百日ダリアとは
斎藤が百日の被害者で居続ける、もとい、彼らが男女の関係を持つということで事態が一応収束をみたわけだが、その上でも、まだ解決していない問題が一つ、存在する。
そう。百日の手紙を黒板に晒したのが誰か、という問題だ。
朝はあの後、すぐに予鈴が鳴り、込み入った話を続けることもできなかった僕らだが、昼休みには話し合いを持つことができた。
ただ、朝からこっち、あんな事態が起こったこともあって、その被害者である百日にはクラスメイトからの好奇の視線が終始向けられて続けていた。
彼女の心中を推し量れば、似たような経験もある僕には、少々いたたまれないものがあったのだが、その様子を見る限りでは、なぜか本人はそれについてはあまり気にしていないようだった。
大いに首を傾げることしきりな百日の態度だったが、当人が気にしていないなら僕も気にする必要もないかと思い、特に何か行動を起こすことはしなかった。
昼休みに各自の弁当を持ち寄り、数日前と同じく、再びの凸型陣形が組まれる。
百日も栗原も藍も自身で作った弁当を持参している。
僕だけは藍に作ってきてもらっていた。しあわせ。
なお、今回の件の功労賞的なポジションの斎藤の奴は、「少し俺に心を落ち着ける時間をくれ……」ということでその昼食会には参加していない。
何はなくともはぶられるし、何かあっても自分からはぶられに行く。
それが奴の僕ら五人の中における立ち位置だった。
「それで、百日には心当たりが何かないのか?」
自分の気持ちをクラス中に晒されて傷心中であるはずの彼女であるので、僕はすぐに犯人が誰かという話題について、切り出していいものかどうか非常に迷ったのだが、なぜか百日の奴はさして気にした風でもなく笑顔で卵焼きを突っついていたので、そんな配慮は要らないのかと思い、僕はそう尋ねた。
「ああ、あれ。あれはさ。まあ、心当たりがあるかと言えば、あるにはあるんだけど……。言っちゃってもいいかな? 藍ちゃん」
そして、そこでどうしてか百日は藍に確認を取る。
藍も藍で、まるでそれを予期していたかのように頷いて、
「斎藤君もいないし、いいんじゃないかな?」
と言った。
「……?」「……どういうこと?」
置いてきぼりにされている僕と栗原は、二人で首を傾げるしかない。
そんな僕らの様子を見た百日がおかしそうに笑みを深めた。
「ああ、ごめんごめん。あれをやった犯人が誰なのか、って話ね。今日のあの件があった朝の後さ。傷心したボクを藍ちゃんが追いかけてきてくれたわけなんだけど……。そのときにすっかり嘘がバレちゃってたみたいでさ。藍ちゃんには先に事情を説明していたんだよね」
「事情って……何の?」
それでも状況の完全理解には至らず、頭にさらなる疑問符を浮かべた栗原が訊く。
「あー、そっか、ええとね……。うーん、まあ、何と言えばいいのかというか、わかりやすく、簡潔に、簡素に、普通に、何の思わせぶりもなく、言うとね」
もうこの時点で十分思わせぶりだという意見は飲み込んで、彼女の言葉に耳を傾ける。
百日ダリアは平然とした笑顔で、こう言った。
「――あれやったのボクだよ」
……。
…………?
…………――ん?
一瞬言葉が頭に入ってこず、栗原と二人で傾げた頭同士がぶつかりそうになり、そこでようやく何を言われたのかを把握する。
「「はあ!!???」」
見事に栗原と声がそろった。
あれをやったのはボク……ってそれってつまり……?
「……え? 何? 黒板にびっしり書き連ねられた恋文も、張られた手紙も、何もかも全部、お前の自作自演だったってこと?」
「そうだよ」
あっけらかんとして彼女はそう言った。彼女の言い方には一切悪びれるところがなく、一切口にすることをためらうところがない。
さすがは百日ダリアだ、ということなのだろうか。
僕はそれに二の句が継げなかった。
「いやあ、斎藤の奴は君らよりもいつも早く学校に来ているからさ。余計な邪魔も入ることなく、一番にあれを見せられるかもしれないとは思ったんだけど、今日は藍ちゃんが先だったからね。あれは肝が冷えたよ。藍ちゃんたら優しいんだから、すぐにボクを慮って、あれを消そうとするんだもん。おかげで斎藤が間に合わないんじゃないかと冷や冷やしたよ。結果的にはなんとかなったみたいだけど」
言って、百日は手元の弁当箱からブロッコリーを取り出して、パクリと口にした。
その心底何でもないことを語っているような態度に、何かを思わないでもなかった僕だったが、それをぐっと飲み込んで、右隣でニコニコしている僕の彼女を向く。
「……藍は?」
「ん?」
「藍はどこで気づいたの?」
かわいらしく小首を傾げる彼女に、僕は若干うんざりした声音で尋ねる。
彼女は考えをまとめるように、手に持った箸を開いたり閉じたりしていたが、やがて、ちょっとだけ申し訳なさそうに口を開いた。
「……ももちゃんが斎藤君の顔を見て、泣いちゃったときあったでしょう?」
「それは今日じゃなくて?」
「そう。一昨日のこと。そのときにね。わたしももちゃんの態度が気になったっていう話をしたよね」
「したね。それが?」
「わたしね、あのときももちゃんが本気で泣いているようには見えなかったの」
「……っていうのはつまり」
「嘘泣き、なのかなあって……」
反射的に僕は百日を見る。
彼女は素知らぬ顔で自分で作ってきたという弁当に向かっていたが、すぐに思い出したようにこっちを向いて、
「……ぐすん」
と一筋涙を流して見せた。
「……お前、どこでも泣ける特技でもあったのかよ」
「ううん。こんなこともあるかもと思って、目薬を仕込んでおいただけ」
「……」
もはや閉口するしかない。思えば、初対面のときもこいつは女の涙を効果的に使うことを知っていた奴だったっけ。
「つまり、今日百日が泣いていたっていうその話も……」
「あ、ばれた? そうだよ。嘘泣きだよ?」
「はあ……」
「ただし、今日のも一昨日のも目薬じゃないよ。本当に悲しい心を作って、泣いて見せただけ」
当たり前のような顔をして、おかしなことを言っているな、この女は。
ていうか、結局それ、どこでも泣けるってことじゃないか。
「……もしかして、なんだけど……」
黙って話を聞いていた栗原がそこで、苦笑しながら口にする。
「一昨日、百日さんがすっごく素直な女の子みたいな態度を取っていたのも……」
「うん。そう。それも百パーセント演技……」
「半分は素だったんだよね?ももちゃん」
平然とした顔で百日が肯定しようとして、ひどく嬉しそうな顔をした藍に遮られる。
「あ、藍ちゃん!?」
「わたしね、人の嘘は大体わかるんだけど、あのときのももちゃんは半分演技で半分素だったとわたしは思うなあ」
「そ、そんなことない!あんなの、全部演技……」
「ええ~? 嘘ついちゃだめだよ。ももちゃん。ももちゃんはあのとき、自分で言っていることを自分で信じていなかったでしょう? でも、言っていることは本音だったんだよね? 涼と同じように」
「……っ」
赤い顔をした百日が首を縮める仕草をする。
彼女ももはや藍には勝てないらしい。
僕の彼女は百日さえ手玉に取り始めたか。けっこうなことだ。
「……でもさ、何で手紙を晒すだなんて、過激な手段に出たんだよ。そんなことしなくても、普通に手紙を渡すだけじゃだめだったのか?」
「……だって、ほしくなっちゃったんだもん」
弱り切った百日にそんな疑問を連ねると、彼女はごく少量の音声でそうつぶやく。
「ほしくなった、って何が?」
「あのくだらない男」
「……ああ」
あそこまで啖呵切って、熱弁して、あまつさえ意思に反して付き合わされそうになっている斎藤が、それでもくだらない男とか言われ続けることに同情を禁じざるを得ない。
あいつどこまで不憫なんだろう。
「……君らにいろいろ言われて、ちょっと考えて、それで、もらえるもんならもらっとこうかと」
「いや、駅前で配ってるティッシュかなんかかよ」
「……とにかく、ほしくなって……だから、あいつにとって一番琴線に触れるだろう、手紙の回し読み、に近いことをやったって、それだけだよ」
言い訳するような口調になって、百日が言う。
僕はそんな彼女をかわいらしいとも思いつつ、やはり百日ダリアは百日ダリアだと思わざるを得ない。
普通の人間はたとえ恋心を成就させるという目的があったとしても、自分のラブレターをクラスメイトに晒しあげるという方法は選ばない。それが想い人の琴線に触れるような手段だったとしても、それでも、そんな恥を、クラスというある意味公共の場でかくことを自ら選びはしないだろう。
それを百日は誰に相談するでもなく、自分で思いつき、自分で考え、自分で実行した。
昨日、百日の中で狂気と純情がどのように同居しているのかと、疑問を持った僕ではあったが、その答えを行動によって示された気分だ。
つまりはこの女は、そのどちらも持っているのだ。平然と、澄ました顔で、普通人が矛盾の下に切り捨てるであろう気持ちを両方とも矛盾を抱えたまま内包している。
それがどれだけ意味不明さに満ちていて、理解不能に満ちているか、僕からは想像もできない。
それでも、彼女の中でそれが確かな意味を持ってまとまっているのなら、僕に言えることなど何もないのだろうと思う。
「じゃあ、いきなりベランダから飛び出そうとしたのは……?」
もはや答えが返ってくるのが怖い感じもしたが、訊かずにはおられないということでさらに問い尋ねる。
「それはまあ、どう転んでもいいかなって」
「……どういうことだよ」
「ああ。誤解しないでね。別に死んでもいいとか思ってたわけじゃないから。さすがにそこまでボクは身を捨てる気なかったよ。あんな男のために」
一瞬自殺してもかまわないとか思っていたのかと声に不穏さが混じりそうになる僕に、百日が悪びれるでもなくそう言う。
しかし、幾度として、あんな男などと言い続ける百日は果たして本当に斎藤のことが好きなんだろうか。
今更ながら心底疑問に思えてきた。
「ただね。ほら、飛び降りる気がなくても、ね?今日の朝みたいにああいう風に誰かが止めてくれるのなら、上手くそれを利用もできるし、斎藤本人が止めてくれたのはそれは最良だったけど。そうでもなくても、誰も止めなくてもね。飛び降りる寸前のところで、『……やっぱり、死ぬの怖いよぉ』とかって保護欲を誘う顔で言ってやれば斎藤もコロっと行くかなって……」
自分で問うた質問ながら、帰ってきた答えのなんとも言い難い感じに、上手く言葉が出てこない。
そんな僕を見るでもなく、百日は僕の左隣に座っている栗原を見て、目だけで笑って見せた。
「君にも、ボクくらいの狡猾さがあれば、こいつをもらえたかもしれないのにね」
その上で僕を指さし、さらにそんな火種を煽るようなことまで言ってのける。
百日はひどく嬉しそうに笑っていた。
自分は想いを成就したからと言って、ちょっと調子に乗っているのではないだろうか。
思う一方、それを受けた栗原は表面上はものすごい笑顔をしているけれど、心なしか額に怒りマークが浮かんでいるような表情で視線を鋭くする。
「……へえ~。百日さん、そんなこと言うんだ~。わたしの気持ちを知ってて、そんなこと言うんだ~。わたしたちを散々自分勝手に振り回したくせに、そんなこと言うんだ~。へえ~」
心なしか彼女の背中に黒いオーラが立ち上っている気がする。
「……じゃあさ。わたしも自分勝手に、これここで読んじゃおうかなぁ~」
言って、栗原が取り出したのは、A4用紙二枚分の手紙。
「そ、それ……」
百日が焦った顔で狼狽しているがもう遅かった。
流麗な栗原の声で手紙の内容が音読される。
「『斎藤努君。あなたのことがずっと好きでした。ずっとあなたのことを考えてきました。あなたのことを考えると、夜も眠れません。学校であなたの顔を見るたびに、胸が締め付けられる想いがしました。とても苦しいです。あなたがわたしのことを振り向いてくれないことがひどく苦しい。あんなに昔からあなたのことを想っているのに、なのに、あなたはわたしのことを見てくれない。いつも違う女の子を見て、幸せそうに笑っていました。わたしはその笑顔が好きでした。その笑顔をずっと見ていたいと思っていました。その笑顔がわたしのためだけに向いてくれていれば、そんなにうれしいことはないのに、と。でも、なぜなんでしょう。わたしの気持ちはあなたに伝わりません。こんなにも想っているのに、こんなにも愛しているのに、どうしてあなたはわたしを振り向いてくれないのでしょう。こんなに好きなのに。わたしはあなたのことが恋しくて恋しくてたまらない。あなたを見るだけでわたしの胸は高鳴って、あなたを見つめるだけでわたしの頬は紅潮します。ああ、あなたがわたしを――』」
「ああああああああああっ――!!」
尋常ならざる声で以って、栗原の音読は遮られる。
朝の斎藤の叫びに負けず劣らず、かなりの声上げたな。こいつ。
おかげでクラス内には、もはや若干こいつの奇行に慣れてしまって呆れかえっている感じの微妙な雰囲気が流れていた。
「ていうか、お前自分でそれ晒しておいて、そこまで恥ずかしがるか……?」
「それとこれとは話が別!! あんな風に黒板に気持ちを晒されたかわいそうな女の子を、誰も笑ったりしないでしょう! でも、これは――~~~っ! これは――~~~~~~~~ぅぅ!!! これは無理! 絶対無理! あああああ!」
「だから、叫ぶなって……お前のキャラは本当にどうなってるんだよ。素直に怖いわ」
「ももちゃんは感受性が豊かなんだよ」
フォローするようにニコニコ顔で言っている藍は、けれど、恥ずかしがる百日に同情する気持ちは一切ないようだった。すごく幸せそうに百日を見つめている。
……なんなんだろうな、この藍の、素で百日に当たりが強い感じ。
「……し、死にたい……。ほんとに朝、飛び降りとけばよかった……」
などとつぶやく百日の頭をよしよしと藍が撫でてあげていた。
そして、最後に甘やかす。ああ、そうか。これが飴と鞭か。
「……とりあえず、ももちゃん、るりちゃんにごめんなさいしよ?」
「……え、えー?」
「しなさい」
「は、はい」
なんだろうな、この上下関係。完全に親と子じゃないか。
そして、素直に百日は藍の言葉に従う。
「ご、ごめんなさい。栗原さん」
「うん。いいよ。許してあげる。ごめんね。わたしもちょっと大人げなかったかな」
大人げないってなんだろうな。高校一年生が同じく高校一年生に使う言葉なのだろうか。
なんだろう。百日が藍と栗原の二人に完全に子供扱いされている気がする。
「まあ、何はともあれ」
僕はそんな彼女らを見て、一つ、つぶやく。
「一応、これで一件落着、なのかな」
すべての問題は片付いた、とそう言えることだろう。
「……明日も忘れないでね」
小さく藍が僕に聞こえるか聞こえないかくらいの音量で言って、僕は今朝のばたばたで忘れかけていた明日の重大事を思い出した。
ああ、そうだ。明日は藍の、僕の彼女の、誕生日だった。
百日ダリア没セリフ集
「君は藍のため、と言ったそうだね。藍のために自分は行動し、藍がよければ自分もそれでいいと。ああ、まったく素晴らしい自己犠牲だ。献身的だね。神は敬虔なる子羊にそのような純粋なる愛情を望むだろう。君のそれは全く以って賞賛されるべきもので、きっと批判される類のものではないのだろう。ボクはそれを強く思うよ」
「でもね。人間関係においてそのような無垢さなど飾りだよ。それは誠実さではない。少なくとも、ボクの知る九々葉藍という人間にはそぐわない。君のそれはただ君という人間が思い描く理想を体現しただけに過ぎない。……はっきり言おうか? 相田涼」
「お前は藍にふさわしくない」
「恋人に何を求めるか、というのはとても個人差の大きい問題だろう。自分にないものを求めるのか、自分に対する共感を求めるのか、癒しを求めるのか、支えを求めるのか。ボクは君のことは知らないよ。今日昨日会ったばかりの君という人間のことをボクは何も知らない。これまで君が藍とどんな出会い方をして、どんな出来事を経験して、どんな感情を抱いたのか、それをボクは何も知らない。だから、これはまったくの推測で語るんであって、事実にそぐわない当てずっぽうだと前置きしておきたい。それで言うんだが……」
「君、ほんとに藍のこと好きなわけ?」
「どうだい? これぐらいでちょうどよかったかな?大好きな親友を助けたい九々葉藍にとってのかわいそうな百日ダリアは」
「誰かがボクを見るとき、その瞳に映っているのは、その誰かが望む百日ダリアの姿であらねばならない」
「……ボクはただ、藍だけに、幸せになってほしかっただけだよ」
「君は結局、大好きな男を完全に自分の物にし、都合のいい女友達を自分の下に置くことができ、そして幼馴染の親友の幸せに貢献することができた。ああ、君にとって素晴らしい結末じゃないか!」
「ボクは幸せだよ? 大好きな男と恋人になれて、ああ、幸せだとも」




