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あいだけに  作者: huyukyu
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車内

 斎藤の知り合い、正確には斎藤のおばあさんの知り合いが経営しているという旅館は九々葉家の最寄り駅からおおよそ普通電車で二時間のところにあった。

 僕は相田家の最寄り駅から電車に乗り、一旦九々葉家の最寄り駅で降りてから、藍と合流して再度普通電車に乗り込んだ。

 その他交通手段を取ってもよかったが、安くしてもらうとはいえ、高校生の小遣いにとって旅館に泊まるというのはそれなりに金銭的負担は大きい。結局、多少時間がかかろうと普通電車で行くことにした。

 二人でホームに入り、やってきた電車に乗り込む。

 

「けっこう混んでるね」


 ややげんなりしたようにつぶやいた藍の言葉通り、車内は大変混み合っていた。

 それもそのはず、僕らが合流して駅を出た時間が大体朝の八時ごろ。しかも、休日は旅館に泊まる人も多いだろうということで、わざわざ平日を選んでいる。夏休み期間中の学生はともかく、社会人の通勤の時間帯に見事かち当たっていた。二時間かかるのなら早めに出ようという計画も完全に裏目に出た感じである。

 自分らが夏休みだからといって、世間はそうではないのだ、ということがまったく頭から抜け落ちていたがゆえの失態だ。

 通勤の時間帯をわざわざ選んで大荷物を車内に持ち込むというちょっとした迷惑行為をしてしまった形だが、目算も常識も何もかもが甘い学生の失敗ということでどうにか許してほしい。


 僕と藍はできるだけじゃまにならないよう、一泊二日の荷物を持ってどうにか端の方の位置取りをキープした。座席は空いていないので、もちろん立っている。

 この電車が通るルートで行くと、これから徐々に都市の中心部に向けて近づいていき、そこを過ぎてしばらくすると、海の方へと向かっていく形になる。つまり、まだ人が増える見込みはあるわけだ。おそらく中心部でどさっと人は降りるとは思うが、そこまでまだニ十分ほどある。

 うんざりした気持ちにはなるが、自分らでやった失敗なので、何も言えることはないだろう。

 これから増えるであろう人から藍をかばうような立ち位置を意識しつつ、僕は心を無にすることを心がけた。


 次の駅に着いて、続々と人が乗り込んでくる。元々高かった車内の温度がさらに増す。会社員の群れの中に所々、家族連れや大学生のサークルらしき集団がいたりするが、彼らもまた目算を間違えた口だろうか。もしくはやむを得ない事情からこの時間にでも出ざるを得なかったのかもしれない。

 運よく乗車口から反対の扉の角にいた僕らは、乗り込んでくる大量の人の流れをせき止める邪魔をせずに済んだ。

 一方で、次から次へと乗り込んでくる人たちに()されて、内壁に押し付けられそうになる。壁に手をついて、藍を押しつぶすのだけは阻止したが、意図せずして、藍を壁際に追い詰めているような体勢となる。要するに壁ドン。両手版。


「……」

「……」


 これで照れるような関係ではもはやないのだが、真正面から真顔で見つめ合っていると、段々恥ずかしくなってきて思わず顔を逸らした。

 藍も同じように目線を下向ける。

 だがそこで、電車の揺れに(いざな)われ、汗で滑った僕の手が壁から離れた。

「……っ!」

 慌てて体勢を立て直そうとするが、間の悪いことに、後ろでバランスを崩しかけたおじさんに背中を圧されてしまい、それもままならない。

 滑った両手は下方向に動いていき、体は藍の方へ近づいていく。藍は僕を受け止めるように手を伸ばしたが、支えきれずにその手は後ろに抜けていった。

 結果的にどうなったかというと、僕は藍を抱きしめるような体勢になり、藍もまた僕の背中に手を回しているような形になる。そして、不運なことに、あるいは幸運なことに、僕の両手はまるで藍の臀部をスカートの下に手を入れて鷲掴みにしているような形となり――というかまさしくそのものとなってしまっていた。


「tンひゃぅ」


 漏れ聞こえた藍の声はごく小音量だったために彼女に耳元を寄せている僕にしか聞こえなかったはずだ。周りにはまだ気づかれていないだろうが、車内という公共の場でこんな体勢を長く続けていていいはずがない。早急に何とかする必要がある。

 本来ならもう少し喜んでもいい場面かもしれなかったが、後ろから圧されまくって腕を壁に押し付けているせいでまともにお尻の感触など楽しめない。

 何より、これから諸々含めてイチャつこうってときにわざわざこんなすし詰めみたいな状況でそれをやる必要もないだろう。

 お尻が触りたけりゃ、あとで藍がいくらでも触らせてくれる。

 ……というのは明らかに僕の考え違いだろうが、とにかく今ここでこんなことをする意味はない。


 そう。そんな意味はない・・・のだが。


「……あの、涼……」

「……いや、ちょっと、その」

「……当たって……ます……」

 藍の声は半ば消え入りそうだった。

 だって、しょうがないじゃん……。僕だって、自分の体なんだからその辺完璧にコントロールしたいさ。でもね、これだけ密着した体勢でしかも両手がお尻が鷲掴みという状況なのだ。男子高校生がそうならなかったら逆に不健全に至っているというものだ。

 有体に言って、たたない方がおかしい。


「……どうして、あの手の位置からスカートの下に手が入るの……」

 いえね、それは僕もそう思いますよ。上から下への動きしかないはずのことなのに、なぜか下から上への動きをプラスしないとできないことできてしまっているというね。

 いやー、こういう状況ってなぜかそれが世界の物理法則であるかのようにありえないことがありえちゃうんだよね。

「……すけべ」

 つぶやく藍の声音が耳に響く。

 この環境条件でそういうこと言われると、逆に気持ちが盛り上がるということをわかっていて藍はそんなことを口にしているんですかね。

 そもそも、一緒にお風呂に入ることを提案する藍に言えたことじゃないと思うんですよ。そうですよ。

 だが、今そんなことを口にしてしまうと、この目の前にあるジトリとした視線が失われてしまうかもしれないので、何も言いはしないけれど。――抱き合っているけれど、顔はすぐそばにあるので、一応藍の目は見える。

 その代わり、指先に少し力を入れた。


「……――っ!」

 声にならない声が藍の口から漏れ出づる。

「な、なにしてっ……」

「僕はすけべ、だからね」

「……っ!」

 藍がすごくむくれた顔になった。

「そっちがそうなら、わたしにも考えがあるんだから……」

 へえ、どんな? と口にするまでもなく、背筋がぞわりと震えた。

 藍が僕の耳に息を吹きかけたのだ、と気づいたのは数瞬の後。

 「ふー」という声音とその息の感触に危うく膝を曲げてしまいそうになっていた。


「や、やるね、藍」

「当然」

 威張って言う藍の表情はどこか誇らしげだ。


 なんだかわからないが、どことなく勝負じみてきた。

 周りに出勤に向け、額に汗する会社員の方々がいる中で、一体何をやっているんだろうとは思うけれど、一度火のついた心はそう易々とは消すことができない。


 僕は思いっきり張り合ってやることにした。


 まさしく目と鼻の先といった距離にある藍の耳を甘噛みする。「ひぁっ・・・」びくりと、体全体で感じる藍の全身が震えた。そのまま耳をはみはみし、時折舌先で舐め始める。

 口を動かすたびに、藍が当惑と羞恥と歓楽の織り交ざった表情でもぞもぞと体中を震わせるので、それがたまらなくかわいく、僕は調子に乗ってお尻を掴んでいる指先をさらにその下に伸ばしてしまった。


「……あ……だめっ」


 とがめるような藍の声にも耳を貸さず、僕は薄い布の上を伝い、その先に進もうとする。

 指先が薄布を介して触れてはならないところに触れようとしたところで、藍が僕の耳を思いっきり噛んだ。


「――っ」


 叫び声を上げそうになり、舌を噛んでどうにかこらえた。

 見ると、すぐそばにある藍の瞳に涙がたまっていた。

「あ……」

 僕はすぐに自分がやろうとしたことの大きさを知った。

「……目が覚めた?」

 続く藍の問いはどこまでも優しい声によって紡がれる。

「……ごめん」

 僕はただ申し訳なさに気持ちを萎えさせて、謝罪の言葉を口にする。

「……ううん。謝るほどのことじゃないけど、時と場所は考えて」

「……わかった」

 やや重い空気に苛まれながら、僕らは電車に揺られていった。




 都市部を離れ、沿岸部に近づいていくにつれて、乗客の数は減っていき、最終的には二人で座席に腰を下ろすこともできた。

 先ほどの失態を取り返すように他愛のない雑談に興じる。しばらく藍は不機嫌そうな顔をしていたが、目的地周辺の駅に着くころには大分笑顔を取り戻していた。


「涼、痴漢とかしちゃだめだよ」


 そして、僕にとてもまじめな顔で忠告してくる。

「しないしない。そんなこと絶対にしないから」

「ほんとに? じゃあ、さっきのあれは一体何だったの?」

「……やばいと思ったが性欲を抑えきれなかった」

「それ、どこかからセリフを借りてきたよね」

 わからずともお見通しか。藍の直観力には恐れ入る。


「まじめに言うと、こないだの夏祭りのときからお預けをくらった心境を抱えていたがゆえの暴挙です。ごめんなさい。言い訳のしようもございません」


 僕の言を聞き、「はあ」と藍がため息をつく。

「この間のことはわたしにも原因があるけど、涼は少し恋愛関係というものを見直した方がいいと思うのです」

「それはそうかもしれないけど」

「恋人と、その……肉体的な交わりを求めるだけの関係は違うんだからね」

「……はい。重々心に刻んでおきます」


 ただただ素直に彼女に頭を垂れるのみだ。

 藍には頭が上がらない。これから先、段々僕は尻に敷かれていくんじゃないかと心配になってきた。


「うん。よろしい。じゃあ、荷物だけロッカーに預けて海行こ」


 でも、こんな風に僕の間違いを許容して無邪気な笑顔を向けてくれる藍の尻に敷かれるのもきっと、悪くはないとそう思いもするのだった。

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