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あいだけに  作者: huyukyu
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百日ダリアちゃん

 九月九日。火曜日。


 昨日の昼休みに教室を飛び出していった百日は結局、下校の時刻までそのまま戻ってこなかった。

 知られたくない自分の気持ちをもっとも知られたくない人間に知られそうになったことは、普通とは縁遠い価値観を持っているように見える彼女にとっても受け入れがたいことだったようだ。


 彼女がそういう普通の弱さも持っていることに安堵する一方、少し心配でもある。

 やけを起こして、何かとてつもないことを起こしでもしないかと。

 百日ダリアという人間は揺るがないように見えて、実はとても揺らぎやすい。

 彼女自身、僕と彼女が似ているという風に思っていたらしいが、その指摘も当たっている。

 僕は打たれ強いように見えて、打たれ弱いし、彼女もまた傷つくことに鈍感なように見えて、実はとても敏感だ。

 だから、とても心配なのだ。


 自分を徹底的に傷つけ、好きな人との仲を引き裂こうとした相手を心配するなんて、一般的に見ればおかしなことかもしれない。

 百日ダリアは僕を痛めつけてばかりいて、僕に何か優しい行いをしてくれたことなんて一度もない。


 けど、だって、僕は相田涼だから。


 僕は薄っぺらく、自分という自分さえ定義できない人間だったから。


 少しくらい人格に矛盾があってもいいじゃないか。


 自分を傷つけた相手を平気で心配できる理不尽さがあってもいいじゃないか。


 自分の大嫌いだった相手を、普通にかわいいと思える度量があってもいいじゃないか。


 人間まともであることに何か意味があるのか?


 百日のように、言動ごと狂う必要はないとはいえ、違うことが当たり前な以上、「まとも」であること、「同じ」であることに意味などないだろう。


 和を以って尊しと為すの精神も大事だろうけど、譲れない自己があったっていいじゃないか。


 ぐっらぐらの揺さぶられまくりな自分ではあるのだけど。


 それでも、多数決に迎合しなくたって、いいじゃないか。


 人は「違う」生き物だろう。




 九月七日。つまりは僕が栗原を振ったその日。


 泣きはらした栗原を強引に我が家に連れて行き、そして、僕は彼女と、そして藍と三人で話し合った。


 振った相手をその足で自分の家に連れ込み、自分の恋人と引き合わせるという人道に反したことを僕はやったわけだ。

 自分でももっと気を遣えとは思うさ。

 どうして振った直後の相手をそんな冷酷に振り回せるんだ、と思うさ。

 でも、栗原だしいっかな、なんて思ってしまったんだ。

 あいつに、それでもあいつの優しさに甘えたいと、思ってしまったんだ。

 振った相手にそれでも甘える。我ながら最低の行いだ。

 たとえ好きだった相手だとしても、普通なら嫌いになる最低の行いだろう。


 そんな気遣いの欠片もない僕の行為ではあったのだが、それでも、


「……わたしが話を聞く代わりに、相田君にはもう一度わたしの下僕をやってもらうからね」


 ということで話がついた。


 今度は一切の容赦なくいじめてやるんだから、と泣きはらした目で悪戯っぽく笑った彼女に、僕は感謝しか覚えない。


 告白を経ても、失恋を経ても、彼女の優しさが色あせないことに、ただひたすらに感謝をする。


 僕が小学生の頃に好きだった女の子は、今でもあの頃と変わらない。正しさを内包したまま、優しくある。その本質は何も変わらない。


 そのことが僕はとても嬉しかった。


 振った僕がそう思うのはどこか不誠実な感じはする。最低な気はする。


 ほんとに僕は最低だろう。擁護の余地なく、最低だろう。


 でも、栗原の力は必要だったのだ。ただそれだけのことだ。


 藍と栗原と三人で話し合い、これから三人で行うべき一つのことを決定した。


 ひどく単純な行動計画。


 百日ダリアと仲良くしましょう。


 それだけだ。


 僕にあいつがしたことは不問にする。

 あいつが藍にしたことも不問にする。


 今のあいつと向き合い、そして、友達になろう。


 僕と藍と栗原がそう決めた。


 三人とも、一人であることの苦しみを知っている。

 一人であらねばならないことの痛みをわかっている。

 一人でいることを選ぶしかない気持ちも理解している。


 だから、この面子でなければならなかったのだ。


 それから僕らは百日が本当はただの女の子にしか過ぎないことを共有し合った。


 各々が接した百日ダリアという人間を語り合い、共有し合い、その行動の真意を探り合った。


 矛盾に満ち、非常識に満ち、人を傷つけることに満ちている彼女の行いも、その歪みも、そのすべてとは言わずとも、一部には説明もつけられる気がしていた。




 今日九月九日。藍と待ち合わせて一緒に登校した僕は、教室に入り、自分の目の前の席に金色の髪を見つけて、意外感を覚えた。


 昨日の今日で、ずいぶんためらいを覚えただろうに、それでも登校するところはさすがの胆力といったところか。


「おはよう、ももちゃん」

「おはよう、ももちゃん」


 藍と声を揃えてももちゃんに挨拶をする。


「……ももちゃん言うな。……おはよ」


 振り返った百日は大層不機嫌な顔をしていたものの、朝の挨拶は返してくれた。他に何を求めることもなく、それだけでも十分だと思った。


「……何? その顔」

 彼女を見つめる僕の顔を見とがめて、百日が目つきを鋭くする。

「いいや、別に」

「君がそんな風に心底嬉しそうに、にやにやと笑ってると、ボクは本気で腹が立つんだけど」

「悪い」


 言いつつも、罪悪感など微塵も感じていない。

 どれだけ不機嫌そうな態度と声音であっても、百日がきちんとこちらに向き合い、対話を行ってくれるのは喜ばしいことだ。

 初対面でいきなりこちらの心中を見透かしたようなことを並べ立て、あまつさえ無理やりキスなどしてきた百日ダリアと比べれば、運泥の差だ。


 「……昨日、あんな風に出て行ったから、もう学校には来ないんじゃないかと心配してたから、お前が今日こうしてきちんと登校してくれて僕は嬉しいんだよ」

 「気色の悪いことを言わないでくれない?君に心配されるいわれはないんだけど」

 「そう言うなって。僕だって、お前を心配する理由なんかないんだけど。人の気持ちに戸は立てられないっていうだろ?僕はお前のことが割と好きになったんだよ」

 「……それを言うなら、人の口に、でしょう?お生憎様、ボクは君のことなんか全然好きじゃないから」

 「お前って、行動も言葉も全部常識を外しているように見えたけど、実はものすごく単純な言葉で表すことのできる人間だよな」

 「……何よ」

 「……ツンデレ」

 「――っ!」


 聞いた瞬間顔を真っ赤にした百日が座った姿勢から僕の頬を叩こうと手を伸ばそうとしてくる。

 僕は一歩後ずさりして、その攻撃を避けた。

 彼女の伸ばした手の平は空を切り、バランスを崩した百日が椅子から転げ落ちそうになる。

 すかさず藍が彼女の肩を支えていた。


 「あ、ありがと、藍ちゃん」

 「どういたしまして」

 百日が恥ずかしそうにお礼を言い、藍がにっこりと笑って受け入れた。


 その様を見ていると、いろいろと立場が逆転した感じを受ける。

 これまではどちらかと言えば、百日から藍に関係を求めていた印象だったのが、今では藍から百日に関わろうとしているように見える。

 藍の百日に対する認識に少し変化があったのも理由だろうが、百日自身が自分を取り繕うことをやめたのも理由だろう。

 狂人のような演技は一旦は鳴りを潜め、今あるのはただ素の彼女だ。

 彼女の心にその演技をするだけの余裕がなくなったのか、はたまた先週の金曜日の体育倉庫での出来事もしくは昨日の出来事が原因なのか、何が本当のところなのかはわからないが、今の彼女はちょっと意地っ張りなだけの普通の女の子に見える。

 それでいいと思うし、そのままがいいと思う。


 こんな風に微笑ましいやり取りの中で、百日が素の自分を出していけたらいいな、と思う。


 以前までのように、他人の神経を逆撫でする言動を繰り返していては、一番苦しいのは煽られた他人ではなく、実は煽った彼女自身だろうから。


「……だから、そのむかつく顔をやめなさいよ」

 よしよしと慰められるように藍に頭を撫でられている百日が、頬を染めながら唇を尖らせる。

「……え? 今僕笑ってたか?」

「思いっきり笑ってたっての! ボクをそんな慈しむような目で見るのはあの、栗原って子だけで十分だっていうのに」

「……それは無理な話だな。お前ってものすごーく好意的な目で見れば、なんかほんとに見栄を張ってるだけのかわいい女の子にしか見えなくなってくるんだよ」

「か、かわいいとか言うな」

「照れんなよ」

「照れてない」


 言いつつ、さっきよりもさらに頬を染めているのは気のせいだろうか。


「ももちゃん、かわいい」

「あ、藍ちゃんまで……」


 頭撫で撫でからだんだん百日の上半身を抱きしめる形に変わっていっている藍がそんな風に言った。

 藍はもう完全に百日を子ども扱いしている風だ。

 いろいろあって、藍的には百日はもはや精神年齢の幼い子供にしか感じられなくなっているのだろう。

 人を攻めるのは得意でも、攻められるのを非常に苦手としているところとか、本当に子供っぽく感じられる。


 僕も出会いがあんなでなければ、もう少し百日を子供扱いしていたかもしれない。


「……朝から楽しそうだね。おはよう」


 藍の百日に対する過度の触れ合いにやや苦笑を浮かべながら、栗原がやってくる。

 僕と藍は彼女に挨拶を返し、百日はひどくむすっとした顔をしていた。


「百日さん、ちゃんと来たんだね」

「……君に言われなくても、ボクはそんな心の弱い子じゃないから」

「え~? それはどうかな~?」

「……っ! そこでどうしてそんな反応なの!」

「え~、だって、百日さん、藍ちゃんに抱きつかれて嬉しそうに頬を緩めちゃってるんだもん。ほんとに寂しがり屋なんだな、って」

「……ち、ちがう! ボクはそんなことで喜んだりなんか……」

 言って、百日はぐにぐにと自分のほっぺたを触っていた。

 そんな風に自分の表情を確かめる行動に出る時点で、ある程度栗原の言っていることが正しいと示しているようなものなんだけどな。


 そんな彼女らの朝のやり取りを微笑ましく思いつつ、昨日懸念していたほどには百日が自棄(やけ)を起こさなくて本当によかったと僕は思った。




 その日の昼休み。

 当然のように、僕らは百日に声をかけた。

 目的は一緒にお昼を食べること。

 藍には少し多めにお弁当を作ってきてもらっているし、栗原にもまた、もともと持っていたという料理スキルから昼ご飯を作ってきてもらっている。

 僕と藍と栗原と百日、四人分の昼を賄う分くらいの量はある。


 今日の斎藤はひどく嫌そうな顔でこっちを見たものの、特に僕らのやることを邪魔しようとする姿勢を見せず、どこか別の場所で昼を取るのか、足早に教室を出て行った。


 あいつもあいつで葛藤があるのはわかるが、どうにか百日とそれなりに仲良くやることを受け止めてほしいところだと思う。

 人は変わらないというあいつの意見も確かに理解できるものではあったが、それでも、他者が悪意ではなく善意を以って人を変えようとすることを批判される謂れもないだろう。


 百日は確かにひどいことをしたのかもしれないが、それだけで彼女を遠ざける理由にはならない。


 少なくとも僕は。


 傷つけられれば距離を取りたくなる。嫌な気になれば関わりたくなくなる。

 それは普通の感情で、それは一般的な反応だ。


 ある意味ではそれが正しいと言えるし、みんながみんな自分を傷つける人間に向き合えるわけじゃない。


 けど、時にそれができる人間がいてもいいと思う。


 自分が嫌だからという理由で嫌な人間に関わらないのではなく、誰かのためにという自分由来ではない理由で自分とは少し違う人間と関われる人間がいても。


 僕が百日に接しようとする理由は、僕のためではないし、少しはそういう部分もあるが、百日自身のためでもない。

 それはすべて、藍のため。

 藍の親友に、ただ僕の望むようにあってほしいというある意味で自己中とも言える理由だ。


 だからこそ、僕はあんなことをされた相手であっても、向き合うことができる。


 藍の側の気持ちはまた別だろうし、ほんとに何も関わる理由のない栗原にとっても別だろう。


 ただ共通しているのは、三人とも百日にはもう悪意を持っていないということだけだ。


 それだけわかっていれば十分。それだけわかっていれば百日に向かうことに何のためらいもない。


 僕らの誘いに対して、百日は最初は藍はともかく、僕と栗原と一緒に昼食を取ることに抵抗のあった様子だったが、やがて諦めたように首肯した。

 昨日の今日だ。逃れられないことはもはやわかっていたのだろう。


 ――実は内心喜んでいるんじゃないかと僕は勘繰っているが。


 席が近い、というか、両隣と前という接近した位置関係であるので、それを利用して四人の机をくっつける。

 周りの机もあるので四角形とはいかず、凸型となる。

 見ようによっては、百日が僕ら三人の裁判官に対して被告人としての立ち位置についているように見えるが、実際はもちろん違う。


「……なんかこれ、ボクがちょっと嫌なんだけど」

 

 その印象は向き合う百日にもあったらしく、仏頂面で不満を述べてくる。


「仕方ないだろ。寂しがり屋のお前はたくさんの人の顔を見ながらご飯を食べたいかと思ったんだよ」

「……いい加減、ボクにその設定をつけようとするのやめてくれない?」

「いやいやぁ、強がっちゃってまあ……。お前が実は自分の部屋で一人寂しく膝を抱えて『寂しいよぉ……藍ちゃん』とか言ってそうなのは今のお前の態度を見てればすぐにわかるんだぜ?」

「っ……!」

 僕にそう言われた百日は激しく肩を跳ねさせた。

 唇を噛みしめて悔しそうな顔をしている。

 割と当てずっぽうで言ったのだが、反論も飛んでこないところを見ると、実は本当に思い当たることでもあったのだろうか。

 だとすれば、本当にかわいい奴だという印象を拭えないわけだが。


「はい、お弁当だよ」

「味わって食べてね」


 藍と栗原が鞄から少し大きめの包みを取り出して、くっつけられた机の真ん中へとお弁当を置く。

 四人分とはいえ、食べる人の四分の三が女子だからか、思ったほど大きくはない。

 一時間かけて自転車で学校に登校しているからそれなりに腹が減ることがあるという忘れ去られたサブ設定のあった僕がいることを考慮すると、少し少ないんじゃないかとも思うが、まあ、そこはそれ、僕が我慢すればいいことでもある。


 教室中央後方という目立つ席で突如始められたプチピクニック然とした昼食会に、クラス内からやや注目を浴びる。

 昨日同じように昼休みに込み入った話をしていた面子というのもその注目の一因となっているだろう。

 特に最近同性からの当たりが強かった僕が美少女三人を囲んでいるわけだから、男子からの視線は冷ややかなものだ。

 だが、まあ、待ってほしい。

 僕はここに至るまでずいぶんとまあ、僕の正面にいる女子にひどい目に遭わされたわけであって、たまにはこういう役得があってもいいと思うわけなのですよ。

 まじめに言うと、自分の人格的欠点を指摘され、それが原因で周りの人間に、特にちょうど僕の左右にいる女性陣に迷惑をかけてしまうのって、超つらいことなんですよ。

 だから、これくらいいいじゃないかと、自分に言い訳をする。

 それを口にしてもいない上に、事情を知らないクラスメイトに理解してくれというのもおかしな話だが。


 包みが広げられ、その中身が露わになる。

 卵焼き、ウインナー、春巻き、ポテトサラダ、野菜炒め、プチトマト、等々、色とりどりの食材が眼前に並ぶ。

 また、複数人で食べられるようにだろう。一口サイズのおにぎりがいくつも弁当箱に収まっている。

 その辺も配慮が効いていると思う。さすが藍と栗原だぜ。

 彼女ら二人で献立に被りがないところを見ると、中身を相談して作ってきたらしい。


 実は昨日も同じように百日のために弁当を作ってきてもらっていたのだが、器量の小さな斎藤努のせいでその努力を無駄にしてしまった。

 二人に申し訳なく思うとともに、斎藤への苛立ちも募る。

 いやあ、これはあいつにもそれ相応の罰を受けてもらわないと、溜飲が収まりませんな。

 藍と栗原の、弁当を作った目的をふいにするとか、斎藤の分際でちょっと調子に乗っていると言える。

 なお、その三人分にしては少し量が多くなってしまった弁当を僕がほとんど一人で平らげたことは言うまでもない。


「……天にまします我らが父よ。今日この昼も、今日この日も、肉体を構成する糧をいただきましたことを、心より感謝いたします。アーメン」


 百日が小声で神への感謝の祈りを捧げて、手を合わせた。

 事前に藍から聞いていたところによると、彼女は食事のたびにきちんとこの祈りを捧げているらしい。


 日本の高校の教室でよく見られる場面ではないから、ちょっと違和感を覚えるが、彼女が律儀にそうした祈りを捧げ続けていることを見ても、本質的には悪い人間ではないのだと思える。


 まあ、何に関しても感謝は大事だしな。


 特に僕などは両隣にいる女性陣に頭が上がらない。


 跪けと言わればすぐに跪いてしまいそうになる。

 それはそれで本望だけど。


「いただきます」

「いただきます」

「いただきます」


 僕ら三人も手を合わせて、食事に手をつけ始めた。


 


「……それで、百日さんは斎藤君のどこが好きになったの?」


 徐々に箸も進み、主に藍が百日に話しかけることで会話が成り立っていて、その流れも大分落ち着いてきたころ、栗原が唐突に爆弾を投げ込んできた。


 春巻きを口に入れようとしていた百日の手と表情が止まり、ぽとりと春巻きが箸の間から落下した。


「……お前、もうちょっとこう、言い方っていうか、話題の持って行き方ってものがさぁ……」


 持って回ることをしない栗原の直線的な切りこみ様にさすがに僕もたしなめるような言い方にならざるを得ない。


「……でも、昨日相田君が触れようとしなくて、藍ちゃんが言い淀んでいたのは、斎藤君があの場にいたからでしょう? 今、彼はここにいないし、四人とも知っているはずのことなんだから、わざわざ遠回りをする必要もないじゃない」

「……いや、でも、百日の気持ちを少しは考えても……」

「それはそうだけど……。でも、気を遣って触れないようにされるよりかは、この方が百日さんも楽かなって」

 平然とそう言う栗原には悪びれるところもない。

 まあ、一理あるとは言えるのだけど。


「……言っちゃったものは仕方ないよ」


 藍もちょっと苦笑いだが、それでも栗原の意思を肯定した。


「……それでどうなの? 百日さん、急だったのは謝るけど、本当のところは?」


 心なしか栗原が嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 口の端が軽く笑っている。

 彼女もまた、恋の話が好きな女子高生ということか。

 それに関しては、彼女の告白を受けたこの身としてはやや心に痛い気もするが。


「……えっと……」


 散々人を急展開で振り回してきた百日でも、この展開は想定できなかったらしく、攻められるのが苦手らしい彼女でもあるので、珍しくも言葉を詰まらせている。


 広げた弁当の包みの上に落ちている春巻きを箸で拾い、咀嚼した彼女はしばらくして言った。


「……ぼ、ボクはあんな男のことなんか、好きじゃない……」


 消え入るような声音なのは、もはやその言が真実ではないことの明らかな証左だろう。


「……え~、でも、昨日百日さん、あんなに取り乱してたじゃない」

 素直に自分の気持ちを認めようとはしない彼女に、栗原が少し嗜虐的な笑みを浮かべて言う。


 ……なんか、こいつ僕に振られてから段々黒くなってきてないか……?


 僕が彼女の下僕として何を求められるのかに戦慄を覚えるとともに、百日が焦ったように反論した。


「あ、あれは……あんな奴の前で、ボクがあいつのことを好きだなんて言われたら嫌だっていうだけのことで……」

「……でも、昨日は藍ちゃんが何を言うかなんて本当のところはわからなかったわけでしょう?でも、百日さんはそれを遮った……ていうことは心当たりがあるってことだよね?」

「……ち、ちがう! ……ボクはあんな奴のことなんて全然好きなんかじゃない!」


 はい、出ました、ツンデレ。

 どうやら百日は焦ると取り繕う余裕もなくなって反応が単純になっていくらしい。

 完全にかわいい少女と化してるなあ、こいつ。


「……じゃあ、えっと、ももちゃんが小学生のときに斎藤君の告白を受け入れたのはどうして?」

 口を開いた藍は百日に助け舟を出すのかと思えば、そんなことはなく、普通に淡々と追及を始めた。

 素で時々辛辣なのが藍である。

 彼女にことさら弱い百日はさらに狼狽している。


「そ、それは……あいつが藍ちゃんのことを好きだっていうのは態度でわかったから……それを遮るために仕方なく……」


「おっと、それはたぶん違うと言わせてもらおうか」


 そして、傍観者に徹することもなく、僕がさらに加勢する。まさしく、多勢に無勢。

 だが、まあ、攻められている百日かわいいからいいじゃん、ってことで。


「僕から押し倒されるのを怖がっていたお前が、たとえ藍との仲を妨げようという目的があったとしても、自分を犠牲にしようなんて思うわけないと思うぜ」

「……な、なにを根拠にそんなこと……!?」

「根拠は言っただろ? 僕から押し倒されるのを怖がっていたって……。それにこれは僕が斎藤との一件から学んだことなんだが、本当に嫌なことはどんな目的があったって嫌なものだぞ。藍が無理やり斎藤に付き合わされていたときは僕から嫌われたくないって気持ちがあったわけだが、それにしてもあのときの藍は心底嫌で嫌で仕方ないって感じだったし。あれを何日も続けられたとは思えないしな。ましてやお前だ。いろいろと自分を犠牲にする言動は確かにしてきたと思うけどさ。それも全部、ポーズな気がしてならないんだよな、あれ。ファーストキスだとかなんだとか……、どちらかという自分を傷つけて喜んでいる感じだったし」

「……あ、あうー」


 もはや百日はまともな言葉を発することもできず、かわいい声を漏らすのみだ。


 だが、そんな彼女とは裏腹に、表情を険しくしたものがいた。


「……涼、ちょっと待って」

「え、なに? 藍」

「……今、ファーストキスがどうとかって聞こえた気がしたんだけど……」

「あ……」

「どういうこと?」

「……い、いや、別に大したことじゃないんだよ。大したことじゃなくてだね……。藍に言う必要のあるようなことじゃ……」


「……ち、ちがうの。相田とマウストゥマウスでキスしたのだって、ただほんとに藍ちゃんに対する引け目を感じさせてやろうって思ってただけで、ほんとにボクは自分を犠牲にして、ただ藍ちゃんだけを……」


 僕が拙いごまかしでどう乗り切ろうか考えをまとめている間に、激しく動揺した百日から聞き逃せない独り言が聞こえてくる。


「お、おい! 待て。なんで、お前はそこで都合よくまったく誤解の余地のない独り言を言い始めるんだ!? 自分に言い訳もけっこうだけど、それは自分の内に秘めてだな!」


「涼?」


 僕が百日にさらに言い募ろうしたところで、端的かつ少し冷ややかな疑問の声が右隣から聞こえてくる。


 恐る恐る首を動かすと、満面の笑みを浮かべた藍がそこにいた。


「キス、したの?」

「……い、いや」

「……し、た、の?」

「……しました」

「へえー?」


 いや、あの、藍さん。

 あなた、そんなキャラじゃないですよね。

 なんで、そんな満面の笑みで背筋が凍るようなオーラを放つことができるんですか。


「……た、たしかにしたのは事実だけど、僕からしたというわけじゃなくてね……。百日の方からこう……有無を言わせぬ感じで……だね……」


「るりちゃん」

「なあに? 藍ちゃん」


 僕の言い訳になど聞く耳を持たず、藍が僕を飛び越えて栗原に話しかける。


「どう思う?」

「いやー、さすがにないよねー。さすがにこれは擁護できないよねー? いくらわたしでも。いくら優しいるりちゃんでも、これは相田君をかばえないよねー。恋人がいるその身の上で?好きでもない女の子とキスをする? あまつさえその子を押し倒した? とまで自分で白状してしまいましたしねえ……」

「どう、しよっか?」

「うーん、さてねえ。相田君はなんか、単にわたしたちがいじめるだけだと悦んじゃいそうな気もするしねえ」


 僕を挟んで、僕に対するさまざまな処断が検討される。

 ああ、そうか。被告人席は百日ではなく、僕のほうだったか。

 役得とか言ったことを心の底から訂正する。

 ここは針の(むしろ)だ!


「……ざまあみろ?」


 困惑顔の百日がかわいらしく首を傾げてそう言った。


 いや、まあ、なんというか、その反応で正しいような気はするけども。

 キスをした本人が言うのはそれはそれで……正しいのか。


 ていうか、本題はどこに行った?

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