MY SISTER
「くそっ……今日じゃなくても良かったじゃねえか」
九月某日。天気は、俺の心と正反対の快晴。
テーブルに置いてあった薄っぺらい紙を見て、俺は小さく悪態をついた。
父親は、俺が物心つく前に死んじまった。もともとシングルファザーだったらしい父親が死んだ後に発覚したのが、彼は大の遊び人だったという事実。自分が本物の母親だと言い張る女どもが次々とやってきて、最初は優しく世話をして、いつの間にか消えていく。消えると、その情報をどこから仕入れたのかまた別の女がやってくる。
女どもが居座りつづける理由は、ただの住居確保とか、寝所とかそんなとこだろう。俺の家は、駅から徒歩一分でつく高級一軒家という最高の立地条件だから。母親面する女も居れば、俺らに全く関心を示さない女もいる。
今、「俺ら」っつったけど、この家には俺と代わりばんこでやってくる「母親」の他にもう一人住居人がいる。
「にーちゃ、トランプしよー」
ピンクの花柄パジャマを着てとことこと歩いてきたのが、俺の妹の風花だ。母親が一緒なのか違うのかも分からない。
風花は、父親が死んだ後に現れ始めた最初の「母親達」の中の一人が連れてきた子だった。自分と父親との子、だと言ったので、つまり俺と兄妹ってことだ。その風花を連れてきた女も、いつしか消えてしまっていた。
“お世話になりました”
そう書かれていた紙をくしゃくしゃにすると、気付かれないようにゴミ箱に捨てた。今回の「母親」は、風花がとても懐いていた、「母親達」にしてはしっかりと母親の業務を果たしてくれる人だった。俺としても、割と嫌いなタイプではなかった。
「お前は朝から……後で遊んでやるから、顔洗って着替えてきな」
「うん! ねえにーちゃ、きょうがなんの日かしってるー?」
「んー? 今日は何かあったかー?」
「えーっ、にーちゃわすれちゃったのー?!」
俺のタンクトップの裾を両手でガシッと掴むと、これでもかという程顔を歪ませて迫ってくる風花。今すぐにでも泣きそうだったので、彼女の頭を二回撫でてやると、「嘘だよ、誕生日おめでとう風花」と笑いながら付け足した。
聞きたかった言葉が聞けたのだろう、途端に笑顔になった彼女は洗面所に走り出した。最近よくダッシュする彼女は、今日で六歳になる。
と、急ブレーキをかけたかのように止まると、くるりと回れ右をして俺の方を向いた。
「にーちゃ、ママどこー?」
いつもならあの人は、台所に立って朝食の準備をしているのだ。今日はいつもの目玉焼きの焼ける音が聞こえなかったからか、周りをキョロキョロ見渡している。
「……ああ、ちょっと買い物に行ってるみたいだよ」
風花は俺を数秒見つめた後、「そっかあ! ママ、ケーキかってきてくれるかなあ」と嬉しそうに笑ってまた洗面台に走っていった。
彼女は、俺の一瞬の間を見抜いただろうか。まだ気付かれていませんように。そう願うだけだった。俺はその場に座り込んで、柄にもなく手を合わせた。どうか、頼むから、少しでも長く今日彼女が笑顔でいられますように。
確かに、昨日の夜は夜更かしをしていたけど。そう思いながら重たい瞼を開けた。どうやら、俺は寝てしまったようだった。目の前にある壁にかかっていた時計を見ると、時刻は午後一時。
……おかしい。いつもなら「お腹減ったー!」と言って昼時には必ず起こしてくる彼女が、なぜ起こさなかったのか。その答えは、ゴミ箱に入れたはずの紙を持って横にちょこんと座っていた彼女を見れば明らかだった。
「にーちゃ、きのうまでのママは、もうかえってこないの?」
彼女は「母親達」が一人居なくなっていく度に放心状態になって一時間は一言も喋らなくなる。まだ目は戻りきってはいないものの、会話ができるということは、結構前から知っちゃったんだな。さっき、願ったばっかじゃねえか。
「ねえにーちゃ……ママといっしょに……ケーキたべれないの……?」
小さな肩を小刻みに震わせて、彼女は泣いた。風花を連れてきた女が居なくなってしまった時ぐらい盛大に泣いた。
母親達が居なくなる度に泣く彼女は、もう一生分の涙を流しきっていると思う。書き置きをしていく母親達のせいで、「お世話」とか「元気で」とかそういう単語が読めるようになってしまったのが、なんとも憎くてしょうがない。
俺は肩を引き寄せて、ずっと頭を撫でていた。何も言わないで、ただ、これが夢であればいいのにと思った。
風花六歳の誕生日パーティーは、俺と二人だけで行った。もう何度目か分からないほどの境遇だったからか、彼女の立ち直りのスピードはめざましいものがあったが、それでも涙のせいで赤く腫れあがった目は、寂しさの余韻を残していた。