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あいだけに  作者: huyukyu
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変化する

 人間関係は変化する。

 一瞬前まで仲の良かった人間と小さなきっかけから仲たがいすることもあれば、クラスで孤立していた人間が急激にクラスに溶け込むこともあり得る。

 人の感情なんて曖昧なもので、許せないと思っていたことがほんの些細な原因によるものであったり、人によっては大きく心を傷つけられる事態であっても平然としている人間もいる。


 そんな風に変わりゆくのが人間の心と関係だから。


 期末テストという一見、契機にもなりえない契機を経て、藍さんを取り巻く環境は急激に変化した。


 テスト勉強の甲斐あり、というか、藍さんや楓さんに教えてもらった甲斐あり、というか、期末テストにおいて、僕の成績は飛躍的に向上した。

 前回の中間テストにおいては赤点ぎりぎりだった点数が、文系教科においては平均点を大きく上回ることとなり、理系教科に至っても平均点辺りを滞留することになった。


 そして、藍さんの成績は、といえば。


「……百点?」

「うん。現代文と古典は九十八点で、それ以外は百点」


 そう。彼女の成績は全教科ほぼ満点、といういっそふざけたものとなっていた。

 

 進学校ならいざ知らず、それほど学力が高いわけではないこの学校において、そんな成績を叩き出す人間がいるというのはかなり衝撃的なことだったようで、僕との何気ない会話によって藍さんのテスト結果が広がってしまった結果、彼女は入学以来再び、クラス内で注目を受けるようになってしまった。


 それに対して、以前同様、彼女がすげない態度を取り続けていれば、またぞろ浮いた存在として僕同様認識されるようになったかもしれないが、彼女の言動は以前とは一線を画していた。


「九々葉さん」

「……なに?」

「宿題でちょっとわからないところがあったんだけど……」

「あ、うん。どこ?」

「……英語のこの文法、なんだけど」

「あ、これは――」

「……あ、そっか! そういうこと。ありがと」

「……うん。どういたしまして」


 僕と接しているときに比べれば、若干棘があったり、言葉少なだったりすることはあっても、クラスメイトに対して少しだけ胸襟(きょうきん)を開いた態度を取るようになっていた。

 成績がいい、頭がいい、ということもあり、勉強でわからないところがあればとりあえず九々葉さんに、みたいな空気感がクラスで形成され、それを彼女が拒まなかったことで、クラス内での彼女の立場が少しずつ築かれていこうとしていた。


 そして、そんな風に彼女がクラスになじんでいくようになれば、当然、やたらと藍さんにこだわっていたあいつもまた接していこうと思うみたいで。


「藍ちゃん」

「あ、栗原さん」

「わたしも勉強、教えてもらってもいいかな?」

「……よろこんで」


 栗原るりは、そんな環境の中で、一番、藍さんに距離を近づけていた。

 入学当初、初めに彼女に声をかけたのはそもそも栗原であって、何度拒絶されても諦めなかったということもあり、薄々藍さんもこうなることをわかっていたのかもしれない。

 一度は手痛く拒んだはずの栗原との関係を受け入れた。

 以来、彼女たちはそれなりに仲良くなっているようで、時折、栗原が藍さんを遊びに誘っているのを見かける。

 ……まだ一度も彼女はそれに応じてはいないようだが。


「あのね。栗原さん」

「……あのさ、藍ちゃん」

「な、なに?」

「いい加減、そんな他人行儀な呼び方はやめにしてくれない?」

「……え?」

「わたしは藍ちゃんって呼んでるんだからさ。藍ちゃんももっとかわいくるりちゃんって呼んでほしいな」

「……えっと、いいの?」

「いいもなにもないよ~。その方がわたしもずっと話しやすくて、藍ちゃんと仲良くなれてるんだ、って気にもなれるんだから、ぜんぜん気にしなくていいんだよ」

「……じゃ、じゃあ、るりちゃん?」

「うんうん。よろしい。ほんと、藍ちゃんってかわいいね~」


 案外、相性は良いのかもしれない。

 心からそう思う。

 物腰の柔らかい栗原の態度は、もともと人と関わるのが怖いと言っていた藍さんにとっても安心できるものだろうし、これまで何度か僕も話したことがある経験から言っても、悪い奴ではないということはわかっているから、彼女たちはそれなりにいい友人関係を傷つけるのではないだろうか。

 そう思う。


 と、そんなことを考えていた昼休み、テスト後に席替えを行って窓際後方になった藍さんの席で話し込んでいた彼女たちが、教室中央付近になった僕の座席まで近づいてきた。


「あのさ、相田君」

 少しだけ話しかけることをためらう素振りを見せた後、栗原が意を決したように口を開く。


「……なんだ?」

「今日の放課後にでも藍ちゃんと三人で一緒に遊びにでも行かない?」

「……え?」

「いやさ、この前から何度か誘ってるんだけど、藍ちゃんってば恥ずかしがり屋さんみたいで、わたしとかクラスの他の子とかとなかなか一緒に行くって言ってくれないんだよ。だから、どうしたら、一緒に行くのか、って訊いたら、相田君と一緒ならいいって言うからさ」

「ああ……」


 不意の提案に驚いたが、その後の説明を聞いて妙に納得した気分にもなる。

 まだそこまでクラスになじみ切れているというわけでもないらしい。

 栗原の後ろの藍さんを見ると、ちょうど目が合って、彼女は照れたように目を逸らした。


「別にいいけど、どこに行くんだ?」

「カラオケ」

「……カラオケ、ねえ」


 正直、たまに一人で行くくらいだから、持ち歌ほとんどないんだよなあ。

 アニソンしか歌えない。


「藍ちゃん、一回も行ったことないって言うからさ」

「そうなの?」

 彼女の顔を窺って言うと、藍さんは控えめに頷いた。


「涼君は行ったことあるの?」

「んー、まあ。一人でたまに」

「そうなんだ……」


 藍さんがびっくりしたように目を見開き、栗原が「心臓強いね、相田君……」と呆れたようにつぶやいた。

 別に普通だろ。


「じゃあ、相田君も特に用事があるわけでもないのね?」

「ああ」

「うん。それじゃあ、放課後ね」


 そう言って栗原が教室の外に出て行く。

 残った藍さんはちょっと不安そうな表情。


「……カラオケって何歌えばいいのかな?」

「別になんでもいいと思うよ。歌いたいものを歌えば? 僕も栗原も何歌っても変に思わないし」

「…………涼君って、くりは……るりちゃんと仲が良いの?」

「いや、別に。数回話したことがあるだけだけど」

「……そ、そう」


 彼女はそっと栗原が出て行った教室の出入り口の方に目をやった。




 人間関係は変化する。

 藍さんを取り巻く人間関係に変化が生じたのならば、当然、その友達である僕にも影響の余波は及んでくる。


 その日最後の体育の時間。

 そいつは僕に接触を持ってきた。


 その時間の種目はテニス。

 テニスとは相手がいないと成立しないスポーツだ。

 自由にペアを組んで、順番に試合を行え、という体育教師からのありがたいお達しを受けた。


 女子の藍さん以外に友人がいない僕は、いつも組む相手なども存在しない。

 他の誰に話しかけるのも億劫に感じられて、目立たない場所で、教師に咎められるまで一人遊びに興じていようかと思っていたところ。


 近づいてきたとある男子生徒に声をかけられた。


「よう。相田。ペア組まないか?」


 釣り目がちできつそうな外見に、頭にけっこうワックス利かせたしつこい髪型。

 名前はたしか、斎藤(つとむ)、だったか。

 平凡な名前だったので、逆にその男子のことは記憶に残っていた。


「なんで僕と?」

「別に。ちょうど暇してそうだったから」

「ふぅん」


 今まで体育の時間に同じような状況は何度もあった。

 今日と同じテニスでも、その他のペアを組むような種目でも。

 けれど、僕がこいつに話しかけられたことは一度もないし、こいつは大体、こいつと似たような類の人間とペアを組んでいた気がする。

 そして、目の前のこいつの顔面に浮かんでいるのは、目下の相手を見下すような嘲笑だ。


 詰まるところ、何か別の目的があって声をかけてきたのではないかと思われる。


 テニスコートは四面分。

 二クラス合同なので、二クラス分の男子がいて、全員が試合に臨めるわけではない。

 待ち時間は存在し、その間、試合を観戦しながら待機することになる。

 コート脇の柵に寄りかかって体育座りをした僕に、若干距離を置くようにして、斎藤が胡坐をかいた。


「相田って九々葉さんと仲いいよな」


 おもむろに斎藤が投げかけてきたのはそんな話題。

 ああ、そういう話か。


「別に」

「別にってこたーねーだろ。クラスの全員がそう思ってるぜ」

「あ、そう」

「お前ら、付き合ってるのか?」


 付き合ってる、ね。

 イエスか、ノーかと問われれば、それはノーだろう。

 ただ正直に答えるのもなんだか癪だったので。


「それがお前に何か関係があるのか?」


 適当にごまかしておく。


「関係はないけど、興味はあるだろ?」

「僕に共感を求められても知らん」

「冷たい奴だな、お前」

「……」

「で?」

「は?」

「付き合ってるのか? いないのか?」

「いない」

「へえ……」


 意味深な吐息を漏らし、また嘲笑うような笑みを浮かべる斎藤。

 ……むかつく顔。


「……なら、一つ、忠告しておこうか?」

「なんだ?」

「あんな女にこれ以上、関わるのはやめろ」

「はあ?」


 段々取り繕うのも面倒になって、あからさまに不機嫌な声を出した。

 それに意気を減じるでもなく、斎藤は続けて、


「どうせそのうち騙されて、捨てられることになるぜ?」

「斎藤。お前があの子の何を知ってるっていうんだ?」

 声音に少々不穏なものが滲むのは避けられない。

 好きな子をそんな風に言われてむかつかない人間もいないだろう。


「……別に。俺はなんにも知らねーよ。今の俺はな」

「……?」


 何を言っているのかはわからないが、少なくともこいつが僕の嫌いなタイプの人間だということはわかった。

 藍さんを悪く言う人間は全員、そのタイプである。


「お前が何を言おうが忠告しようが知らんがな。僕は僕の意思であの子と関わり続ける」

「……」


 周りにどう言われようと知ったことではない。

 そんな空気を強要されても、僕は読む気などない。


「……ふん。まあ、いいさ。それならそれで、俺にも考えがあるからな」

「はあ?」

「……」


 馬鹿にするように鼻を鳴らして、斎藤はそう独り言つ。

 その嘲笑するような横顔はそれ以上、語る気はなさそうだった。

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