嘘の見つめる真実
本編です。前回のifルート的なものは飽き回避(自分用)のために書いてるだけのもので、たまに挟まってくるかもしれません。
嘘の真実を知っているだろうか。
嘘には指向性がある。
何の指向性もない真実は存在するけれど、何の指向性もない嘘は存在しえない。
嘘をつくためには、真実を覆い隠すカバーストーリーを紡ぐ必要がある。真実を、事実そのままに口にするのと、頭の中で構築した嘘を言葉にするのでは、思考過程として、創作することが前提となる。
ゆえに、嘘をつくためには、物語を構築する必要があり、構築された物語には、意図するしないにかかわらず、指向性が生まれる。その物語を紐解いた者に対して、何らかの働きかけをしたいという意図が。
真実を語ることには意図がなくとも、真実を語らないことには逆に意図が生じることがある。
人はとかく、真実を知ること終始しがちだが、実は真実を語らないことの意図性をこそ考えるべきなのかもしれない。
虚構の笑顔と虚構の外面に塗れていたボクには、嘘の指向性というものが手に取るようにわかる。
その嘘が何のためにつかれた嘘で、その嘘が誰のためにつかれた嘘なのか。
そう。人はともすれば、嘘をつかれることに怒りを覚えることもあるが、本当は考えるべきなんだ。
なぜ、嘘をつかれたのか、ということに。
なぜその人は真実を語らなかったのかということに。
嘘には真実が表れている。
ついた人間の心の残滓が。
「るりは嘘を吐かれるのは嫌い?」
隣を歩くるりにその顔色を窺うでもなくボクが問うと、ゆっくりとこちらを向いた彼女は瞳を瞬かせた。
「なにそれ。どういう意味の質問?」
「どういう意味もなにもるりの考え方を尋ねているだけだよ。心の広いるり様は嘘を吐かれても平気な顔をして笑って流せるのか。それとも、真実を語らないことを執拗に責め立てるのか」
眉をひそめて、ボクの心中を推し量ろうというるりに、ボクはごく薄い微笑みを照射した。
「……一口に嘘と括られても、時と場合にもよると思うんだけど」
それにほんの少しだけ表情を曇らせた彼女は、不満そうに唇を尖らせる。
「時と場合によるのは誰だって同じさ。君の基本スタンスを聞いているんだよ。基本的に嘘は平気か、それとも許せないか」
「そもそも嘘が好きな人なんていないと思う」
「好きか嫌いかなんて聞いてないよ。平気か、そうでないかをボクは聞いてる」
あえて気持ちを言葉にせず、一般論に逃げようとする彼女を、ボクはそれでも問い重ねる。
真剣な瞳で自分を見つめるボクの視線に根負けしたのか、るりは小さくため息をついて続けた。
「……大事なことで嘘を吐かれるのは許せないと思う。でも、誰かを守るためとか、正直に語れない大切な事情とか、譲れない信条とかがあるのなら、許してあげるべきなんだと思ってる」
そうして口にされる彼女の言葉は、るりらしいと言って差し支えない気遣いに満ちたもののように思えた。
「ねえ、るり」
「……なに?」
「どうして人は嘘を吐くんだろうね」
「……どうしてって……、本当のことを言いたくないからでしょ」
「そうだね。ただ言いたくないから。それ以外に理由なんてないよね」
「……?」
首を傾げたるりがもう一度口を開こうとしたところで、折悪く、あるいは折よく、校内アナウンスが流れた。
『来校された一般の方々、ならびに生徒のみなさんにご連絡いたします。ただいまをもって、第○○回星見ヶ丘高校文化祭は終了いたしました。この後は閉会式となりますが、参加は本校生徒と教職員のみとなりますので、一般の方々に置かれましては、早めの退校をお願い申し上げます。本日は本当にありがとうございました』
天井に設置されたスピーカーに向いた意識を真横のるりに戻すと、彼女は小さく口を開けたまま、校内の様子に目を向けていて、祭の終わりに際してどこか寂寥感を覚えているように感じられた。
そんな彼女のほっぺたを人差し指で突き刺す。
「な、なに!?」
慌ててボクに視線を向けた彼女が、後ずさりながら押された頬を抑える。目を真ん丸に開いた驚き顔が妙にかわいかった。
「寂しい?」
「え?」
「文化祭が終わる寂しいって、顔に書いてあったから」
「……わたし、そんな顔してた?」
「少なくとも、ボクにはそう見えた」
「そう……」
つぶやくと、彼女は取り繕うような笑みを浮かべた。
「寂しいっていうか、むなしいっていうか。高校に入ってはじめての文化祭で、なんだかんだけっこう楽しかったから、終わっちゃうんだな……って思うと、ちょっとね」
「……そう。まあ、るりはそうなんだろうね」
「ダリアは違うの? 寂しいとか感じないの?」
「ボクの感性は人とずれているからね。文化祭が終わろうが、世の中がはちゃめちゃになろうが、何も感じない。ボクにとっては、自分の感じ取れる世界と価値を感じた物事がすべてで、その中には文化祭も、見ず知らずの人間であふれた世の中も、顔も知らない人間の世界もなにもかも存在しないのと同じなんだよ。存在しないものに心動かされることはない。当たり前でしょ」
「……」
ボクの語る理屈に、るりは閉口したようだ。またぞろ、呆れられてしまったのかもしれない。
うつむきがちに何かを考えている風だったるりが顔を上げて、どこか傷ついたような顔で口を開いた。
「……ダリアは楽しくなかったの? 今回の文化祭」
「……あー」
言われてすぐに気づいた。
文化祭に興味を感じていないみたいな言い方をするのは、それを楽しいと言ったばかりのるりの気持ちを否定するようなものではないか、と。それに、今日一日ボクとるりは行動を共にしていたわけで、二日間のうちのおよそ半分一緒にいたことになる。それも含めてるりは楽しいといったのだ。ボクの言い様は彼女との時間をも半ば否定したことになりかねない。
実際、文化祭などはどうでもいいのだが、それでも、そんな気持ちを口にすることで傷つく人がいるのなら、わざわざ自慢げに語ってみせる必要もなかったろうか、と思い直した。
なので、少しばかり言葉を継いでおくことにする。
「文化祭は別に楽しいとも思わなかったんだけど……」
「けど?」
「……るりと一緒に遊ぶのは、まあ、それなりに楽しかったかな」
「……」
素直に口にするのが顔から火が出るほど恥ずかしくて、るりの顔をまともに窺えない。
廊下の窓越しに中庭に目を向けると、ぱらぱらと校舎から出ていく一般客の後ろ姿が見えた。
「ダリア」
名前を呼ばれて顔を向けると、にっこりと笑うるりの姿がそこにある。
「わたしもダリアと一緒だったから、すごく楽しかったよ」
「……」
釣られてボクも笑顔になる。
意固地でねじ曲がっているこんなボクでも、柔らかさと優しさと包容力に満ちたそんな笑顔を向けられれば、素直に綻んでしまう。
ボクの親友。
栗原るりがボクは大好きだった。
閉会式の開かれる体育館への道すがら、ばったりと相田と藍ちゃんのカップルと出くわす。
校内だというのにお熱いことで、二人仲良く手をつないでいた。
「文化祭デートは楽しかった?」
からかうように相田に視線を向けると、心底嫌そうな渋面が返ってくる。
「まあな」
「そう。それはよかった」
ちらりと隣の藍ちゃんを窺うと、じっと相田の横顔を見つめているのが目に留まった。何かを見定めるような、何かを見透かすような、真意の知れない底知れない視線。
「藍ちゃんは?」
「え? あ、うん。わたしも同じ。涼といっぱい一緒にいられて大満足です」
「……そう?」
その割には喉に小骨でも引っかかってるみたいなびみょーな表情してるけどね。
ま、ボクには関係ないことだけど。
二人の間の問題に、外野からどうこうと口を出すつもりはまったくない。
痴話げんかでもなんでも、お好きにどうぞといったところ。
るりは何か言いたそうな顔でずっと藍ちゃんを見ていたが、結局、ボク同様、だんまりを決め込むことにしたようだ。
そのまま四人で体育館へ向かう。
取り立ててつつがなく閉会式は進行し、何の差しさわりもなく文化祭は終了した。
ここからは後片付けの時間。そして、後夜祭、打ち上げの時間。
各々それぞれの持ち場の撤収作業に駆り出され、その中でも実行委員の藍ちゃんはせわしなく駆け回る。
それに積極的に協力するるりも忙しそうで、反面、相田はマイペースに適度にさぼっていた。
ボクはといえば、相田にならって適当に流している。
中庭に敷設されていたテントの片づけを終えて、教室に戻ろうというところで、相田の背中に声をかけた。
「ねえ、相田」
「なんだ」
「ボクは何も言わないからね」
「……」
立ち止まった木偶の坊のような男の背を追い越して、くるりと振り返る。
唇の端に微笑みを滲ませて、慈しむようにじんわりと笑った。
「藍ちゃんの君に対する心の歪みは彼女自身の心のうちから生じた彼女自身の問題だ。そこに親友とはいえ部外者のボクが口を挟む余地なんてなくて、何かを言えるような権利も何かを口にしなくてはいけない義務も存在しない。あるのはただそれはボクにはまるで関係のない事象だという温度を持たない事実だけだ」
仏頂面の相田の瞳を見つめると、動かない表情ほどには、彼の心中が平静を保っているわけではないことが如実に読み取れる。
「よしんば彼女の胸中に無遠慮に助言じみた言葉を差し込める人間がいるとしても、それは当事者たる君だけであって、たかだか親友という関係性でそこまでのお節介を働くわけにはいかない。だから、ボクは藍ちゃんに何も言わない。そんなことを君に前置きしておこうかと思って」
うふふ、と口元に手を当てて、いつもはしないような仕草で微笑んでみると、なんだか自分がおしとやかなお嬢様にでもなったようでそこはかとなく気分がよかった。
「藍に何も言わない、というのなら、じゃあ、ボクには何かを言ってくれると、そういう風に解釈してもいいのか?」
「……なるほど」
面食らうだけでまともに頭が回っていないものかと思っていれば、なかなかどうして言葉尻を捕まえるものだと思う。
「たしかに、君に言う分にはそこに何らの責任も生じない。ただの戯言だね。チラシの裏に殴り書くのとも、ネットの片隅につぶやきを漏らすのとも同じことで、どこの誰にも迷惑はかけない」
「だよな。じゃあ、一つだけ聞いていいか」
言葉とともに、再び歩みを再開した相田に道を開け、そのすぐ隣をボクは歩く。
「一つだけね。いいよ」
「好きな人に理想を押し付けるのって、悪いことだと思うか?」
「……」
本当に思いのほか冷静に状況を見れているじゃあないかと、半ば感心する思いだ。
少し前の相田とは比べ物にならない。
今まさにお付き合いをしているところの、自らの恋人の心中をなかなか客観的に分析できている。
「いい悪いの問題では必ずしもないのだと思う。それが二人の間で完結している問題なのだとしたら、やはりそこに余人が口を出す余地はない。最終的には君が受け入れるか受け入れないか、そういう気持ちの問題に落ち着くのかもしれない」
「……そうか」
声音を落として彼は答え、ボクはその顔色を窺う。あからさまに落胆した様子に、少しだけ余計な口を差し挟む気持ちが湧いた。
「そうだね。でも、君が考えるべきポイントはおそらく一つなのだと思うよ」
「……それは?」
光明を見出したように、わずかに顔を上げた相田がボクと目を合わせる。
指を一本立ててみせる。相田の視線がその指先に向かうと、それをくるりと回転させ、彼の胸の中央を指した。
「藍ちゃんにとって何が本当の幸せなのか」
「……」
「……うふふ」
もう一度、口元に手を当てて笑うと、ボクは足を速めた。差し掛かった階段を上り、その踊り場で階下の相田を振り返る。
彼は階段の一段目に一歩足をかけ、そのままの体勢でボクの言った言葉の意味を考えているようだった。
ボクはそんな相田にそれ以上の言葉をかけることをせず、足を進める。
さて、そろそろボクの方にもどうにもならない問題が降りかかってくる気がするのでね。
思い悩む青少年へのアドバイスなんてまどろっこしいことをしている暇はもうないかもしれない。
ボクにはボクの悩みがある。