お泊りん
四人で行った打ち上げでは、主に僕が晒しあげられることになった。
男女比が一対三。それも女子の方の三人が三人とも、僕に対して何か腹に据えかねる思いがあったのだろうことを鑑みれば、あるいはそれは当然の成り行きなのかもしれなかった。
「大体さ、相田君はよくわからなさすぎるんだよ! 一直線に藍ちゃん一筋なのかと思えば、不意にわたしに好意らしきものを示してみたりなんかして! ダリアにもどぎまぎしてたりしてさ! 振り回されるこっちの身にもなってよ! もうちょっと行動に一貫性ってものをさあ」
特に栗原の僕に対する態度がいつもに比べてやけに辛辣な気がした。買い出しから帰って来てからこっち、ちょっと様子が変わった気もするし、僕と藍がいない間に、百日と二人で何かがあったとでもいうのだろうか。
「涼がわたしのことをすごく考えてくれているのはわかるんだけど、時々ちょっと不安になるかな。わたしにかまってばっかりで涼は大丈夫なのかなって……」
一方、藍は藍で、それなりに僕の心に響く発言を随所に差し込んでくる。確かに僕は未だ藍しか見えない感じあるけど、まさか当の藍本人にそんなことを言われるとは。
「あー、相田がいじめられてるの見るの楽しー。心が幸せな気分で満たされるー」
そして、百日は百日で、二人に散々いろんなことを言われている僕を見て、心底幸せそうにほくそ笑んでいた。
あれはあれで前みたいな態度に比べれば十分ましだとも言える。むしろ僕への少しばかりの好意がある上での発言にも思えるので、そんなに不愉快な感じはしない。それでも、まあ、むかつくものはむかつくのだが。
そんな風に、買ってきたお菓子をそこそこに口にしつつ、雑談半分、僕への憂さ晴らし半分で打ち上げは進行した。
ケーキを食し、藍が作ったシュークリームを食し、栗原が所望したスルメイカを食する。
なんだかんだ言って、彼女たちに散々ばら言われた僕も、楽しんではいた。藍も、栗原も、百日も、きちんと笑顔だったし、彼女たちが楽しんでいるのなら、僕にそれを楽しまない理由はない。何なら普段そんなに笑わない僕も今日この場に限っては笑顔二割ましといったところだった。
僕にとって多少、心にくる発言はなきにしもあらずだが、打ち上げ自体を楽しむことに支障があるわけではない。
僕に関して日ごろの恨みを込めて、好き放題言えている彼女たちにとってはそれは言わずもがな。
僕らは存分に楽しみ、存分に互いの恨みつらみをぶちまけ、それを忘れ合った。
なお、斎藤は元々、呼んでいない。
藍などはあいつを呼ぶことを提案したりもしたのだが、「必要ない」という百日のバッサリとした一言で却下された。照れ隠しなのか、それとも本当に来てほしくないのかは知らないが、どっちにしろ依然として斎藤には冷酷であり続ける百日だった。
粗方、買ってきたお菓子などを胃袋に収め、藍の作ったスイーツも食べ終えて、僕への憂さ晴らしの挙句の果てに、僕を排除した女子トークに三人が没頭し、それも一区切り付いたところで、打ち上げはそろそろお開きにするか、ということになった。
時刻は午後六時半。
高校生には必ずしも遅いとは言えない時間だが、それでも、そうそう遅くまで残っていても仕方のないことだろう。
「……じゃあ、そろそろお暇……」
僕がやや疲労の滲む声音でそう口にしようとしたところで、きらりと瞳を煌めかせた百日がそれを遮るように言った。
「泊まっていったら?」
「……え?」
「……お泊り?」
「あ、いいね! それ!」
僕が間抜けな声を漏らし、藍が軽く小首を傾げ、栗原が手を打って、百日に賛同した。
いや、泊まっていくって……。
「そんな準備してきてないんだけど……」
「衣類ぐらい、その辺の店にいくらでも売ってるって。それに、藍ちゃんとるりにはボクの服もいくらか貸してあげられると思うし。体格は……まあ、ボクはちょっと背が高いから、小柄な藍ちゃんには少しぶかぶかかもしれないけど、それでも、着れないってことはないだろうしね」
「それって、僕も泊まるのか?」
「いや? 別に無理強いしないけど? 二人はどう?」
百日が藍と栗原に視線をやる。
「……平気だよ。ももちゃんとはもっとお話ししたかったし」
「わたしも。ダリアの家に泊まるの、すごい楽しみ」
藍も栗原も、その百日の提案に否やはないようだった。なんか、栗原の百日に対する好感度が上がっている気がするが、やはり二人で何かあったのだろうか。
「それで、相田は?」
「……すでに女子会みたいな感じになってるしなあ。僕が泊まってもいいものか?」
「別にボクは気にしないよ」
「わたしも全然」
僕が不安げな声でそう問うと、百日と栗原が当然のように頷く。藍は言うまでもないとばかりに無言で僕を見据えている。
「……いや、でもなあ、さすがに女子三人の中に一人混ざるのはさすがに……」
打ち上げまではまあ、まだいいとしても、女子の部屋で、女子三人がいる中で、男一人が宿泊するというのは、どうにもためらわれる感じがする。藍がいるとはいえ、それでも、なんか疎外感はある。
「……涼、一緒にいて」
僕が半ば、今すぐ帰宅する方に心を決めかねていると、無言で僕を見つめていた藍がそっと僕に近寄ってきて、僕のシャツの胸元の辺りを掴んでそうつぶやいた。
藍の指先の温度が薄い布地を通して肌に伝わる。
そんな藍のいじらしい態度に、僕は心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。
帰宅に赴きかけた天秤の針が、一瞬にして逆方向に振り切ったのを自覚した。
「……やっぱ、泊まる」
顔を上げて、百日の方を向いてそう言う。
彼女は僕と藍を見比べるようにして視線を動かしていたが、やがてじんわりと顔に苦笑を広げながら、
「ま、わかったよ」
と肩をすくめてみせた。
栗原はとても難しい顔をしていた。
それから、僕は百日のマンションから少し遠い位置にある服屋に、百日の自転車を借りて赴き、肌着と適当なTシャツとジャージを購入した後に、再び、彼女のマンションまで戻って来た。予定外の出費だが、さすがにこれに関しては百日にたかるわけにもいかない。
僕が往復四十分ほどかけて百日のマンションまで戻ってくると、女性陣三人によって、夕食の買い出しはすでに済まされていて、その準備すらもほとんど終わりかけていた。
献立はカレーライス。切って炒めて煮込むだけの単純作業。煮込むのに少し時間がかかるかもしれないが、手間はそんなでもなく、適当に作るには非常に楽な料理。
僕が戻ったときには、すでに具材は鍋の中にすべて放り込まれており、残りは火が通るのを待つだけの状態となっていた。
室内に満ちるカレーの匂いに、先ほどまでお菓子を食べていたにも関わらず、胃袋を刺激され、お腹がぐうと鳴った。あるいは自転車でひとっ走りしてきたことも影響しているかもしれない。
煮込み終わるのを待つ間、少しの時間の空白ができる。百日は洗濯物を片付けると言って、脱衣所に行った。栗原は飲み物を買ってくると言って外に出て行った。
僕と藍は特にすることがあるわけでもなかったので、だだっ広いリビングのソファに二人並んで腰かけ、外を眺める。
夕焼けはすでに夜の色に塗りつぶされ、外は秋の訪れを感じさせる静けさに包まれている。雲一つない単一の群青色に染まる空にぽつんと一つ、半月の光が浮かんでいた。
「涼、ごめんね。わたしのわがままで、引き留めちゃって」
月の色などを眺めてぼんやりとしていると、隣の藍から少し申し訳なさそうな声がかけられる。
僕は目線を藍にやり、それから手を伸ばして彼女の頭を撫でた。指先にさらさらとした彼女の髪が流れる。手で少し梳くと、何の抵抗もなくそれは流れる。
「逆に僕はありがとうって言いたいね。ああいう風に時々藍がわがままを言ってくれるから、僕は藍に少しでも恩を返せている気になれるんだから」
頭を撫でられて、くすぐったそうに目を細めていた藍が、ふふっと小さな笑い声を上げた。
「恩なんてそんなの何もないのに。涼は律儀なんだね」
彼女がそれから、十センチほど空いていた僕との距離をぴたりとゼロ距離まで詰めてきて、しなだれかかるように身を寄せてくる。体の半身に体温の淡い熱を感じた。
「律儀? 僕が? 藍がそうだっていうのならわかるけど、僕にはもっとも縁遠い言葉だと思うよ、それは」
「そうかな? わたしは涼はけっこう、律儀だと思うけど」
「例えば?」
「……そう言われるとすぐには出てこないけど……。そうだなあ……、昨日のこともそうかな」
「昨日って……」
僕はふと、昨日の夕方に彼女との間にあったことを思い出して、今こうして密着していることもあり、少し恥ずかしく感じてしまう。
僕のそんな態度に彼女も気づいたのか、慌てるように早口で言った。
「き、昨日って言ってもその……、そ、そういうことじゃなくて……、いや、そういうことなんだけど、それ自体じゃなくてその……」
「……今、思い出してみると、昨日の藍、ものすごく積極的だったなぁ……」
「っ――~~~。だ、だからっ、思い出しちゃ、だめっ! 今、そういう話してないの!」
「普段の落ち着いた藍からは考えられないくらい、求めてきて……」
「そ、それ以上言わないで! わたしだって、わかってるからっ! その……、昨日のわたしは、とってもはしたなかったって、わかってるからっ!」
実際、昨日はなかなかに激しい夕方を過ごしたものだと家に帰ってしみじみと思ったものだ。
「……は、話を戻すけどっ!」
「う、うん」
「初めは涼はわたしに遠慮して、そういうことするのを控えようって思ってたよね? だから、そういうところが律儀だな、って思ったの! ……どうして、それだけのことを言うのに、こんな恥ずかしい思いをしなくちゃいけないの……」
そう言いつつ、藍がうなだれる。
僕はそんな彼女の頭をよしよしと撫でてあげた。
「大丈夫。えっちな藍も僕は好きだよ」
「そ、そういう問題じゃない!」
「じゃあ、どういう問題なの?」
「え……? え、えっと、その、だから、いつものわたしにないくらい……はしたない態度を取ってしまった……っていうのが……恥ずかしくて……」
改めて訊かれると口にするのも恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして消え入りそうな声でつぶやく藍。
「恥ずかしいだけなら、別に問題ないんじゃない?」
「そ、そうかも、だけどっ……でも、わ、わたしがいやなの! ……そういうことに興味津々な女の子なんて、いや……」
「いいと思うけどなぁ……、普段とのギャップありありで、実はムッツリな藍」
「む、ムッツリとか言わないでっ」
必死になって上目遣いでこちらを睨んでくる藍がかわいすぎて、僕は思わず、頬を緩めた。
「わ、笑わないでよぅ」
そう言われたところで、藍がかわいくて笑みが零れるという事実には変わりはない。
「……もう」
小声で小さく不満を述べて、そして、藍は諦めたようにため息をついた。
それから少しして、僕、藍、栗原、百日の四人で、食卓を囲む。買ってからほとんど使われてないことが窺える小綺麗なテーブルの上に、カレーライスの盛られた四人分の皿が並んでいる。
それぞれが手を合わせ、百日は食事の前のお祈りを済ませ、食事に手をつける。
「いただきます」
リビングには何インチなんだという疑問さえ覚える大きなテレビがあるが、電源はつけられていない。
テレビなどつける必要もないくらい、僕らの話は弾んだ。
藍と百日は旧知の仲。栗原と藍も性質的にはどちらも優しく気が合う。そして、栗原と百日もなんだか以前より仲を深めたようで、尽きる話題がないようにさえ見えた。
僕はまあ、三人ともとそれなりに話せることはある気がしたが、積極的に話を振るということはせず、相槌を適度に打ったり、気分次第で三人のうちの誰かをからかったりしながら、その会話に参加していた。
ゆっくりと会話を楽しみながら、食事を取り、それから後片付けをした。主に、食事を作る際に何もしなかった僕を中心として、藍が手伝ってくれ、食器を片付けた。
その後もしばらく、女性陣プラス僕という女子トークもどきで時間を過ごした後、時刻は八時を五分ほど越えた頃合いとなる。
時計を見た百日が振り返って、僕らを見渡した。
「お風呂はもう沸かしてあるけど……、誰から入る?」
窺うようにする百日に、僕は「まあ、ここは順当に男の僕は譲るよ」と言った。
「それじゃあ、部屋主のボクも遠慮するとして、藍ちゃんとるり、どっちが先?」
藍と栗原が顔を見合わせた。
「えっと、るりちゃん、お先にどうぞ」
「いやいやー、藍ちゃんこそお先にー」
謙虚な彼女たちだからか、お互いに譲り合う藍と栗原。
「……一緒に入ったら?」
「……え?」
「……え?」
さらりと言ってのけた百日に藍と栗原が同時に驚いた顔をした。
「普通より少しは広いお風呂だとは思うし、藍ちゃんは小柄だから、十分入れるとは思うよ」
百日が補足説明をする。
藍が栗原を見た。
栗原も藍を見た。
「えっと……」
「じゃ、じゃあ、一緒に入る? 藍ちゃん」
「う、うん……」
なぜかどこかぎこちない風な二人の態度だったが、それでも、話の流れはまとまったようだった。
「じゃあ、行こっか」
「うん」
栗原が言って、藍が頷き、二人は百日から着替えを貸してもらって、そのまま今までいた百日の部屋から出て行く。
僕はなんとなく百日の方を見た。
彼女の口元には薄く笑みが浮かんでいる。
「……何、企んでるんだ? お前」
その表情に思わず、そう口にしていた。
「企んでる? ううん、違うよ。そうじゃない」
百日は僕の言に大げさに首を振って否定してみせた。
「ただ、少しでもわだかまりがあるのなら、身も心も全部さらけ出して、ぶちまけちゃった方が後腐れがなくていいんじゃないかって、そう思っただけ」
何かをわかった上での百日の発言に、その何かがあまりつかみ切れていない僕は首を傾げるしかない。
「ま、相田は別に何も心配しなくてもいいさ。あの二人なら上手くやる」
そう半ば独り言のように言う百日に、僕の頭の上の疑問符はさらに大きさを増すだけだった。




