カラオケ
その日の放課後。
僕と藍さんと栗原は揃って教室を後にする。
彼女のクラス内での立場が変化したからか、あまり不躾な視線は感じられなかった。
昇降口で口を履き替え、校門を出る。
この学校の存在する周辺には娯楽施設の類は一切ない。
放課後に遊びに出ようと思ったなら、校門前のバス停から最寄り駅までおよそ三十分ほどバスに揺られる必要がある。
バス停に並んで路線バスを待っていると、気まずい沈黙が場に満ちるのを嫌ったように栗原が口を開いた。
「藍ちゃん、カラオケとか初めてって話だったよね?」
「あ、うん。そうだけど」
「休日とか何してるの?」
「……お家で一人で本を読んだりとか」
「とか?」
「あ、あとは、映画を借りてきて見たりとか、最近はお菓子を作ったりなんかも……」
「へえ、藍ちゃん、お菓子作るんだ。何作るの?」
「今はおいしいクッキーの作り方を勉強してるよ」
「わあ。今度食べせてもらってもいい?」
「……いいよ」
「ありがとう、藍ちゃん」
二人が少しずつ距離を縮めるように話している姿を僕は黙って見つめている。
藍さんは少し意気消沈気味に受け答えをし、栗原はそんな彼女にテンションを合わせるように、少しだけ明るめのトーンで話をしている。おそらく、相手によって微妙にしゃべり方とか反応を変えたりしているのだろう。クラス内で他の女子と話している栗原を見ていると、もう少し今風なしゃべり方をしていたりとか、テンションを高めにしていたりとかする。今は藍さんが相手なので、落ち着いた口調を心がけている、といったところだろうか。
改めて、彼女をいい奴だと思う。
しばらくしてバスがやってきて、三人で乗り込む。
放課後で帰宅する生徒も多く、混雑した車内だったが、なんとか一人掛けの座席を見つけ、そこに藍さんを座らせる。
僕と栗原は側面に、まるで彼女を守るみたいにして立った。
「……ごめんね。わたしだけ」
申し訳なさそうにする藍さんに、僕と栗原は気にしていない、というように首を振った。
「ところで、相田君」
「ん?」
「……最近、藍ちゃんとはどうなの?」
「どうってなんだよ」
「なんていうか、その、少しは仲良くなったのかな……なんて」
ばつが悪そうに目線を逸らす栗原に、僕は平然と答える。
「まあ、以前よりは仲良くなったんじゃないか。わからないけど」
「そっか。それは何より」
「……本人の前でする話じゃないと思うんだけど」
見ると、藍さんが困惑した表情で僕の顔を見上げている。
それに栗原は焦ったように、
「あ、あー、ごめんね。ちょっと、相田君に振る話題が見つからなくて……」
「……いるよな、特に性格が悪いわけじゃないのに、何て話しかけていいかわからなくなる奴」
「……それ、自分のことを言ってるの?」
「他にあるか?」
真顔で答えると、栗原が呆れた顔をする。
「……相田君、ちょっとひねくれすぎじゃない?」
「ひねくれてるわけじゃない。元から変わり者なだけだ」
「……はあ」
僕と話をするのは疲れる。
そう主張するように彼女は肩を落とした。
三十分後。
駅前に降り立った僕らは、栗原を除いて人の多さに辟易する。
藍さんはもうあからさまに帰りたそうな表情をしていた。
「さあて。せっかく三人で来たんだし、どこか別の場所も見て回る?」
「回らない」
「回らない」
今、僕と藍さんの心が完全にリンクした。
「えー。なんで二人ともそんな嫌そうな顔なの?」
「逆になんでお前はそんなにテンションが高いんだよ」
「いや、だって、女子高生の放課後だよ? いっぱい遊んで楽しまなきゃ」
「……一日の仕事を終えたら、家に帰って寝るだろ、普通」
「君まだ働いてないでしょ」
「もう六時だぞ? 完全に業務時間外だって」
「……君はどこのホワイト企業の社員さんなの?」
嘆息する栗原。
それから不毛なやりとりを繰り返し、最終的に彼女が諦めたようにため息を吐いた。
「まあ、今回は藍ちゃんの気持ちを汲むよ。決して相田君の、じゃないから、そこは勘違いしないでね」
「はいはい」
適当な返事を返すと、栗原は少しだけ憮然とした表情になり、けれど、気持ちを切り替えるように息をついて、すぐに藍さんの方に向き直る。
「渋っちゃってごめんね、藍ちゃん。行こっか」
「ううん。ぜんぜん」
栗原が藍さんに笑いかけ、彼女がそれに首を振る。
そのまま近くのカラオケ店に足を向けた。
受付を済ませ、個室に入る。
金銭的な理由から、注文等は行わない。
特に変なオプションのついているルームではなく、ただ単に歌うためだけのシンプルな部屋だ。
入り口から向かって左側にモニターとカラオケ用の機械があり、正面にソファとテーブル、それを挟むようにしてもう一つソファ。
壁側に藍さんと栗原が並んで座り、テーブルを挟んで向かいに僕が腰を下ろした。
「さあて。一発目は藍ちゃんから」
「ええ!?」
そう言ってマイクを手渡した彼女に、藍さんが目を剥く。
心底驚いた顔がちょっとかわいかった。
「……わ、わたし、何歌ったらいいか、とかわからなくて……」
「なんでもいいって。好きなもの歌うといいよ」
「って言われても……」
困り顔の藍さんが助けを求めるように僕を見る。
しかし、僕を頼られても、彼女がどんな曲を歌えるかなんて僕は知らないのであって。
「……うー……じゃあ、これ!」
散々悩んだ挙句、栗原に一番手をごり押しされた藍さんは、選曲用の機械を操作した。
モニターに表示された曲名は『ぼくドラえもん』
……うん。まあ、かわいくていいんじゃないだろうか。
おっかなびっくりマイクを握りしめた藍さんが昔ながらのアニソンを歌い始める。
緊張した様子ではあったが、音程は外していなくて、歌自体は普通に上手い。
とはいえ、ドラえもんの歌がいくら上手くても、微妙な気持ちにしかならないが。
「……緊張した」
歌い終えた後、ほっと安堵の吐息をして、すとんとソファに腰を落とした。
ぱちぱちぱちと、僕と栗原は生温かい目で拍手を送る。
藍さんは律儀にも小さく頭を下げた。
「じゃあ、次はこのるりちゃんが歌わせていただきましょう!」
それから、ちょっとテンションがおかしな方向に行っている栗原が立ち上がり、二本目のマイクを握りしめる。
選んだ曲は『ムーンライト伝説』
きらりんとなぜか曲とそんなに関係なさそうなポーズを取って栗原が歌い始める。
っていうか、君ら古いね。初代のドラえもんにセーラームーンって。本当に平成生まれか。
「……決まった!」
歌い終えた後、もう一度ポーズを決めてみせる栗原に、僕は白けた目を向ける。
藍さんはがんばってぱちぱちと拍手を送っていた。
スカートの裾を整えて座り直した栗原は若干赤い顔をしている。
「……ちょっと、調子に乗り過ぎちゃったかも……」
「だ、だいじょうぶだよ。かわいかったし」
珍しく、藍さんが栗原を慰めるような形になっていた。
なんでそんな無駄にテンション上げてるんだろうな、栗原。
「さて、じゃあ、順番的に今度は僕か」
ぽつりとつぶやくと、藍さんが顔を上げて、期待に満ちた目を僕に向ける。
……なーんか、過剰に買い被られている気がしないでもないけど、まあ、いいか。
機械を操作して、曲を入力した。
軽快なメロディが流れ始める。
モニターに表示された楽曲は、『Danzen! ふたりはプリキュア』
なんとなくアニソンの流れだったので乗ってみた。
後悔はしていない。
人前で歌うのは実は初めてだったりするので、若干恥ずかしく思いつつも全パート歌い切る。
「……ふぅ」
歌い終わって、一息つく。
「……よかった」
「……意外と上手いね、相田君」
またぞろ、ぱちぱちと一生懸命手を叩いてくれる藍さんと、何て反応していいかわからないみたいな顔で褒めてくれる栗原。
……ボケたのに真面目に反応されると無性に恥ずかしいな。
それからしばらく、三人でカラオケに耽った。




