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文化祭最終日、不意に生じたクラスメイトとの昼食会において、『相田涼に嘘を吐かれたらどうするか?』という問いを投げられた藍は『相田涼のことを信じているから、そんなことはありえない』と答えた。
質問されたことに答えるのではなく、その前提条件が間違っているのだから質問自体がそもそもありえないものだとする彼女の盲目的なまでの信頼に、僕はある種の歪みを感じた。
そこまでの信頼を得るに至った僕のこれまでの行動について、あるいは僕は喜びを感じたり、達成感を覚えたり、誇りに思ったりすることも、可能ではあるだろう。
けれど、僕が思うのは、僕ががんばったから彼女が僕を信じてくれるようになったのではなく、彼女がただそう信じがたいがゆえに僕を信じているのだろうということ。
思考停止の延長線上、盲目的なる信頼。何を言っても肯定され、何を言っても信頼される。僕が本当に正しいか、それとも間違っているか、そんなことは関係なく、ただただ僕だからという理由で――いや、ただ恋人だからという理由で、相田涼を信用する。それを歪みと言わず、何と言おう。
僕は神か。聖人君子か。決して間違うことを知らない完璧人間か。――いや違う。多少、神経がねじ切れているところがあろうと、多少人より突飛な行動を取るきらいがあろうと、僕は普通の人間だ。普通に間違え、普通に反省し、普通に人を好きになった、ただの人間だ。誰にどんなに信頼されようと、誰がどんなに僕を褒めたたえようと、その点だけは、はき違えてはいけない。
だから、僕はそれを藍に求めようと思う。
僕も普通の人間で、嘘も吐くし、失敗も多々あるし、信頼する価値はあるかもしれないが、決して盲信していい類の神もどきの存在ではないのだと、求めようと思う。
求めて、言い募って、わからなければ、わかってもらうだけだ。
言葉でダメなら、行動で、行動でダメなら態度で、態度でダメなら、痛みをもって。
それくらいはしないときっと、頑固な藍は変わらない。
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「やあ、相田よ。どんな気分だい?」
「――は?」
その日の僕の一日は、百日ダリアのそんな突拍子もない一言から始まった。
「お前さあ、今何時だかわかってる?」
「三時だけど、それが?」
「午前のな」
「うん。で?」
「いや、で、じゃなくて……。……じゃあ、もう一つ訊くが、ここはどこだ?」
「相田家の前」
「……はあ」
――深夜に百日の電話を受けた。
本来セットしているはずのアラームより三時間ほど早く目を覚ました僕は、大いに困惑した。
奴が突然海外旅行に行って、時差が逆転しているのでもなければ、そんな時間の電話は非常識にもほどがあるし、今まで彼女の方から僕に電話をかけてきたことなど数えるほどしかなく、その数少ない電話が平日深夜のモーニングコールというのも常軌を逸していたからだ。
『今君んちの前にいるんだけど、出てきてくれない?』
そして、告げられた言葉がそれで、眠い目を擦って外に出てみれば、気分はどうだと先ほどの言葉をかけられた。そんな狂った状況だった。
「最悪な気分だね。こんな朝早くっていうか、夜中のうちから、お前みたいな、しけた奴の顔拝まなきゃいけないんだから」
「ご挨拶だね。こんな夜更けから絶世の美少女と逢引きできて超感激くらい言いなよ」
「どんな絶世の美少女だろうが、夜中の三時に呼び出すような奴と会えても嬉しくねえよ」
「うんうん。寝起きでもしっかり頭は回っているみたいだね。感心感心」
お得意の話題逸らしが発動し、その飄々とした態度に怒りよりも呆れが勝る。
「それで、用はなんだよ。寒いんだけど」
十一月の早朝の空気はなかなかに寝起きの頭に堪える。パジャマの上に適当な上着を羽織っただけなので、足元から寒気が上って仕方がない。
「ああ、それね」
口元に手を当てて、はあ、と息を吐く仕草をする百日。幸い、寒いとは言っても息が白くなるような気温には到達しておらず、寒がりな彼女もそれほど厚着ではない。それでも、マフラーはしているが。
「実は折り入って、君に頼みたいことがあったんだ」
「……それ、こんな夜更けに呼び出して言うようなことか?」
「こんな夜更けに呼び出して言うことなんだよ」
真っ暗な夜の闇の中、それでもわずかな街灯に光る百日の金髪は鮮やかで、ふとすれば目を惹かれる。長く伸ばした金色の髪を夜風からそっと守るように撫でつけ、彼女は艶やかに唇を開いた。
「――これから一か月、ボクと一緒に暮らしてほしいんだ」
「――」
それは、この夜の静寂を引き裂くには十分の、フラッシュバンのように衝撃的な一言で、夜の闇の迷妄の中にいた僕の思考は一瞬にして白く塗り潰された。