金色
ぱち、と目を開ける。
嗅ぎ慣れた布団の匂いがした。それから、お母さんの作るお味噌汁の匂いも。
もそもそとベッドから這い出ると、スマホを手に取る。
すると、小鳥のさえずりのようなアラーム音が鳴り始め、すぐにそれを止めた。
時刻は朝六時半。アラームが鳴る十秒前には目を覚ますのが、わたしの日課だ。
未読のメッセージがいくつか。
それにてきぱきと返事をし、最後の一つでふと手を止めた。
『るりはいつだって、ボクを信じてくれると信じているよ』
ダリアからのメッセージは何の脈絡もないそんなもので、前後にもそれ以外の言葉は存在しない。
「……なにこれ」
わたしは小さくつぶやいて、わたしの友達がまたいつものように要領を得ないことを語り始めたのかと勘繰った。
けれど、その言葉の響きはあまりにもふざけたところがなさすぎて、いつものダリアには似つかわしくない。
「……」
たとえそれが内に秘めた彼女なりのメッセージだったのだとしても、いきなりそんなことを言われても、すぐに彼女の事情を推し量ることはできそうにない。
「しかも、夜中の三時に送ってきてるし……」
週末ならともかく、今日は木曜日だ。週の真ん中の深夜になんでそんな夜更かしをしているんだと説教してやりたくなる。
「……」
少し考えて、わたしは返信を送った。
『何か心配事でもあるの? よかったら相談乗るよ』
一応、彼女なりの何かのSOS信号だった場合を考えて、そんな言葉を送った。一人で抱え込むダリアのことだから、あまり意味はないかもしれないが。
それから身支度を整えて、わたしは学校へ向かった。
※
※
※
通学のバスの中で、何度かメッセージを確認していたが、ダリアからの返事はなかった。
少々心配に思い始めてきたが、教室に行けば会えるだろう。
そう思い、バス停を出たところで、ちょうど近くを歩いてきたダリアと出くわした。
……なぜか傍らには相田君の姿もある。しかも、いつも自転車の彼が徒歩で。
「……おはよう、ダリア。相田君も」
「ああ、るりじゃん。おはよう」
「おはよう」
微笑みを浮かべるダリアと、表情に乏しい相田君が一緒に立っている姿が妙に対照的に映る。前々から思っていたけれど、二人はどこか相性がいい。
「あのさ、なんで二人が一緒に……」
「――知ってる? るり」
当然に思った疑問をわたしが口に出そうとしたところで、ダリアがそれを遮った。
「……なに?」
「口は災いのもとってことわざ」
「……余計なことは言うなってことね。はいはい」
それだけでもう、ダリアの言いたいことがわかってしまった。
まあ、二人にも事情があるだろうし、わたしが何か言うようなことでもないのかもしれない。
「わたしはいいけど、藍ちゃんが見たらどう思うか知らないよ。相田君」
「……ああ、それなら別に大丈夫だろ」
意地悪くそんなことを言ってみせると、相田君は何でもないことのように肩をすくめる。
「藍は僕を”信じている”らしいからな」
「……」
その彼らしくない言い回しに、わたしはどう反応していいかわからなくなった。
信じているだなんて、前向きな言葉のはずなのに、彼の声音は嫌みに等しい響きに満ちていたから。
「そうそう。いやあ、素晴らしいよね、恋人同士の信頼関係。相手のことを信じているから、何をしようと誰といようと心配する必要なんて、何もないのさ」
「……ダリア」
こういうときのダリアの態度はあまり好きではない。嘘の表面をただなぞるだけのような空っぽな言葉の羅列。わかっていて彼女はやっているのだろうが、それをわたしは受け入れられない。
気まずい空気を抱えたまま、わたしたちは教室へ向かう。
もっとも、その空気を気まずいだなんて思っていたのは、きっとわたしだけなのだろうけど。
※
※
※
教室ではいつものごとくの光景が繰り広げられる。
少し前にした席替えのせいで、相田君や藍ちゃんとは離れてしまったが、それ以外はおおむねいつも通り。ちなみにわたしは窓際の席で、斜め前がダリアの席。藍ちゃんは教室真ん中最後方で、相田君は廊下側。
わたしは教室の一角に固まって、ゆりや朱美と他愛のない雑談に花を咲かせる。
ダリアは自分の席に荷物を置くと同時にどこかへ消えた。
相田君は自分の席について机に伏せっている。ほとんど身じろぎもしないが、なんとなく寝てはいない気がした。
藍ちゃんは芦原さんや川端さん、弓広さんといった子たちと一緒にいる。それを自分の席で遠巻きにしているのは美月さん。
文化祭準備期間中には、クラスのみんなの前で藍ちゃんに当たり散らすようなことをしてしまった彼女だから、まだあの輪には入りづらいらしい。それでも、たまに藍ちゃんと話す姿は見かけるし、時折わたしも話はするので、完全に孤立するような状態には陥っていない。あんなことがあった手前、大分、浮き気味ではあるが、居場所を失うようなことにはなってほしくないし、そんなことにはさせないと強く思う。時間が解決してくれることを祈りたいし、そうでなくても、今年度は終わりに近い。二年生になればクラスも変わるから、それである程度はリセットされてくれるはずだ。
「ねえ、知ってる? 今日から新しいALTの先生が来るみたいだよ。さっき職員室の前ですれ違ったんだけど、ブロンドのすっごい美女だった!」
ゆり――珠洲紗友里がそう言うと、朱美――末長朱美が意外そうに眉を上げた。
「今年もあと一か月そこらってときに珍しい。急な欠員でもあったんでしょうね」
「かもね。特にALTの人なんて急な事情で帰国とかもありそうだしね」
二人が話している声を何とはなしに耳に入れながら、わたしは考えていた。
結局、さっきはタイミングを見失って聞けずじまいだったけれど、ダリアのあのメッセージの意味は一体、何だったのだろうと。
今日、相田君と一緒に登校してきたことと関係している?
朝、二人一緒に歩いてきただけのことで、ダリアはわたしが何かよからぬ疑いを持つと思ったのだろうか。
相田君の性格もダリアの性格もそれなりにわかっているつもりだ。
二人が藍ちゃんに黙って行動を共にしているというのなら、それはそれなりの理由があってのことだろう。
そのことでわたしが疑いを持つことはないし、そもそもそれはわたしには直接関係のない問題だ。ダリアと相田君が少しくらい仲良くしようとわたしにどうこう言う筋合いはない。
なら、一体、ダリアは何のことを指して、『信じてくれると信じる』と言ったのだろう。
そんな疑問に対する答えを、図らずも、わたしはすぐ得ることになる。
もっともそれが答えだなんて、そのときのわたしにはわかるはずもなかったけれど。
「席に着けー」
ホームルーム開始の鐘がなると、担任の先生が教室に入ってきた。
傍らには、誰かさんと同じく金色の髪をした美女の姿がある。
「まず初めに、連絡を一つ。一年の英語を担当していた山崎先生だが、急病で一か月ほど休職されることになった。それで、その代わりとしてだが、ロゼリア先生が非常勤講師として一年の英語を担当することになる。ちょうどうちのクラスの一時限目は英語だったので、ホームルームにも参加してもらうことにした。ロゼリア先生、自己紹介を」
「はい」
蒼い目をした金色の髪がきれいな女性は、教卓の前に立ち、それからクラス全員を見渡す。
その視線がわたしの斜め前の席にいる親友のところで止まったのは、きっと偶然ではないのだろう。
「ロゼリア・キャロルです。本日から星見ヶ丘高校で教鞭を取らせていただくことになりました。一か月ほどという短い付き合いですが、よろしくお願いいたします。小さな頃から学校の先生になるのを憧れにしていたので、こうして夢が叶ってうれしいです。これからよろしくお願いします」
にっこりと優しく笑って、ロゼリア先生は生徒たちを見る。
その口元の笑みが、なんだかわからないけれど、わたしにはとても恐ろしいものに思えた。
一年ぶりの投稿です。
次の話ぐらいまでは、本当は一年前から書き溜めていたんですが、投稿する気になれず、また続きを書く気もおきなかったので、ずっと放置していました。続きが書けるかは今でもよく分かりませんが、とりあえずできてるところまでは投稿することにしました。
今でも読む人がいるかは分かりませんが、一応の報告です。