朝
「おはよう」
目を覚ますと、藍さんの微笑みがそこにあった。
少し赤い顔をして、慈しむように僕を見つめている。
「……おはよう」
挨拶を返す。
昨日は勉強会の後、藍さんを家に泊めたんだったと思い出す。
身を起こすと、女の子座りでいた藍さんが僕にスペースを譲るように横にずれた。
「よく眠れた?」
「うん。ぐっすり」
「そう。それはよかったね」
「藍さんは?」
「……わたしは少し眠り足りないかも」
「そっか……。まあ、他人の家だしね」
「……そういうことじゃ、ないんだけどね」
「……?」
ぼやくように小さく漏らした彼女が何でもないと手を振った。
「でも、朝は苦手なのかと思っていたけど、意外と早いんだね、藍さん」
「……っ!」
僕がそう言うと、なぜか藍さんは警戒するように身を固くした。
「……どうしたの?」
「な、なんでもない。きょ、今日はその、涼君の家だったから、早く目が覚めちゃって……」
「やっぱりそうだよね」
いつもの自分の寝床ではないと、どうしても無意識の違和感みたいなものは残るだろう。
あまり熟睡できなくても仕方ない。
けれど、彼女が顔を赤くしているのはどうしてだろう。
僕が寝ている間に、何か恥ずかしがるような出来事でもあったのだろうか。
わからない。
「ほ、ほらっ。さっき凛ちゃんがご飯ができたって呼びに来たよ。早く行こう」
「……うん」
訝るように見る僕の視線が居心地悪かったのか、ごまかすように彼女は言って、ベッドから出た。
足早に部屋を出て行く彼女。
なんとなくベッドを振り返る。
ここで、藍さんと一緒に寝ていたんだ、という事実が、目を覚ましたのにも関わらず、まるで夢みたいだった。
朝食の席には凛しかいない。
時刻は午前八時。
父と母は夜遅くに帰ってきたからだろう。今日が祝日ということもあり、遅くまで眠っているようだ。
「藍さん、おはようございます」
「おはよう、凛ちゃん」
居間に入ると、テーブルに座ってトーストをかじりながらテレビを見ていた凛が顔を上げた。
「……昨夜はどうだった?」
「別に何もないよ。普通に一緒に寝ただけだ」
「なーんだ。つまんないの」
何かを期待した顔で僕に視線を送る凛に、すげない回答を返す。
思春期の女子か、ってそのまんまこいつはそうだったか。
藍さんと並んでテーブルに着き、凛が用意していてくれたらしいハムエッグトーストを頬張る。
「そういえば、藍さんはちゃんとご両親には連絡しておいたんだよね?」
「……うん。友達の家に泊まるってメールを送っておいたよ」
「ちなみに、もしかして正直に男友達って言ってたりする?」
「……そうだけど、何か問題あった?」
平然とした顔をして藍さんが聞き返す。
「……いや、問題はないけど」
十五歳の娘が男友達の家に泊まるとメールで連絡してきて、心配されることはなかったのか、と少し疑問に思う。
姉の楓さんがあんな感じだから、もしかしたら、子どもを放任する主義の家庭なのかもしれない。
それから、三人で朝食を取り、他愛のない雑談をいくらか交わした。
食後にお茶を飲みつつ、主に凛と藍さんの着ぐるみぬいぐるみ話に付き合って、三十分ほどしたところで、彼女がそろそろお暇するよ、と口にした。
昨日のうちに凛が洗濯しておいた昨日の服装に着替えた彼女を玄関まで見送る。
「……昨日今日といろいろありがとう。泊めてまでもらっちゃって」
「ううん。気にしないで。僕もけっこう楽しかったし」
「わたしも……」
心底嬉しそうに唇の端に笑みを滲ませた彼女がそれから凛に目線を送る。
「凛ちゃんも、ありがとね」
「はーい。どうも、です。また今度来る時があれば、おすすめのパーカーをプレゼントいたしますよ」
「……うん、ありがと」
ちょっと苦笑したように彼女が言った。
車庫から自転車を引っ張り出し、跨った藍さんが振り返って手を振る。
僕と凛もそれに手を振り返した。
若干寝不足ということだったので、少し心配だったが、自転車を漕ぐその後ろ姿はとてもしっかりとしていたので、僕は安心して息を吐いた。
「あんな人、なかなかいないと思うから、捕まえておきなよ」
家の中に戻る間際、にやけ面の凛がそんなことを言ってきたので、僕は無言で親指を立てておいた。




