の才能と、とある個人的な問題によりダリは、少女を3人目の子どもとして迎えたのである。


 少女は、リクリエットと名を付けられる。

 そして、リクリエットは、蝶よ花よと育てられた。

 ダリは、基本的に首都である聖地 ライトカノンにて、教皇の補佐をしており、グランリース家の領土にはいなかった。そのかわりに他のものがリクリエットを大いにかわいがった。

 その筆頭は、ダリの妻 カリン=リ=グランリースであろう。

 カリンは、ずっと娘が欲しいと思っていた。もちろん家を存続させる為には、息子が必須なのは承知だった。しかし、それは娘が欲しくない理由にはならない。息子は無事二人出産することに成功した。次こそは、娘を、そう思っていた。

 しかし、夫ダリは日々の政務の忙しさやストレスからか娘を作る前に不能になってしまった。息子が二人生まれたことに満足したからかもしれない。

 しかし、カリンは全く満足していなかった。


 彼女は、どうしても娘が欲しかった。夫と20ほどの年齢差があったことも原因だったかもしれないが、彼女は夜の営みがなくなったことに大いに不満を感じていた。その不満は不貞さえ起こしかねないほど膨れ上がっていた。

 彼女は、娘と母親の関係にあこがれていた。一緒に甘いお菓子を食べ、殿方の愚痴をこぼし、共に女の行き方を語れる娘の存在を兼ねてから欲していたのだ。

 だから、ダリがリクリエットを養子に迎えたとき大いに喜んだ。そして、リクリエットをかわいがった。家臣たちによる静止すらも聞かず、自ら下の世話を行うほどだった。


 二人の兄にしても、リクリエットは望まれた妹だった。

 特に、二番目の兄であるジラル=リ=グランリースは、リクリエットを溺愛した。10歳も年齢は上だった彼は「大きくなれば、リクリエットを妻に迎える」と公言していた。周りの家臣たちは、それをよくある現実を見ない子供の愛情表現であると微笑ましく見守っていた。


 なにもグランリース家のものだけが、リクリエットを歓迎したわけではない。

 絶大な魔法の才能を持ち、見目麗しい彼女は、接するすべてのものを魅了した。領民たちは、常に魔物や魔族の脅威に晒され続けていた。故に、いつか強大な力で自分たちを守ってくれるであろうリクリエットの存在に歓喜したのだ。

 そうして、リクリエットは、皆に愛されて育てられた。

 

 リクリエットの発育は、尋常でないほど早く、2歳になる頃には、すでに流暢に言葉を話し、その立ち振る舞いは大人と遜色のないものになっていた。

 それを、皆大いに喜んだ。

 やはり、リクリエットは特別な存在で、偉大な人物となるのだと皆が期待した。


 リクリエットも与えられる愛を一身に受け、それを自覚していた。

 それをあらわす事件がある。

 リクリエットを愛しすぎるジラルが巨大な魔石をつけた指輪を2歳になったばかりのリクリエットに送ったときのことだ。リクリエットは「私は、ジラルお兄様だけのものではなく、皆のリクリエットです」と言って振ってしまったのだ。その言葉に、いかにリクリエットが、皆から好かれかわいがられていたかがわかるだろう。もちろん、ジラルは大いに落胆し、いつか自分だけを見させてやるとさらに野心を燃やした。

 ジラルが、12歳になったばかりの頃の話である。


 しかし、その生活は長くは続かなかった。リクリエットが三歳になった頃のこと。

 魔族の襲撃。

 一人や二人ではない。数十人の魔族が、魔物を率いて攻めてきたのだ。

 異変に一番に気付いたのは、グランリース家領地を拠点に活動する義勇兵である。義勇兵は、魔物や魔族を狩ることで金を稼ぐ。魔のものたちと戦う尖兵である。その彼らが、魔族領から這い出てくる魔族の一団を発見したのだ。

 彼らは、すぐさま領主たるグランリース家に報告する。ダリ=リ=グランリース不在の領地を預かる長男 カリッテ=リ=グランリースは、領主軍の出陣を決定した。普通、魔族は徒党を組むことはしない。彼らは、個人主義を信条としており、二人であろうとも共に行動することはまれだ。

 それが、数十人も徒党を組んで、こちらに攻めてきているのだ。明らかな異常事態だった。

 戦争だ。これは、魔族と人との戦争だ。

 カリッテは、冷や汗を流す。魔族が人と戦争を起こすのは、決まって魔族を率いる王が誕生したときだけだ。つまりは、魔王の誕生を意味する。カリッテは、グッと、手を握り締め、自身の責任を再確認した。

 この戦いには、領民30万の命がかかっている。

 それだけではない。魔族と人との戦争の将来をうかがう前哨戦なのだ。

 グランリース家は、ライファル教国のなかでも名門中の名門である。名門であるということは、それだけ力を持っているということだ。領土を預かる家として、グランリース家ほど力を持っている家は、教国のなかにはない。それゆえに、魔族領と接する辺境の一体を任されているのだ。負けるわけにはいかない。

 わが家が負けるのであれば、教皇直属軍か伝説と呼ばれるような義勇兵でしか勝ち目がないことを国内外に知らしめることになる。今後、民が安心して暮らせる為にも、こんなところで負けるわけには行かないのだ。

 カリッテは、筆頭魔術師である千剣のガトルを呼ぶ。

「わかっているな。これは、戦争だ。負けるわけにはいかない。」

 ガトルは、かしずきながらうなずいた。

「わかっております。必ずやグランリース家に勝利を。」

 その言葉に、カリッテは鷹揚にうなずき、命じた。

「千剣のガトルよ。わが領主軍の魔術師1000を持って、敵魔族を殲滅せよ。」

「はっ。かしこまりました。」


 一方、リクリエットは兄ジラルと母カリンに猛抗議していた。

「私も、カリッテお兄様と共に戦います。私の魔法はこのときのために使うべきです。」

 当然、そんな意見を二人が了承するわけがない。

「いとしきリリィ。あまり私たちを困らせないで。あなたが戦場に出たとして、一体何が出来ましょう。今は、あなたの兄を信じるのです。その悔しさは、もう少し大人となったときに晴らせばよいのです。」

「いやです。私も戦えます。魔法は、すでにカリッテお兄様よりも勝っております。」

 たしかに、純粋な魔法勝負であればリクリエットは三歳にして、カリッテはおろかダリと比べても決して劣ってはいない。しかし、それは純粋な魔法勝負であればの話だ。体術を含めた殺し合いをしたのであれば、リクリエットは二人に簡単に殺されるだろう。しかし、幼いリクリエットにはそれが理解できていなかった。

 当然だ。

 物心ついたころから甘い環境で、殺気や殺意とは無縁に生きてきて、汚いものを何も知らずに過ごしたのだ。戦争がどのようなことか全く理解できていなかった。リクリエットは、単なる術比べのようなものを想像していた。


「ならば、まず母と戦いなさい。私を殺すことが出来たのならば参戦を認めましょう。」

 殺すという恐ろしい言葉と、今までにないカリンの力強い眼にリクリエットは大いにひるんだ。

「そんな、私、お母様を殺すなんて、そんな、」

 口ごもるリクリエットをカリンは容赦なく打ち倒した。

 足をかけて転ばして、地面に幼き体を押さえつけたのだ。

「リリィ。これが戦争です。敵は待ってはくれません。優しいだけでは勝てないのです。」

 結局、リクリエットとカリン、ジラルは護衛と領民を引き連れて聖地ライトカノンに避難することとなった。領民の避難を先導し、担当したのは筆頭魔術師ガトルの一番弟子であるソーラスである。

 避難しながらリクリエットは悔しさに涙を流した。

 ソーラスは、その姿を見かねて彼女に声をかけた。

「お嬢様、今の悔しさを胸に、精進するのです。お嬢様は、絶大な才能をお持ちです。その才能を伸ばせば、いつかあの紅蓮士 ファイライをも超える火の魔術師になるでしょう。あなた様は、未だ3歳。何も焦ることはありません。必ずや大成し、大物になれると皆信じております。」

「私は強くなりたいです。お兄様やお母様や、領民を守れるほど強くなりたいです。」

 長く遠い道のりを歩きながらも、リクリエットの眼はただひたすらに前を向いていた。その後ろから、多くの領民たちが歩いて従う。まるで、未来の姿を見ているようだと、ソーラスはひそかに思った。この方は、いずれ多くの民を率いて、勇猛に民の前を歩く存在になる。そう思うと、胸が高鳴った。

「私も、微力ながらご助力させていただきます。」

 ソーラスは、未来の主人に深々と頭を下げた。

 その様子を、馬車に乗りながらカリンは微笑ましげに見つめていた。ちなみに、リクリエットも馬車に乗るよう家臣や領民など周りのもの全てに言われたが固辞した。リクリエットの考えは至極単純なものだ。領民たちは多くが徒歩での移動なのだから、自分だけが馬車に乗るわけにはいかないとのことだった。カリンはそれをせめて聞ける最大譲歩と聞きうけた。


 ジラルは、最後尾で少数の兵と領民たちを見守っていた。領主たるもの領民を守らなければならない。これが、ダリの教育であり、3人の兄弟はそれを当然の義務と信じていた。避難する領民たちの顔も非常に明るい。一緒に逃げるグランリース家に全幅の信頼を寄せているのだ。カリッテが敗れるなどと一寸たりとも思ってはいなかった。

 この避難は、念のため、戦火に巻き込まれない為のものだ。その程度の認識だった。故に、自然と避難は非常にゆったりとしたものになった。



 魔物数百を引き連れた魔族の数は、20人にも及んだ。魔族は、一人で絶大な力を有する。個体差はあるものの、一人で小国家を滅ぼすことも可能であるといわれる。それが20人もいるのだ。しかも、大量の魔物を引き連れている。一国と戦争するかのような戦力である。

 

 魔族はの外見は、一部を除き人間とあまり変わらない。

 大きな違いは、人間と比べて体の一部が一つ以上多いことだろう。それは、心臓であったり、腕であったり、足であったり、頭であったり、耳であったり、千差万別だ。そして、その過部分から異様に大きな角が生えていた。

 例えば、手種と呼ばれる魔族の中で一番数の多い種は、手が3本以上生えている。そして、その手の一本から大きな角がいびつに生えているのだ。彼らは、手が多いほどに強い。種族最強の戦士は、10本もの手を生やしてそれを巧みに操り戦うという。

 他の違いといえば、肌の色が薄黒いことと、皮膚がところどころ爛れていることだろうか。この皮膚の爛れは、魔物にも共通して言えることだった。いや、魔物の方が数段に酷い。魔物の皮膚は、爛れていないところを探すほうが難しく、皮膚を貫通し骨さえうっすら見えている。


 今回の魔族と魔物を率いて戦闘を歩く魔族も手が10本も生えており、そのうち一本の手のひらから50センチメートルを超える角が生えていた。皮膚は、薄暗い灰色であり、特有の爛れはそれほどない。鋭い眼光で、人間の群れをにらんでいた。


 対するのは、カリッテ=リ=グランリース率いるグランリース領主軍魔術師千人と勇敢な義勇兵37人だ。

 多くの義勇兵は、リクリエットたちと共に逃げ出してしまった。

 勝てるわけがないと。

 金で、魔のものと戦う彼らの多くは命をかける気概がない。義勇兵の多くは、生きる為に魔のものと戦う。間のものと戦うのは、生きる為の行為であって、死ぬと半ばわかっているところに飛び込むものは少なかった。もちろん、義憤や正義、復讐を胸に魔族の殲滅を目的に活動するものは一定数存在している。しかし、そんなものは少数だ。

 多くのものは、自分がかわいい。故に、100人単位の義勇兵が逃げ出した。しかし、魔人の殲滅を目的に責任感を持ち戦う義勇兵は、概して強い。残った37人は総じて歴戦の猛者だった。


 領主軍は、街を背負い、魔族軍と対峙する。その距離は、五百メートルほどに差し迫っていた。領主軍は、10行100列に整列する。邪魔をしないよう義勇兵は、その後ろに並び、さらにその後ろに、カリッテが構える。

 千剣のガトルは1000人の一番に立ち、配下の魔術師に合図を送った。その合図に答え、1000人はまったく同一のイメージを開始した。

 集合的無意識に眠る神話に存在する剣雨。

 それは、兼ねてよりこの世界に伝わる神話の一つ。神の怒りに触れた人間に対し、三日三晩、剣の雨が縦横無尽に降り注ぎ、世界の人間を残り10人となるまで殺しつくしたというソリドの雨という神話に基づいたイメージだ。

 魔法は、一人のイメージで発動させることもできれば、複数の人間でイメージすることで発動させることも出来る。その際には、元型と呼ばれる神話や昔話,宗教や崇拝などの人の心に根底として共通する部分を用いる。そうして発動した魔法は、まさに神話級の威力を発揮した。今回、領主軍が目指したのも、元型であるソリドの雨という超常現象を再現した魔法である。

 こうした元型魔法は、信仰厚いライファル教国の得意とするものだった。


「「「「ソリドの雨!!!」」」」

 千の声が合わさる。

 一瞬にして、領主軍の上空に1000万を越す剣が整然と発生する。荘厳な美しささえある景色が目の前に広がっている。上空を埋め尽くす剣、剣、剣、剣、剣の大群。鋭利な剣先がすべて、一方向をさしている。

 


 それをみても、魔族たちはひるんだ様子はない。

 先頭を歩く10腕の魔族も驚くそぶりは見せない。

 「「「「発動!!!」」」」

 1000人の声が響く。その瞬間、1000万本の剣が一気に、魔族たちに殺到した。剣の速度は、音速を超え、音を置き去りにする。

 それを見て、10腕の魔族は無言で、地面を右足で勢いよく踏みつける。

 ドスンと地鳴りが響き、そこから一瞬にして大地がせり上がる。一秒も満たない間に、魔族たちと剣の雨をさえぎるように巨大な壁が出現した。そして、その壁に、剣が襲い掛かった。しかし、壁はそれをすべてはじき返す。


 とんでもなく強固で、強大な壁だった。

 高さは一キロメートルにも達し、厚さも五十メートルにすら迫る。そして、強い魔法により強度も増強されている。次々に壁に迫る剣たちは、ことごとく大地の壁に阻まれる。壁に突き刺さる剣もあるにはあるが、貫くには至らない。

 10秒もかからぬ間に、1000万本の剣はすべて放たれ、そしてすべて壁に阻まれた。

 「ばかな。」

 千剣のガトルは絶句した。この攻撃で、殲滅できるとは思っていなかったが、少なくない被害を敵に与えれると思っていたのだ。それが、まさか無傷だとは思ってもいなかった。

 数を打ち出す魔法は、確かに威力が伴わないことが多い。しかし、ソリドの雨は違う。一本一本が自分が唱える最高の魔法を凌駕して余りある威力を誇るのだ。

 それが数にして1000万本。

 まさに神話に出てくるような魔法である。この規模の魔法を発動できる一団は、この世界でも10はいないと自負すらあった。しかし、結果はどうだ。魔族一人の魔法にいともたやすく防がれた。

 それほど、人間と魔族の力の差は隔絶しているというのだろうか。

 いや。そんなはずはない。やつとて、もう魔力つきているはずだ。

 大きな魔法は、全身を満たす魔力を消費しつくし、魔法をしばらく使えなくなるクールタイムが存在する。そのうちに魔法を打ち込めば良いだけだ。そう必死に弱気になりそうな自分に発破をかけた。


 一方、カリッテはガトルとは違った反応を見せていた。全く動揺していなかった。父であるダリから魔族の脅威はいやというほど聞いていたのだ。

 やつらは、人間と違う理に生きており、強い個体には普通の人間が束になっても勝てはしないと。

 故に、カリッテにとってこの結果は悔しくとも容易に予想できたことだった。

 だから、すかさず義勇兵たちに次の指示を出すことに成功していた。

 「防御魔法を全軍にはれ。全力だ。」

 声をからしながらも、カリッテは叫んだ。早く、早くとはやしたて、強固な魔法の障壁を築かせた。

 敵の次の攻撃が容易に想像できたからだ。

 領主軍は、すべからく巨大な壁の影に入っていた。領主軍だけではない。彼らが守るべき街すらもその見上げる大きな壁の影の中だった。


 そして、カリッテの予想通りというべきか壁がこちらに向けて倒れてきた。

 一瞬にしてあたりが暗くなる。大地が迫ってくる感覚に襲われる。ものすごい轟音と共に、壁が倒れる。カリッテは、防壁がなんの役にも立たないことを悟った。


 その巨大な壁は、避難するリクリエットたちからも容易に見えた。

 リクリエットは、恐怖に身を振るわせた。

 自分は、なんて思い上がっていたのだと実感した。少し才能があるからと天狗になっていたと思い知らされた。隣で、馬車に乗るカリンは決断する。全てを捨てて、逃げると。

 それは、母だからこそ出来た決断だった。きっとダリやジラルであれば、それを決断することは出来なかっただろう。足を止めて、戦うことを決断したかもしれない。しかし、カリンにとって何よりも大事なのは自らの家族だった。

カリッテを思って涙が止まらない。

「ソーラス。リクリエットを気絶させなさい。早く。タリンス。ジラルをつれてきて。逃げるわよ。」

 重臣の二人に素早く指示を出す。ソーラスは、素早くカリンの意図を感じ取り、リクリエットに魔法を浴びせ、意識を奪い取った。タリンスと呼ばれた魔術師も、すぐに列の後方に走り出した。

「皆のもの、逃げろ。振り返るな。全力で逃げろ。チット。皆にそれを伝えろ。後は頼む。ソーラス行くぞ。リクリエットを馬車に乗せろ。」

 カリンは、涙を拭きながら、次々に配下のものに指示を出した。

 そして、リクリエットを馬車乗せ、ソーラスを御者に招き走り出させた。後ろを歩く領民たちは、近衛兵のチットに任せ、カリンは、一目散にその場を逃げ出した。

領民たちも、あわてて荷物を捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。彼らとて、あの巨大な壁が聳え立ち、そして倒れるのを見て、衝撃を肌で感じている。その音と衝撃に楽観的な見方は完璧に打ち破られていた。


 混乱する領民を後ろから見ていたジラルにもタリンスにより、カリンの指示が届いた。

 全てを捨てて逃げるように、母と妹は先に行くゆえ、合流するようにと。

 その指示に、当然のようにジラルは憤慨した。

「領民を見捨てて、なぜ誇り高きグランリース家を名乗れよう。私も戦うぞ。このジラル=リ=グランリースが、しんがりを努める。皆のもの安心して逃げよ。

たとえこの身撃ち滅びようとも魔族どもをとめて見せよう。」

 それは、幼いが故の精一杯の強がりであった。手は振るえ、足はガタついた。それでも、ジラルはその場に立ち止まった。それに呼応するように配下のものも立ち止まった。

「坊ちゃん。われらも共に。」

「こんなときまで、坊ちゃんってのはやめてくれ。」

 肩をすくめるジラルに、部下たちの軽口は止まらない。

「さぁ、リクリエット様に良いところを見せてやりましょう。」

「リクリエット様を惚れさせてやるのです。」

「きっとリクリエット様もあなた様のこと偉大な兄とお気づきになるでしょう。」

「そうだな。リクリエットの夫にふさわしき武功ここで上げるとしよう。」


「まずは、兄弟で結婚できないという法律を変えねばなりませんね。」

「禁断の愛という社会の常識も」

「近親相姦なんて呼ばれますからね」

「愛に兄弟の壁はないのだ。そんなもの簡単に取っ払ってみせようぞ。」

 そうやって、ジラルは配下たちの冗談とも取れる言葉ひとつひとつを受け止めて、気安く返して言った。われわれは、死地に趣くのではない。勇猛を見せ付けに行くのだ。

 そんな思いをこめながら、ジラルは最後であろう配下たちとの会話を楽しんだ。


「ジラル坊ちゃんに栄光を!」

誰かが、大声を張り上げた。それに呼応するかのように、他のものも続く。

「ジラル坊ちゃん万歳」「坊ちゃん万歳」「ジラル坊ちゃんに栄光を!」

 自分たちの恐怖を塗り消すように、彼らはそれを唱えた。

「リクリエット様に愛を」「坊ちゃんにリクリエット様を」

「だから坊ちゃんはやめろ。そして、私のリクリエットに愛をといった奴は生き残ったとて私が殺してやるわ。リクリエットは渡さん。」

 そんな軽口をたたきながらも、ジラルとその兵は魔族たちを迎え撃つべく陣を構える。といっても、数は20人にも満たない。魔族が一人でも来れば、敗戦は必死である。そんなことは、ジラルを含め全員が委細承知だった。しかし、彼らの矜持が彼らに逃げることを許さなかったのである。


 大地の壁に押しつぶされ、領主軍はそのほとんどが息絶えた。しかし、ガトルを含め数十人はその攻撃を防ぐことに成功していた。全員が無傷ではない。少なからず体のあちこちに防ぎきれなかった傷を負っていた。それに、みなが一様に壁の下敷きになり、壊れた壁の残骸に飲み込まれていた。

 それでも、グランリース家に仕える精鋭たちは生きていた。瓦礫の中から、一人また一人と必死に地表へと抜け出した。

 そして未だ異様に暗い空を仰ぎ見る。そこには、絶望があった。

 巨大な岩の塊が、数え切れぬほど空に浮んでいた。それが容赦なく落ちてくる。


ガトルも地上に何とか這い出し、その岩の塊が落ちてくるのを目撃した。

「立ち止まるな。突撃だ。敵陣に攻撃は来ない。突撃しろ。」

 ガトルは、大きく叫び、勢いよく走り始めた。身体強化の魔法により、その速度は一瞬にして300キロメートルを超えた。

 わずか5~6秒で魔人たちとの距離を詰める。

 後ろからは、同じように追従してくるものの音が聞こえてくる。だが、振り向かない。

 それと同時に、空から落ちてきた岩が地面をえぐり、かろうじて生き残ったものの命を刈り取る音も聞こえてきた。それでも、ガトルは振り向かない。

 魔族どもとの距離を詰める間に、ガトルは、自身の2つ名とも言える剣を生成する。その数なんと千本にも及ぶ。千本の剣を生成し、巧みに操ることから彼は千剣のガトルの異名をとっていた。 

 それほどに大量の剣を操ることが出来るのは、魔剣流でも稀有な存在である。ライファル教国を筆頭に、各国に多くの門下生を持つ魔剣流でも十指に入るほどの実力者だった。

 ガトルは、高速で動きながら、思案した。

 10腕の化け物には、決してこの剣届くまい。されど、他のものなれば、と。


 ガトルの千の剣は、一番前に陣取る10腕の魔族を素通りし、その後ろの魔族や魔族たちに襲いかかった。

 そして、1000本の剣が魔のものを八つ裂きにし、蹂躙する。


「通じる。われらの魔法。通じるぞ。」

 そう叫んだ瞬間だった。10腕の魔族により放たれた岩の弾丸が、ガトルの四肢を貫いた。

 当然といえば、当然だ。防御も考えず、すべての剣を攻撃に用いたのだ。

 敵の攻撃から身を守れるはずがなかった。しかしだ。守る気もなかった。

「きかん。一人でも多くの魔族を殺し、道連れにしてやる。」

 そう叫びながら、さらなる魔力を剣にこめた。四肢を貫かれてなお、ガトルはとまらない。走る勢いそのままに、10腕の魔族を無視し、走り抜けようとした。ガトルと10腕の魔族が交差する。


「その執念叩き潰してくれる。」

 そこで、初めて10腕の魔族は、口を開いた。

 それと同時に、すれ違うガトルの頭に手のひらに生えた角を突き刺した。10腕の魔族は高速で動くガトルを突き刺した反動で一瞬体勢を崩したが、すぐに持ち直す。そして、ガトルを角から抜き捨て、迫ってくる人間に向き直った。

「皆殺しだ。」

 10腕の魔族は大きく口を横に開き、にたっと笑った。

 領主軍の戦士たちは、ガトルと同じ戦法を取った。化け物のような強さを誇るこの10腕の魔族を無視し、他のものを出来るかぎり殺す。敗戦は必死だ。どうやっても勝てない。ならば、敵の戦力を殺してやる。そう意気込んだのである。

 10腕の魔族はそれを察し、哄笑した。

「ははははは。おろかなり人間どもよ。」

 そして、自分の兵ともども領主軍を皆殺しにした。領主軍に追撃を加えた無慈悲な岩の塊が、魔族の側にも容赦なく降り注いだのだ。それだけではない。10腕の魔族が、地に手をつけると、地面から無数の土で出来た大きな手が出現し、無差別に手の周囲で動くものを襲った。下からの攻撃と、上からの攻撃両方に挟まれて、人間と魔族、魔物はなすすべもなく、一人を残して全滅した。

「われ一人いれば他はいらん。それをあんなにも必死に襲い掛かるとは滑稽で面白い。よかったな。人間よ。お前たちの望みどおり、我以外全部死んだぞ。ははははははは。」


 血みどろの戦場に、10腕の魔族の高笑いだけが響いた。


 逃げる領民たちにも魔の手が襲い掛かる。そのもの魔族は、混乱する領民に「魔王軍4大将軍が一人 溺烈のウォークター」と名乗った。丁寧に、腰を折り曲げてお辞儀をして、大いに彼らを戸惑わせた。

 そして、こう続けた。

「誠に申し訳ございませんが、皆様には死んでいただきます。手前勝手は重々承知しておりますが、これも偉大なる魔王様のご命令なれば、ご了承いただきたく存じます。」

 気立ての良いスーツのような格好をして、ウォークターと名乗った魔族は視界に入る人間をことごとく溺死させた。大量の水を生み出して、その流れに巻き込み、おぼれさせたのだ。領民は津波のように全てを飲み込む水流にほとんどが息絶えた。


 ジラルたちは、一秒たりとも抵抗できなかった。唖然とウォークターの挨拶を聞いて、そしてあっという間に殺された。ジラルの誇りをかけた戦いは、戦いにすらならなかったのである。


 生き残ったのは、カリンとソーラス、そしてリクリエットだけだった。

 他はすべて死んだ。領民も領主軍も勇猛な義勇兵たちもすべて等しく死んでしまった。


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