ifルート(ダリア)
斎藤が存在しないとこうなるみたいなifルート
「こうなってみると不思議だよね」
「なにが?」
「初対面のときにはいがみ合うばかりだった君と今では恋人同士だもん。人の関係っていうのは変わるものだね」
学校からの帰り道。自転車の後部に腰かけたダリアが僕の背に体を預けるようにしてそう言った。
しみじみとしたその口調に、僕は胡乱な声を返す。
「珍しく殊勝なことを言うな。お前らしくもない。何か心境の変化でもあったのか」
「別に。付き合い始めて三ヶ月だからね。たまには過去を振り返ってみるのもいいかなって思っただけ。深い意味はないよ」
「そうか。まあ、そういうこともあるか」
答えると、僕は意識をやや重たいペダルと流れ行く街路、そして、首元に感じるあたたかな息遣いに向けた。
――ダリアとこうして下校するのは何度目になるだろう。
帰り道はまったくの逆方向であるにもかかわらず、いつしか僕は毎日のように彼女を自宅まで送るようになっていた。
父が海外赴任、母は幼い頃に家を出て行ってしまったという彼女は、中学生の頃から、マンションで一人暮らしをしているらしい。
小学生の頃は祖父母の家に預けられていたということだったが、彼らが亡くなった後、中学入学を機に一人暮らしを始めたということだ。
みんなが当たり前のように親と反発したり、喧嘩したりを繰り返す年頃を彼女はたった一人で過ごした。
今に至っても、彼女の父親はほとんど帰国せず、毎日のようにダリアの自宅に入り浸っている僕も、一度も顔を見たことがない。
そんな彼女が心配だからこそ、僕は毎日放課後に自宅までくっついていっているのかもしれないし、あるいはそれ以上に、僕自身が少しでも長く、彼女と一緒にいたいからそうしているのかもしれなかった。
「あ、そうだ。今日家に友達が来る予定になってるから。もし長居するようなら、一応留意しておいてね」
「友達? お前に?」
「そう。ボクに、だよ」
「栗原とはしょっちゅう会うし、わざわざそんな前置きを口にするってことはあいつじゃないんだよな?」
「うん。小学校の頃の友達でね。中学からずっと学校は違うんだけど、連絡取り合ってて、週末だし今日は泊まりに来ることになってるんだ」
「へえ。お前にそんな奴がいたんだな」
表面上仲良くする友達は数多くいても、家にまで呼んで宿泊を許すような友達が栗原以外にいるとは思わなかった。
「父が海外赴任して寂しかったころに、ずっと一緒にいてくれて。こんなボクにも格別優しくしてくれたんだ。だから、あの子のこと、大好きなの」
「……」
異常なまでの照れ隠しを発揮するダリアにして、そう素直に口にするということは、それだけその友達が大切な存在であるということだろう。
「名前は?」
「――九々葉藍ちゃん」
ダリアは謳うようにその名前を口にする。
「かわいい子だけど、移り気しちゃだめだよ?」
「しないって。僕はお前さえいればいい」
「……淡々と恥ずかしいこと言うんだから、もう」
ぼやきながらも彼女は満更でもない様子だった。
だたっ広いリビングに足を踏み入れると、鞄をその辺に放り出した彼女はL字のソファに思い切りダイブした。
「あー、疲れた疲れたー」
「みえるもん、全開で見えてるけどいいのか?」
制服から着替えもせずにそんなアクションを行なったせいで、彼女のスカートは完全にめくれ上がっていた。
白地にフリルのあしらわれたかわいいらしいデザインの下着が外気に触れる。
「鑑賞料¥1000/s。あとで口座に振り込んどいて」
「とんだぼったくりレートだな」
言いつつ、体を起こしたダリアは乱れた裾を正す。
それから、窺うような上目遣いでこちらを見つめ、嘆息するように言った。
「愛しい彼女の下着を見ておいて、純度百パーセントの真顔ってどうかと思うんだけど?」
「愛しい彼女? 誰のことだ?」
すっとぼけた真顔を繰り返して首を傾げると、瞬間、彼女の顔が満面の笑みに包まれる。
「蹴っていい?」
「いやだ」
「じゃあ、殴っていい?」
「いやだな」
「はあ……、蹴るのも殴るのもだめ。わがままだなあ」
芝居掛かった仕草でやれやれと肩をすくめ、ソファから腰を上げたダリアがこちらに歩み寄ってくる。
僕の鼻先五センチの距離で足を止めると、すっくとこちらを見上げた。
いたずらっぽく微笑む。
「じゃあ、これならいい?」
そのまま、背伸びをして唇を触れさせた。
濡れた感触がして、胸にじんわりとした彼女の体温を感じる。そしてすぐにそれが離れた。
「……はい」
さすがに恥ずかしいのか。首元の肌が朱に染まっている。
僕と目を合わせないように顔を背けていた。
「お前のそういうところがかわいいんだよな」
「かわいいとか言うな」
「そうやって照れてるところがまたかわいい」
「……もっかい言ったら許さないからね」
「素直じゃないところがかわいい」
「あー、言った。はい、言った。はいもう許さないー。……許して欲しかったらもういっかい言って」
「回りくどいところがかわいい」
「……ふん、まあいいわ」
尊大な態度で鼻を鳴らすと、身を翻したダリアは部屋着に着替えるべく自室に引っ込む。
僕は軽く息をついて彼女が飛び込んだソファーに腰を下ろした。
「ほんと、あいつとは気が合うよ」
感性というか、価値観というか、発想に近いところがあるから、深く考えなくても何考えてるかがわかりやすい。
そっけない振りをして、その実、下着を露わにしたり、キスしてきたりするのは構ってほしいという言外のアピールだ。気持ちが強くなるほど、態度はそっけなく淡白に変わってしまう。そこのところを読み違えると、彼女はへそを曲げてしまうだろう。
そういったところは概ね僕と一致しているからよくわかる。
しばらくして戻ってきたダリアはカットソーにショートデニムというラフなスタイルに変わっていた。丈の短いデニムから伸びる太ももの白さが眩しい。
「全裸じゃなくていいの?」
「……人がいるのに全裸になんてなれるか、あほ」
「別に僕がいるからって気を遣わなくていいんだぞ?」
「気を遣うとかそういう次元の話じゃないっつーの」
呆れた表情で首を振る。
片側で一つにまとめたおさげがふるふると左右に揺れた。
「なんでそんな大人しい髪型してるんだ? お前はそこで突然頭を丸刈りにして登場するような意外性の持ち主だろう?」
「人のことを気が触れた奴みたいに言うのやめてくれない? いくら全裸好きでも頭まで全裸にする物好きじゃないから」
「お、うまい」
「……いや、どこが?」
はあ、とため息をついた彼女は自然な動きで僕の隣に腰を下ろす。
その距離、目測五十センチ。
「ダリアさん」
「なに急にさん付けとか……。マウンテンゴリラがいきなりスーツ着始めた並に気持ち悪いんだけど」
「その意味わからんたとえはともかく。さっき、付き合い始めて三か月って自分で言ったよな?」
「そうだけど、それが?」
なに当たり前のこと聞いてんの? みたいな素知らぬ顔で彼女が小首を傾げる。
それに僕は半ば責めるような目つきを向けた。
「未だに手すらまともにつながせてくれないし、こうやって座ってても微妙に距離取ってくるし。お前の体温を感じられるのって帰りに一緒に自転車乗ってるときか、キスしてるときだけなんだけど、そこのところどう思っているんですか、僕の愛しい彼女?」
「非常に遺憾だと思っております」
「具体的な行動は?」
「しません」
言い切った彼女の顔は妙に清々しかった。
「いや、もうちょっと悪びれたらどうだよ」
「だって、恥ずかしいもん……」
「……」
いや、頬を染めて「もん」とか言うキャラかよ、お前は。
「キスが平気で、手を繋ぐのは無理という感性が僕には理解できないんだが」
「……キスはまだ表面が触れてるだけって感じがしてわりかし平気なんだけど、手はお互いの肌と肌が絡み合ってるみたいでへんな気持ちになってくるんだもん」
「へんな気持ちって?」
「言わせるな。変態」
「それで変態呼ばわりは不服だが。でも、どちらかといえば、普通はキスでそういう気分になるものだと思うけど」
「……別にキスでならないとも言ってないでしょ」
「……」
どこか試すような目でダリアがこちらを見上げてくる。僕は無言で視線を合わせた。熱っぽい沈黙が静かなリビングに滞留する。
ぴんぽーん。
インターホンが鳴ったのはまさにそのタイミングだった。お互い、なんとも言えない顔になって見つめ合い、少しだけ微笑む。
「まあ、君の言うことはわかったから、ボクなりに努力してみるよ。それじゃだめかな?」
「いいさ。お前の性格は理解してるつもりだし」
「ありがと」
言うや否や、彼女が僕の頬に唇を当てる。そのままの勢いで立ち上がった彼女は、壁際のモニターでいくらかやり取りを交わした後、足早に来客を迎えに行った。
思わず、頰に手をやる。
「……不覚だった」
今のは完全に予想外の一撃だ。おかげで心の準備がまったくできていなかった。この気持ちを抱えていろいろお預けを食らうとか、とんだ拷問だ、まったく。
にやけた表情筋を必死にコントロールしようとしながら、僕は小さくため息をついた。
現れた少女は黒瞳が印象的だった。
身長百五十センチを切るぐらいの小柄な体に、それを覆う鎧のように、長い黒髪を腰元まで伸ばしている。僕らと同じく学校帰りなのだろう、黒を基調とした制服に袖を通し、真っ黒な通学鞄を肩から提げている。
白無垢な面に、大きな黒瞳を抱え、どこか作り物めいた笑顔がその顔に浮かぶ。
僕の方を見て、その笑みによそよそしさがプラス五十パーセント付加された。
「はじめまして。ダリアの友達の九々葉藍です」
「はじめまして。相田涼です」
小さく頭を下げてきた彼女に対し、僕も頭を下げ返す。
顔を上げると、九々葉藍はまじまじと僕の顔をみつめてきた。
「彼氏、なんですよね? ダリアの」
「まあ、そうだよ」
「……ダリアにそんな人がいたなんて、意外」
「僕の方も意外だったよ。君みたいな友達がダリアにいたなんて」
「……わたしみたいな?」
首を傾げた少女に、僕は見定めるような視線を送る。
「まあまあ、立ち話もなんだから、入ってよ。藍ちゃん」
「あ、うん。そうだね」
ダリアに促され、九々葉が靴を脱いで、フローリングに上がる。僕は二人の後に続いて、リビングに入った。
「けっこう、久しぶりだよね。何か月くらいだっけ?」
「夏休みの最後の方に会ったくらいだから、三か月くらいかな」
「あー、そっか。じゃあ、ちょうど彼と付き合いはじめたあたりなんだ。言うのすっかり忘れてて……」
「ほんと、さっき聞いてびっくりしたよ」
「だよね。今日、会うかもって言っとけばよかった」
睦まじく話し始めるダリアと九々葉。
そこに割って入れるわけもなく、僕は無言で二人のやり取りを見つめるのみ。
「あ、そうだ。知ってますか? 相田さん。ダリアって――」
たまにそうして話を振られることはあっても、僕から会話に加わろうという意思はない。それを理解しているダリアは特に気を遣うでもなく、本当に言いたいことだけを僕に言ってくる。
一方で、九々葉の方はそうではない。
ことあるごとに僕に話を振ってきて、時折、僕の顔色を窺うようにこちらを見ては、優し気な声をかける。
気遣いのできる女子なのだなあ、と思うし、そうやって、きちんと相手をしてもらえるというのは会話に交じれず居場所をなくしてしまうよりよほど嬉しいことなのかもしれない。
――けれど、彼女のその態度はなぜだか、無性に僕の神経を逆なでした。
そうして一時間もしないうちに、僕はその場を去ることを決める。
「あ、下まで送っていくよ」
僕の表情の変化を察したダリアが立ち上がる僕に付き添って、一緒に玄関に向かう。
リビングを出る間際、ちらりと九々葉の様子を窺うと、彼女は小さく俯いて、床の一点を茫洋と見つめていた。
マンションの外に出ると、ダリアが心配そうな目で僕を見据えた。
「……どうかした? 何か気に障ることでもあった?」
「別に。単に家が恋しくて帰りたくなっただけだよ」
「そう。ならいいんだけど」
全然よくなさそうな顔と声音でダリアが独り言つ。
「……じゃあ、またね」
それでも、柔らかい笑顔で手を振ってくれる彼女のことが僕は好きだと思うし、大切にしたいと思う。
「ああ、またな」
僕は踵を返して、マンションの駐輪場に向かう。
「自分に嘘をついてるようなあの手の手合いは、ほんとに大嫌いだ」
つぶやくような声音で口にすると、その声は思いのほか大きな響きをもって夕方の空気に溶け、そしてすぐに消えた。