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あいだけに  作者: huyukyu
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人間という怪物

 予想通りと意外さの入り混じった自己紹介を受けた後も、百日ダリアは変わらずに僕の隣を駅まで歩き続け、さまざまな会話を試みてきた。


 僕が藍と関わってきた記憶。どうして藍に話しかけたのか。藍とはどのぐらいの付き合いなのか。彼女のことをどう思っているのか。藍とどんなやり取りをして、どんな風にイチャイチャしていたのか。


 そんなことを根掘り葉掘り、隅から隅まで余すところなく知ろうとするように、百日ダリアは訊いてきた。他の物事には一切興味がないとでも言うように、すべてが九々葉藍という女の子に関することだった。

 その異常なまでの藍への執着心は、さながら以前の僕を見ているようで、そして、同時にそれだけではない印象も僕に与えていた。


 数々の質問に対して、僕が正確な答えを彼女に返したのはほんのわずかなものだ。むしろ、適当に言葉を濁した返答の方が多かったのは間違いない。


 けれど、そんな僕の頑なさにはまるで頓着していないように、百日ダリアは飄々(ひょうひょう)として微笑みさえ浮かべていた。


「あはははっ。しっかし、相田くんもずいぶんとまあ、めんどくさい性格をしているよね。ボクに負けず劣らず、一面においてはきっと君の方が勝っているだろう」

 ひどく空々しい上に人間味のないその笑い声を聞くたびに、僕の背筋にどうしようもない鳥肌が立つ。なんでそんな風に笑っていられるのか。普通でないことに自覚を得た今の僕にも、まるで理解が及ばない。

「お前にそんなこと言われたく……」

「でも、一番めんどくさいのは間違いなく九々葉藍だけどね」

「……」

 その目立つ風貌を一切隠すことをしなくなった百日ダリアが意外感を得たように、僕の顔を覗き込んくる。

 その顔がゆっくりと喜色に彩られる。

「へえ、否定、しないんだ……」

「別に、お前が藍をどう思おうが勝手だろ。僕が関与することでも、文句をつけることでもない」

「――果たして君のその言葉は本心なのかな。それとも嘘なのかな。それとも、本心だけど、自分では嘘だと思ってる?」

「っ……」

「あはははっ。ずぅ~ぼしぃ~? めんどくさい性格なのに、図星を突かれるとわかりやすいって、君ってほんと社会を生きにくそうな人間してるよね」

「それこそ、お前に言われたくない」

「? ……どうして?」

「お前みたいな不気味に不気味に笑い続けて人のことを小馬鹿にしたような態度を取り続ける奴が、まともな人間関係を築けるとは思えないからだ」


 実際、この数十分の間において、僕がこの女の発言に何度怖気を感じたかわからない。人を見下したようなその態度と、人を見透かしたようなその言動が同じ人間としてかかわる上において不気味で不気味で仕方がない。


「あはははっ。相田くんもずいぶんと子どもみたいな考え方してるよね。空気とかいうよくわからない常識要件が存在している日本社会でおいては言うまでもなく、わりと個人としての意見が重要視される海外でも、ボクがこんな振る舞い方を常日頃してると思うの? そんなわけないじゃん。体面と体裁と取り繕いと偽善と偽悪と純利益的行動と純感情的行動、あるいはその他ありとあらゆる着飾り、繕い、羽衣、仮面。それらを使い分けようと思わないほど、ボクという人間は馬鹿じゃないよ」

 百日ダリアの言い様は、僕にはひどく難解でわざとわかりにくい言い回しを選んでいるのではないかとさえ思えたが、それでも言いたいことは理解した。

 本音と建前。当然のように、こいつはそれを使い分けているというわけだ。

 それは人間として至極普通になされることで、だからこそ、この女の言うように子どもな僕はそれに対して少なからずの抵抗感を覚える。


「じゃあ、何で僕の前では、お前はそんな馬鹿みたいなことをやっているんだよ」

「あははっ。そんなの決まっているでしょう??? 君がボクの敵だからだよ」


 百日ダリアは眼光鋭く僕を睨みつけ、「だってさ」と続ける。


「敵を相手に自分の力を誇示しないことは、見くびられ、侮られ、虚を突かれて利益を貪られる行いだよ。能ある鷹は爪を隠すとか、日本の諺では言うのかもしれないけれど、それも場合によりけりだ。少なくとも、示威行為というのが必要になる場面もある。例えば、恋敵との、こんな風なファーストインプレッションではね」

「……恋敵?」

「ああ、誤解しないでね。それは言葉の綾だから。ボクは藍のことが好きで好きでたまらないけれど、別に恋愛対象として想っているわけじゃない。ただ、彼女の親友という立場を復権したいと考えているボクにとっては、君は仮に恋敵と語ったところでそう間違ってもいない相手であるというだけの話」

 百日ダリアはそう言って、五十センチほど離れて歩いていたその距離を縮め、僕のそばに身を寄せてくる。右手の平に、彼女の指が絡められる。

 やわからいその感触に、しかし、僕は喜色を覚えるでもなく、ただただ不気味さに囚われる。

「……お前……言っていることやっていることがあべこべどころの話じゃないだろ」

「え? 何が?」

「何がって……何で恋敵に近い存在だと思っている相手に、こんな恋人にやるような行為をやってくるんだよ」

「恋敵だから?」

 さきほどからの悪印象というディスアドバンテージを考慮したとしても、どう見てもかわいらしいとしか表現できないほどの仕草で以って彼女は小首を傾げて見せた。

 その様子をかわいいと思ってしまう自分に嫌気が差し、そして、そう思わせてしまう百日ダリアの魔性性に僕は戦慄するしかない。

「ボクは藍を君から奪えるなら、いいや、藍を自分のものに独り占めにできるのなら、ボクを君に差し出すことさえ厭わない」

「……は?」

 一瞬、この女が何を言っているのか、欠片も理解できなかった。


「君が藍のすべてを諦め、そして、二度と心変わりはしないと誓ってくれるのなら、君にボクのすべてを捧げても構わないと、そう言っているんだよ」

 言いながら、絡ませた手の平をかき抱くように、自身の胸元に寄せてみせる。

「ボクの身も心も君に捧げよう。好きなときにボクを好きにできる権利を与え、好きなときにボクを蹂躙できる権利を与え、求めるとあらば好きなときにボクにあらゆる苦痛を与える権利さえ与えよう。君がそう望むというのならば、ボクは一生を君と添い遂げることさえ吝かではない。本心を以って君に仕え、君に隷属し、君に(かしず)こう。言っておくがボクは処女だ。誰の手でも汚れていないし、キスさえもしたことがない。男にとって、そんな女を凌辱し、抑えつけ、支配し、そのすべてをわが物とするのは代えようのない悦楽と言えるのではないだろうか」

 ひどくまじめな声音とまじめな顔つきとまじめな雰囲気で、百日ダリアはそう言った。冗談でもからかいでもなく、本当にそれでいいのだと思っているのだということは嫌というほどに感じられた。

 だからこそ、僕は思わずにはいられない。


「お前、何なんだよ」

「……」

「何でたった今会っただけの奴に平気な顔をしてそんな提案ができる。お前にとって僕はなんだ?お前にとって藍はなんだ?どうしてそこまでこだわることができるんだよ」


 不気味だと思う。

 心底心底、不気味だと思うし、その底知れないほどの狂気に怖気が奔って仕方がない。

 感じた心象を示すように、絡まれた腕も強引に振りほどいた。


 こんな女に抱きつかれていたところで、嬉しいところなど一つもない。


「……ひどいなあ。ボクだって女の子なのに……。こうして好意らしきものを行動で示して見せて、こうまでわかりやすく拒絶感を示されると、少しどころじゃなく傷つくなあ」

 言っていることの内容に反して、彼女の表情は一分前と少しも変わっていない。平然とした微笑みを顔面に貼りつかせていた。


「全然、まったくそんな風には見えない」

「あはははっ。ばれたあ? 別にさっきの提案が百パーセント嘘ってわけじゃないよ。むしろ百パーセントほんとうだよ。気が変わったのなら、いつでもどこでもボクを凌辱してくれてかまわない。けれど、傷ついたというのは八割嘘かなあ。二割はほんとうだけれどね。……ボクが女の子なのはほんとうなんだから」

「女の子は、そんな貞操もへったくれもない提案を初対面の男にしないだろ」

「……どうかなあ。この国の女子学生の十三パーセントは平気で大人の男に体を売っているんでしょう?」

「お前、それわかっていて言っているだろ」

「あははははっ」


 耳につんざく笑い声が耐えようもなく気持ちが悪い。この女の真意がどこにあるのか、結局のところ、藍に執着していること以外、まるで見えてこない。

 一体、こいつは何がしたくてここにいるんだ。何がしたくて、僕と会話を持っているんだ。


「……あーっと、そろそろ楽しいコミュニケーションタイムも終了みたいだねー」

 目線を前に向ける百日ダリアにつられて顔を向けると、目の前に目的地の駅が見えていた。


「……最後に一つ、訊いてもいいか?」

 このままでは、本当に相手の思惑を知れずして、会話を終えることになる。この先藍との関係や、この女との関係をどうするにしろ、何もないまま終わるとは到底思えなかったので、何か一つでもこいつの真意を読み解くヒントがほしいと思い、僕は口を開いた。


「お前と藍が一緒の小学校に通っているころ、何があったんだ?」

 訊くべきはそれだと、僕の勘がそう言っていた。今のこいつの気持ちを問いただしたところで、きっと上手くはぐらかされるに違いない。ならば、訊くべきは過去。幼いころの、拙いころの思い出は、こんな奴でも必ず心に何らかの御しきれない感情を生じさせているはずだと思ったから。

 そして、


「……えぐっ」


 百日ダリアは唐突に突然に、急転直下に、何の兆候もなく、泣き声を上げていた。


「……はあ?」


 ほんとうのほんとうに理解の外にある行動に僕は当惑を通り越して呆然とする。

 彼女は実際に瞳から大粒の涙を流していて、垂れた涙が彼女の首元を濡らしていた。


 今の今まで、余裕を保って話をしていた女が、なぜ、その程度で涙を流さねばならないのか、何も納得ができない。理屈がわからない。この女は、果たしてそんな性格だったか……。


「……ぐすん。ぐすん。うえぇぇぇ!!」


 声を上げて泣いている。百日ダリアが泣いている。

 むしろ嘘泣きならよっぽどその方がよかっただろう。それならそれで、そこを指摘することで何らかの情報を引き出せたかもしれない。

 けれど、目の前の少女は本当の本気で僕のことなど眼中にないように、泣き濡らしている。

 その証拠に、僕の様子など一切窺っていない。こっちを見もしていないし、むしろ泣いているのを見られるのを嫌がるようにこちらに背を向けていた。


 駅周辺の通行人が何事かというようにこちらを見ている。

 金髪碧眼の美少女が、路上で周りを憚らずに泣き声を上げている。その現状にまず当惑し、そして、そばにいる僕に、非難と叱責の視線を向けてくる。

 

 その視線の居心地の悪さに、僕は仕方なく、彼女の肩に手をかけていた。


「な、なあ、なんでこの程度のことでそこまで大泣きするんだよ。……わ、悪かったって、突然過去のことを訊いたりして僕が悪かった……だから……っ……!?」

 しかし、続けようとした言葉は言葉にならない。

 なぜなら、突然泣き声を収めた百日ダリアが身をかがめるこちらに顔を寄せて、そして、


 僕の唇を奪ったからだ。


「あははははっ。ボクのファーストキス、君の物になっちゃったね?」

「……は?」

 赤い目をした百日ダリアが弱り切った表情で唇を離し、しかし、どこか悪戯っぽく微笑んだ。

 

 なんなんだ、こいつは。なんなんだよ、こいつは。本当に理解できない。本当に何がしたいのかわからない。なんなんだよなんなんだよ! 意味がわからないにもほどがあるだろ。


「で、これが二回目のキス」

「まっ……!?」

 待てと言おうとした唇はしかし、言葉を口にするより早く彼女のそれにまたしても塞がれる。

 突き飛ばそうとした両手は、絡め取られるように彼女の両腕に持っていかれ、気づけば百日ダリアの両胸の膨らみを無理やり揉まされている。

 触り心地のいい感触に注意を持っていかれた僕は、貪るように突きこまれた彼女の舌先に反応することができない。

「……ぅん」

 どこかうっとりとするような声音が百日ダリアの喉から聞こえ、その声音に含まれる感情の色合いと先ほどまでの彼女の言動の乖離に、頭の中がぐるぐるする。

 口の中に生じる快感と合わさって、もはや何が何だかわからなかった。


 十秒ほどの接吻の後に、身体が離される。

 艶のある笑みを浮かべた百日ダリアがこちらの反応を見定めるように、凍り付いた喜色の視線を送ってきていた。


「……本当に、ボクを好きにしていいんだよ?」


 つぶやかれた声音に少量のためらいと恥じらいが含まれていることが感じられて、心を持っていかれそうになる。


「……くそが」


 生じた心象に、堪えようのない屈辱的な気分を感じて、普段では絶対に口にしない汚い言葉が漏れ出ていた。


「やっと、嘘つくのやめたね」


 そのつぶやきを注意深く聞き取っていた百日ダリアが何とはなしにそう言って、瞬時に理解する。


 この女は僕の心からの本音を引き出すためだけに、ファーストキスさえも二回目のキスさえも、あまつさえ自分の身体でさえも利用したのだと。

 その優先順位の何もかものあべこべさに、その行動の猟奇さに、僕は完全に閉口するしかない。


 こいつは人間じゃない。


 素直にそう思った。


「ではでは、相田涼くん。さようなら~。ボクを欲しくなったらいつでもここに。じゃあねー」


 おそらくは連絡先を書いてあるのだろうちぎったメモ帳の切れ端を、呆然とする僕の右手に握らせて、ひらひらと手を振りながら、百日ダリアが去っていく。


 僕はそれをただただ見送るしかない。


 すると、一度は走り去ったはずの彼女が何かを思い出したようにこちらに戻ってきて、耳元に唇を寄せる。

 それから、ふと思いついたように僕の耳を食んだ。

 たまらず、背中を跳ねさせる僕の顔を流し見て、その笑みを深くする。

「びくついてるの、かわいいよ」

 告げられた言葉に屈辱感を極め、そして、次なる言葉に身体に続いて、心中が揺さぶられる。


「そうそう。ボクは君のへんてこりんさ、そんなに嫌いじゃないんだよ? むしろ好き。だから、もしボクの心情を慮るという大義名分が欲しいのなら、まずはボクに嫌われてくれることだね。ま、きっと無理だろうけど。ボク、この世の中に嫌いな人間なんて一人もいないから」


 言って、今度こそ何の未練も残していないように、全力で彼女は改札口に疾走していった。


 残される僕に、周囲にいる何の関係もない人たちからの、好奇と奇異と不気味さと不思議さと意外感と哀れみと慈しみと嫉妬と嫌悪と祝福と、そのすべてがない交ぜになったような視線が向けられる。


 これまで一度も思ったことがないことだったが、生まれて初めて僕はこう思ってしまった。


 死にたい、と。


 それでも、本気でそれを実行に移そうとも思わないのは、それが百日ダリアという人間に復讐したいという気持ちの表れなのか、それとも、僕の中に未だ大切な人を想う気持ちが残っているからなのか、そのどちらなのかは、今の僕には判断がつかなかった。

こういうめちゃくちゃなキャラの方が個人的には書いていて楽しい。正直、一番好きなキャラです。

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