百日ダリアと斎藤努
「……す、好きになったのに、り、理由なんか、なくて……その……」
「いつの間にか、好きになっちゃってた?」
「そ、そうです……」
「へえー。百日さんって、意外と乙女なんだねー」
僕への処断が散々話し合われた後、ようやくまともに話をする気になった百日が藍と栗原と自身の気持ちについて語っている。
お昼は皆食べ終え、空になった弁当箱はすでに鞄の中に片付けられている。
話し込む準備は万全となっていた。
そして当然のように、女子三人に囲まれる中で僕は完全に置いてきぼりにされていた。
「でも、小学生のころの気持ちでしょ? 今でも好きなの?」
「そ、それはその……」
「ん?」
「転校してきた初日に、顔を見たら……その、……」
「また気持ちが再燃してきちゃった……?」
「は、はい」
「きゃー」
栗原が黄色い声を上げた。
楽しそうだな、お前は。
「えっと……、ももちゃんはそれで、斎藤君とどうなりたいか、っていうのはあるの?」
このままでは脱線するばかりで話がまとまらないとみたのだろう。藍が端的に百日の意思を確かめようとする。
「……わ、わからない……」
「そっか……」
自分の気持ちがわからないとする百日に、藍が息を吐くように返答した。
僕はそれらのやり取りに首を突っ込むことができない。
もはや今の百日は完全に恋する乙女と化していて、無関係な部外者の男の僕が割り込む隙などありはしないのだ。
おんなってこわい。
「……でも、その、彼に気持ちを知られたくはない……です……」
「……あー」
「……んー」
「……」
まあ、昨日の頑ななまでの頑なな様子を見れば、その気持ちは十分すぎるほどに理解できた。
百日の性質を考えても、斎藤に自分が好いているという事実を知られるのは我慢ならないものがあるのだろう。……単に恥ずかしいだけかもしれないが。
「それに」
「ん?」
「……ボクのこと、嫌いだと思うし……」
「あー」
そして、その主張も理解できる。
藍との葛藤に決着がついた今、斎藤が恨んでいる相手がいるとすれば、それは百日ダリアただ一人だろう。
実際、彼女のことを悪魔だなんだと罵っているわけだし。
「百日さんはそれでいいの?」
「え?」
「好きな人に好きだって気持ちを伝えないまま、それで終わって本当にいいの?」
「……」
栗原は言う。
気持ちがあるのなら、たとえその想いが達せられなくても、それを伝えようとしなくてもいいのか、と。
彼女だからこそ、そう言うのかもしれない。
それこそ、僕に言われたくないことかもしれないが。
「わたしはね。思うよ。たとえ叶わない願いでも、それを叶えようとしないで潰えるよりも、叶えようとして届かない方がよっぽどいいって」
届かないことに最初から諦めて何もしないよりかは、それでも届くことを夢見てがんばること、そうする方がいいのだと、そうする方が正しいのだと、彼女は言う。
「届かなかったときつらいし、苦しいけど、何もしないよりかはずっとまし。何のためにかって言ったら、それは自分のためだけど。自分のためだからこそ、そうしてがんばる、んだと思うよ」
これをほかの誰かが言うのならば、人の気も知らないで勝手なことを、という反論もできたかもしれない。しかし、彼女は栗原なのだ。
彼女は届かないことに諦めず、届くことを夢見て手を伸ばした栗原るりなのだ。
だから、彼女にはそう口にするだけの経験がある。
「……ボクは……」
百日の表情は困惑で占められ、未だ何をどうすべきか迷っていることが窺い知れた。
今まで積み重ねてきた自分をすぐに変えることも難しいのだろう。彼女の中では、自分のそうした人並みの想いというのは包み隠すべき代物なのかもしれない。
「……わたしはももちゃんに、笑っていてほしいよ。ももちゃんが望むようにもしてほしいと思う。昨日はわたしが少し逸ってしまったけれど、もう何も言わないから。だから、ももちゃんの望むようにして。……でも、ももちゃんが望んでも、ももちゃんが心から笑えないような選択はだめだからね。そのときはわたしがちゃんと止めるからね」
藍が百日に優しい微笑みを浮かべ、包み込む母性を感じさせる表情でそう言った。
百日がそれにやはり当惑する表情をする。
「……ボク……は」
もう一度言い淀むようにそう言って、けれど、狙いすましたかのように昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
統制のないざわざわとした校内の喧噪が、徐々に昼休みの終了に向けた慌ただしいものとなる。
しばらくして、そのざわめきがさらに大きさを増すとともに、ばたばたと騒がしく、教室の外に行っていた生徒たちがそれぞれクラスに戻ってくる。
その中には斎藤努の姿もあった。
「……今はこれぐらい、だね」
それを見た栗原が場を締めるようにそう言って、昼食会はお開きとなった。
不機嫌そうな態度を行動の節々に滲ませた斎藤は、すれ違いざまに机を元に戻している僕らを見て、またひどく嫌そうな顔をした。
横目で窺うと、百日ダリアはそんな男の顔を潤んだ瞳で見つめている。
斎藤は自分を見る視線に気づいたように百日へと目を向けた。
その目が驚きに見開かれる。
見れば、百日ダリアの瞳から一筋の透明な雫が流れていくところだった。
僕も藍も栗原も、一様に息を呑む。
数度瞬きをして自分でもそれに気づいたのか、慌てて目元をぬぐった百日が泣き顔を隠すように俯いて、涙を袖でぬぐった。
それを唖然とした顔で斎藤が見つめている。
その表情には困惑が乗っていた。
「……朴念仁だな」
僕が一つ、つぶやくと、しかし、左隣から冷静な突っ込みが入った。
「相田君が言わないで」
「ごめんなさい」
反射的に謝る。
栗原にそう言われてしまえば、僕も立つ瀬がない。
しばらく呆然としていた斎藤も、百日が彼から顔を背けるように座り直したのを契機に、「……くそっ」などと悪態をつきながら自分の席に戻っていった。
自然僕らも席について、次の時間の英語に備える。
なんとなく、藍の顔を盗み見た。
彼女の瞳は何か信じられないものを見たとでもいうように、百日の後ろ姿を一心に見つめていた。
その日の六時限目、体育。つまりは僕への嫌がらせじみた偶然という名の暴力が発生し始めた先週の同じ時間から、ちょうど一週間が経過したことになる。
扇動者が改心しかけているため、少しは鳴りを潜めている感もある僕への嫌がらせだが、それでも完全になくなったわけでもない。
ましてや体育などは、偶然の暴力を行使するには格好の時間である。
今日の昼休みのこともあって、さらに男子からのヘイト高まってそうだなぁ。
などと他人事みたいに思いつつ、体操服担いで更衣室に向かう。
男臭い汗の匂いに塗れたあまり長居したくないその空間に足を踏み入れると、隅っこの方で着替えている斎藤の背が目に入った。
何気なく近づき、その隣に体操服を置く。
「なあ、相談があるんだけど」
「なんだよ。俺と相田は今まさに道を分かってる真っ最中だろうが」
「大げさな言い方するなよ。単にお前が意固地になってるだけだろ?」
「……意固地にもなるさ。あの女が相手なら」
憮然とした態度で斎藤が言って、軽く下唇を噛みしめる。
僕はそれにやや呆れの感を覚えていた。
いい加減、小学生時代のことなんて忘れてしまえばいいのに。人間、過去のことなんて覚えていたところで、いいことなんて一つもないぞ。僕なんかもうすでにして、最近の自分のヘタレっぷりとか忘れにかかってるのに。
「……まあ、それは一旦置いておいて相談なんだけど」
「いや、置いとくなよ」
「実は僕最近、クラスメイトから反感を買っているらしくてさ」
「……無視して話続けんのな。……反感?」
呆れたように息を吐いた斎藤が、訝しげに眉を顰める。
僕は頷いた。
「そう、反感。なんか、僕の周りに突如発生したハーレム的な何がしのせいでヘイト集まってるみたいな感じ」
「……それは……なんていうか、自業自得じゃないのか?」
「いいや、僕は藍のことしか見えない男だから、少なくともそれを疑われるような言動は……最近はしてたけど……。いいや、とにかく、謂れのない迫害を受けているんだよ」
「謂れ十分ある気がするんだが……」
一応、念のため、百日がその嫌がらせを扇動した可能性については伏せておく。こいつの前でこれ以上、百日への評価を押し下げるようなことは言うべきではないだろう。まあ、実際、僕へのヘイト高まってるというのも間違いではないし。
「それで、そのヘイトが高まってるせいで、特に体育の時間なんかは僕は良い的にされるんだよ。ボールを投げつける的、な。おい、磯野、サッカーやろうぜ? お前ゴールな、って感じに。お前は最近、別のチームでやってることが多いから知らないかもしれないが、とにかくそれがめんどくさくてな」
「……初耳だけどさ。正直、相田の口ぶりからだと全然真剣さが伝わってこないんだけど」
「ひどい奴だな、お前は。人が恥を偲んで相談してるっていうのに」
「だったらもう少しまじめに話をしてくれ。ふざけ半分にそんな微妙に重い相談されても、こっちも困惑するんだよ」
上半身裸の上に体操着を被り、穴から首を出した斎藤が困惑した表情をする。
僕はそれに頓着するでもなく、話を続けた。
「まあ、お前に相談したのは他でもない。ちょっと手伝ってほしいことがあってな」
「なんだよ」
「この問題の本質は僕みたいな友達の少ない奴がクラス内で下手に女子と関わりすぎていることにあると思うんだ。特に百日。金髪ハーフのあいつはクラス内じゃ目立つからな」
「……それで?」
百日の名前を出した途端、露骨に顔をしかめだした斎藤に、僕はそれでも変わらぬペースで続ける。
「お前にもうちょっと、百日と関わってほしいんだよ。あいつ、あの容姿の割にクラスでしゃべってる奴がほとんど女子ばっかりだから、唯一会話してる男の僕の存在が際立つんだ」
もしかしたら、僕だけと会話をすることで他の男子の僕に対する嫉妬を高めるという狙いも当初の百日にはあったのかもしれないが、今はもう、彼女にもそんな気はなくなっているだろう。
あいつが斎藤との関係をどうするにしろ、このまま斎藤が一方的に百日を嫌っている状況はよくないだろう。それを改善するためにも、彼と彼女はもう少し対話をするべきだ。
「……やなこった。どうして好き好んで俺がそんなことしなくちゃいけないんだ。あの女をどうにかしたいなら、あんたらだけで好きにすればいいだろう」
予想通りというべきか、頑なな答えが返ってきた。
「……そんなに嫌いなのか? 百日のこと」
「……好きとか嫌いとか、そういう話じゃねえんだよ。俺はもう、あの女に関わりたくないんだって」
「あいつがほんとはすごいかわいい女の子だったとしても?」
「……は?」
何を言われたのかわからない。そう言うように、斎藤が目を白黒させる。
やがて、嘲るように笑った。
「それはあの女の容姿の話か? だとすれば、相田もあいつの顔の造作にほだされて……」
「いいや、心根の話だ」
「……そうかよ。なら、なおさらねえよ。あの悪魔女のどこにかわいげが」
「……今、百日が実は恋をしているとしても?」
「……は?」
間抜けと言ったら悪いが、とにかくそうとしか表現しようがないくらいに間の抜けた顔を斎藤はした。
「……じょ、冗談だろ?あいつがそんな……」
「……いいや、それがなー。ほんとなんだよ。今日の昼休みな。百日の奴、さめざめと泣いてただろ?あれは好きな人に振り向いてもらえなくて、悲しくて泣いちゃったんだって」
まるで彼女が純情乙女であるかのように言うことにやや抵抗がないでもない。
しかし、言っている内容が事実に反しているわけでもないし、百日がそれで泣いていたのも本当だ。
僕は何も嘘を言ってないし、やましいことは何もない。
「だ、だれが?」
「ん?」
「あいつの好きな奴って……誰だよ」
「……気になるなら、本人に訊いてみたらどうだ?」
「ばっ!? ……俺がそんなこと訊けるわけねえだろ! ……大体、興味もねえし」
言いつつ、動揺しているのが丸分かりなのはいかがなものか。
「と、とにかく、それがあんたの相談だっていうんなら、俺は乗らねえからな! わかったな!」
吐き捨てるようにそう言って、斎藤は着替え終えた体操服姿で更衣室の外へと向かった。
「……わかりやすいようで、わかりにくいなー」
一人つぶやく。
あいつにとってはたぶん、百日ダリアという人間はどうやったって無視できない存在なのだろう。
憎々しく思っていても無関心ではいられないし、彼女が昔の彼女の印象にそぐわないことをやっていれば気になって詮索したくなってしまう。
斎藤の気持ちとしてはそんなところなのだろうと思う。
恨む相手だからこそ、なおさら意識してしまう、というような。
ある意味ではその気持ちというのは恋心にも近いと言えないこともないような……。
まあ、無理やりに解釈すれば、ということだが。
嫌よ嫌よも好きのうち。などという言葉もある。
気に入らない相手だからこそ、ふとした瞬間に見せられる魅力にぐっときてしまう、などということもないとは言えない。
何より、今日の昼休みの様子を見る限りでは、百日の奴が素直に自分を出すことができれば、なびく人間は大勢いるように思われるのだ。
あいつが楚々とした態度で以って女の子らしく振る舞えば、容姿の端麗さと相まってコロッといってしまうことは十分考えられるだろう。
結局は百日の気持ち次第ではあるのだが。
――僕としても、なぜこんな流れになったのだろう、と思わなくもない。
百日ダリアと仲良くしよう。
そう考えたのは彼女にされたさまざまな非人道的言動に対する、善意の復讐という側面もなきにしもあらずではあったのだが。
それで、彼女の恋の応援までし始めるとは、本当に何がなんやらわからなくなってくる。
初対面で彼女から告げられた僕にとっての彼女とは、「恋敵」だったはずなのだが、それがいつの間にかどうして恋のキューピットに変わっているのか。
はなはだ疑問。
でもまあ、何と言いますか、それはそれでまるく収まるのなら、それが一番いいじゃないか、と思う僕だった。
さて、また今日もボールぶつけられに行きますかね。




