会う
何か明るい夢を見ていたような気もするし、とても暗い夢を見ていたような気もする。
とにかく目覚めると、隣で藍が寝ていた。
そう言えば、百日の家に泊まらせてもらい、藍と一緒の布団に入っていたのだと思い出した。
夜中に起き出して百日と話などしていたのにも関わらず、藍よりも早く目覚めたようだ。
今、何時だろうかと周囲を見回してみるが、この部屋は普段まったく使われていない部屋らしく、壁掛け時計も何もない。
仕方なく、寝る前に充電しておいた少し遠い位置の携帯に手を伸ばして確認すると、午前八時半といったところだった。
百日や栗原はもう起きているだろうか。考えるが、他の部屋から物音一つしないことを考えると、たぶん、まだ寝ているのだろう。日曜日なのだし、別におかしいことではない。
僕は上半身だけを布団から出していた姿勢から、ミノムシのようにもう一度布団の中にもぐり込んだ。
九月中旬ともなれば、寝起きだと朝は少し肌寒かったので、藍の体温と温まった布団でとてもぬくぬくとする。
彼女は当然のように眠っている。
僕が身動きしたところで、何ら目を覚ます気配はない。
いつもの藍だ。安定感がある。
「ふぁ~」
実質睡眠時間は七時間ぐらいのはずだが、途中で少し起きて分割しているせいか、まだ眠い気分が残っている。あくびを噛み殺した。
布団の中、手を動かして藍を抱き枕代わりに抱きしめる。
ぽかぽかするし、柔らかいし、癒されるしで、またすぐにでも意識を手放してしまいそうだった。
しかし、一応、ここは百日の家であるからして、そうそう人の家で惰眠をむさぼっているわけにはいかない。
藍が目を覚ますまではいいと思うが、二度寝はさすがにやめておこう。
「……すー」
藍が安らかな寝息を立てている。
寝顔は穏やかで、憂いなどどこにも感じられない。
口元にわずかに涎を垂らしているのがかわいい。
眠りの深さには定評のあるらしい藍だったが、こうまでそばでもぞもぞと体を動かされても起きないとなると、果たしてどこまでやったら起きるのだろうか。
ちょっと試してみたい気はした。
けれど、幸せそうに眠っている藍を見れば、そんな悪戯心も失せる。
彼女にはただ安穏として心穏やかにずっといてほしい。
僕はこうして彼女を抱きしめて、ぽかぽかとしているだけで十二分に満たされる。
昨日の今日で言えた口ではないかもしれないが。
午前九時。
こちらの部屋に顔を出した百日が「おはよう。そろそろ起きたら?」などと澄まし顔で言ってきて、僕は布団から出ることにした。
藍はやはりまだ寝ている。
起こそうかどうしようか迷ったが、結局はそのままにしておくことにした。
夜中に僕のせいで起こしてしまったことでもあるし、今しばらくの安寧な眠りを彼女に与えてあげたい。
リビングの戸を開け、席に着く栗原に挨拶を交わし、その斜め前に腰を下ろす。
「あれ? 相田君だけ?」
「ああ、藍ならまだ寝てるよ。いつものごとく」
「へえ。彼女ってそうなんだ。お寝坊さん?」
「まあな。大体、朝は弱いらしいよ。最近は平日なんかはがんばってるみたいだけど」
「意外。藍ちゃん……藍ってもっと、きっちりしてる子かと思ってた」
「そんなことはないさ」
話している間に、百日がキッチンから朝食を運んできた。
スクランブルエッグとサラダ。それと、焼いた食パン。
「ま、こんなもんでいいよね」
と、言いつつ、彼女も栗原の隣の席に着く。
煩わしそうに一つにまとめているポニーテールを後ろに払った。
「なんとなく、変な感じがするな。いつもは学校で顔を合わす相手とこうして寝間着姿の寝起きで朝食を共にするっていうのは」
パンにバターを塗りながら口にすると、栗原が頷いた。
「確かにね。わたしもちょっと気分が変わってる感じがする」
そう言う栗原はいつもは薄くでもしているらしい化粧を今はしていないらしく、どこか肌の質感に生々しさがある気がする。
パンを頬張りながらじっと見ていると、彼女が目を逸らした。
「あんまり見ないでくれない?」
「ああ、ごめん」
何となく気まずい心持を抱えて、手元の食事に目を落とすと、そのタイミングでリビングの戸が開かれた。
見ると、そこには眠そうに瞼をこすっている藍の姿がある。
「……涼、起こしてほしかった」
ややじとっとした目で僕を見る藍がそんなことを言う。
「でも、藍はもう少しゆっくり眠っていたいかと思って」
「……そうだけど。でも、みんなでこうして朝ごはん食べてるのに、私だけ仲間外れじゃあ、寂しいよ」
「まあ、そうか」
「そうだよ」
ちょっと頬を膨らませながら、藍が僕の隣に座った。
見計らったように、百日が藍の前にも食事を置く。
「あ、ありがと、ももちゃん」
「どういたしまして。藍ちゃん、おはよう」
「あ、うん。おはよう。るり……もおはよう」
「うん、おはよう。藍」
仲睦まじく、藍と栗原と百日の三人が挨拶を交わしている。
横に控えている僕としては、彼女らがそんな風に仲良さげにしている様子を見るのはとても生暖かい気持ちになる。
いろいろあったとは思うけど、三人とも仲たがいすることがなくて、本当によかったな、と。
朝食を四人そろって取った後、しばしのくつろぎの時間の後に、僕と藍は百日家を後にした。
元々、泊まる予定で来ていたのでもなかったし、長居する必要性がなかったので(特に僕が)。
藍は少し名残り惜しそうにもしていたが、これからもいつだって、遊びに行くことができるのだから、次の機会は存分に二人で旧交を深め合えばいいと思う。
栗原はもう少し残っていくということだった。
彼女は百日とやけに仲良くなっていたので、まだまだ積る話や、お互いについて語り合うことなどがあるのだろう。
結構なことだと思う。
僕は藍と一緒に九々葉家まで歩いて戻った。
昨日、百日のマンションに来る際には藍の家に自転車を置いてきている。それを回収する必要もあった。
徒歩三十分をかけて彼女の家まで戻る。
時刻は午前十時半だった。
日曜日の午前中。彼女の両親もいるだろうし、不用意に家に入れてもらうのもあまりよろしいことではないかもしれない。
そう思い、すぐに帰ろうと、自家用車の隣に置かせてもらっていた自転車に近づいていこうとすると、後ろから藍に声をかけられた。
「少し寄っていく?」
振り返ると、藍がどこか不安げな表情をしていた。
「いいの? お父さんお母さんは?」
「いると思うけど。いたら嫌?」
「……嫌というわけじゃないけど、ただ……、やっぱりいいのかなって」
上手く言えないが、彼女とお付き合いをさせてもらっている身の上として、なんというか、その両親に会うというのはそんなに軽い気持ちで行っていいイベントではないという気がする。
それを言うなら、すでに藍の方は僕の両親との接触を済ませているという話ではあるのだが。
「いい機会、だと思ったんだけど。わたしはその……、お母さんとも、お父さんとも、そんなに仲がいいというわけじゃないから。こんな風に突発的にでもないと、わたし自身が涼と会ってもらおうっていう気になかなかならないし」
「……そもそも絶対に会わないといけない、というものでもない、と思うけど。少なくとも、現時点で」
「それはそう、だけど。……でも、やっぱりいい機会だと、思うから」
藍の口にする言葉はどこか歯切れが悪いところがあった。でも同時に、たまに見せる彼女の強情さみたいなものも見え隠れしているように感じた。
だから、僕は彼女の提案に頷くことにした。
「わかった。いいよ、寄っていく。もし僕に失望されたとしても、藍の方でどうにかフォローを頼むよ」
「……うん」
情けない言い草だったが、本当のところ、今の僕は自分に自信がないのだから仕方がない。元からそんなに自信満々に生きてきたわけではなかったが、百日との一件のせいで、より自分の弱さというものを自覚した。
藍の背に続いて、九々葉家に入る。
一度目は勉強会。二度目は告白。そして、夏休みの数度の訪問を経る。もっとも近い訪問の記憶は、一昨日の彼女の誕生日にやって来たこと。
だが、相変わらずどうにも慣れないこの気持ち。
彼女の両親に会うことを意識した今は多分にそれが強い気がした。




