甲子園の死闘
その日、甲子園の決勝が始まった。
試合は両者0点のまま続き、9回表で超自然ドリフターズ高校が一点を取り、現在9回裏三塁、殺戮バッファローズ高校はツーアウトであった。
「ついにここまで来たか、高橋」
超自然ドリフターズ高校の投手、田中は言った。
「そっちこそ、よく勝ち抜いてきたな、田中」
殺戮バッファローズ高校のエースバッター、高橋はそれに返した。
二人は去年の甲子園で死闘を繰り広げたライバルであり、因縁の相手だった。
彼らの戦いは延長15回まで繰り広げられ、後日再試合をしたものの、田中は食あたりで入院、高橋は子供をトラックから助けたことで轢かれてしまい、全治二週間の大怪我を負ったことで、二人の決着はついていない。
二人は再戦を誓い、再びこうしてあいまみえることになったのだ。
試合がはじまった。
「ところで田中、ひとつ聞きたいんだが」
バッターボックスに立った高橋はひとつ疑問に思っていた。
「どうした高橋、なんでも言ってみろ」
ちなみにこの会話、口の動きだけで行っているため、周囲からは聞こえない。一流の目を持つ二人だからこそできる高等技術だった。
「どうしてそんなに腹が膨れているんだ?」
高橋の疑問は当然だった。田中の腹は、まるで中年のビール腹のように膨れていたのだ。
「ああ、これか……なぁに、じきに分かる」
そう言うと、急に田中は大量の汗を流し始めた。
田中の汗は尋常ではないほどの量だった。すぐにグラウンドは水浸しになり、ひざ下まで水に侵食されてしまったのだ。
「なるほど、水でグラウンドを満たすことで、走りにくくする方法かっ!」
高橋は田中の天才的な頭脳に驚愕した、まさかそんな戦略があるとは思ってもみなかったからだ。
「ふ、見くびってもらっては困る。私のような天才は奥の手を何重にも絡めるのだ」
「な、なんだってっ!」
田中はそういうと、途端に身体を震わせはじめた。
田中の震えは尋常ではないほどの震えだった。体全体が赤く、熱を持っていたのだ。
「いくぞ高橋っ!」
田中が投げた。
彼の150キロのストレートはただでさえ早いが、そのままなら高橋にとってそれを打つことはたやすい。しかし、田中のボールは普通ではなかった。
「ぐっ……これはっ!?」
ボールが、二つに分かれたのだ。
「ストラーイクッ!」
審判によって初球は田中に軍配が上がった。
「これは……蜃気楼?」
「そうだ、二つあればどちらが本物かは分かるまい」
田中は、自身の体を高熱状態にすることで温度の変化を作りだし、蜃気楼を作り出すことに成功していた。
彼がこの発想を得たきっかけはくしくも去年の食あたりが原因だった。高熱に苦しんだ田中はその熱い体によって布団を燃やしてしまい、宿泊先を火事にしてしまったのだ。
火事を起こしたことによる借金は体を売ることでなんとか返済したものの、甲子園で優勝してあの出来事は無駄ではなかったと思いたい気持ちがあるのだ、絶対に負けられない。
田中が二投目のボールを投げた。
カキーンッ!
「ファールッ!」
「なん……だと……」
高橋は、二つのボールを打っていた。
「どちらかが本物なら、全部打てばいいんだ」
高橋の言葉はもっともだった。二つのボールを同時に打つことでバットの芯からは外れてしまうが、ストライクで終わるよりファールという結果の方が好ましい。
田中は唇を噛んだ。蜃気楼魔球といえども打たれてしまえばただの球、もし当たり所がよければ彼の150キロのボールは容易にバックスクリーンに突き刺さるだろう。
「ファールッ!」
「ファールッッ!!」
「ファーーールゥッッッ!!!」
それからはひたすらファールが続いた。回数を繰り返すごとに、二人の熱気は強まっていく。ひざ下まであった水が、ついには干上がってしまった。
「高橋……ッッ!!」
田中が投げる。
「田中ァッ!!」
高橋が打つ。
「ファール!」
極限まで集中した結果、完全に二人の世界に入っていた。
「セーフッ!」
ちなみにこれを利用して、三塁の吉村がホームスチールを成功させていた。一点追加でこのままアウトになっても延長戦に持ち込めたが、二人には関係がなかった。
「はあ、はあ、はあ……」
「ふう、ふう、ふう……」
何百球、投げたか分からない。何千回、バットを振ったか分からない。二人の体力は限界に近づいていた。
「これで、最後になるかもしれない……」
田中は、しみじみとそう言った。
「俺も、バットを握る感覚がなくなってて、次に振るうのが最後になりそうだ」
高橋は、そう笑顔で応えた。
ぽつ、ぽつ、ザァァ……
雨が、降ってきた。
「なあ高橋、知ってるか?」
「いきなり、どうした?」
「俺たちの熱気で、さっき流した汗が蒸発して、水蒸気になって上にのぼり、雲を作って、冷やされ、雨になった」
「ああ、そうみたいだな」
こうは言っているが、田中の言った意味を脳筋である高橋は少しも分かってなかった。
「水蒸気が水に変わる時に、何が生まれると思う?……熱帯低気圧だ」
「熱帯、低気圧?」
「ああ、その熱帯低気圧はやがて、ある自然現象を生むんだ……台風という、災害をな!」
凄まじい風が、巻き起こった。
女の子のスカートが巻き上がり、隣にいた男性が鼻血を出して倒れた。
大雨で女の子がびしょ濡れになり、ブラが浮かび上がった。その光景を見た女性が思わずよだれを垂らした。
雷が落ちて、大木が燃える。どこかから看板が飛んできて、男にぶつかる。
いろんな意味で阿鼻叫喚の事態が起こっている。
しかし、そんなこと二人には関係がなかった。もともと、逃げる体力も残っていなかった。
審判は強風に飛ばされ、バックスクリーンに突き刺さっていた。
田中は後ろを向いた。
「これが、私のとっておきで、最後の魔球だ」
優しく、けれど恐ろしい回転をつけてボールは放たれた。
ボールは台風の風にあおられ、コースを変える。しかし、その回転により微妙に気流通りには流されず、不規則な動きをしていた。
これこそ究極の変化球、台風魔球だった。
「なるほど……そんなボール、正攻法では絶対に打つことはできないな」
高橋はそう言った途端、自らジャンプした。
審判がバックスクリーンに飛ばされるほどの台風なのだ。高橋の体は空を飛べるのも無理はなかった。
ましてや高橋の体は一年前の交通事故の際、砕け散った全身の骨格を、最新の3Dプリンターの技術を使って軽く、されど強靭な素材を使った骨格へとすり替えていたのだ。
彼の肉体は、この台風の中、空を泳ぐことを可能にしていた。
不規則な動きを続けるボールめがけ、がむしゃらに泳いでいく高橋。最初は犬かきだったが、次第に平泳ぎ、背泳ぎ、クロールと変えていき、空を飛ぶにふさわしいのはバタフライだという境地に達した。
ボールに近づき、高橋はバットを振るう!……が、かすっただけで終わってしまう。
なぜだ、バットは芯に当たったはずだと高橋は自問する。
悩む高橋。視界の片隅で、バックスクリーンに小さな葉っぱが突き刺さるのを見た。
高橋はその時、気付いたのだ。足りないのは、スピードなのだと。
そうと気付いた高橋は、一度ボールから距離を取った。
もう、時間がない。いずれボールはキャッチャーボックスで気絶しているキャッチャーのミットに入ってしまうだろう。
次が、最後のチャンスだ。
高橋はボールへ向かい再度泳ぎ出した。今度はスピードを緩めず、まっすぐに。
田中は、ただ、それを見ていた。
一度放たれたボールは、投手にはどうすることもできない。
すでに最後の球を投げ終えた田中には、ただ、見守ることしかできなかった。
田中の視界で、徐々に高橋とボールの距離が縮まっていく。
500、400……200…50…
その時、一筋の稲光が高橋を照らした。否、それは高橋を貫いていた。
雷が、高橋に落ちたのだ。
「高橋ィ!」
田中が叫ぶ。
「田中、俺の……勝ちだっ!」
黒こげになった高橋の口元が笑みを浮かべた。
ッンカァーンッッッ!!
雷によって活性化した筋肉から繰り出されたバットは、ボールの芯を捉えて力学的エネルギーを与え、ボールはそれにしたがって空高く打ち上げられた。
やがてボールは重力の楔から解き放たれ、宇宙に進出した。
「ホームラン……ゲームセット……」
その光景を、バックスクリーンから見ていた審判はこの白熱した戦いの終わりを告げた。
コンコン
「どうぞー」
次の日、入院している高橋の元に、一人の来訪者が訪れた。
「お兄ちゃん、甲子園優勝おめでとうっ!」
彼女は、高橋が一年前助けた少女だった。
「はは、なんとか勝てたよ。ギリギリの戦いだった」
「やったねお兄ちゃん、これで私たちの同棲が認めてもらえるねっ!」
「ああ」
そう、高橋は彼女との同棲を認めてもらうために、どうしても甲子園に優勝しなくてはならなかったのだ。
結局のところ、最後に勝つのは愛である。