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あいだけに  作者: huyukyu
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 勉強会の帰り道、藍さんの家から一時間近く自転車を漕いで、相田家に辿り着く。

 時刻は午後七時過ぎ。

 鋭かった太陽の日差しは今はもう陰り、西の空に赤く燃える夕日は今まさに沈んでいこうとしている。


 夕暮れの遅さに、季節柄を感じ、しばらくの間体を動かしてかいた汗を拭う。

 三か月近く毎日のように乗り回し、中学入学前に買った車体はもうくたびれてしまった感がある。父の車の側面にハンドルの端を引っかけながら車庫に入れ、しっかりと鍵をかけた。


 玄関の戸を開くと、ちょうど妹が居間から出てきたところだった。

「おかえり、涼」

「ただいま」


 淡い青色のパーカーに、白色のショートパンツ、家の中であるのにもかかわらず、フードを目深に被った少し背の高い少女。顔の造作はすっきりとしていて、わずかに吊り上がった目元は切れ長という印象が強い。


 相田凛。中学三年生。僕の妹。


「涼が土日に出かけるなんて珍しいね。しかも、こんな遅くまでなんて」


 凛は被っていたフードを取り払い、手にしたマグカップの中身をお行儀悪く立ったまま口にする。

 夏だというのに、そのマグカップからはわずかに湯気が立っているのを見ると、彼女の愛飲しているところのホットココアだろう。

 それについては、日常的に、見ていて暑いからやめろと何度も言っているのだが、一向に聞く気配を見せないのでもはや文句を口にするのは諦めている。


「友達の家に勉強会にちょっとな」

「へえ……。友達いたんだ……」

「最近できたんだよ。僕もいつまでも一匹狼を貫きたいとは思わない」

「涼のは自分の意志でやってるんじゃないでしょ? 誰にも相手にされないから、仕方なく、だよね?」

「……見知らぬ他人に対しても愛想を振りまけるお前と一緒にするな」


 頭の出来の大したことのない僕とは違い、凛は中学生にしてすでに進学校に通っている。

 社交性が高く、割と誰とでも仲良くなれる性格で、学校では生徒会長を務めているらしく、特に後輩女子からの人気が高い。性格は冷徹で、どんな物事にも動じることは少ない。


「……で、まあ、ちょっとお前に言っておくことがあるんだけど」


 明日、すでに藍さんを僕の家に呼ぶことは決定している。

 妹も明日はたぶん、特に用事があるわけではないと思うので、当然、それについては一言言っておく必要がある。

 そして、願わくば、もう一つ、彼女に頼みたいことがあった。


「……涼が改まって言うってことは嫌な予感しかしないんだけど……。なに?」

「実は明日、その友達を家に呼んでまた勉強会をすることになって」

「……で?」

「その友達っていうのはまあ、女の子でさ……」

「ふぅん……」

「けっこう、そのぬいぐるみとか、そういうかわいいものが好きみたいで……。だから、お前のあのコレクションをだな……」

「断る」


 僕に皆まで言わせることもなく、凛はきっぱりと譲歩の余地を感じさせない口調でそう言った。


「……もう少し、兄に優しくしてくれない?」

「そうしてほしいなら、優しくする価値のある兄になってくれない?」

「……」


 凛は冷たい口調で皮肉を返す。


 彼女の趣味は二つある。

 一つはパーカーを集めること。

 彼女は大のパーカー好きで、外に出かけるときなどは別にして、家の中では大体いつもパーカーを着ている。今身に着けているように青いのやら、白いのやら、灰色のやら、パンダ柄のやら、ウサギ柄のやら、とにかく多種多様なパーカーを集めることに喜びを感じている。

 その執着ぶりはそばで見ている僕にとっては異常なもので、時々彼女が自分のパーカーに名前を付けて話しかけている姿などを見ると、ドン引きしたりする。

 幼い頃から凛はずっとそうで、僕がふざけ半分でパーカーを脱がせようとしたときなどは、それから一か月ほど口を聞いてくれなくなった。

 胸を触られるよりも自分のパーカーを触られるのを嫌がる少女。


 言うなれば、凛はそんなぐらいの強い個性を持った人間であると言える。


 また、もう一つの趣味として、彼女は着ぐるみを集めている。

 何かのイベントで使われるような本格的なものではないが、パーカーの派生としてだろうか、それに近いような形の着ぐるみを多く所有している。


 彼女のそんな点に注目して、ぬいぐるみが好きな藍さんに着ぐるみを見せてあげたりとか、そういうことをしてほしいと僕は思っていて、その上でのさきほどの提案だったのだが、本当に冷たい反応が返ってきて、深く傷つきました。


「いや、別に着せてあげてほしいとまでは言わないからさ。せめて見せてあげるだけでも、けっこう喜ぶんじゃないかと思うんだけど……」

「……なんであたしが涼の恋路の手助けのために、身を削らなきゃいけないわけ?」

「恋路って、誰もそんなこと言ってないだろ」

「ちがうの?」

「…………どうだろうな」

「ごまかすんなら、交渉の余地はないよ」

「……そうです。ごめんなさい」

「ほら、みろ」


 小さく鼻を鳴らして、憮然とした表情をする。


「身を削るって言うけどさ。そんなに嫌か? 着ぐるみとか見せるの」

「……嫌だね。あたしはそんな簡単に自分を見せるほどお人よしじゃない」

「相変わらず、学校では猫被ってるんだな」

「……外面も取り繕えずに孤立してる涼に言われたくない」


 凛は薄く浅くという人間関係をモットーとしていて、とにかく人に深く関わろうとしない。踏み込まないし、踏み込ませない。

 表面上の付き合いだけで、ほとんどの関係を満足させ、あとは自分一人の趣味に没頭する。

 そういう人間でもある。


「大体、明日初めて会うようなよく知りもしない人相手に、あたしが自分の趣味を見せると涼は本気で思ったわけ?」

「別に。だめでもともとって気持ちではあるな」

「そう。じゃあ、はい。だめでもともとほんとにだめでしたってことで、諦めてね」


 言うや否や、凛はさっさと階段を上って二階の自分の部屋に戻ろうとする。

 その背中のフードを軽く引っ張った。

 彼女が軽くつんのめる。


「……ちょっと、ココア零れかけたじゃん。危ないって」

「つまり、お前の理屈で言うなら、相手のことをよく知れたのなら、お前の趣味を明かしてもいい、っていうことになるよな」

「……そう、言えないこともないかもね」

「なら、明日お前も含めて三人で勉強会をやるというのはどうだ? どうせ暇なんだろ?」

「……」


 振り返った凛は僕の心中を見透かそうとするように目つきを鋭くした。

 それから、警戒した表情で口を開く。


「あたしは別にその人と仲良くなりたいなんて思っちゃいないんだけど、なんでそんなことしないといけないわけ?」

「しないといけない理由なんてない。ただ、僕がそうしてほしいだけだ」

「……」

 じっと凛が僕の目を見据える。僕も無言で見返した。

 それに彼女が何を思ったのかは知らないが、結局、凛は首を振った。


「あたしは嫌。他人と自分の家で勉強会とか、ありえない」

「へえ。要するに、お前も怖いんだな? 人と関わるのが」

「……はあ?」

「生徒会長までやってて、僕のことを見下すようなことを口にして、結局のところ、自分が怖いから逃げる。お前はそれだけの人間なんだな」

「……っ!」


 言われた凛は激情を堪えるように歯を食いしばった。

 凛はこれでけっこう、負けず嫌いな人間なのだ。

 何に関しても誰に関しても負けるのは嫌いで、特に一歳違いで幼い頃から一緒にいる僕に対してはその気持ちが強い。


「……まあ、お前が逃げたいっていうなら別にいいよ。止めはしない。明日は自分の部屋にでも引きこもっててくれ」

「――っ」

「じゃあな」


 彼女の肩をぽんと叩き、階段に足をかけて硬直している凛の横を通り過ぎようとする。

 すると、その瞬間、腕を思いっきり握りしめられた。


「待ってよ。いつ、あたしが逃げるなんて言った?」

「言ってるようなもんだろ。嫌なんだろ? 家で一緒に勉強会とか」

「……あたしも一緒にやる」

「……へえ? ほんとうに逃げなくていいのか?」

「あたしは何からも逃げたりしないから」


 視線で射抜くようにして凛が見据える。

 僕はその表情に唇の端をゆがめた。


「でも、その代り、あたしがその人のことを信用できない、って一度でも思ったら、絶対に着ぐるみなんて見せてあげないから」

「……それでいいさ」

「……ふぅん」


 僕が平然と頷くと、挑むように僕の表情を窺ってぼそりとつぶやく凛。


「涼が言うその人がどんなにいい人なのか知らないけど、少なくとも、一日で信用なんてできるわけないけどね」


「……」


 聞こえたそのつぶやきにも、僕は答えない。

 凛がどんな考え方を持っていようが、僕にそれをどうこうしようという意思はないからだ。


「じゃあ、そういうことで」


 そのまま彼女は階上に消えていく。


 僕は一人つぶやいた。


「……へんな展開になっちゃったなあ」


 藍さんには余計な負担をかけることになってしまったかもしれない。

 ただちょっと、妹に着ぐるみコレクションを見せてほしかっただけなのに。


「でも、まあ、たぶんだけど」


 藍さんならきっと、大丈夫だろう。

 何の根拠もなく、そう思った。

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