無垢
同日の昼、九々葉さんと食堂に赴く。
今日の彼女はお弁当を持参していないということだったので、またぞろ昼食を共にすることを提案したところ、見事に承認していただけたのだ。
麺類が好きだという彼女は、塩ラーメンを注文し、僕はカツ丼を注文した。
「この間相田君の言ったこと、わたしなりに考えてみたんだけど……」
箸を取ってからしばらくして、蓮華でスープを一口すすった彼女がそう切り出した。
「僕、何か言ったっけ?」
「ほら、本音と建前の話」
「ああ」
そういえばそんなことも言ったか。
友達なら建前は許せる。けれど、そうでない人間の建前は拒絶する。
その基準がどこにあるのか。
そんなようなことを僕は言ったはずだ。
「わたしにとって建前が受け入れられないのは、それが誰かを傷つけることがあると知っているから。本音がいつも誰かを傷つけないわけじゃないけど、それでも、心のない上辺よりもずっとましだと思うから。だから、わたしは誰かを傷つける可能性のある建前は受け入れられない。そういう風に思います」
言葉と言葉を丁寧に結ぶように、ゆっくりと彼女が口にする。
僕は口を開いた。
「つまり、誰かを傷つけることのないどうでもいい建前なら、君は許容するということ?」
「……たぶん、そうだと思う」
少しだけ自信なさげに彼女は頷いた。
カツを一口、米を一口、噛みしめるようにそれらを咀嚼して、それから僕は言う。
「九々葉さんにとって、人を傷つけることっていうのはそんなに嫌なことなんだ?」
「……当たり前だよ。誰かを傷つけて得られるものなんて、何もないと思う」
「ふぅん」
彼女にとって、人を傷つける、ということはとても許せない行いらしい。
ま、それには僕も同感だけど。
「だから、君は誠実であるということにこだわっているの? 人に誠実に当たらなければ、誰かを傷つけてしまうから」
「そうだと思う」
「そっか」
深く頭を傾ける。
また少し、彼女のことが理解できたような気がした。
同時に少し、彼女の行動に矛盾を感じる。
「じゃあ、あの栗原って女子を手痛くあしらったのはどうして?」
「……それ、は……」
今朝、僕に話しかけてきたところの、クラスメイトの栗原るり。
栗原は一度話しかけただけで九々葉さんと関わることをやめたクラスメイトと違い、何度となく彼女と関わりを持とうとした。栗原の話では、『もう関わらないで』と九々葉さんに言われたという。
なぜ九々葉さんは彼女をそうも冷たくあしらったのか。
「……この前、言ってた人と関わるのが怖いって話?」
「そう、かもしれない……」
「建前で人を傷つけることが許せない。人と関わるのが怖い。つまり、人を傷つけるような建前で、自分に接してくるような人間が怖いっていうこと?」
「……っ」
僕がそう言うと、彼女は一瞬苦痛に堪えるように表情を歪めた。
「あ、ごめん。無神経なことを言ったようなら、謝るよ」
「ううん。そんなことない。あなたから見れば、きっとわたしのあの態度はずいぶん身勝手に見えたんでしょう?」
「別にそこまでのことを思ってるわけじゃないけど……。ただ、ちょっと疑問に思っただけだよ。悪意も敵意も何もなくね。行動に矛盾を感じたから、疑問を呈した。それだけで。そんなことばっかりしてるから、僕は友達いないんだろうけど」
自嘲気味に口にする。
まあ、実際のところ、入学してからこっち、僕に話しかけてきたのは今朝の栗原が初めてで、そもそもそんな行動を誰かに咎められたこともないのだが。
「……悪意がないのはわかるよ。あなたは本音だけで話してる。わたしよりもずっと」
「そう? わかってくれたのなら、何よりだよ」
「うん」
小さく頷いて、彼女がそっと箸で麺をすくう。
ちっちゃなお口でそれをずずっと勢いよくすすった。
なんとなくその様子を見つめていると、顔を上げた彼女と目が合う。
その頬がわずかに朱に染まる。
「食べてるところをそんなにじっと見ないで」
「ああ、ごめん。見惚れてた」
「……っ……。……相田君ってほんと、変わってる」
「よく言われるって言いたいところだけど、そんなことを言ってくれるほど僕のことをわかってくれる人間が今まで一人としていなかったから、そう言うことはできないんだよね」
「……ほんと、変わってる」
もう一度繰り返して、彼女は麺をすすった。
けれど、そんな彼女もまた、変わっていないことはないと僕は思う。
ただきっと、そんなのは僕の主観に依った話でしかなくて、言ってしまえば人類皆、一人残らず変わり者な気もするんだけれど。