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あいだけに  作者: huyukyu
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リョウカイ

 七月十九日。水曜日。夏休みが始まるまで、今日を含めてあと六日。土日を除けばあと四日。

 その日、僕は学校に行った。

 怪我は大したことはない。せいぜい、殴りすぎて拳が痛いぐらいのものだ。骨にも異常はない。体のいくつかの箇所に打撲があるぐらいで、骨折などはしていない。

 僕が殴った相手である、旧姓日比原勉、現在の斎藤努もまた大した怪我ではないらしい。警察署で事情を聞いた父と母によれば、骨にも異常はなく、怪我はやはり打撲やねんざの類ばかりだということだった。

 さもありなん。僕の腕力などたかが知れているし、殴打だけで殺してしまうようなことは普通の高校生一人にはなかなかできない。複数人で囲んで殴るとか、そういう暴力的ないじめの現場ならあり得るかもしれないが、僕は大して腕力のない、体格的には一般的な範疇に収まる男子高校生だし、斎藤にしたってそうである。それで大きな怪我に陥ることはまあ、なかったのだろう。当たり所が悪ければ、万が一というのはあるが、今回はそうではなかった。

 斎藤が何らかの罪に問われたのかと言えば、そういうことはないらしい。ただ僕と殴り合った事実について事情聴取を受けただけのようだ。あいつが藍さんに何をしようとしたのか、正確にはわからない。しかし、ことは未遂に終わった。何をしようとしていたのかも明確ではない上に、藍さん自身も何も言わなかったのかもしれない。とにかく、本来なら何らかの取り調べを受けるべきであろうあいつはそれを逃れた。不満はある。不平もある。僕はそれについて何かを行動するべきなのかもしれない。でも、それ以上に、僕は自分のしたことの大きさをまだ完全に受け止めきれずにいる。それに、なんとなくだが、あの男ともう少しきちんと話をしてみる必要性を感じていた。


 今日ばかりはさすがに父の車で学校まで送ってもらい、正門をくぐる。

 教室に入り、自分の席に着いた。

 学校で噂になっているのでは、と危惧したが、そんなことはないらしい。

 あの場にいたのは、僕と栗原と、斎藤と藍さん。言いふらす面子はいなかったか。

 怪我もそれほど目立つようなものでもない。

 警察からの連絡は学校側にも届いているだろう。それほど荒れている学校でもない。先生たちはさぞ驚いたことだろう。しかし、僕の側に停学等の処分が下されていないところを見ると、どういう風に事情が伝わったのか。藍さんや斎藤、栗原の奴がどういう風に事情を説明したのか、気になるところだ。

 斎藤は学校に来ていなかった。昨日の今日だ。無理もない。むしろ、平然と来てしまった僕の方が異常だろう。

 栗原は来ていた。

 僕の顔を見ると、すぐ近寄ってきて、例のごとく、「……大丈夫?」と訊いてきた。表情には怯えの色は一切ない。

 彼女は「ころしてやる」と何度も(のたま)った僕の姿を見ていたはずなのに、怖がるでもなく心配されるとは恐れ入る。ほんとうのほんとうにいつか礼は必ずする。


「……一応、大丈夫。いろいろへこんだけど、問題ない」

 歯切れ悪く僕は答える。

「……昨日のこと、覚えてるよね?」

 そんな僕の顔を見て、触れてもいいのか迷うように栗原は訊いた。

「ああ。全部、覚えてるよ。自分が、何をしたのか。何をしてしまったのか」

「そう。あのね。……昨日ね……」

 だが、それ以上先を栗原は口にしなかった。

 両手の指先を合わせ、開いたり閉じたりしている。

 何かを、言うべきかどうか迷っているようだった。

「少し、場所を変えよう。教室でする話でもないだろ」


 実験棟、人気のない廊下に場所を移した。早朝のため、ほとんど人はいない。

 それから少し、栗原はためらう素振りを見せていたが、僕と目を合わせ、やがて決心したように口を開く。

「……あのね。昨日、君が気を失ってから少しして意識を取り戻したとき、言動がすごくおかしかったの。周りの状況が何にもわかっていないみたいに呆然としていて、論理がまるで定まっていない言葉を繰り返して、支離滅裂だった」

 僕はどうやら、相当に危ない人間と化そうとしていたらしい。

「……あのとき、警察を呼んだのはわたし。斎藤の奴がどこまでしようとしていたのかはわからなかったけど、キスだけでも十分、腹が立った。けどね。それ以上に、君がとても危うく見えたの。すごい剣幕で彼に向かっていって……。相田君、あのとき周りがまるで見えなくなってたよね。わたしの声にも何も反応しないし……。だから、他の人を呼ばなきゃって思ったの。君を止めなきゃって。何より、君自身が心配で。……ごめんね。こんな大事(おおごと)にしちゃって」

 栗原は申し訳なさそうにそう言って、軽く頭を下げた。

「いや、僕の方こそ悪かった。自分があんな風になるとも思ってなかった。僕の方から強引に誘っておいて、とても迷惑をかけた。本当にすまない」

 深く頭を垂れた。栗原にはもはやいくら返しても返しきれない恩がある。それと同時に彼女に多大な負担をかけてしまった。本当に申し訳がない。


「ううん。迷惑だなんて、そんなことないよ。わたしも藍ちゃんと君のことが心配だったから。君たちがまた仲良くしてくれないと、わたしもとても嫌だし」

 栗原はほんとうにいい奴だ。藍さんともっと仲を深めてほしいと思う。

 だから、僕ももっときちんとしなければ。

「ありがとう」

 何も返せない今は、せめて言葉だけでもお礼を述べておく。

「どういたしまして」

 栗原は照れたように微笑んだ。




 するべき話はした。教室に戻ろうか、そう僕が口にしかけたとき、栗原が切り出した。


「……斎藤の小学校時代の同級生って子が隣のクラスにいたよ」


 唐突だった。しかし、それが何についてのことか、僕はすぐに理解した。

 それは昨日、僕が栗原に頼んだことだ。藍さんと斎藤の過去を調べてくれと。藍さんの秘密に関して知る僕の当ての、あくまで保険として。

 それなのに、昨日の今日で、栗原はもう、動いてくれたらしい。


「どうだった?」

「……詳しいことはわからないけれど、斎藤……元日比原だっけ。彼がひどい目に遭っていたというのは本当みたい。不登校児として、彼とは別のクラスだったその子にも話が伝わってきていたそうよ」

「……なぜ不登校になったのか、わからないのか」

「その子はたぶん、彼がとある女の子に告白したからだと思うって言ってたわ」

「……藍さんか?」

「……百日(ももか)ダリア」

 聞き覚えのない名前を、栗原は口にした。

「だれだそれ」

「当時、斎藤と同じクラスにいたフランス人と日本人のハーフだそうよ。学校中に名前が知れ渡るくらいには綺麗な容姿をしていたって」

「そいつが藍さんと関係あるのか?」

「さあね。そこまでは。けど、すごく綺麗な子だったから、その子に告白した斎藤が、とてもひどいことをされたんだって、その子は言ってたわ」


 当時がどういう状況だったかわからない以上、勝手なことは言えないが、容姿の綺麗な女の子に告白したくらいでいじめに近い状況に陥るものだろうか。そもそも、それだけ綺麗だというのなら、告白したのが斎藤だけであるというのもおかしな話なのだが。

 小学生なんて、ほんとうに幼くて幼くて仕方のない時代だけれど、それでも、そこまで理不尽ないじめを行ったりするとはあまり思えない。

 何か別の事情も存在しているのかもしれない。


「わたしにわかったのはそれだけ」

「ありがとな。栗原。お前へのお礼は必ずするよ。お前に何か要望があれば、何でも聞く。これが終わるまでに考えておいてくれ」

「……ほんとうになんでもいいの?」

「いいぞ。なんでも。僕にできる限りのことをしよう」

「ふーん」

 栗原は意味ありげな流し目を向けてきていたが、僕にはその意図がいまいちつかめなかった。




 授業を終えると、やってきた担任の先生から職員室に呼び出され、多くの先生たちに囲まれる中で、昨日のことについて再びの事情説明を強いられた。

 先生たちの話では、僕と斎藤は痴情のもつれで喧嘩に発展した、ということになっていた。

 間違ってもいない気がするが、少しばかり斎藤に対して甘い言い方だと思う。

 あいつがやっていたのは脅迫の類だ。だが、今それを言うわけにもいかない。

 僕はどうにか、先生たちの認識に変化を加えないよう、彼らからすれば煮え切らないと感じるであろう説明をひたすら繰り返した。


 職員室から出ると、携帯がなった。

 着信相手は、知らない番号。

 とりあえず、出た。


「はい、相田です」

「もしもし~、相田君? どうも一週間ぶりくらい~。楓です~」

 異様に語尾を伸ばしたのほほんとした声音が僕の耳にこだました。

 少しも怒気を感じられない様子だが、僕の背筋に冷や汗が走る。


「楓さんですか? 何かご用でしょうか?」

「”何かご用でしょうか?”」

「い、いえ、その……」

「あ・い・だ・くんっ♡。君、本当にあたしの用がなんだかわからない????」

「……わ、わからない、です」

「へえーーー。そーーーー。……じゃあね。言ってあげる」

 電話の向こう側で、すぅと息を吸う音が聞こえた。


「――ちょっと面貸せよ相田」

 女性とは思えないほど低く重い声が鼓膜を震わせた。


「……は、はい」


 僕はどうにか返事をするので精一杯だった。

了解(涼解)

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