013
レイド戦前日。この日は気軽に羽を伸ばそうと僕は思っていた。一日中寝ているのも良いだろう、スフェアと遊んでも良いだろう、ブラブラと街の中を回るのも良いだろう、兎に角一日ぐらいは頭の中を楽にしておきたい。そう思ってた。
朝起きた僕は、朝食を取るべく食堂に向かおうとしたら、突然耳元に通話機能の着信音が鳴った。相手はエリナちゃんからだった。
『フウヤさん、おはようございます』
「エリナちゃん、おはよう」
朝一番にエリナちゃんのアニメ声を聞くと、どうしてなのかは不明だけどまだ眠たかった頭がスッキリとした気がした。不思議だなぁ。
『あの、朝早くからすみません。いきなり掛けてきちゃって』
「別に構わないよ。それでどうしたの?」
『あの、今日のことでちょっと話したいことがあって、後で良いんで会ってくれませんか?』
これは珍しい。エリナちゃんの方から話があるとは。
「うん。分かった。じゃあ八時に街の中心広場で良いかな?」
『はい! お待ちしてます!』
女の子の頼み事を断れる訳もなく――断ったら後が怖いから――、朝食を食べ終えた僕は待ち合わせの場所に来ると、そこには既にエリナちゃんが待っていた。
「おまたせエリナちゃん、待った?」
「い、いえいえ! 私もついさっき来たばかりですから」
可愛い笑顔を見せて自慢のアニメ声で喋るエリナちゃん。男という生き物は、こういう女の子に惹かれるもだと、昔誰かが言っていた気がする。
「それでエリナちゃん、話っていうのは?」
僕が話の本題を聞いてみると、エリナちゃんは顔をほんのり赤く染めてモジモジとしながら、
「えっと、その、私、今日は街を見て回りたいなと思ってるんです。それで、フウヤさんがもし良かったら、私と一緒に回りませんか?」
そのお願いの仕方は、まるで女の子が好きな男の子に告白する際のようなもので、その時のエリナちゃんの顔が極上レアアイテム並に貴重に思え、あたかもアニメのヒロインが見せる顔に見えた。
これで断る気力が一気に失せてしまい、
「うん。良いよ」
「っ!? 本当ですか!?」
エリナちゃんは綺麗に蕾が開いた花のようにパァァッと笑顔で喜ぶ。正直困るな。こういう顔されると。良い意味でも悪い意味でも。
どうせ大した予定も無いし、そもそも女の子の頼みを断ると殺されるしね。
その後はエリナちゃんと一緒に街を見て回った。武器屋で装備を見てみたり、屋台で買い食いしたり、服屋に行ったりと、僕としても楽しい時間を過ごした、筈だった。
何軒か店を回り、ホットティー片手に休憩をしていたら、フウヤさん、とエリナちゃんが話しかけてきた。
何? と聞くと、
「今日はありがとうございます。本当はエアリーと一日過ごしていたかったんですけど、どうしてなのかフウヤさんといたいなって思ってしまって。なんだか、すみません」
エリナちゃんがペコリと頭を下げてお礼と謝罪をしてきた。お礼を言われるのは分かるとして、謝る必要は無いんだけどなぁ。
「いや、別にエリナちゃんが謝る必要は無いよ。中々楽しいし、結構有意義だよ」
「そうですか。本当に良かったです」
エリナちゃんがニッコリと笑って安堵の胸を撫で下ろした。その途端、エリナちゃんの顔がなんだか暗くなっていく気がした。
「エリナちゃん?」
「…………です」
「え?」
「……私、本当は人が怖いんです」
エリナちゃんがボソリと呟いた。
「フウヤさん、前に私のこと可愛いって言ってくれましたよね? あれを聞いた時に私、凄く嬉しかったんです。あんなストレートに言われたのあんまり無くて。
……でも、昔の私は、そんな可愛い自分が、一番憎かったんです」
エリナちゃんは続けて話す。しかも、多分これは元の世界での話だ。
「……私、小学生の頃、イジめられてたんです。私はクラスはもとい、学年の男子達の人気者だったんです。自分で言うのもあれですが、顔が可愛いのと、あとアニメ声だから。けどそれを妬む人達からイジメの標的にされたんです。わざとぶつかってきたり、トイレに閉じ込めたり。だから中学校はできるだけその人達がいない遠くの所に通っていたんです。
でも中二の時に、部活内で財布が盗まれる事件が起こって、その犯人が私だって皆にでっち上げられたんです。そこから先も小学校の頃と同じかそれ以上でした。しかも、小学校の時と中学の時のイジメの主犯が同一人物だって分かった時には私の心も限界でした。その後は家に引き篭もってしまって、パソコンばかりしてました。
そんな時です。このゲームに出会ったのは。最初は気を紛らわす為にやってみようって思ってプレイしようとしました。そしたらいきなりこの世界に来ちゃって。もう二度と元の世界には戻れない、それが分かった時、半分嬉しかったんです。もうイジメに怯えることも無いって」
「……それで、残りの半分はどうだったの?」
途中で訊いた僕の質問に、エリナちゃんは寂しかったです、と答えた。
「もう二度と元の世界に帰れないって、裏を返せば家族にも会えなくなるってことじゃないですか。初めの頃はとても寂しかったです。もう一度お父さんとお母さんに会いたいって。唯一の私の心の支えだった両親に一目だけで良いから会いたいって。でも現実って厳しいですよね。夢の中で家族と過ごしていても、いざ目を覚ませば、そこには孤独しかなかった。だから……」
スッと、エリナちゃんが僕の手に触れてきた。エリナちゃんの顔が若干綻ぶ。
「だから、フウヤさんに会えて、本当に嬉しかったです。助けてもらって、色々とお話して、一緒に戦って、一緒に使い魔を手に入れて、こうやって楽しく街をブラついて、ここに来てから一番最初の幸せだなって勝手に思ってます」
エリナちゃんの顔に、笑顔が戻った。
エリナちゃんは、元の世界で辛い経験を得た。そして逃げるように《ソーティカルト・マティカルト》に走った。走ってみたら、予想だにしない現実を突きつけられた。突きつけられて、ただ孤独だった。
リアルでもゲームでも孤独。なんだが、少し前の僕に似ている気がした。
「……エリナちゃん、一つ聞きたいんだけど良いかな?」
「はい。何ですか?」
「どうしてそれを、会ってまだ日も経っていない僕に話してくれたの?」
僕が第一に感じた疑問はそこだった。
いくら一緒に行動しているとはいえ、見ず知らずの人、ましてや異性に対して自分の過去、しかも一番話したくないであろう辛い部分を言うのは相当なリスクと勇気がいる。それなのにエリナちゃんは僕に話してくれた。
「……それは、フウヤさんは良い人だなって思っちゃって」
エヘヘ、と照れくさそうに笑うエリナちゃんに僕は首を傾げる。
「良い人だからって、打ち明ける理由にはならないと思うけど。それに僕が良い人だってどうして思ったの?」
「だって最初にフウヤさんと会った時、フウヤさんは自分がやられるリスクも省みずに助けてくれたじゃないですか。他人の為に自分が傷付くのって、実は凄い難しいことだと私は思うんです。そんな人を良い人だと思わない理由なんかありませんよ」
エリナちゃんがニッコリと笑って言う。まあ、エリナちゃんが言ってることも一理あるし、僕は口は堅い方だからエリナちゃんが話してくれたことについては言わないつもりでいる。ただ、
「……僕って、良い人なのかな」
え? 、とエリナちゃんがポカンとする。
「……エリナちゃん、君が元の世界でのことを話してくれたから、お返しに僕のことも話すよ」
僕は自分の過去に起こった出来事を語ることにした。
家族の反対を押し切って公立中学校に言ったこと、一番の友達が事故に遭い、そのまま転校してしまったこと、そしてそのせいで家族との間に深い溝ができたこと、学校でも家でも孤立してしまった自分のこと、その空いてしまった空虚さを埋めるように《ソーティカルト・マティカルト》を始めたこと、色々話していたら、一時間ぐらいも過ぎてしまった。
「僕はさ、家族や学校でも独りだったから、ここに来ても耐えられたんだと思う。ゲームで知り合った友達が全員ここにいるって分かっているから、希望を持って進めるんだと思う。でもさエリナちゃん、酷いこと言っちゃうけど、君はまだ空虚さが残っている気がすると思うんだ。イジメに遭っていた分余計に」
僕の指摘にエリナちゃんは顔を暗くして俯いてしまう。
でも、と僕は続けて言った。
「エリナちゃんが僕のことを良い人と言うんだったら、僕は僕なりにエリナちゃんの空虚さを埋めてあげたいとも思う。もしそれが単なる知り合いっていう関係だけだったとしても、それだけでエリナちゃんが寂しくなくなるんだったら」
エリナちゃんが再度僕の方を向く。
僕はエリナちゃんに顔を向け、今一番言いたかった言葉を呑み込み、別の言葉を言う。
「エリナちゃん、明日のレイド戦、絶対に勝とう」
「……はい!」
エリナちゃんは元気に答え、いつも通りの可愛い笑顔を取り戻した。そして気が付くとエリナちゃんは僕の手をギュッと握っていた。
「えっと、エリナちゃん?」
「はい、何ですかフウヤさん?」
エリナちゃんがニコッと聞いてくる。何故だろう。この笑顔で訊ねられると反論しにくくなる。
「あ、いや、その、僕の手を握っているのは何でかなって」
「へ……?」
エリナちゃんはキョトンとして自分の手を見る。
どうやらエリナちゃんは僕の手を握っていたことに気付いていなかったらしく、頬が赤くなる。
「ゴゴゴ、ゴメンナサイ!」
エリナちゃんは慌てて手を下げる。今のは随分と恥ずかしかったと見受けられる。まあ無理も無いよね。人が怖いって言っていた女の子が見ず知らずの男の手を握ればどれだけ恥ずかしいのかは僕の想像よりも上だろう。
「いや、気にしないから。気に病まないで」
けど今ので殺されずに済んだだけよしとしよう。
その後のエリナちゃんはぎこちなく街を見て回って、それぞれの使い魔を召喚して遊んだりして、有意義な一日を過ごした。
けど僕の心の中に一つだけ、引っ掛かるものがあった。それが一体何なのかまではよく分からない。まるで、明日嫌な予感がするという。
◇
次の日、双児宮の二日。僕達総勢三十七人はレイドボスの待ち受ける《極寒獄氷塞》を目指す道中、最強のPK、切り裂きジャックことジャック・ザ・リッパーに出会うことなくダンジョン内を進んで行った。
先頭にはリーダーの山神猟之助のパーティーが、僕とエリナちゃんのパーティーは最後尾についてきていた。
街を出発してから約三時間。レイドチームはとうとうレイドボスの部屋の前まで到着した。が、ここで山神氏がパーティーの編成を提案した。
具体的には、自分達のパーティーであるA隊は重甲装備で固めた壁担当となった。開始直前のいきなりのパーティー編成。これには皆が戸惑ったが、山神氏のこの言葉でそれは無くなった。
「皆、突然の提案、これは俺の我が儘だ。大変申し訳ないと思っている。けどここで編成をするかしないかで、今日の戦いの勝率が大きく変わる。たがらどうか俺の頼みを聞いてほしい」
山神氏が頭を下げてお願いする。彼だけでなく、仲間の人達も同じ様に頭を下げる。ここまで誠意を見せられたら誰も異議を唱える人なんていない。てっきり僕とエリナちゃんのパーティーに加わってくれるかと思ってたけど、昨日僕が大丈夫と言ったのを信じてくれていたのか、そういうことは起こらなかった。
部屋に入る前に山神氏が出てきて皆に向かってこう言った。
「……行くぞ。そして、絶対に勝つぞ」
北方大陸 《初雪の街》
《極寒獄氷塞》 レイド戦、スタート。
◇
レベル20魔獣系ボスモンスター《氷河の人狼》は、全長10mほどの巨体だった。白い狂暴な牙、鋭く研がれた爪、全身を覆う白い毛皮と、背中を覆う氷の装甲。黒く光る目は獲物である僕達レイドに向けられている。人狼の攻撃パターンは口から吐かれる氷属性持ちの範囲攻撃ブレス、氷を纏った爪で引き裂く、標的に向かって突進、ぐらいである。
取り巻きのレベル20物質系モンスター《アイス・ブロックマン》は体長2mほどの氷の巨漢5体であった。攻撃パターンは単なる突進攻撃だけだが、当たると高確率で《凍結》の状態異常が付くことがある。
山神氏の掛け声と共に始まったレイド戦。人狼は壁のA隊に氷の爪攻撃《ブリザード・エッジ》を放った。重甲装備の戦士達は盾でガードしたりスキルを使って迎え撃つ。攻撃を受けたA隊のHPは三割ほど削られる。けどその隙に物理攻撃のB隊とC隊が人狼にすかさずスキルを放つ。
ダメージを受けた人狼は口から氷属性の範囲攻撃《フロスト・ブレス》を放とうとした。それよりも前に山神氏の素早い指示で遠距離攻撃のF隊の弓矢持ちと魔法攻撃のD隊がスキルを発動し、攻撃をキャンセル。人狼はノックバックしてしまう。
その後はそれの繰り返しだった。人狼の攻撃をA隊が防ぎ、攻撃部隊が攻撃して人狼のHPを削っていく。A隊は当然HPの減りが早いので、回復担当のG隊によって回復しつつしっかりガードを続ける。けどそれでも人狼は驚異だ。どれだけ攻撃部隊が攻撃を当ててもHPは少しずつしか減らないし、いざとなれば身を固めて防御もしてくる。それに一回一回の攻撃によるダメージ量も大きい。もっとレベルが大きければそんなことはないけれど、同レベルのボスにもなればやっぱり戦う時は集中力がいる。
一方残りの魔法部隊のE隊、僕とエリナちゃんだけのH隊は取り巻きのブロックマンを相手していた。ブロックマンの突進攻撃は紙装甲のINT型には厄介だが、壁をエリナちゃんが引き受けてくれているおかげでそうでもなかった。
「《デルタ・トライアングル》!」
エリナちゃんの短剣スキル下位3連続攻撃技《デルタ・トライアングル》がブロックマンをノックバック。
「《ファイア・アロー》!」
すかさず僕の妖術スキル下位5連続攻撃魔法《ファイア・アロー》がブロックマンに命中。火属性の攻撃は氷属性のモンスターには相性が抜群。炎の矢を受けたブロックマンのHPは大幅に削れた。
「ウゥゥゥゥゥゥゥッ!」
ブロックマンは呻き声を上げると僕目掛けて突進をしてきた。
「《キャプチャー・バインド》!」
僕は魔術スキル下位補助魔法《キャプチャー・バインド》を発動。ブロックマンの動きを止める。そしてもう一度《ファイア・アロー》を放つ。ブロックマンのHPは一気に無くなり、青白く光って四散した。
倒したモンスターから得られる経験値とお金はレイド全体で自動均等割りされるので、僕とエリナちゃんが得る経験値とお金はほんの僅か。けどドロップアイテムはドロップさせた人の物なので、ブロックマンがドロップした素材アイテムは僕のアイテムカバンに自動収納される。
「エリナちゃん、次っ!」
「はいっ!」
E隊と分担してやっているおかげなのか、ブロックマンの数はあと三体。うち一体はE隊が倒している途中で、もうそろそろかたがつく頃だ。だから残り二体を僕達とE隊で分けた方が良かったんだけど、あろうことかブロックマンは二体とも僕達の方にやってきた。多分人数の少ない僕達の方が倒せると判断したんだろう。
「フ、フウヤさん、どうしましょう」
「落ち着いて。今から僕がバフを掛けるから、その後すぐ右のブロックマンに《クイック・リープ》を使ってノックバックさせて。左側は僕が引き受けるよ」
「はい。分かりました」
エリナちゃんは返事をし、ブロックマンを待ち構える。
「《シャドー・イリュージョン》!」
僕の杖から黒い煙が放たれた。黒煙はエリナちゃんへと向かっていき、エリナちゃんを包み込む。そしてエリナちゃんの体が陽炎のようにユラユラと揺らめいて見えた。
「《クイック・リープ》!」
エリナちゃんが短剣スキル下位突進技《クイック・リープ》を発動。その約0.5秒後だった。
高速に繰り出された《クイック・リープ》はブロックマンの左胸に当たり、鈍い金属音を上げて互いに弾き飛ぶ。それを確認した直後に僕の《キャプチャー・バインド》がもう一体のブロックマンの動きを止める。
ノックバックしたブロックマンは氷の腕を振り翳してエリナちゃん目掛けて振り落とす。この攻撃はゲーム時代には無かったものだ。けどそれを見たエリナちゃんはすぐに後方へと回避。その時エリナちゃんは姿が揺らめきながら避けたので完全に回避できていた。
僕が使ったのは付与術スキル下位補助魔法《シャドー・イリュージョン》。対象の回避率と移動速度を一定時間の間上昇させるスキル。効果が持続している間は対象者の姿が揺らめいて見えるのが特徴で面白い。今のエリナちゃんなら忍者のように動き回れることを見越して使った。エリナちゃんが攻撃を当てながらヘイトを稼いでブロックマンを撹乱させている間にE隊がバインドを掛けたブロックマンを相手にでき、僕はエリナちゃんが相手にしているブロックマンを屠るのに集中できる。
「《ファイア・アロー》! 《サンド・ジェット》!」
僕は炎の矢と砂噴射でブロックマンにダメージを与えていく。物質系モンスターは物理防御力が高い反面魔法には滅法弱い。ブロックマンのHPはドンドンと減っていく。エリナちゃんも微力ながらスキルを連続で当ててダメージを与える。
僕が三発目の炎の矢を放った時点でブロックマンは青い光に身を包んで四散した。小量なお金と経験値とドップアイテムが手に入る。
E隊の方を見ると、彼らもブロックマンを倒し終えたみたいだ。
エリナちゃんが僕に駆け寄ってきた。
「やりましたねフウヤさん」
「そうだね。でも肝心のボスがまだ倒せていない。加勢しに行こう」
「はい!」
僕達とE隊は本隊の方へと向かう。
山神氏率いる本隊は人狼のHPを残り三割まで削っていた。しかも一人の犠牲も出さずにパーティーを立ち回らせた山神氏の指揮能力には感心するほどだった。
山神氏は僕達が来たのを確認して近寄る。
「取り巻きの相手ご苦労。さっそくだが、E隊はD隊と一緒に魔法攻撃に加わってくれ。H隊はできる限りボスにダメージを与えてくれ。双方とも無理だけはするな」
「了解」
指示を済ませた山神氏は戻っていき、E隊もD隊と合流。僕とエリナちゃんも攻撃準備に入る。
「爪攻撃来るぞ! A隊ブロックののちB、C、D隊スイッチ! G隊はA隊の回復! E、F隊は迎撃するボスに遠距離攻撃!」
人狼が《ブリザード・エッジ》を発動。A隊が盾と武器でガードする。レイドボスだけあってダメージを全て防ぐのは無理だったが、直撃だったらかなり削られている攻撃をそれの三割程まで抑えられた。すかさず物理攻撃部隊が攻撃に入る。B、C隊の剣技スキルと戦術スキル、D隊の魔法スキルによる攻撃が次々と人狼に命中。HPを徐々に削っていく。その間にA隊はG隊に回復させてもらっている。
人狼のHPバーが赤くなり出し、攻撃パターンが変わりだした。只の突進が、全身に氷を覆った氷塊の突進へになった。
「全部隊回避ーーー!」
各自散開。いくらなんでもこの攻撃は威力が桁違いだ。直に喰らえばHPの半分以上が持っていかれる。しかも攻撃範囲が広すぎる。
人狼がブレスを吐くのも速くなりだした。けどそれはなんとかE、F隊がディレイさせて防げたが、その直後にもう一度ブレスが吐かれる動きになった。
回避不可能な陣形だった為、まさもに喰らえば《凍結》の状態異常は確実。ディレイを狙おうにもD隊の攻撃射程圏内から出ているからできない。誰もがブレスを喰らうことを覚悟した。
「《クイック・リープ》!」
部屋内に、大きなアニメ声が響いた。その後人狼のブレスはディレイされた。人狼を見やると、エリナちゃんが剣技スキルを人狼に当てていた。削られたHP量は極僅かだけど、人狼の動きを止めるのには充分だった。
人狼がエリナちゃんを捉えると両の拳を斧の様に振り下ろした。エリナちゃんはバク転で回避。元の世界で体操部だった故に培った動き、そして僕が掛けた《シャドー・イリュージョン》がまだ持続しているおかげで回避を可能にした。
エリナちゃんに追撃をされると困るから、僕が人狼に炎の矢を放つ。火属性の攻撃を受けた人狼はHPはそこそこ減少。それでもエリナちゃんはまだ後退し切れていない。
「……仕方ないか」
僕は《テレポート》を連続発動。エリナちゃんの前まで来ると彼女の手を掴む。エリナちゃんは顔をほんのり赤く染めてたけど、今は場合が場合だからやむを得ない。
人狼が爪攻撃を放つ前に僕は再度《テレポート》を発動。エリナちゃんごと瞬間移動される。
(……良かった。成功して)
ゲーム時代の《テレポート》は使用したプレイヤーのみを移動させるだけだった。けどこの世界に来てから色々とスキルの応用を見てきたから、ひょっとしたら相手と触れている時に《テレポート》を使ったらその人も一緒に移動できるのではと思っていた。だからこれは賭けだった。もしあれでできなかったら紙装甲の僕は即死してたね。
「エリナちゃん、グッジョブ」
「いえ! フウヤさんもありがとうございます!」
お互いに礼を言った僕達は人狼との間合いを広げる。散り散りに避けたメンバー達は人狼の範囲攻撃を受けないよう気をつけながら距離を縮めている。
「グルゥォォォォォォォォォッ!」
人狼が大きな雄叫びを上げた。雄叫びは部屋全体へと響き渡る。
人狼の全身が氷に包み込まれる。またさっきの氷塊突進をやるつもりだ。誰もがそう思って回避に備えようとした。
(……いや、まてよ)
何かが心の中に引っ掛かっている気がした。人狼はさっきも氷塊突進をしてきたけど、その時の人狼は雄叫びを上げてはいなかった。
僕はゲーム時代を思い出す。確かに人狼型のボスモンスターと戦った時、雄叫びを上げて全身を氷に包み込んだ。でもその後繰り出された攻撃は、突進じゃなく……
(っ!? マズい!)
とんでもない判断ミスだ。僕は即座に《テレポート》を発動。回避体勢を取らず、逆に人狼に近づく。
「フウヤさんっ!?」
エリナちゃんだけでなく、他のメンバーも僕の行動に仰天している。けど僕と同じ行動を取ったのが他にもいた。
それは山神氏達だった。今はそれぞれ違うパーティーで組んでるけど、全員疾走スキルを使って全速力で走っている。恐らく彼らも気付いたのだ。今から人狼が放つ攻撃に。
僕の勘が正しければ、あれは《氷塊爆散》。氷属性を持つボスモンスターが稀に持つ上位行範囲攻撃技。
全身を氷で包み込み、体内に保持する膨大なエネルギーを反応させて大爆発を起こし、包み込んだ氷を部屋全体に飛び散らせて攻撃する、ボスのHPバーが赤くなった時によく使われる強力かつ厄介な技だ。回避不可能でダメージ量も多いから、これを喰らえばレイドが半壊しかねない。
僕は《テレポート》でやっと人狼が魔法に当たる距離まで来る事ができた。人狼の全身は既に氷塊となっている。なんとか間に合ってほしい。
「《ファイア・アロー》!」
僕は炎の矢をぶつける。けど僕が突っ込んだのは、余計な命取りだったのかもしれない。
炎の矢は氷塊に当たったにも関わらず、破壊できたのはほんの一部だった。このままだと全部を破壊し切れず技が発動してしまう。
「《バイタルオーガン・アロー》!」
突如人狼の右脇腹に、強烈な弓撃が被弾した。被弾した所の氷塊が砕け散る。
あれは弓術スキル下位急所攻撃技《バイタルオーガン・アロー》。振り返ると、全速力で走って来た山神氏とその仲間達が見えた。
「《トワイス・スラッシュ》!」
「《パワー・クラッシュプッシュ》!」
「《アクア・スピア》!」
「《フレイム・アロー》!」
両手剣スキル下位2連続攻撃技《トワイス・スラッシュ》、金鎚スキル下位単発攻撃技《パワー・クラッシュプッシュ》、水術スキル下位単発攻撃魔法《アクア・スピア》、火術スキル下位5連続攻撃魔法《フレイム・アロー》がそれぞれ人狼の右脚、左脚、左脇腹、右肩に命中。人狼を包む氷塊がまた砕け散る。
だけどまだ氷塊は砕け切っていない。それでも充分な量を砕くのに成功した。その証拠に人狼は自分を包む氷塊が半壊してディレイが生じている。人狼のHPも残り僅か。決めるのなら今しかない。
「フウヤさん!」
僕を呼ぶ声が聞こえた。声のした方を向いてみると、エリナちゃんが疾走スキルで走ってきた。
「エリナちゃん、丁度良い所に来てくれた。今コイツが止まっている間がチャンスだ。早く倒そう」
「はい!」
エリナちゃんはしっかりとした声で返事をした。ここまで元気でいられるとは、中々エリナちゃんはタフだね。
僕は山神氏の方を向く。
「山神さん、指示お願いします」
「……ああ。分かった」
山神氏はコクリと頷き、人狼に目をやる。
「これぐらいのHPなら、俺達だけでも充分倒せる。まずは魔法と俺の弓で遠距離ダメージを与えて、その次の近接ダメージで一気に叩き込む。行くぞ!」
「「「応っ!」」」
「「「はいっ!」」」
魔術師の女性二人と僕、弓持ちの山神氏がスキルの発動を準備する。
「俺は頭、ロスカは右腕、ミラネラは左腕、フウヤさんは左胸を頼む。呉、滝、エリナさんは今名前を呼んだ順番で攻撃してくれ」
「「「了解っ!」」」
呉氏、滝氏、エリナちゃんもスキルの発動準備を行う。
「行くぞ! 《ミドルディスタンス・ショット》!」
山神氏の放った弓術スキル下位遠距離攻撃技《ミドルディスタンス・ショット》が人狼の頭部に命中。通常の1.5倍の距離を射抜ける技で人狼のHPはまた少し減少。
「《フレイム・チャージング》! 《フレイム・アロー》!」
「《ウォーター・チャージング》! 《アクア・スピア》!」
赤髪の女性――ロスカ氏が火術スキル下位補助魔法《フレイム・チャージング》で火属性魔法のダメージ量を増加させ、妖術スキル《ファイア・アロー》と全く同じ、火術下位5連続攻撃技《フレイム・アロー》を発動。
青髪の女性――ミラネラ氏が水術スキル下位補助魔法《ウォーター・チャージング》で水属性魔法のダメージ量を増加させ、妖術スキル下位単発攻撃魔法《ウォーター・スピア》と全く同じ、水術スキル下位単発攻撃魔法《アクア・スピア》を発動。
ロスカ氏の炎の矢は人狼の右腕、ミラネラ氏の水の槍は左腕に命中。炎の矢を受けたことで人狼のHPがより多く減少。それでもまだ人狼は倒れない。
「《ファイア・アロー》!」
僕が妖術スキル下位5連続攻撃魔法《ファイア・アロー》を発動。五本の炎の矢は人狼の左胸に命中。人狼のHPはまた減少しノックバックする。
「今だ! 呉!」
「おうよっ! 《パワー・スラスト》!」
両手剣使いの呉氏が放った両手剣スキル下位単発攻撃技《パワー・スラスト》が人狼の右脚に命中。人狼はHPが減ってバランスを崩す。
「うおおおおおっ! 《ヘビー・インパクト》!」
戦鎚使いの滝氏の金鎚スキル下位単発攻撃技《ヘビー・インパクト》が人狼の左足へと炸裂。青いライトエフェクトが散り、両脚を攻撃された人狼はその場で両膝を付いてしまう。氷塊も殆ど残っておらず、爆散が起こることも無いだろう。
「行きます!」
トドメはエリナちゃん。ここで僕は時間が終わった《シャドーイリュージョン》を念の為にもう一度掛ける。
エリナちゃんの走りには、一切の迷いが無かった。その証拠を見せるようにエリナちゃんの顔は、数日前僕と初めて会った時よりも、人が怖いと言っていた時よりも何処か成長している気がした。
そんな悠長なことを思っているのも束の間。人狼が接近するエリナちゃんに気付き、左拳をエリナちゃんに振り下ろす。
先に気付いたエリナちゃんはジャンプして回避。そこまでは良かった。いったいモンスターは頭が良いのか悪いのか、エリナちゃんがジャンプすることを先読みしていたのか、すぐに右拳でエリナちゃんを狙っていた。
さっき人狼が振り下ろした拳。疾走スキルを使ってそのまま進んでも、左右のどちらかに回避しても、バックで回避してもどの道攻撃は当たっていたし、あの状態ではジャンプ以外に何もできなかった。人狼はそれを分かっていたから追撃を掛けたのだ。今のエリナちゃんの残りHP量を考えると、あの拳を受けたらエリナちゃんのHPは0になるか、或いは数ドットHPバーが残り、地面に落ちた時の衝撃でダメージを受けて0になるか、どの道死ぬかもしれない。
しくじった。僕とした事が、何でそれぐらいのことも想定していなかったんだ。
このままエリナちゃんを死んでしまったら、どうせ《初雪の街》で復活する。けど大事なのはそこじゃない。僕と一緒にいる間は、僕がエリナちゃんを守ると決めた。それなのにここで死なせたら、僕は彼女との約束を破ることになる。かと言って止めようにも間に合わない。
この場の誰もが、エリナちゃんに死が訪れたと悟った。けどどうしてだろう。エリナちゃんは人狼が追撃を掛けてきたのには驚いていたみたいだけど、何故かエリナちゃんはクスッと笑った。
「――エアリー!」
突然、エリナちゃんの手の甲から円形の幾何学模様が光り出した。そしてエリナちゃんの足元に同じ模様の魔方陣が出現した。魔方陣を見て見れば、その模様は竜の姿を模ったようにも見える。その魔方陣から、一匹の小さな空飛ぶ青い蜥蜴が現れた。
懐柔スキル《口寄せ》。使い魔を召喚するスキル。エリナちゃんはそれを空中で発動したのだ。
「キュー!」
小さな蜥蜴――アイスフェアリー・ドラゴンことエアリーは小さな鳴き声を上げると、すぐさま翼をはためかせてエリナちゃんの足元辺りを飛び回る。
そしてエリナちゃんは、皆が驚愕するようなことをやってのけた。
拳が当たる直前、エリナちゃんはエアリーの背に片足を乗せて、更に跳んだ。
人狼の拳はエリナちゃんを掠めて空を切る。
「ちょっ、それありっ!?」
流石の僕も驚きの声を上げてしまう。隣にいる山神氏とその仲間の人達も唖然と見ている。
エリナちゃんが今やったのは、コンピューターゲームでは採用されることの多い2段ジャンプ。それによく似たものだ。
2段ジャンプは地上でジャンプした後、足場の無い空中でもう一度ジャンプをするというもので、ゲームによってはその後でもう一度ジャンプ出来る3段ジャンプを採用しているのもある。
《ソーティカルト・マティカルト》では基本操作として普通に一回だけジャンプすることは可能。疾走スキルレベル50ら使える《跳躍》を追加で発動すれば似たことは出来る。でも今のエリナちゃんの疾走スキルのスキルレベルでは現状不可能。だからエリナちゃんは空中でエアリーを召喚して、エアリーの背を足場代わりにしてもう一度ジャンプをした。
そんなことは勿論ゲーム時代には絶対できない芸当だ。もし出来たとしたら、《跳躍》で2段ジャンプをした後に使い魔の背に乗ってもう一度2段ジャンプを行い、そしてまた使い魔の背に乗る。こんな無限ジャンプなんかやってたらもはやチートなので、ゲーム上では使い魔を足場にすることは不可能になっていた。
けどエリナちゃんにはそれが出来た。元の世界では運動神経の良かったエリナちゃんにとって、余裕とは行かないまでも、出来る可能性は高かった。
現実では出来ない事をゲームで出来るのが一番の面白み。これはあくまでも僕の考えだ。
ゲームでは出来ない事を現実で出来る。そんな事実を僕は今まで何回か経験できた。
人狼の追撃を避けたエリナちゃんはトドメを刺すべく剣技スキルを発動する。
「《クイック・リープ》!」
短剣スキル下位突進技《クイック・リープ》。空中で放たれたエリナちゃんのスキルは、そのまま人狼の頭部に命中。小さな刃が人狼の狂暴な頭へと突き刺さり、人狼のHPはそこで0を告げ、大きな青白く光る塊と化して、跡形も無く四散した。
エリナちゃんが無事に着地し、エアリーがその周りを飛び回り始めた時、全員の目の前に、《氷河の人狼》が倒されたことを知らせる、獲得された経験値とお金を表示するリザルト画面が現れた。
「――よっしゃぁああああああああああっ!」
誰かの叫ぶ声が聞こえた。それが引き金となり、皆が皆、大歓声を上げた。
ある者は嬉しくて涙を流し、ある者は肩を組んで笑い合い、ある者は疲労でその場に座り込むのもいた。
その中で僕は、今回人狼を仕留めたエリナちゃんに言葉を掛ける。
「お疲れ様。エリナちゃん」
ニッコリと笑いかけてあげると、エリナちゃん本人もニッコリと笑顔で返してくれた。
やばい。この笑顔、とても可愛い。なんてことを口にすると後で殺されるので心の中だけで思っておく。
なんだか見ているこっちが恥ずかしくなり、思わず顔を逸らすと、丁度その先に、こちらへと近づいてくる山神氏が目に入った。
山神氏は僕達二人の前まて来ると、一呼吸置いて口を開く。
「中々意表をついた避け方だったな。感服の極みだ。あと、いきなり人狼に突っ込んだ時は一瞬驚きはしたが、実を言うあの行動で俺達も人狼の攻撃に気付いたんだ。もし君がやってくれなかったら、今頃レイドは壊滅してかもしれない。そして、お疲れ様」
最初の言葉はエリナちゃんに、後の言葉は僕に対して掛けたものだ。こうやってレイドリーダーに面と向かって言われるとなんだか照れくさい。
「そんなことはないですよ。それに山神さんが追加攻撃してくれなかったら僕だってやられてましたよ。こっちだって感謝してます」
「あ、ありがとうございます。で、でも、皆で倒したレイドボスなのに、私だけ全部アイテムを貰っても良いんでしょうか?」
そう。人狼にトドメを刺したのはエリナちゃん。最初の取り決めでアイテムはドロップさせた人の物ということになっている。今エリナちゃんは人狼がドロップした大量のアイテムがカバンの中に入っている筈。
まあいきなり飛び出てLAを貰ってしまったことを気にしているんだね。そこら辺を気遣うエリナちゃんは良い子だと僕は思う。
「良いも何も、そういう決まりだからな。2段ジャンプっていう面白いものを見させてもらったんだ。見物料とでも思ってくれて構わない」
見物料にしてはかなり高額になっている気がするけど、山神氏の言葉に賛同するかのように、気が付いたら山神氏だけでなく、彼の仲間、他のメンバー達も賞賛している。
「さてと、それじゃあ一旦引き上げるとするか。そこから先は解散にして……」
誰もが帰ろうとしたその時だった。
突然、ラグが起こった。
「……っ!?」
「!?」
僕やエリナちゃんだけでなく、山神氏達にもおなじようなラグが起こっていた。そして何故だろう。さっきから部屋の天井から、氷に亀裂の入る音が聞こえてきた。
氷が大きく砕ける音が響いた直後、誰も予想しない事が起こった。
――ソレの全長は約30mほどの青い巨体、全身に棘を帯びていた。
――ソレは両手に、どんなものでも切断できるような巨大なハサミを持っていた。
――ソレは五対十本の長い脚で氷の床に着地した。
――ソレは真珠のような目玉をキョロキョロとして獲物を探していた。
――ソレはゲーム時代、伝説のレイドボスの一体として登場していた、これよりも数段大きいものだった。
レベル25魚介系ボスモンスター《ゾディアック・アブソリュートキャンサーJr》。
完全な初見のモンスター。これがビックイベントによる仕様変更であることを理解するのに、呆然と見ていた僕は少し遅かった。そして突如降ってきた巨大蟹は、僕ら獲物に向けて大バサミを向けた。
◇
《ゾディアックシリーズ》。
ゲーム時代に登場した、十二体のレイドボス。
水瓶のアクアリウス。
魚のパイシーズ。
羊のアリエス。
牛のトーラス。
双子のジェミニ。
蟹のキャンサー。
獅子のレオ。
乙女のヴァーゴ。
天秤のリブラ。
蠍のスコーピオン。
射手のサジタリアス。
山羊のカプリコーン。
これら十二正座からなるレイドボスを総称してゾディアックシリーズと呼ぶ。
《七つの大罪》、《十聖神》、《大和之神》、エトセトラ。
伝説のレイドボスの総称は色々あるけれど、ゲーム時代にそれらを全制覇したプレイヤーは100人もいない。一つ二つだけなら僕も制覇しているけれど、こういう連中はとにかく強さがハンパじゃない。かの《金色の龍王神》に比べれば遥かに劣っていても他のレイドボスと比べればかなり優れている。
この完全無欠な巨蟹宮はそれのJrバージョン。勿論それがゲーム時代に出てきたことは一度も無く、よりにもよって今出てきたのが最高に最悪でタイミングが悪いというもので――
「――攻撃来るぞ! A隊ガード!」
突然現れた二体目のレイドボスとの戦いを強いられていた。
山神氏の手早い指示の元、なんとか犠牲者を出さずに態勢を保つことには成功した。だが初見のmobなだけあって戦うのには難儀していた。取り巻きmobまで来なかったのが唯一の幸いとも言えよう。
魚介系モンスターは身体の一部が水に接していると、接している表面積に比例してHPとMPが持続的に回復される。水中内だとかなり速く回復されるが、ここは氷の上。キャンサーが落ちてきてから水が流れ出ることは無いので、自動回復はほぼ無い。
けどこのキャンサー、蟹だけあって結構堅い。さっきから物理攻撃を当てているのにHPが一向に減らない。代わりに魔法攻撃でダメージを与えているが、それでも少しずつしか減らない。魚介系は水属性持ちばかりなので雷属性の魔法が一番効果がある。でも何故か妖術スキルの《サンダーカッター》や雷術スキルの《ライトニング・カッター》をぶつけてもダメージ量にあまり大差ない。
試しに色々と属性魔法をぶつけてみた結果、火属性と雷属性の魔法は大体同じぐらいのダメージ、地属性と風属性の魔法が一番ダメージが少なく、一番多かったのは毒属性だった。
水属性は火属性と地属性に強い。
火属性は氷属性と毒属性に強い。
地属性は水属性と風属性に弱い。
風属性は雷属性と氷属性に弱い。
そして毒属性は水属性と氷属性に強い。
つまり、キャンサーの属性は水と氷の二種類。幸運にも魔法部隊の中に毒術スキルを持っている人がいたから、その人は毒属性魔法を連発している。他は火属性魔法や雷属性魔法を、それらも持っていない人は水と氷が強くない属性の魔法をぶつけることになった。僕の妖術スキルも毒属性はまだ無いから《サンダー・カッター》をぶつけていた。
キャンサーの攻撃パターンは巨大バサミによる攻撃《アキュート・クローズ》、口から吐かれる移動制限付き泡攻撃《ペール・バブルブレス》、大きな身体での突進攻撃《ジャイアント・クラブ》である。どうせさっきの人狼みたいにHPバーが赤くなると回避不可能な範囲攻撃とかしてくるんでしょうね。嫌でも分かってきちゃいましたよ。
「《サンダー・カッター》! 《ファイア・アロー》!」
妖術スキル下位多数攻撃魔法《サンダー・カッター》、下位5連続攻撃魔法《ファイア・アロー》を発動。キャンサー登場から一時間が経過したけど、今の所は犠牲者を一人も出さず順調にHPを削っていた。
雷属性は一定確率で《麻痺》が狙えるから動きを止めるのに役立つし、火属性や毒属性は《火傷》や《毒》で持続的にダメージを与えることも可能だ。
「《デルタ・トライアングル》!」
エリナちゃんも必死になって次々と剣技スキルを放つ。山神氏や他のメンバーも懸命に攻撃したり防御したり回復したりする。
HPバーが半分を過ぎたことを知らせる黄色になった辺りで、キャンサーの攻撃パターンが変わった。
ハサミに氷が纏われ、攻撃に当たると《凍結》の状態異常になってしまった。突進も全身を氷で覆うものに変わり、泡ブレスも吐いている時間が長くなった。
キャンサーの氷を纏ったハサミが振り下ろされる。一回目はA隊がガード。しかしもう片方のハサミが振り下ろされるとA隊はこれもガードできたが、ガードし切れず吹き飛ばされた。
ハサミ攻撃は見た目通りダメージが大きく、HPの高い重甲戦士のHPが半分近くまで減少した。
ハサミの次に口から泡ブレスを吐こうとするキャンサーに、魔法部隊が属性魔法を放つ。攻撃はディレイされてブレスは防がれた。その間にG隊がA隊を回復する。
開始から三十分が経過し、事態は厄介な方へと進んで行った。
HPが三割まで削られたキャンサーが、いきなり背中の甲羅にある棘を氷で覆いだした。あれは突進ではなく、あの棘を飛ばすつもりのようだ。
「範囲攻撃が来るぞッ! 各自散開ッ!」
全員がキャンサーから離れる。キャンサーは甲羅を上に向け、数十本にも及ぶ氷の棘――ゲーム時代のキャンサーが使っていた《バースト・クラブソーン》という範囲攻撃によく似た攻撃――を、僕らに向けてではなく頭上に発射した。
直線でしたか飛ばない棘は高い壁に次々と突き刺さる。
一体コイツは何がしたかったんだ。この場の皆がそう思った。そして何がしたかったのかが分かったのは、刺さった壁から水が溢れ出た時だった。
数十箇所の穴から流れる水。その全てがキャンサーの巨体に掛かる。キャンサーは声を上げて水浴びを楽しんでいるみたいだった。すると、キャンサーのHPが徐々に回復し始めた。
「それ、アリなの?」
僕は呆れる。そりゃ2段ジャンプとか武器の二刀流とか必中な筈の魔法を回避するとか、ゲーム時代の概念を百八十度帰るようなことばかり見てるから驚くも疲れてきたけど、それってチートじゃない?
「魔法部隊! 雷魔法でキャンサーを麻痺にさせろ! 他もスキルを連発して回復を抑えるんだ!」
山神氏は指示を出しながら下位急所攻撃技《バイタルオーガン・アロー》を発動。僕も《サンダー・カッター》でキャンサーを麻痺させようとする。
魔法部隊の一人が発動した、雷術スキル下位設置魔法《ライトニング・ボム》がキャンサーの動きを止める《麻痺》を生み出した。続けて毒術スキル下位単発攻撃魔法《ベノム・ブレイド》や下位設置魔法《ポイズン・ボム》で《毒》による持続ダメージが発生。回復はまだありつつも、なんとか増えた分を消すぐらいにはなった。
STR型の近攻撃部隊もキャンサーの脚や顔に剣技スキルや戦術スキルをぶつける。物理防御力が高いせいで焼け石に水だけど、クリティカルヒットになると結構HPを削れる。
「《サンダー・カッター》!」
「《デルタ・トライアングル》!」
『《パワー・スラスト》!』
『《ラウンド・スイング》!』
『《アーク》!』
僕の妖術多数攻撃、エリナちゃんの短剣3連撃、そして別パーティーの両手剣単発、両手斧2連撃、片手剣単発が同時に炸裂。その後で山神氏を含む遠距離攻撃が一部クリティカルヒットし、キャンサーのHPは二割弱まで削られ、HPバーが赤くなった。
それがスイッチになったかのように、キャンサーが大きな鳴き声を上げ、甲羅からハサミまで全身が氷で包み込まれた。明らかに人狼と同じ範囲攻撃の準備だ。
「魔法部隊! 火魔法で氷を溶かせ! 他はそれぞれの攻撃で氷を壊してキャンサーをディレイさせろ!」
山神氏が指示を出し、一斉に攻撃が始まった。キャンサーに無数の炎が舞い、色取り取りの魔法に矢や剣の斬撃音が鳴り響く。
だけど、それは無駄だった。
キャンサーを覆う氷は、壊れる気配が無かった。あまりにも頑丈で皹すら入らない。更に運が悪い事に範囲攻撃が開始されようとしていた。
「か、各自回避ーーーーーッ!」
山神氏が叫んだ時には、もう遅かった。巨大蟹から飛び散る回避不可能な氷の破片。それが矢となり礫となり、メンバー全員を襲う。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
当然僕もエリナちゃんも喰らった。紙装甲な僕のHPが赤の所まで減少してしまう。エリナちゃんの方はなんとか黄色で止まったけど、喰らったせいで《凍結》の状態異常になってしまった。
ステータス画面からデバフアイコンを見てみると、《凍結》の時間は10秒と意外と長い。他のメンバーのHPも遠くから見てみると、HPバーが緑の人は誰もいない。寧ろ赤になっている人が多い。
ポーションで回復する間も無くハサミが振り回され、逃げ切れなかった人達は追撃を受ける。
戦場は大乱戦へと変わり果てていた。HPバーが赤くなってからのキャンサーは縦横無尽に暴れ出す。壁からは水が流れ出てキャンサーのHPを徐々に回復させる。皆は自分のHPを回復しつつ必死で攻撃する。それでも尚キャンサーはハサミを振り回し、泡ブレスを吐き、脚で近くを蹴散らす。
そしてとうとうエリナちゃんが標的に選ばれた。キャンサーが薙いだハサミが、短剣でガードを試みたエリナちゃんを吹き飛ばした。
エリナちゃんのHPがごっそりと減り、残り三割ほどになる。勿論《凍結》の状態異常付きで。
キャンサーは目玉をキョロキョロとさせてエリナちゃんを捜す。もう一度攻撃を喰らえばエリナちゃんのHPは0になってしまう。
「《テレポート》!」
僕が何の迷いも無く瞬間移動し始めたのと、キャンサーがエリナちゃんを見つけたのは、ほぼ同時だった。
「《テレポート》! 《テレポート》! 《テレポート》! 《テレポート》! 《テレポート》!」
声が枯れるぐらいの大きな声で《テレポート》を連呼する。MP残量がどうとか、マナポーションの残り数がどうとか関係なかった。
女の子一人救えないで何が元レベル100プレイヤーだ。何が古参だ。何が男だ。
「《テレポート》!」
十数回目でやっとエリナちゃんの所に到着した。キャンサーはエリナちゃんへハサミを振り下ろそうとする前だった。
《凍結》によって動くことが出来ないでいるエリナちゃんは、僕がやって来たことに喫驚した表情だ。
「《テレポート》」
僕は一息吐かずにエリナちゃんを抱きしめ、即座に瞬間移動する。ハサミは間一髪で当たらなかったが、着地した僕らはハサミが氷の床に衝突したことによって生じた衝撃波を受ける。僕はエリナちゃんを抱き締めたまま、その衝撃波から守る。
衝撃波で飛び散る氷の破片が僕の背中に当たり、HPが削られる。
「フウヤさん……?」
抱き締められているエリナちゃんは、何が起こっているのかは少し理解したみたいで、僕に抱かれていることに対して顔の頬が赤くなっている。
困るな。こんな反応されると、何が何でもあの蟹をブッ倒したくなる。
こんな状況だけど、僕はエリナちゃんの頭に手を置いて優しく撫でる。
「……エリナちゃん、ゴメン」
「え……?」
別れの挨拶を交わして。僕はエリナちゃんから離れると、キャンサー向けて走り出す。
走りながらステータス画面を確認する。
フウヤ/男
Lv.20
HP238/2483
MP1087/4110
アイテムカバンから残っているだけのマナポーションを全部出してそれを全て飲み干す。これでMPは満タン近くまで回復した。
僕の突然の行動に、エリナちゃんや山神氏、それ以外の皆も驚きで目を見張る。
獲物を捜していたキャンサーは、僕が走ってくるのに気が付き、自慢の大バサミを大きく振り翳す。
ハサミが振り下ろされるだろう位置、そこから少し斜めに走る軌道をズラす。
少しずつキャンサーから斜めに逸れる僕。そうとも知らずにハサミを振り下ろすキャンサー。
今は1ポイントもMPを無駄遣いできないから《テレポート》も疾走スキルも使えない。僕は力の限り走る。
巨大なハサミが叩き落とされた。氷の床が半壊され、破片が彼方此方に飛び散る。僕を見ていた人達は、これで僕がやられたと大半の人間が思った筈だ。でも、
『……お、おい、あれ!』
一人の男性プレイヤーが、煙という水蒸気の舞う中、全力疾走を続ける僕の姿を見つけた。途中でHPポーションも飲んだし、距離だって取ってあったから衝撃も大して喰らっていない。どうしても当たりそうな破片とかは魔法盾で防いだ。
キャンサーの攻撃終わった直後に僕は急停止し、杖の先端をキャンサーに向ける。
完全無欠と言われている蟹といえど、残りのHPは水を浴びたことによる自動回復で残り三割ほど。それぐらいだったら一撃で終わらせれる。
但し、一つだけ問題点があるとすれば、僕がこれを使えば、皆に僕の正体がバレてしまうということだ。もしそうなって、一体どんな制裁を受けるか分からない。ひょっとしたら一緒にいたエリナちゃんにも火の粉が掛かるのかもしれない。
もしそうなったらどうするか? 決まっている。僕自身への攻撃は兎も角、エリナちゃんに降り注ぐ攻撃は、僕が全部潰してやる。
「《ホワイト・インフェルノ》!」
杖から放たれた、白銀に輝く煉獄の炎。それがキャンサーの巨体を包み込む。
この光景を見たメンバー全員が、驚愕の目を向ける。
地獄の業火の如く燃え上がる白炎は、キャンサーのハサミから甲羅、脚に至るまでを焼き尽くす。
こんな魔法は誰も見た事が無い。火術スキルの上位魔法にすら似たものは無いし、僕は火術スキルは持っていない。というかこれはゲーム時代にすら存在しないのだから。
混沌術スキル下位多数攻撃魔法《ホワイト・インフェルノ》。火属性と光属性を持った白銀の炎で、最大15体の敵を焼き尽くし、対象を《火傷》の状態異常にする魔法。
《混沌術》こそ、ビックイベント開始時に運営から貰った、僕だけの固有スキル。光属性と闇属性を持った属性魔法は多くの敵を殲滅する強力なスキル。
でも欠点は色々とある。これを使う時はMPがほぼ満タンじゃないといけないし、使った後はMPが一瞬で0になる。最初の頃に試した後の精神的疲労がとても重かった経験は忘れていない。
もう一つの欠点は再使用時間。通常のスキルの再使用時間は長くて六百秒はあるけど、《ホワイト・インフェルノ》の再使用時間は三千六百秒。つまりは一時間。それでいて下位スキルということは、中位や上位にもなるともっと長くなる筈だ。
白銀の炎を受けたキャンサーのHPは、水浴びによる自動回復を踏み躙るようすぐに減っていき、あっという間にHPが無くなった。HPが0になったキャンサーは全身を青白い光で包み込み、他のモンスター同様に四散した。
残りMPが0であることを確認した僕は、目の前に現れたリザルト画面に目をやる。そこにはキャンサーから得たお金と経験値、そして二十個近くにも及ぶドロップアイテムの数々が記されていた。
「……勝った?」
そう呟いた人がいた。それが引き金となり、メンバー全員が大歓声を上げた。
さっき人狼を倒した時よりも騒がしかった。ガッツポーズをして叫ぶ人、互いに肩を寄せて喜び合う人、やっと終わってその場に座り込む人、その中で、一人の美少女が僕の所にやってきた。
「フウヤさん」
それは勿論、この短い間一緒にパーティーを組んでいたエリナちゃんだった。
「お疲れ様です」
「うん。お疲れ」
エリナちゃんは飛びっきりの可愛い笑顔を僕に向ける。僕も顔を綻ばせてエリナちゃんの頭を優しく撫でる。すると、今回のレイドリーダー、山神氏が近づいてきた。
「……とりあえずお疲れと言っておこう、フウヤさん。……それで、今のスキルが一体何なのかちゃんと説明してほしい」
山神氏の質問に、騒いでいたメンバー達も静かになる。エリナちゃんは心配そうな顔で僕を見つめる。
僕は軽く深呼吸して、口を開く。
「……説明する前に、一つだけ理解してもらいたい事があります。さっき僕が使ったスキルに関して、この子は全く知らなくて、完全なる無関係です。それだけは分かってほしい。それを踏まえた上で言います。……僕は、元レベル100プレイヤーで、今のスキルは、運営からもらった僕だけの固有スキルです」
氷の様に冷たい僕の言葉が、寒気のする部屋内に響き渡った。エリナちゃんだけでなく、多くの人達の顔が固まった。
『……何だよ、それ』
ボソリ、と奥からそう吐いた声が聞こえた。
『ふ、ふざけんなよぉっ!』
また部屋の中が騒がしくなった。今度は歓声ではなく、罵声だけど。
『お前がぁっ! 俺らをこんな目に遭わせた元凶の一人かよっ! お前らのせいで、俺らがどんたけ辛いことになってるのか分かってんのかっ!? 挙句に強えスキル貰って、LAまで貰ってヒーロー気取りかよっ!』
『テメェらがレベル100になっちまったから、俺達はこんなゲームの世界に来ちまったんだろうがっ! どうしてくれんだよっ!?』
『そ、その女が無関係かどうかはこの際どうでも良いが、あんたに感謝しようとした俺が心底屈辱的だぞ!』
随分な罵声の嵐。半ば予想はしていたけれど、まさかここまでのこととは。
けどこれで良い。これでエリナちゃんに火の粉が降り注ぐことは無い。僕が全部この場の怒りを引き受ければ、後はどうとでもなる。
ところが、事態は思わぬ展開へと行ってしまった。
「――静かにッ!」
突然、雷に打たれたかのような鋭い叫び声が轟き、騒いでいた人達は全員静まり返った。
一喝したのは、山神氏だった。彼は一度間を置いて僕らに訊ねる。
「……フウヤさん、一つだけ確認させてくれ。さっきエリナさんが出していた使い魔、あれはドラゴンだよな? あれは元レベル100プレイヤーとは何の関係無いんだな?」
「ええ。関係ないですよ。あのドラゴンは、懐柔スキルで使い魔として手に入れただけです。――スフェア」
僕の手の甲に円形の幾何学模様が光だし、同じ模様の魔方陣が出現した。そこからエリナちゃんが召喚したのと同じ青い蜥蜴が姿を見せた。
スフェアは翼を羽ばたかせて僕の肩に乗る。これにも周囲の人は驚いている。
「その証拠に、僕も同じ使い魔を持っています。元レベル100プレイヤーに与えられたスキルは一人につき一つ。それに、彼女はれっきとした初心者です。と言っても、2段ジャンプを見た後では説得力が無いですが」
「……そうか。いやぁ、それが一番気になっていたんだが、これでスッキリした。皆、戻るぞ」
山神氏はそれだけ訊ね、身を翻して部屋の入り口の方へと帰ろうとし出した。リーダーの行動に周りは納得がいかないみたいで、
『はあっ!? な、何言ってんだよ山神さんっ! コ、コイツは、元レベル100プレイヤーなんですよ!』
一人の片手剣使いが訴えかけた。その後ろにいた仲間と思しき連中もそうだそうだ、と同意の声を上げている。
だけど山神氏はいたって冷静だった。
「……確かに彼が元レベル100プレイヤーなのかもしれない。それを決定付けるスキルも皆の前で使ってみせた。けど勘違いするな。さっきのキャンサーとの戦い、俺達は彼に救われた側の人間だ」
つまり、それの温情を持って何も責め立てないということか。義理堅いのか、僕に同情してくれているのか、或いは事を大きくしたく無いのか。
山神氏の仲間も彼の後に付いていく。レイド戦が終わったとはいえ、リーダーの決定に異議を唱えるのは得策じゃないと判断したのだろう、騒いでいた他のメンバーもぞろぞろと戻っていく。それに対して僕は反対方向、レイド部屋の出口へと向かった。
◇
氷の扉を開けて出てみると、目の前には広大な氷雪地帯が目に入った。ここから先も現れるモンスターは水属性や氷属性持ちばかりで強いものが多い。これでやっと本格的なレベリングが出来る。
目標はレベル50。再び龍刃と雪華に会うと誓った。それを忘れずにこれからも進もうと思っていたけど、一つ問題があった。それはマナポーションが一個も無いということ。
さっき《ホワイト・インフェルノ》を使ったせいでMPは0のままだから、自然回復するのを待つしかないけど、正直今のままはキツい。これだとスキルも使えないからなんとかしてMPを回復せねば。
「フウヤさん!」
一体どうしようかと考えていると、後ろからアニメ声が聞こえた。振り向くと、エリナちゃんとエアリーがこっちにやって来た。
「どうしたの、エリナちゃん」
僕はハァハァと息を切らすエリナちゃんに聞くと、エリナちゃんはアイテムカバンから青い液体の入ったビンを三本取り出して僕に差し出す。MPを回復する為のマナポーションだ。
「どうぞ。山神さんと私からです」
なんと。エリナちゃんからは兎も角、山神氏からもポーションをくれるとは驚きだ。多分さっきのとを合わせて、キャンサー戦での借りを返したいのだろう。
「うん。ありがとう」
僕はありがたくポーションを受け取って全部飲む。おかげでMPは大体回復した。これならこのまま進んでも大丈夫だろう。
「あの、フウヤさん。山神さんから伝言を預かっているんですけど」
「え、山神さんから? 一体何?」
「えーっと……次同じ様なことになった時はよろしく頼む、です」
「そっか」
それはまた会うことがあったらの話だけですけどね、山神さん。
「フウヤさん、さっき言ってたことって本当なんですか? フウヤさんが、私達をこの世界に転生させる原因になった、元レベル100プレイヤーの一人だって」
エリナちゃんは両手を胸元辺りでギュッと握って問い掛ける。
その時のエリナちゃんの顔は、普段見せるような表情ではない。僕をとても心配してくれているような、そんな感じだった。
「うん。本当だよ」
心配してくれているお礼に僕は正直に言う。ここで嘘は吐きたくない。ましてや女の子だと後で殺される。
「そうですか。やっぱり……」
その答えを予想していたのか、エリナちゃんは顔を俯いてしまう。
多分エリナちゃん自身も確証があったんだろう。僕達がモンスターハウスに嵌った時に僕が使ったスキル、あれは紛れもない《混沌術》なのだから。
混沌術スキル初期魔法《ブラック・ハリケーン》。黒い強風を吹き起こして、十秒間の間に最大15体の敵に風属性と闇属性を持った漆黒の刃で切り刻む範囲攻撃魔法。あれも使うとMPが0になるし、再使用時間は三千六百秒。あの時は黙ってもらってたけど、エリナちゃんはその約束を最後まで破らなかった。
「……何で、何でフウヤさんがあそこまで言われなきゃいけないんですか」
「え?」
「だって、そうじゃないですか! さっきの戦いで勝てたのは、フウヤさんがトドメを刺してくれたからですよ! もうちょっと長引いていたら、犠牲者が出ていたかもしれないのに! それなのに、倒してもらった後で、どうしてあんなにも酷い事を言われなきゃいけないんですか!?」
エリナちゃんは、今まで我慢していた鬱憤を曝け出した。一緒に行動を共にしてきているけれど、エリナちゃんがここまで怒る所を見たのはこれが初めてだ。
「フウヤさんは良い人です! 私がモンスターに倒されそうになった時も、自分がやられるかもしれないリスクを背負って私を助けてくれました! この世界で生きて行く為のアドバイスを私に色々してくれました! うっかり私がモンスターハウスのスイッチを入れちゃった時だって、フウヤさんは責めるべきである私を何も責めませんでした! それどころかいきなりの窮地を救ってくれました! 本当に、本当に感謝してるんです! 感謝の気持ちで胸が一杯なんです! こんなにも優しいフウヤさんが、どうして、どうして……」
エリナちゃんの目から、光る雫が零れ落ちた。
「何でなんですか!? 何で、何で……ひっぐ、ひっぐ」
涙の粒が大きくなり、零れ落ちるのが速くなる。
エリナちゃんは涙を服の袖で拭うが、それだけで無くなる訳もなく、寧ろ多くなったと言えよう。
(……僕って、最低な男だなー)
守ろうと決めた女の子を守り切れなかったり、10万人以上の人の人生を狂わせた共犯だったり、それよりなにより、女の子を泣かせてしまった。後で殺されるな、僕。
「エリナちゃん」
僕はエリナちゃんの頭に手をポンと置き、何度目になるだろうか、エリナちゃんの頭を撫でる。
「僕のことをそこまで心配してくれて、ありがとう。でもね、僕はああいう目に遭って当然だって分かり切ってるんだ。というか、僕はそれを覚悟してここにいる訳だし」
「ど、どういうことですか……?」
「僕があそこまで罵倒された理由は大きく分けて二つ。一つ目は、僕達のやった行為は、それだけ多くの人達の人生を狂わせたことだから。ビックイベントで転生された人の中には、まだ現実を受け入れられない人や、元の世界に帰れると信じている人もいる。そんな人達にとって僕達元レベル100プレイヤーは怨みの対象でしかないんだよ。それで二つ目の理由はね、他とは違うから、かな」
二つ目の理由の意味が分からなかったのか、エリナちゃんは顔を上げて不思議そうに僕を見つめる。僕は優しく頭を撫でて続ける。
「他とは違う、普通とは違うってだけで、人は簡単に差別するし差別される。例えばクラスの人気者は、人気者になりたいという他の人達から軽蔑されやすい。勉強が人一倍出来る人は、出来ていい気になっていると思う人も周りにはいる。本人がその気でなくても。
こんな時に言うのもあれなんだけど、エリナちゃん昨日、自分がイジメられていたって言ってたよね。これは僕の勝手な想像だけど、イジメられていた理由は多分、エリナちゃんが可愛くてアニメ声だから。勿論それが悪い訳じゃない。寧ろそれは、エリナちゃんが生まれ持った良い所だよ。でも、そういう人の良い所を誰かは必ず妬む。周りよりも可愛いから、周りよりも声が違うから、周りとは違うから。こういうのを人は、便利な言葉で片付けてしまうんだ」
僕はエリナちゃんの顔に近づき、瞳の涙を指で拭ってあげる。
「……出る杭は打たれる、ってね」
エリナちゃんは、僕に撫でられていることと、僕の顔が近いことに恥ずかしいのか、顔が赤くなる。
あー、こんな可愛い反応されると困るな。後が心配だよ。
僕は顔を離して、頭からも手を放す。
「そんな訳で、僕はああいうこと言われても、全部受け入れようって決めたんだ。だからエリナちゃんが涙を流す必要は無いんだよ。心配してくれる気持ちは凄い嬉しいけどね。それに、僕には今やらなきゃいけないことがあるからさ。こんな事で一々挫いてたらいけないよ」
「やらなきゃいけないこと、ですか?」
「うん。ビックイベントが開始されたあの日、偶然会った友達と誓ったんだ。レベル50になったらまた会おうって。だからこれからは只管レベル上げないと」
折角だったので、僕は龍刃と雪華のことを軽く話してあげた。
今頃どうしてるかなぁ、二人共。特に龍刃が僕らよりも一番重みを背負ってるからなぁ。変なことしなきゃ良いけど。
「……それじゃあフウヤさん、一人で行ってしまうんですか?」
「うーん、そうなるね。本当はエリナちゃんも一緒の方が心強いんだけど、正直僕への憎悪にエリナちゃんを巻き込みたくないしなぁ」
「わ、私、そんなこと全然気にしないです! フウヤさんとだったら……」
と、そこで言葉が切れてしまい、その後に言う筈だったことをグッと呑み込んだ。
「エリナちゃん?」
「……いえ、やっぱり、その方が良いのかもしれないです」
「え、ちょっと待って。僕は別に、エリナちゃんが足手まといって思ってる訳じゃなくて……」
「違うんです。もしこれ以上フウヤさんに頼ってしまったらいけない気がするんです。これから先は、私自身の力で頑張らないと駄目なんです。でないと、一人で越えなきゃいけない壁を越えれなくなるから……」
それは確かに正しい。いつまでも誰かに頼ってばかりだと、いつか必ずそのツケは溜まって後々痛い目を見る。
というか、今のエリナちゃんの言葉で、僕は一つの結論に到った。
多分このまま別れても大丈夫だろう。証拠にエリナちゃんの目が、少し成長した気がする。最初に会った時のエリナちゃんは、空虚さがあって何かに怯えている印象があった。でも行動を共にしてからは、段々エリナちゃんに笑顔が見えてきて、特にドラゴンを使い魔にしてからは元気が出ていた。
出会って数日間しか経たないのに、いつの間にか強くなっている部分もあった。この調子なら、下手すれば僕を追い抜くかもしれないな。
「そっか。分かった。エリナちゃんがそうしたいと決めたんだったら、僕は何も反対しないよ。ただ、一つだけ約束して欲しい事があるんだけど良いかな?」
「はい。何ですか?」
「……前にも似たようなことを言ったけど、もしも僕と関わったせいで不当な扱いを受けたり、どうしてもエリナちゃん一人で越えることの出来ない分厚い壁に直面したその時は、僕を頼って。通話で連絡入れてくれたら、どんなことをしている途中でも全部差し置いて必ず行くよ。これだけは守って」
僕は手を合わせてお願いする。これを見たエリナちゃんは、僕の誠意が通じてたのか、コクリと頷く。
「分かりました。その時はよろしくお願いします」
「うん。了解」
「あ、そういえばフウヤさん、私からももう一つ良いですか?」
「ん? 何?」
「あの、フウヤさん、友達の人と再会した後はどうするんですか?」
「あ」
しまった。《ビギナーの街》でした約束は、レベル50になったら《中央大陸》に集合するというだけで、その後何をするかまでは決めていなかった。
「フウヤさん?」
「あー、いやー、それが全く決めてなくってさ。その時に考えると思うよ。多分ギルドでも作るかもね。人数めっちゃ少ないだろうけど」
アハハハ、と笑う僕に、エリナちゃんも続けて笑う。
「えっとじゃあ、私からもフウヤさんにお願いがあるんですけど、大丈夫ですか?」
「お願い?」
「あ、はい。その……」
笑った後で急にモジモジとし出したエリナちゃん。もうこの子の可愛い所見過ぎて感覚が麻痺してきたな。
「えっと、ついでぐらいで思ってくれて良いんですけど、もしフウヤさんが友達の人とギルドを作ることとかあったら、その、私も入って良いですか!?」
「うん。良いよ」
「あ、ありがとうございます! ……ってええっ!?」
僕が即行で了承したことが予想の範疇の外だったんだろう、案の定ホッとした顔からビックリするエリナちゃん。
「ほ、本当に良いんですか!? そんな勝手に……」
「別にエリナちゃんが入ったって二人共文句言わないと思うよ。ていうか、元レベル100プレイヤーって理由だけで入りたくない率高いだろうし、寧ろ僕の方から勧誘しかったいっていうか、そもそも女の子のお願いを断るのは男が廃るっていうかさ。あ、そうだ」
僕はステータス画面を操作し、アイテム画面からとあるアイテムを取り出す。
「エリナちゃん、ちょっと片手出してくれない?」
「手、ですか? はい」
エリナちゃんは言われるままに左手を出す。僕はその手を右手で握り、左手であるものをエリナちゃんの薬指に装備する。
それは、純銀のリングに小さな蒼い宝石のついた指輪だった。指輪のリングには、とある模様が刻まれている。
指輪を嵌められたエリナちゃんはどういう訳か、顔がドンドン、さっきよりも真っ赤に染まっていく。まるでよく熟れたトマトの如く真っ赤へと。
僕の行為の何処にそこまで反応要素が? と一瞬思って気が付いた。
男性が女性にあげる婚約指輪と結婚指輪。それは両方共女性の左手の薬指に嵌めるらしい、と以前友達が言っていた気がする。
それを思い出した途端、僕の全身から危険を知らせる汗が流れる流れる。
「わわわわわっ! ゴゴゴゴメンッ! べべ、別に僕、そういうつもりで渡したかった訳じゃっ! たまたまエリナちゃんが左手出したから、たまたま薬指に嵌めただけでっ!」
「い、いえいえいえっ! わ、私も左手出しちゃってごめんなさい! み、右手の方が良かったですよね! そうですよね!」
「いやいやいやっ! そんな事無いそんな事無い! エリナちゃんは何も悪くないよ! 普通に手渡ししなかった僕のせいだって!」
しまったぁ! そういえば他にもこんな事を言われたのを忘れてた!
――そんな訳だから、どうせあるとは思えないけど、もし万が一あんたが女の子に指輪をプレゼントするような事があったら、間違っても指に嵌めてあげたりしない方が良いわよ。後でタクに殺されても知らないから。
所々失礼な発言があったのを笑って聞き流していたのが仇になっちゃった。まさかこんな所でそれが裏目に出るとは。
「え、えっとフウヤさん、この指輪って何ですか?」
お互いテンパってる中で、エリナちゃんが指輪について訊ねてきた。ありがとうエリナちゃん。話の話題変えてくれて。
「あ、ああ。これは《ゾディアック・キャンサー・リング》っていう指輪でさ、さっきキャンサーを倒した時に出てきたんだ」
ゾディアックシリーズのレイドボスは、その月の星座を象徴するアクセサリーシリーズをドロップする。
指輪、腕輪、首飾り、耳飾り、顔飾り、肩飾り、ベルト、紋章。
《ソーティカルト・マティカルト》に存在する八項目のアクセサリー。その中でもゾディアックのレイドボスがドロップするアクセサリーは一つの星座につき十二種類の計九十六種類。かなりのレアアイテムであり、ゾディアックを倒すか、その月の象徴である水晶を材料にして作らないと入手できない。
ゲーム時代に一つの月のゾディアックアクセサリーをコンプリートした人は何百人といた。でも九十六種類全てはさすがにいない。なんせゾディアックのアクセサリーシリーズは一つの月しか装備できないから。指輪も一人のプレイヤーに一月のみとシステム上決められているので、余ったアクセサリーは高値で取引されているとかされていないとか。
中でもゾディアックの指輪は喉から手が出るほど欲しい装備だ。
「このゾディアック・リングにはね、スキル使用時に上昇するスキル経験値に少しボーナスが付くんだ。これがあれば、エリナちゃんが強くなる手助けが出来るよ」
「そ、そんな大事な物、貰えませんよ。フウヤさんが使った方が断然……」
「良いから貰って。というのもさ――」
僕はエリナちゃんに左手を見せてあげる。その薬指には、エリナちゃんと同じ指輪、《ゾディアック・キャンサー・リング》が装着してあった。
「実はキャンサーがドロップされた指輪、二個だったんだ。普通はこんな事絶対有り得ない筈なんだけど、もうそんなの今更だよ。一応《ソーティカルト・マティカルト》では指輪を指の数と同じ最大十個まで装備出来る仕様になっているけど、ゾディアックシリーズの指輪は種類が違ってても一個しか装備できないんだよ。かと言って売るのも勿体無い気がするし、エリナちゃんに使ってもらったら幸いだなって」
僕は手の甲をエリナちゃんに向ける。
「僕がギルドを作る、或いはギルドに入ることとかがあったら、僕はエリナちゃんを勧誘する。エリナちゃんは、どうしても自分じゃ越えられない壁に直面したら僕を頼る。この指輪は、お互いがお互いにした約束の印だよ」
僕が言うと、エリナちゃんは、はい、と頷き、同じ様に手の甲を僕に向けて指輪の宝石と宝石をカチンとぶつけ合う。いつの間にか降りていたスフェアも、エリナちゃんの足元にいるエアリーと頭突きをし合っていた。彼らも彼らなりに何かを約束し合ったんだろうね。
これでもう、暫しの別れの時間がやってきた。
「それじゃあ、僕はもう行くよ。エリナちゃん、気をつけて」
「はい! フウヤさんも、頑張って下さい!」
「うん。エアリー、また会おうね」
「キュー!」
「キューキュー!」
僕は身を翻し、スフェアは僕の肩に攀じ登る。
「フウヤさん!」
いざ進む! と思ってたら、またエリナちゃんに呼び止められた。
「何?」
僕が振り返って訊ねる。
「……ありがとうございました!」
するとエリナちゃんは、元気一杯の顔でお礼を言った。
◇
この日以来、エリナちゃんから連絡が掛かってくる事は無かった。まあ自分の限界に挑戦しているみたいだからそれはそれで応援したくなるけどね。
後になって聞いた話だけど、僕達が戦った後の《極寒獄氷塞》のレイドボスは人狼だけになっていて、キャンサーはもう二度と現れなくなったらしい。
それから数日経って、とある噂を耳にした。なんでも《東方大陸》に、100人目の元レベル100プレイヤーにして、ビックイベントを開始させた大元凶と名乗る、刀使いの青年が現れたという。その青年は、運営から貰った強力な固有スキルを用いてレベルが5も高いボスモンスターを単身で倒したらしく、元レベル100プレイヤーだとバレた時は、十万人の放浪者達の人生を狂わせた事に関して全く反省の色が見えなかったという。
これは明らかに龍刃だ。あーあ、まったく。龍刃の事だから、どうせこんな大それた事するだろうなぁって思ってたけど、何も本当にやる事ないのに。
まあでも、それが龍刃らしいか。僕は雪の降る寒い道を、小さな青い蜥蜴と共に進むのであった。
◇
彼の噂が広まり出した頃、当然彼女の耳にもこれは伝わっていた。
「……龍刃の、馬鹿」
彼女は顔を膨らませ、照りつける日差しを浴びながらそう呟いた。




