流れていくもの
一時間という少々の間だが、カラオケを楽しみ、すぐに帰宅するという藍さんを駅前のバス停から見送る。
「ばいばい、藍ちゃん」
「うん。ばいばい。涼君も」
「うん、また来週」
小さく手を振って、バスに乗り込む藍さんを見送り、しばらくして車体はゆっくりと発進した。
バス停に残される僕と栗原。
「で、訊きたいことって何?」
バスの後ろ姿がまったく見えなくなると、ざっくばらんに彼女が問うた。
見上げる視線はややこちらを警戒したようなもの。
カラオケ店にいたとき、藍さんがトイレに立ったタイミングで帰りに少し話せないか、訊きたいことがある、と栗原に持ち掛けた。
彼女は意外そうに眉を持ち上げたものの、僕の提案に頷き、結果、今の状況に至る。藍さんには帰りに寄りたい店があると言い訳した。
「立ち話もなんだから、その辺に座ろう」
と、僕は駅前のちょっとした広場にあるベンチを指し示す。
「まあ、いいけど」
話を逸らすような言い方だったからか、不満げに彼女が頷く。
三十センチほどの距離を置いて僕らは腰を下ろした。
目の前に人通りの多い駅前で存在感を主張する大きな噴水が目に入る。
夕方、交通量の多い駅前の大通りで、多数の車が流れていく様を見るとはなしに視界に入れながら、僕は切り出した。
「訊きたいことっていうのはまあ、クラス内での藍さんの様子なんだけど……」
「なんだけど?」
「ほら、最近、藍さんクラスの連中とも仲良くなり始めただろう? でも、女子の間のやり取りとか、僕にはわからないからさ。その辺、角が立っていないのかな、なんてお前に聞いておこうかと」
「……ふぅん」
探るような上目遣いをした彼女はわずかな間、やはり何かに不満を覚えているように、難しい声を出していたが、やがて何に満足したのか、一つ頷いて口を開く。
「相田君が心配しているようなことは何もないよ。元々、悪い子じゃないと思うからね、藍ちゃん。まだちょっとぎこちないところはあるけれど、概ねうまくやっているんじゃないか、とわたしには見えるよ」
「そうか」
こんなことを僕が心配するのもおかしな話だが、気にはなっていたことだったので、少し安心する。
彼女の学校生活がよい方向に向かっているのなら、僕にはそれが一番いいことのように思われる。
「ただ」
と、栗原が不穏さを隠そうともしない言い方で、付け加える。
一定間隔で形を変える噴水のモニュメントが少しだけ勢いを強くした。
「男子の方はそうじゃないのかな、とも思うけど……」
浮かない表情をした彼女がぎこちなく口にする。
「そうじゃないって、どういう意味だ?」
「……相田君も男子だから、少しは感じているのかと思ったけど、そうでもないのね」
「そりゃあ、僕は孤立しているから。そういう雰囲気とは無縁だ」
「威張っていうことじゃないと思う」
やや胸を張って言うと、冷静な指摘が入って鼻白む。
「正確に言うとね。男子って言うよりかは、一人だけなんだけど……」
と彼女が言ったところで、僕は今日の授業の最後の時間のことを思い出す。
「もしかして……斎藤か?」
僕が体育の時間に初めて話しかけられた男の名を出すと、栗原は目を見開いた。
「気づいてたんだ?」
「別に。ちょうどタイミングよく、さっきの体育の時間に忠告まがいの戯言を吹っ掛けられただけだ」
「戯言っていうと、どんな?」
「藍さんに関わるのはやめておいた方がいい。きっと、騙されてひどい目に遭うぞ、みたいな」
「なにそれ」
憮然とした声を上げて、顔をしかめる栗原。
仲良くなった藍さんがそんな風に言われているのが気に食わないのかもしれない。
優しい奴だと思う。
「斎藤君ってあんまり話したことないけど、そんなこと言う人だったんだね」
「お前にはあいつがどういう風に見えてたんだ?」
「どういう風に見えるも何も、大して気にもかけてなかったけど……。強いて言えばちょっと嫌な笑い方する人だな、とは思ったかな」
「どんな?」
「……人を馬鹿にしたような笑い方」
「ああ……」
それについては納得する。
まさにそんな笑い方で話しかけられたところだからな。
「で、その斎藤がどうだって?」
「ああ、うん。藍ちゃんが女子のグループの中で話なんかしてると、時々、親の仇でも見るみたいな目で彼女のこと、見てたから」
「ふぅん」
漏らした声音は栗原にはあまり興味を持っていないように聞こえたかもしれないが、胸中で僕はとてもとても面白くない気持ちを抱いていた。
けれど、それを表には出さず、変えないトーンで問い返す。
「それを見て栗原はどう思ったわけだ?」
「……単純に不愉快だな、って。藍ちゃんが何をしたわけでもないのに、あんな目で見るなんて失礼だよ。きもちわるい」
「……」
嫌悪を隠そうともしない彼女の言い草に意外感を覚える。
栗原はもう少し言葉を選んで口にする人間かと思っていた。
「……なに?」
顔に出ていたのか、居心地悪そうに身をよじった彼女が問いかける。
「いや、お前ってずいぶん歯に衣着せない発言をするんだなって思って」
「…………別に、誰にでもこんなこと言うわけじゃないけど」
虚を突かれたように一瞬押し黙った栗原が拗ねたようにぼやく。
「それは僕だからってこと?」
「そう。相田君だからってこと」
口にしてから、彼女は慌てたように僕の顔色を窺ったようだったが、僕が大して気にしていないのを見ると、視線を前に戻した。
時間が経過するにつれて駅前の人数は増えていっている。
あまり長話をするにも落ち着かない。
「まあ、僕が訊きたかったのはそんなところだな。女子の方で問題がないのなら、それでいい」
「……斎藤君の方は?」
「さあ。あいつが何を考えているのかは知らないけど、藍さんに害をなすようなら、どうにかしたいと思うだけかな」
「……そう。まあ、そうだよね」
しみじみと頷いた栗原が勢いをつけるように立ち上がる。
「じゃあ、そういうことで。わたしはこっちだから。ばいばい。相田君」
彼女が手を振って、駅構内の方に消えていく。
僕も何とはなしに手を振り返し、ぼーっとその後ろ姿を眺めていた。
改めて思うけれど、栗原るりは望外にいい奴だと思う。
藍さんのことも、僕に対しても、嫌な態度一つなく接してくれて、ほんとにいろいろとしてもらっていることに感謝する。
……僕も少しは彼女を見習わなければいけないかもしれない。
藍さんもクラスになじみ始めた今、一人孤立を望むのも悪目立ちするかも、だし。
ただ現在のところ、僕に変わる意志などまったくないのだが。
それに今は藍さんがいてくれれば、それ以上は望まない。
彼女がいれば、僕の日常は満たされる。
――逆に言えば、それが損なわれる可能性が出てきたとき、僕は自分がどうなってしまうかわからないわけなのだが。
忙しなく流れていく雑踏を一人ベンチに腰を下ろしながら眺めて、僕はそんなことを考えた。
2018_3/23追記:第1部分からここまでは、2014年に投稿してあったものを、2017年12月から2018年3月の間に改めて、すべてまるごと書き換えたものです。そして、次の部分からは2017年1月から書かれたものになります。なので、文章力というか、ストーリー力的なものの熟練度には一年の差があることになります。一応、及第点は超えていると思っていますが、モノローグが無駄に長かったり、文章が拙い部分がありますので、その点留意していただけると幸いです。
また、後に修正していきますが、『肝試し』という単語が出てきた場合には、『天体観測』と脳内変換いただけると嬉しいです。その他にも違和感がある部分はあるとは思いますが、順次修正していく予定です。




