九々葉藍は翻弄される
デートの約束、計画を立ててから数日経って日曜日。
近所で夏祭りがあるという日にちに合わせて、わたしと涼は待ち合わせをした。
午後四時に駅前。
少し遅めの時間に設定したのは、一緒に買い物に行った後に夏祭りに行くつもりだから。
正確には、夏祭りというよりも花火大会なんだけど。花火が始まるのが午後七時半なので三時間半の余裕を持っている。
わたしはそんなに買い物に長い時間をかける方じゃないし、それに、取り立てて買いたいと思うものもそんなにはない。屋台でいろいろと食べたり遊んだりすることや家に戻って浴衣に着替えなおすことを考えても、時間にはゆとりがありすぎるくらいだった。
午後三時四十五分に駅に着く。
花火大会があるということもあって、周囲には人も多い。中にはもう浴衣を着ているような気の早い人もいる。
わたしも着てくればよかったかな。
着替えに戻るのは正直、手間だ。家を出る前もそう思っていたのだけど、浴衣で店内を歩き回るというのも変に悪目立ちしそうだったので、結局は私服で来ることにした。
駅前にある噴水、たまにただの噴水から切り替わって時刻を表示したりなんかしているモニュメント? の前で待っていると、半袖のシャツに七分丈のパンツという簡素な格好をした涼が現れた。
「ごめん。待たせちゃって」
「ううん。そんなに待ってないよ」
定番のようなやり取りをして、一緒に歩き出した。
「浴衣、着てないんだね」
「ん? ……あ、ちゃ、ちゃんと夏祭りに行くときには着るよ。一度家に戻らなきゃだけど」
「そっか」
涼が少し残念そうな表情をしている。
その姿を見て少し後悔した。
彼に浴衣を見たいと言われた手前、やっぱり最初から着ておくべきだった。周りの目を気にして普通の服で来るのは失敗だったかも。
「……そんなに気にしなくてもいいけど。藍と一緒にこうして出掛けられるだけで十分幸せだし。浴衣が見たいなんて言ったのは僕のわがままで、最初から着てくるのかな、なんて思ってたのも僕の思い込みだから」
わたしの表情の変化を読み取ったのか、涼がそんなことを言ってくる。
「……ごめん」
また謝ってしまった。ここで謝るのは何かが違う、という気はするのだけど、じゃあ、具体的に何をすればいいのかはわたしにはわからない。
「なんか、藍、ここ数日ぐらい、やけにテンションが低い気がするけど、何かあった?」
心配そうにこちらを覗きこんでくる涼。
「ううん。何でもない」
正直に、自分の言動を思い返して反省中です。と言えればいいのだけど、そんなことを言って涼に変な気を遣わせてしまうのも悪いと思った。
そう言えばきっと、そんなものは気にしなくていい、と涼は言うと思う。でも、気にしなくていいなんてことはないのだ。わたしの気持ちが浮ついて暴走してしまっていたのは本当なのだから。それで涼に迷惑、をかけてしまったのもたしかなのだから。
ん。だめだだめだ。こんなんじゃ、全然だめ。せっかくのデート、だというのに、こんな暗いわたしじゃ、涼に失礼だ。前みたいにもっと積極的にいこう。涼を好きだという気持ちを前面に押し出して、もっとノリノリで行く。けれど、限度を超えないように節度を弁えて、清く正しい男女交際を……。
そこまで考えて、わたしはふと思った。
節度を弁えるって、なら、どこまでならしていいのかな。
買い物というよりはウィンドウショッピング。
雑貨屋さんや本屋さんや洋服屋さんをいろいろと見て回って、冷やかすのが主。
買ったものと言えば、前から目をつけていた作家さんの、名作と言われている小説と、好きな少女漫画の新刊だけ。最近のわたしは身だしなみにもそれなりに気をつけているつもり。けれどやっぱり、根本的にわたしは本の方が好きらしい。
あー、あのお洋服いいなー、と思ったとしてもそれは数秒くらいのことで、次の瞬間にはあの小説に出てくるあの登場人物の服装ってこんな感じかな、なんて考えている。女の子らしいかというと、とても微妙だ。自分でもあまり可愛げがある感じはしない。
一時間半ほど、そうしていろいろな店を見て回って時間を過ごした。
わたしとしてはそんな風に涼と二人で歩き回るのも楽しい時間のつもりだった。今まで室内で一緒の時間を過ごすことが多かったから、こんな風に二人でデートらしいデートのようなことをするのもいいものだって。
しかし、男の涼にとってはそうではないらしく、大分、疲れた顔をしていた。足取りもどこか重い。歩幅の小さなわたしよりも、ちょっとだけ遅れてついてくる。
「えっと……少し休む?」
見かねたわたしはそう声をかけていた。
「休もう。今休もう。すぐ休もう。もうめちゃくちゃに休もう」
めちゃくちゃに休むって一体、どんな風に休むんだろう。逆にさらに疲れそうな休憩のし方だと思った。
喫茶店に入る。
わたしはアイスコーヒーを注文して、涼はオレンジジュースを頼んでいた。
「人ごみ疲れない?」
席に着くなり、涼はそんなことを言う。
ああ、それで涼はあんなに疲れたような顔をしていたのか。
わたしも人ごみは苦手な方だけれど、不思議と涼と一緒にいると思うと、あまり気にならなくなっていた。自分でも不思議なことに、自分一人で買い物に来たときや、お姉ちゃんと一緒に来たときに比べて、まったくと言っていいほどほかの人が目に入らなかった。
だから、それを正直に伝えたのだが、
「……僕はやっぱり無理なものは無理だったよ……」
と、涼はどこか遠い目をしてそう言うのだった。
「じゃ、じゃあ、えっと……、そうだ。何か甘い物でも食べに行こっか」
これ以上こんな状態の涼を連れ回すのも酷だと思ったのでそう提案した。
「屋台も回るつもりなのに、そんなに食べて大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ。ほら、わたしは比較的体型が幼いから、まだ身長が伸びる余地もあるし。成長するから少しくらい食べ過ぎても全然平気!」
自分で言っていて悲しくなってきた。
「藍がそう言うのなら。じゃあ行こう」
アイスクリーム屋さんに入る。3と1に縁の深そうなアイスクリーム屋さん。
わたしはクッキーアンドクリームと抹茶の二つを頼んだ。一応、食べ過ぎに気を遣って小さめのサイズで。二つ頼んでいる時点で意味ないのでは、という指摘は受け入れません。
涼は普通のサイズのダブルをバニラ二つ頼んでいた。
よっぽどバニラアイスが好きなのかな。
席に着くと、涼が無言でバニラアイスを黙々と食べ始めた。舐めてかじって舐めてかじって、を延々と繰り返している。上を食べたり下を食べたり、同じ味だから変わらないと思うのに、夢中になって食べていた。
わたしも同じように無言でアイスに向かう。
上のクッキーアンドクリームを食べ、甘いなと感じたら抹茶に移る。それでもどうしようもない甘さに舌が麻痺してきたらコーンを食べる。そういう食べ方。
メリハリ、って大事。押したり引いたり。甘かったりしょっぱかったり。
もしかしたら人間関係もそうなのかな。恋人同士と言ってもずっと恋の炎が燃え盛っている関係というのも稀有なものなかも。普通は燃えたり鎮火したりを繰り返すのかもしれない。・・・ううん、鎮火しちゃだめか。
「おいしい?」
いつの間にかバニラアイスをすべて食べ終わってしまっていた涼が、わたしの顔を見てそう言った。
「おいしいよ。それより、どうして涼は二つとも同じものを頼んだの?」
「なんとなく、無性にバニラアイスに埋もれたくなったから。スタンダードだけど、だからこそその衰えない魅力を堪能したくなったのさ」
「な、なるほど」
言っていることの六割は理解できなかったけれど、涼の言動はいつもこんなものだからいいかな。……わたしの言動も似たようなものだとは思わない、けど。
「食べる?」
どこか彼が物欲しそうな顔をしているのに気付いたわたしは自分のを差し出した。
「食べかけでよければ、だけど」
「じゃあ、一口もらう」
そう言ってクッキーアンドクリームの残り二割くらいを涼が一口でもっていった。一口大きい。
そして、手元に戻ってきたアイスのその部分をなんとなく見つめてしまう。
「どうしたの?」
「う、ううん。なんでもない」
あれだけキスまでして、今更こんなことを意識するのもおかしな話なのだけど、やたらと気になってしまった。
しばらく時間を潰して、午後六時になった。そろそろいい頃合いかもしれない。
「一度家に戻って、浴衣に着替えてきてもいいかな?」
「おっけい。ところで浴衣って元から持ってたもの?」
「ううん。お姉ちゃんがせっかくだからって言って一昨日買ってくれた。本当は自分で買おうと思ってたんだけど、誕生日プレゼント代わりだ、とか言われて」
「藍の誕生日はいつなの?」
「九月十二日。だから、二か月は早い誕生日プレゼント」
「へえ。じゃあ、そのときは僕も何かあげるよ」
「ほんとう? ありがとう、涼」
バスに乗って高校の近くまで戻った。
家に戻って涼にはリビングで待っていてもらい、わたしは自分の部屋に上がった。
ドアを開けると、自身も浴衣姿のお姉ちゃんが待っていた。着付けを手伝ってくれる予定なのだ。
「お姉ちゃんも夏祭り?」
「まあ、そうだよ。けど、安心していいよ。藍ちゃんと相田君の二人っきりの時間をじゃましたりなんかしないから。あたしはあたしで適当な友達捕まえてあるから」
「そうなんだ」
本当に友達なのかな、と疑問に思ったけど、それ以上訊くのはやめておいた。お姉ちゃんはわたしのことはそれがどんな些細なことでも訊きたがるくせに、自分のことはあまり話そうとしないから。
「ところで、藍ちゃん。浴衣の下、はかないでいかない?」
「……へ?」
一瞬、お姉ちゃんの言っていることが全く頭に入ってこなかった。
はかないってどういうこと?
「いや、だからさ。ノーパン、ノーブラで行こうぜ、っていう話」
「……っ! そ、そんな直接的な言い方しないで! ……って絶対やだよ! なんでそんなことしなくちゃいけないの!?」
「その方が相田君悦ぶと思うけど?」
「……嘘でしょ?」
「嘘じゃない嘘じゃない。男なんて単純な生き物だから。今自分の触れている女の子が薄皮一枚引っぺがしたら全裸だなんて、それで興奮しない奴いないっての」
「……浴衣の下に何も着ていない女の子とデートなんて、普通ドン引きすると思うけど……」
「藍ちゃん、君は男を知らなさすぎる。男なんてみんな、一線越えたらケダモノみたいなもんよ」
「……じゃあ、お姉ちゃんはその下に何も着てないの?」
「え? なんで? あたしは普通に着てるよ。なんであたしがそんなバカみたいな真似しないといけないわけ?」
平然とした顔でそう宣った。
……。
こ、このお姉ちゃん……む、むかつく!
「そんな顔しなさんなって。人気のいない公園とかで二人っきりになって、実はこの下何も着てないんだ、とか言ったら、相田君だって、思わず襲っちゃうと思うよ」
「な、なに言って……っ」
「だって、藍ちゃん、相田君に襲ってほしいんでしょ? ちがう?」
「……そういうのじゃないってば」
……ほんとうのほんとうに本音を言えば、相手の気持ちとかを考慮せずに、涼の都合や気持ちを全く考慮せずに自己中心的な思いを言えば、襲ってほしいけど、最後まではしてほしくない。わたしに対して魅力を感じていることを確認した上で、それでも何もされないままでいたい。
そんな風に考える自分がとても自己中なのはわかっているけれど。
「ま、渋りたいならどれだけ渋ってもいいよ。時間はまだ余裕だし。それに、藍ちゃんがノーパン、ノーブラにならなきゃ、あたしは着付けなんてするつもりないし」
「え……!」
このお姉ちゃん、どこまでほんとうにお姉ちゃんなんだろう。
「だってさー。藍と相田君がはじめてデートに行くっていうのにさー。普通に浴衣着て普通に夏祭り楽しんで、っていうのじゃ、つまんないじゃん。やっぱりなにかしらの火種になるようなものは植え付けておきたいよね」
「普通にデートを楽しませてよ!」
心からの叫びだった。
「まあまあ、別につけてなくてもはいてなくてもパッと見た感じわかんないんだから、普通にしようと思えばできるって。藍ちゃんがやろうと思えばね。相田君を誘いたいなって思うなら、見せてやればいいし」
「見せないよ!」
はいていないのが興奮するという話が、どうしてそれを見せるという話にすり替わっているのだろう。
「さあ、それで、どうするの? 藍ちゃん。あたしに着付けしてもらって、ノーブラノーパンだけど完璧な着こなしを見せるか、それとも自分で着付けして、つけてるしはいてるけど不格好なままデートに臨むか」
選択を迫るように、お姉ちゃんが顔を近づけてくる。
うぐ。不格好って言われると、ちょっと心に刺さる。さっきも浴衣を着ていかなかったせいで涼を残念がらせてしまったことだし。
だけど、下になにもつけないなんてそんなはしたない真似は……。
「……わ、わかったよぅ」
そう返事をしてしまった。
はあ……。なんでわたしはいつもお姉ちゃんのいたずらごころに翻弄されてしまうのだろう。そして、どうしていつもお姉ちゃんが考えた通りの回答をしてしまうのだろう。
ほんとうに、いや。お姉ちゃんに反抗できない自分が。
「さあ、脱いで脱いで」
そう口にしながら意気揚々とわたしの服を剥ぎとりはじめる。
でも、これでほんとうに涼は喜んでくれるのかな。




