おくりもの
乗っていたぬいぐるみを一旦退かし、テーブルの上に教科書と参考書を並べると、それだけでスペースが埋まった。藍さんの部屋にあったテーブルは一人用の小さいもので、二人分の教材を並べれば手狭になるのは当然だけれど、さらにそこに楓さんも額を突き合わせて三人で座っていれば、かなり狭苦しい印象を受ける。
「今更だけど、藍ちゃんの部屋でやる必要あった? 狭くね?」
「ですね」
楓さんの言に素直に同意する。
この状態で勉強会が捗るとはあまり思えない。
「……ご、ごめんなさい。お友達を部屋に呼んで勉強っていうのを何となくイメージしてたから……」
申し訳なさそうに藍さんが言う。
「い、いや、別に謝ることじゃないけど……」
あまりにも彼女が消沈した様子だったので、少し動揺してしまう。
薄々そんな気はしていたが、藍さんはとても繊細な感性をしているらしい。今のように、ちょっとしたことで傷つき、罪悪感で心がいっぱいになってしまうくらいに。
「あー、いや、別にいんじゃね? 逆に狭い方が落ち着くというか……、集中できるかもだし」
そんな藍さんの様子を敏感に感じ取ってか、楓さんがそうフォローを入れてくれる。
「ほんとう?」
「うん。ほんとうほんとう」
不安そうに顔を上げた彼女に、力強く頷きを返した。
「さ、細かいことは気にしないでさっさと始める。本来の目的は勉強会なんでしょ? 藍ちゃんもいつまでもうじうじしない。この場にそんな小さいことを気にしてる器の小さい奴はいないから。さあ、表情を明るく」
「うん……。お姉ちゃん」
楓さんがそうまとめて、藍さんが小さく笑った。
勉強会がスタートする。
スタイルとしては、僕と藍さんがテスト範囲の見直しや演習問題に取り組み、わからないところがあれば楓さんに訊くというやり方だ。
彼女と二人でノートに向き合い、問題を解く。
わからないところがあれば楓さんに訊くと言っても、そうしているのはほとんど僕だけで、藍さんは一人で黙々と演習問題に取り組んでいた。
それこそ息をするのも忘れるくらいの真剣さで。
ぱちぱちとたまに瞬きをするくらいで、視線をほとんどノートから外さない。
僕がじっと見つめていても、その目にも気づかないくらいだ。
何なら、ほっぺたをつんつんしてもそのまま勉強を続けているんじゃないだろうか。
すさまじい集中力だと思った。
「……こら、相田君、藍ちゃんに見惚れてる暇があったら、問題に向かう」
そんな他所事を考えていたら、楓さんに額を小突かれた。
慌てて目線を下に落とす。
それからしばらく、およそ九十分ほど勉強に取り組んでいた。
「……ふぅ」
少し気の抜けたような吐息を漏らして、藍さんが顔を上げた。
同じように僕もキリの良いところで目線を彼女に向ける。
「もう十二時だね」
「……休憩する?」
彼女の机の上に乗っている時計を見上げると、長針短針共に仲良く直上を指し示していた。
「ご飯でも作ろっか」
時間の経過とともにだんだん飽きてきたのか、藍さんのベッドの上で寝転がっていた楓さんがよっこらせっと体を起こした。
「そうだね」
楓さんの提案に、藍さんが頷き、彼女が僕に向き直る。
「……えっと、今からご飯作ってこようと思うんだけど、涼君はどうする?」
「手伝えることもなさそうだし、ここで待ってるよ」
「……そう。わかった。じゃあ、しばらく待っててね」
言葉とともに藍さんが立ち上がる。楓さんもベッドから降りた。
二人一緒に部屋を出て行く。
「相田君。誰もいないからって、藍の私物とかいじっちゃだめだよ」
「しませんから、そんなこと」
部屋を出る間際、けっこうまじめな表情で忠告を与えてきた楓さんに憮然とした表情を返した。
藍さんの部屋に一人になる。
「……はあー」
自然とため息が漏れていった。
一人になると、自分がけっこう緊張していたという事実に気が付く。
藍さんに関しては好意と親しみを持っているし、一緒にいて落ち着かないということもない。楓さんにしても、悪い人ではないのは接していてわかるから、それで緊張したというわけでもないだろう。
まあ、好きな子の部屋で好きな子と一緒に至近距離で顔を突き合わせて勉強していれば、それで緊張しないという方がおかしな話か。
藍さんがいないのをいいことに、体を倒して、絨毯の上に寝転がる。
すぐそばに子豚のぬいぐるみが転がっていた。
持ち上げて高い高いをしてみる。
すぐに虚しい気持ちになった。ぬいぐるみの愛で方はたぶん、こうではない気がする。
「しかし、ぬいぐるみかー」
かわいい趣味だと思う。
視線を向ければ本当に至る所に置かれている。
「……?」
そのどれも比較的、新しいというか、小綺麗さを持っているのに対し、その中で一つだけひどく古そうなぬいぐるみが目についた。
それだけが机の隅に、孤立するようにしてぽつんと置かれている。
立ち上がって近づくと、それは黒猫のぬいぐるみだった。それなりに古い代物のようで、いくつか手縫いで直したような跡がある。その首元には桃色のリボンが巻かれてあった。
他にも机の上に置かれているぬいぐるみはあるが、これだけがまるで特別だと言わんばかりに隔離されて置いてある。
「……誰かからのプレゼントとか?」
その可能性はある。
大切な誰かから贈られたプレゼントを大事に取っておくというのは、藍さんの性質からしてもごく自然なことだろう。
古そうな見た目からして、小さな頃に贈られたものなのかもしれない。
「機会があれば、訊いてみるか」
そうつぶやき、僕はまた、絨毯の上に寝転がった。