優しい女の子
栗原るりは優しくあろうとしているから、優しくなっている。
わたしはたまに誰かに優しいと言われることがある。
栗原さんっていい人だよね、るりは優しい、栗原は優しい。
けれど、その実、わたしは全然まったく、心から優しい人間じゃない。
わたしは聖人君子じゃないし、どころか、たぶん、とても嫉妬深い人間だ。
割り切りたいと心から思っているはずのことさえもすぐには割り切れなくて、大事に思っているはずの友達にさえ割り切れない思いからの嫉妬をする。
それが普通だと思う。だから、わたしは優しくない。優しくなくて、普通なだけ。
もしわたしが誰かにとって優しい人間に見えているのだとしたら、それはわたしが望んでそうなっているだけのこと。優しくなりたくて、優しくなっているだけのこと。わたしは根っからの善人なんかじゃない。
人に優しくありたいと思うだけ。人に優しくありたい人でありたいと思うだけ。
だって、わたしが人に優しくして、その人の気持ちを少しでも上向けられるのなら、それはとても素晴らしいことだから。わたしの毎日の態度一つで誰かをほんのちょっとでも幸せにできるのなら、それはわたしにとってうれしいことだから。
だから、そうしているだけ。
そうしているだけ、なんだけれど……。
「……相田も、藍ちゃんも、やっぱりどこか抜けてるよね。人の心の機微が本質的にはわからない、というか。目の前に提示された情報だけをうのみにして、それですべてを判断するというか……」
わたしが何となくソファに座って、外の景色などを眺めていると、相田君と藍ちゃんを外まで送って来た百日さん、改めダリアが、わたしの表情を推し量るようにそう言った。
わたしはダリアのその言い方に彼女なりの気遣いを感じて、そして、それに気づかないふりをする。
「そうだね。あの二人は少し、そういうところ、あるよね。ダリアのこと、あんな風に……」
「そうじゃない」
「……え?」
「ボクのことじゃなくて……だから、君のこと」
「わたし?」
素知らぬふりをして、それでダリアが同調してくれればよかったんだろうけど、相田君に似ているという彼女は、どうやらその点においても、彼に似た性格を持っているみたいだった。
人のもっとも触れられたくなくて、けれど、その実、本当は慰めてほしいと思っていることに平然とした顔をして踏み込んでくるところなどは特に。
「……正直、むかついたでしょ? 他でもない君に見せつけるようにして、君の目の前であんな風に二人でイチャついて見せるあいつらに」
「……」
ダリアはわたしのことを見透かすようなまなざしをして、それから、何のためらいもなく、わたしの隣に腰を下ろした。
彼女の付けているらしい、少し甘ったるいくらいの香水の匂いが鼻腔をくすぐった。
「あの二人にはね、確かにボクが返せる恩なんてないのかもしれない。どこででも二人の世界に入っていて、ボクみたいなお邪魔虫に彼らの幸せに供与する余地などないのかもしれない。けれど、君にはそうじゃない。ボクみたいな薄汚れた人間でも、君には恩を返すことはできる気がする」
「……ダリアは……」
「……ん?」
「ダリアはわたしのこと、どういう人間だって思う?」
優しいと人はわたしのことを評する。栗原るりは優しい人間であると。
けれど、その反面、それがどういうことかを本当に理解しているのだろうかと、疑問に思うことがある。
人に『優しい』ということが、どういうことなのか、本当にそれを知っているのかって。
誰かに優しくするのはその分だけ、自分の気持ちを分け与える行為なんだって。自分を切り崩し続ける行為なんだって。時には誰かの幸せのために、自分の幸せを犠牲にする行為でもあるんだって。
誰かに優しくすることをわたしは望んでやっているけれど、時々擦り切れそうになることがある。苦しくて、つらくて、息ができなくなりそうになることがある。
優しさを与え続けることは、自分を与え続けることだ。それに疑問を覚えていたら、優しくあることを幸せに感じることはできない。
だから、そんな風に優しくあり続けることができなくなるわたしは、やっぱり心から優しい人間じゃないのだろうけど。
わたしはダリアに訊いてみたかった。
果たして、彼女のような一風変わった個性をしている人には、わたしはどう見えるのかと。
「正直、偽善者なんじゃないかって最初は思ったけど……」
「……」
「でも、すぐにそうじゃないのかなって思いもしたよ」
「それは、どうして?」
「だって、偽善って偽物だから。偽物の善って、腹の中が黒いのに、外面だけ取り繕おうとすることでしょ。でも、君の腹の中は黒くない。腹の中は黒くなくて、むしろ白いとさえボクには思えるくらいなのに、君はもっと白くなろうとさえしてるんだもん。それは偽善者じゃない」
「じゃあ、なに?」
「それは、だから、普通にがんばる人間、なんじゃないかなあ」
「……っ」
「く……るりは、ボクのこと、普通の女の子だって、言ってくれたでしょう?あれ、実はものすごくうれしかった……。ボクみたいな浮きまくりの人間には普通がとっても心地いい。人と違い続けるのはやっぱりとてもつらいことだから。だから、そう言ってくれた君がボクはとてもうれしかった」
「……そう、なんだ……」
「うん。ボクは素直じゃないからね? こんな風に素の気持ちを出すのは今だけ特別だよ? だから、今だけ特別に言うんだけど……。本当はボク、君みたいな人、大好きなの」
「わたしみたいな人?」
「うん。心で泣いていても、なのに、誰かの幸せのためにがんばる人。ボクもそうなりたいって思ったことがないわけではないから」
「っ――」
「あ、泣きそう? なら、泣いちゃっていいよ。君みたいなかわいい女の子の泣き顔とか、そうそう見れるもんじゃないし、ちょっと見たい」
「……ダリア、わたしのこと、慰めてるの? それとも、からかってるの?」
「どっちだと思う?」
「……ふふっ。そんなおかしなことばかり言うから、涙、引っ込んじゃったよ」
「あははっ。じゃあ、とてももったいないことをしたのかなあ」
そう言って、ダリアは笑った。
慰めているのか、ふざけているのか、よくわからないところもある彼女だったけど、それでも、不思議と少し気持ちが軽くなった気がした。
やっぱり、ダリアは煙に巻いたり、人をごまかしたりするのが得意ということなのかもしれない。
わたしの気持ちも狐につままれたように、どこかにうっすらと消えていった気がするから。
それから、少しわたしは泣いた。
悲しいから泣いたんじゃない。
彼女みたいに、わたしのことをわかってくれる人がいることがうれしくて、泣いちゃった。
ダリアはそっとわたしに身を寄せて、抱きしめてくれた。
その肌の白さが目に少し眩しかった。
相田君と藍ちゃんは、三十分ほどして帰って来た。
二人仲睦まじく、幸せそうに手をつないで。
わたしはそれを見て、まだ少し何かを思うところがないわけではなかったけど、少なくとも、それを表に出すことはしない。
優しいるりちゃんは、どこまでも優しくなくてはいけないのです。
だから、友達に嫉妬することなんて、ありません。
玄関に二人を出迎えたわたしに、二人が「ただいま」と言った。
わたしは「おかえり」を返す。
そんなわたしの後ろから近づいてきたのであろうダリアが、急にぴとっとわたしの背中に身を寄せてきた。
そして、そのままなぜか、脇のところにあったシャツの隙間から両手を中に差し込んでくる。
「な、なに?だ、ダリア?」
鷲掴みにされるようにして、彼女に胸を揉まれる。
「……胸を締め付けられるような気持ち、かなって」
「……はあ」
わたしの耳元で呆れるようなことを言って見せる彼女に思わず、ため息をつく。
正面で相田君と藍ちゃんが一様に驚いた顔をしていた。
それはそうだろう。彼女の行動は明らかに意味が分からないもの。
それから、わたしは優しく、ダリアの手を解いて、彼女に向き直る。
「こら、だめでしょ」
こつんと、ダリアの額を小突いた。
「てへ」
おどけるように、ダリアが言って、わたしにウィンクしてくる。
わたしは、百日ダリアという人間が、とっても、とっても、大好きになった。




