報告
九月十三日。土曜日。
昨日の藍の誕生日に散々ばら新婚さんごっこに興じた僕と藍は、現在時刻午後二時に、とあるマンションの前に二人並んで立っていた。
今日集まる面子としては、もう一人、栗原がおり、その待ち合わせ時刻は二時に設定されていた。しかし、彼女からはまだ少し到着に時間がかかるとの連絡があり、僕と藍はその待ち合わせ場所であるところのマンションの前で、手持ちぶさたにしていた。
「……実際のところ、どうなったんだろうな。あの二人」
「どうなったんだろうね。上手く行っているといいんだけど……」
僕が何とはなしに口にして、藍がそれに同調する。
今日やって来たマンションというのはほかでもない、百日ダリアの引っ越してきたマンションであり、現在彼女が居を構えているマンションでもある。
昨日、斎藤との関係に答えを出すという旨を藍に伝えていたらしい彼女が、その結果の報告を僕ら、つまりは藍と僕と栗原の三人にしておきたいということで、僕たちは彼女の住まうマンションへと招かれたのだ。
「ももちゃん、とっても強情なところもあるし、素直に斎藤君に気持ちを伝えられていればいいんだけど……」
「斎藤もあれで、大分意固地になるところがあるからな。もっと、素直に物事を考えればいいとは思うんだが」
「「う~ん」」
藍と二人で首を傾げて唸り声を上げる。
僕も彼女も、自分らの友達とそれぞれにとっての因縁深き相手がどんな関係に落ち着いたのかが気になって仕方がない。
呼び出されたのは端的なメッセージで、『明日、あいつとのこと報告するからうちに来て』というだけのものでしかなかったので、その報告の内容については一切想像できない。添付されていたグーグルマップに従って彼女の家にまでやってきて、首を傾げるしかない現状だ。
まあ、それも栗原がやってきて、百日に家に上げてもらうまでの短い煩悶なのだが、それでも、気になるものは気になる。
「……どんな結果になっていても、ももちゃんには優しく、ね?」
藍が見上げるように僕を見て言った。それに頷きを返す。
「わかってるよ。あいつは表の態度とは裏腹に、心の中では大分深い傷を負っていたりする性質の人間みたいだからな。さすがの僕もそれは理解できているし、今更あいつに優しくすることに否やはない」
「……あんまり優しくしすぎて、ももちゃんを口説いちゃったらだめだよ?」
「しないよ! どうして、僕がそんなことをしないといけないんだよ!」
「だって、ももちゃんと涼は似ているところがあるでしょう? 似た者同士通じ合っちゃうところがあるのかなって?」
「いくら何でもそれはない。第一、どちらかと言うと、似た者同士通じ合うというよりかは同族嫌悪する方が多いと思うよ。僕みたいな人間は。百日だって、最初は僕にどうしようもなく辛辣だったからな」
「それなら、いいんだけど……」
どこか納得しきれていないような口ぶりで、彼女は呟いた。
やれやれ。藍にとって、僕と百日というのはどういう風な人間に見えているのだろうか。
僕がどんなにお人好しだったとしても、藍との仲を引き裂こうとした相手を口説こうだなんて思うはずがない。
仲良くなるのはそれはけっこうだと思うけれど、そういう対象としては百日を見ることはもうできないだろう。彼女はなんというか、僕に似てはいるけれど、僕の数段、偏るべきところを異常に偏らせてしまっているところがあって、その極まりっぷりが自分と似ているからこそ、受け入れられないところがあるのだ。
有体に言って、あの狂ったような笑い方だけは、どうにも許容できない。あれは嫌いだ。
とはいえ、それでも、それを度外視すれば、彼女の本質はそれなりにかわいい女の子なんだと認識している僕もいるのだけど。
藍とそんな話をしながら、栗原の到着を待つ。
彼女がやってきたの午後二時十分。待ち合わせ時刻から約十分の遅刻だった。
「遅いぞー。栗原」
「ご、ごめんごめん。ちょっと電車の時刻を勘違いしちゃってて」
だぼっとしたゆるめのTシャツにデニムショートパンツという出で立ちの彼女は、息を切らせながら僕らの下まで小走りでやってきた。ショートパンツから覗く生白い脚がそれに一際目を引く。
「……藍ちゃんも、ごめんね。遅くなっちゃって」
「うん。いいよ。そんなに待ってないし」
「そう言えば、藍ちゃんの私服を見るのって初めてかも……。かわいいね」
「ありがと、るりちゃん」
今日の藍はスカート地にボーダー柄の入ったフレアワンピースを身に着け、頭には麦わら帽子を被っている。夏は少し盛りを過ぎたとはいえ、九月中旬は僕らの住んでいる地域では、未だに暑さの残る時分だ。夏めいたファッションをしていても、まるで違和感がない。
「それじゃあ、行こっか」
栗原が言って、マンションに向かう。僕と藍もその背中に続いた。
玄関で百日の部屋番号から彼女を呼び出し、開けてもらう。
それからエレベーターに乗って、彼女の部屋だという303号室の前までやってきた。
扉に背を預けてこちらを見据えている百日がそこにはいて、僕らを見つけると軽く手を振ってきた。
隣の藍が手を振り返す。
僕は何とはなしに百日の全身を視界に収めて、そして、思わず二度見をしてしまった。
長い金髪をサイドに髪紐で一つに束ねるようにしている彼女は、太ももの中程までを覆うゆるめのシャツに身を包んでおり、その長すぎる裾がゆえに、下に何を穿いているのかが見えないのだ。一見して、何も穿いていないんじゃないかとさえ思わせられる。
いくらマンションの中とはいえ、そんな刺激的な恰好をしているのはまずいんじゃないかと思いつつも、目は風でひらひらとする彼女のシャツの裾へと吸い寄せられている。
そして、その僕の視線に気づいたように、口元に薄い笑みを浮かべた百日がTシャツの裾を大胆にもめくりあげて見せた。ハーフとしてのポテンシャルを遺憾なく発揮した白磁の肌が隠すものなく露わになり、彼女の足下からおへそまでが外気に晒される。
幸いにして、というか、さすがに彼女でも、その下に何も穿いていないなんてことはなかった。というか、それなら裾をめくりあげるなんてするはずがなかった。
しかし、かといって、防御力十全の出で立ちをしていたかと言えばそうではなく、シャツの下には一応黒のショートパンツを身に着けていたものの、その丈は短すぎるほどで、それは下着と言っても差し支えないくらいの長さであり、見ようによってはブルマみたいに見えないこともない。
そんな刺激的な恰好をしてシャツをめくりあげるようにしている百日の肌を、食い入るように見てしまっていた後で、隣にいる藍の視線に気づいた。
鋭い眼光の彼女と目線が合う。頬を暑さではない理由による汗が伝った。
「……涼?」
「な、何かな? 藍」
「さっきわたしが言ったこと、覚えてる?」
「も、もちろんだとも」
「なら、わかるよね」
「は、はい。ごめんなさい」
僕は身を縮こまらせて、彼女に謝罪の気持ちを告げた。
百日はそういう対象じゃないみたいなことを言っておきながら、この体たらくである。自分の一貫性のなさに笑えてくる。
栗原もまた、そんな僕を見て冷ややかな目をしていた。
「あはっ」
耳につく笑い声がして、目線を前に向けると、百日が心底楽しそうに笑っている。
ただそれは今まで何度となく聞いた狂気の笑いということではなく、ただ純粋に楽しいから笑っているというような普通の女の子っぽい笑い方だった。
「いやー、ここまで思惑通りの反応が返ってくると、いっそ清々しい気分にもなるよね。相田が藍ちゃんにいじめられてるの見ると、ボクまで楽しくなっちゃう。わざわざこんなマニアックな恰好をしてみせたかいもあるっていうものだよね」
言って、百日がもう一度シャツの裾をまくって見せた。
僕は今度ばかりは、と目を向けないように視線を逸らすが、逸らした先でまたしても藍とまともに目が合って、ややばつが悪くなる。目を逸らすということは逆に逸らさなければならない理由があるということであり、後ろめたいことがあるという意味の行動にもなりえるのだ。
「あはっ」
それを見た百日がもう一度笑って、それからよりかかっていた部屋の扉を開ける。
「あー、満足した。さ、入って入って」
言って、彼女が室内に入っていく。
今日の百日はやけにテンションが高い気がするなー。
などと現実逃避気味にそんなことを考えながら、僕も彼女の後に従った。その後ろに剣呑な気配を宿した藍と、そして栗原も続いた。
先導する彼女に従って広いリビングに通される。
真ん中に四人掛けのテーブルがあって、開けたキッチンと対面している。僕ら三人は、僕の隣に藍、藍の前に栗原の順でそのテーブルにつく。
少し離れたところに三人掛けほどのソファが置いてあり、その目の前には大きな窓があって、街の景色が見下ろせるようになっていた。
なんというか、とても一人暮らしの高校生が過ごす空間には思えない。
はっきり言って、今斜め前にいる栗原のアパートの全部屋を合わせても、このリビングの面積には及ばないと思う。
どうやら百日の家はそれなりに裕福だということらしい。
しかし、内装自体には華美さはなく、家具もほとんど置かれていない。ソファやテーブルを除けば、せいぜい、どでかいテレビが一つあるくらいだ。
「……引っ越して間もないから、そんなに見るものもないと思うけどね」
リビングにつながるキッチンの方から、四人分のアイスコーヒーを入れてきた百日がそれをテーブルに置きながら、口を開く。
「広すぎて、寒々しいでしょう?ボクの父はどうやらこれで娘によくしてやっているつもりらしいよ。確かに部屋自体は良いものだとは思うけど、一人で暮らすにはあまりにも広すぎて、ちょっと寂しさが勝つんだよね」
「寂しがり屋のももちゃんには、持て余す代物だっていうことか」
僕がそう言うと、百日はあからさまにむっとした顔をした。
「もうそれについては否定はしないけど、せめてももちゃんはやめてくれない?」
「じゃあ、何て呼べばいいんだよ」
「普通に百日でいいでしょう? ボクも相田って呼び捨てにしてるし」
「からかいがいのない呼び名だな」
「呼び名にからかいがいを求めるなっての」
言って、彼女は手元のアイスコーヒーに口をつけた。
「……それで、そろそろ本題に入ってもいい?」
改めて、僕ら三人を見渡した彼女が、場を区切るようにそう口にする。
僕らは無言でそれに頷いた。
「じゃあ、まあ、簡潔に結論だけ言わせてもらうけど」
百日はそう前置きして、それから言った。
「見事に振ってやったよ……」
「……」「……」「……」
何とも言い難い沈黙が場に満ち、僕が矢継ぎ早に慰めの言葉を口にしようとしたところで、ふと思い至る。
今、振って”やった”って言った?
「ちょっと待て。百日。お前、まさか……」
「あ、あははっ」
「いや、あははっ、じゃなくてだな」
額に一筋の汗が浮かんだ風な表情の彼女は、あからさまに何かをごまかそうとしている。
そんな彼女を見とがめて、藍がまっすぐに切り込んだ。
「もしかして、ももちゃん、自分から断っちゃったの……?」
「……うぐ」
図星を突かれたとしか言いようのない反応を百日は返した。
やっぱりかよ!
「お前……、ツンデレにもほどがあるだろ……!」
「う、うるさいんだよ! ぼ、ボクだって、素直になりたいさ。なりたいけど……その、だって……恥ずかしいんだもん」
「いや、今更かわいこぶってどうするんだよ。だもん、じゃないんだよ、だもん、じゃ」
うつむきがちに頬を染めたところで、今更誰がそんなお前をかわいいと思うというんだ。
「わ、わかってるんだよ、ボクだって……。けどさ……。とっさのことで……その……急には人は変われないっていうか……」
妙に焦った態度で言い訳を始める百日に、僕も栗原も、藍でさえも、深く深くため息をついた。
アイスコーヒーを飲み干して人心地つく。
「それで……、どういう流れになったんだよ、まずそこから話を始めよう」
仕切りなおすようにそう言う。まず、どういう過程を経て、百日が斎藤を”振ってやった”に至ったのかを知る必要がある。話はそこからだ。
「え、えっと……、最初はその、ゲームセンターに行ったんだけど……」
また、最初ゲーセンだったのか。
「二人で音ゲーを始めて……」
音ゲー……。
「あいつに点数が負けちゃったのが悔しくて、何度も何度もプレイして……」
いや、何でそこで張り合おうとするんだ……。
「結局、最後まで勝てなくて……、ボクが不機嫌になっちゃって……、あいつもなんかつまらなさそうで……」
……音ゲーで勝てないくらいで、そんな雰囲気悪くなる……?
「次はカラオケに行ったんだけど……、そもそもボク、日本の歌とかほとんど知らなくて、歌えるものもなくて……」
いや、何でそれでカラオケに行ったんだよ……。
「あいつがずっと歌ってたんだけど……、ボクにも歌えって言ってきて……」
……斎藤、ずっと一人で歌ってたのか、不憫だな……。
「それで、何か歌えるものはないか、って考えたんだけど……、思いついたのが童謡くらいしかなくて」
カラオケで……童謡……って、どうよう。
……。
「あいつの反応も微妙で……ボクが歌ってる間、ずっと仏頂面してるしで、頭が真っ白になっちゃって……」
仏頂面……ねえ……。
「それで、そのままカラオケを飛び出してきちゃったんだけど……」
ええ……。
「追いかけてきたあいつに……、その……『もういいから、わかったから』って言われて……」
ほう……?
「それでその、『……何が?』って返したら、『……俺でいいなら、付き合うよ』って……」
きゃあー、と斜向かいで栗原が黄色い声を上げたが、無視。
「ボク、混乱しちゃって……あんなに雰囲気悪かったのに、なんで……って。それでその……勢い任せに、『そんなのこっちから願い下げだ』って言って、走って逃げちゃって……」
……。
「……それで今に至ります、はい」
話し終えた百日は、僕らの反応を窺うようにしばらくの間目を泳がせていたが、やがて逃げるように飲み干したアイスコーヒーをもう一度注ぎ直しに行った。
僕ら三人は残されて、顔を見合わせて絶句している。
テーブルに戻って来た百日が再度席に着き、それから三十秒ほどが経過した後、僕は三人を代表する形で、息を吸い、口を開いた。
「台無しだよっ!!!」
「ご、ごめんなさ~い」
頭を両手で抑えるようにした百日が、叱られるのを怯える子供のように震えた声で言った。
「あれだけいろいろと僕らが気を回し、いろいろと頑張った結果、お前は斎藤を振った、とそう言うんだな」
「そう、です……」
口にする百日は心底申し訳なさそうだ。
「お前がそういう人間だっていうのはわかっていたつもりだけど……、そんな大事な場面でそんなことやらかすか、普通?」
「だ、だから、ごめんって謝ってるでしょ!」
「謝って済む問題かよ!」
「ご、ごめん」
声を荒げると、彼女はしゅんとしてうつむいた。
いくら彼女であっても、この状況に悪びれないわけにはいかないらしく、罪悪感を感じている様子がありありと感じ取れる。
しかし、それにしても、である。
「……その後、斎藤君には何かフォローをしたりとかは……?」
栗原がそう問うても、百日は黙って首を振るのみだった。
それにしても、百日ダリア、へたれすぎる。
僕が言えたことじゃないのかもしれないけど。
「と、とりあえず、斎藤君が今どんな状態なのかをたしかめないと、しょ、しょうがないよね?」
場が沈降したのを察してか、藍がことさらにトーンを上げて言う。
「そうだな。それがわからないことには、何をどうしようもない」
「そうだね。まずはそこからだ」
僕と栗原がそれに賛同して、
「ほ、ほんとうにごめんなさい……」
百日がもう一度頭を下げた。
「まあ、いいさ。どの道一筋縄じゃいかない奴だとは思ってたよ。お前は」
「……うにゅう」
反論のしようもないのか、百日はうめき声のような妙な声を漏らして、意気消沈した。
「とりあえず、僕が今、斎藤の奴に電話してみるよ」
「うん」
「おねがい」
「……おねがい、します」
三者三様の反応が返ってきて、僕はスマホを取り出し、斎藤努の連絡先を表示した。
あ、着信拒否してあったの忘れてた。
全力でイチャイチャを展開するとは言いましたけれど、話の流れ的に結局こうなってしまいました。




