るりとダリア
「じゃあ、デートを再開しようか、るり」
みんなで集まって行った昼食会を後にすると、芝居がかった仕草でダリアがそう言った。
何を意図しているのかいまいちわからないその言い回しにわたしは苦笑を浮かべる。
「再開も何も、はじめからダリアとデートをしているつもりもなかったんだけど」
「ひどい! ボクとは遊びだったのね」
「文化祭で楽しく遊んでいるからそれはそうだよ」
並んで歩いていると、ダリアの方がわたしよりも少しだけ目線が高いことに気付く。
女子にしては身長が低くはなく、百六十三センチあるわたしよりも彼女は背丈が大きく、ひょっとすると、百七十センチに迫っていそうな気がする。
鼻は高いし、目もぱっちりとしていて、髪は癖がなくきれいだ。わずかに癖毛の入っているわたしとしては、天然で純度百パーセントのストレートヘアというのは非常にうらやましい。
「……なに、そんなにこっちをじっとみつめて。もし本気でそっちに目覚めてたら、るりとの今後の付き合い方を考え直さないといけないんだけど」
やや自分の体を抱くような仕草を見せて、警戒するようにこちらを見るダリア。どう見ても本気の素振りではない。大げさに反応して見せてわたしの気を引こうとしているだけ。付き合いが長くなってくると、彼女のそんな心根がだんだんとわかってくるようになってきた。
だから、わたしも変に焦らず、淡々と返す。
「別に。うらやましいなあ、と思っただけ」
「うらやましい? なにが?」
肩透かしを受けたように表情と姿勢を戻して、まじめな顔して彼女が訊く。
「スタイルとか、髪とかもろもろ」
「……」
言うと、なぜかじとっとした視線で睨まれた。
「そんな立場に見合わないセリフは、その胸の重しを外してから言ってくれない? いつになったら、修行終わるわけ?」
「……ダリアが何を言っているのか全然、わからないんだけど」
全然の部分にアクセントを置いて口にすると、ジト目のダリアが身を寄せてくる。
「だから」
そのままわたしの腰骨の辺りに両手を置いて、体の線に沿ってなぞるように指を動かした。
「……っ」
「人のこと言える戦闘力かよって話。特に前面装甲」
相変わらず、彼女の言葉選びは半分ぐらい、意味がわからない。大体、ボディタッチする必要あっただろうか。普通に口で言えばよくない?
「へ、へんな触り方しないでよ」
「逆に、普通の触り方が知りたいけどね」
悪びれることなく、そんなことを言って、彼女は歩き出す。
ため息をついて、その後を追う。
そんな風にダリアに気を許されるのがそんなに嫌でもない自分がいて、それがけっこう嫌だったりする。
「さっきの話聞いてた?」
「……藍ちゃんのアレ?」
有志によるバンド演奏などが行われている体育館に向かう傍ら、並んで歩くわたしにダリアが問う。
悠里に、相田君に嘘をつかれたらどうするのか、と訊かれ、彼が嘘をつくわけがない、と断言した藍ちゃん。
横目でその話を聞いてたわたしは単にいつもの藍ちゃんだな、と思っていただけだけれど、ダリアにしてみれば違ったのだろうか。
相変わらず、こういうとき彼女が浮かべている笑顔の底は計り知れない。普段の彼女の性向はかなり熟知してきたつもりだけれど、なんというか、他の人間の本質に踏み入ろうというときのダリアはまるで趣を異にする。貼りつけた笑顔に、偽った心根、まったく本心を窺いしれない。
「さて、ここで問題です。あるところに、女の子が二人いました。二人は明日一緒に買い物に行く予定です。明日の天気はどうなるかな、なんて話を二人でしていると、一人は言いました。今日の天気は快晴だったのだから、明日もきっと晴れるに違いない。もう一人は言いました。明日は二人で買い物に行く日だから、きっと晴れてくれるよね」
「……?」
「二人のうち、どちらがより信じるという行為を実践しているでしょう?」
「なにそれ? どういう意味?」
「なんでもいいから、答えをどうぞ」
はよはよ、と掌を差し出すダリアに押され、わたしは少し考え、答える。
「二人目の子? 明日二人で買い物に行きたいから、晴れてほしいって……」
「ぶっぶー」
最後まで言うことなく、ダリアが唇を尖らせて口で効果音を作る。
「正解はどちらも何も信じてなどいない、でーす」
「……」
また始まった。
ひねくれたダリアの講釈。
「どういうことなの?」
それでも、優しいるりちゃんは、真意を問いただしてほしそうな彼女の意を汲んでちゃんと尋ねてあげる。言った瞬間に、にやりと笑うダリアの表情がなんとも小憎らしい。
「一人目は今日の天気が晴れだったのだから、という何の根拠もない理由を盾に勝手に明日は晴れに違いないと思い込んでいるだけ。二人目は明日は買い物に行くから晴れてほしいという願望を押し付けているだけ。別にどちらも明日が晴れだという事実を本気で信じているわけじゃない」
「……要するに、何が言いたいの?」
回りくどいたとえ話と解説が入らないと、言いたいことも言えないのだろうかこの子は、といつもまったく辟易する。辟易するけれど、毎回こうして付き合うわたしも相当変わっている、と自覚せざるを得ない。
「つまり、信じるということと、何の根拠もない思い込みを押し付ける、ということは外面みたときにそう違いはないようにさえ見えるときがある、ということだよ」
「…………藍ちゃんが相田君を信じているわけじゃなく、ただ自分の願望を押し付けているだけだって?」
「……あれ? そんな風に聞こえた? ボクはただそれとなくたとえ話をして、藍ちゃんが信じる、と言った言葉の意味について軽く考えを深めてみただけだよ」
「……」
回りくどいにもほどがある。
その上、本音を見抜かれても、絶対認めようとしない。ダリアってほんとうにめんどうくさい。
そのめんどくささが同時に愛らしさでもあるなんて思う自分がいて、さらにそんな自分を嫌になる自分がそれ以上にめんどうくさい。
自分多いな、わたし。
しゃべっているうちに、いつの間にか体育館までやってきていて、ダリアと一緒に中に入る。
館内にはパイプ椅子が所狭しとおかれ、即席のイベント会場として機能するようにセッティングされていた。
今はちょうど出し物の狭間の時間帯のようで、舞台上では、何人かの生徒が楽器のセットやチューニングを行っている。
空席が目立つ観客席の内、落ち着いて話せる奥まったところまで歩を進めると、二人並んで腰を下ろした。
「でも、多かれ少なかれ、そういうところって誰にでもあるものじゃない? 友達とか親とか、こういう風にあってほしいって理想を押し付けてる」
「……ふむ」
わたしがそう反論すると、興味深げな吐息を漏らして、ダリアが唇の端を片方だけ上げる。
嘲るような笑い方、なんて言うこともできる表情だけれど、その実、これはただ単に状況を面白がっているだけのときの彼女の笑い方だ。
「たしかにそうだね。人に何かを押し付けずに生きられる人間というのもまたいないのかもしれないけれど。それでも、程度というものはあっていいと思うんだよ。何事も際限なく求めれば、あらゆるものが過剰になる。自己防衛も過剰が過ぎれば過剰防衛。被虐意識も過剰が過ぎれば、逆に加虐意識になったり。そして、その点において、現時点での九々葉藍というのは際限を知らない女でもある」
「……どういう意味?」
少なくとも、藍ちゃんに対して好意的な捉え方ではないというのはわかるけれど、際限がないというのが何を指しているのか、具体的に見えてこない。
「美月愛子の一件、あったでしょう?」
「……うん」
思い出して、あまり愉快ではない気分になる。
藍ちゃんの友達であって、彼女にことあるごとに気を遣われていたはずの美月ちゃんが、その裏で、実質彼女を裏切るような真似をしていたこと。
「あの女の本性にもっともそばで見ていた藍ちゃんが、ましてや敵意に近い感情を向けられていたであろう藍ちゃんが、気づかないわけがあると思う?」
「それは……」
たしかにそれはわたしも少しだけ思うところがあった。あの子の様子や表情にはおかしなところが目立ったし、藍ちゃんはなんで何もしないんだろうと。
気づいていても、心情的に何もできないというのはあるかもしれないけれど、それは友達関係においての話であって、クラスとしての活動にまで、もっと言えば、そういう公的な場にまで影響を及ぼすようになった時点で、何か行動を起こしてもよかったのではないかとわたしは思う。
ほんとうに気づいていたのなら、そうすべきだったと。
そして、藍ちゃんはおそらく、自分への悪意に敏感な子だ。
「知っていてあの子は無視し続けたんだよ。もちろん、それが相手を思いやっての行動だとか、それなりの理由があるのならいいとして。彼女の場合はただ自分が見たくないからそれをした。友達に対する幻想を押し崩したくないがために、真実を覆い隠し、ただ嘘ではないというだけでそこに救いを見出し、停滞という名のぬるま湯に浸かった」
「……」
ダリアの言い様はとても大げさなものに思えたけれど、指摘すべき点は指摘しているようにも思う。
言ってしまえば、藍ちゃんは都合がよすぎる見方をしている、ということなのかもしれない。
舞台上に立った四人の生徒がマイクを握り、挨拶を始めた。少ない観客を相手に、グループ名を名乗り、演奏を始める。
それにじっくり耳を傾ける態勢に入ろうかと思ったところで、ダリアが遮るように軽く人差し指を立てる。
「はい、ここでるりに質問」
「……またか」
人の意識の隙を突いて、へらへらと笑って妙な投げかけをしてくるのは、ちょっと心臓に悪いからやめてほしい。
「友達が悪事を働いているのに気づいてしまったら、どうするのが正しい? 1、見て見ぬふりをして友達を続ける。2、見て見ぬふりはするが、徐々にフェードアウトし、関係を自然消滅させる。3、関係が変わってしまうことを恐れず、そんなことはやめろと言い含める。さあ、どれ?」
「……3、かな……」
少なくとも、わたしはそういったことを見過ごすことはできない。ダリアの言う悪事というのは抽象的で、それがどういった行為なのかによって幾分か回答が変わってくるところがあるけれど、それでも、その友達の悪事で傷つく人がいたりするのなら、わたしはそれを見過ごせない。ずっとずっとそうだった。幼い頃からずっと、変わらない。結果、自分がいじめられることになったとしても、たとえ友達から見限られたとしても、虐げられる誰かを見過ごすことはわたしにはできない。
もっとも、今はそんな風に尖っているかもしれない考え方を表に出すことはしないけれど。
小学校の頃の孤立を経て、上手くやる、ということをこれまで散々、学んできた。
「そう。るりなら3番を選ぶと思った。相田も同じかもね。でも、藍ちゃんは違った」
壇上のバンド演奏が盛り上がりを迎える。少し前に流行ったアニメの楽曲をアレンジして弾いているように聞こえるが、素人の耳で聞いても、あまり上手い演奏とは思えなかった。
ダリアが少しだけ眉をひそめるようにそちらを見つめながら、語りを続ける。
「控えめに言っても、美月愛子があまりよろしくないことを行っていることに気づいていながら、それを見逃した。それで不利益を被ったのは彼女だけではなく、クラス全体であるのも関わらず。あまつさえ、真実を暴かれた後、藍ちゃんは彼女をかばいさえした」
「……かばうのは別にいいんじゃないかな。それだけでみんなであの子を責め立てたりするのもどうかと思うし」
「るりは優しいね。でもさ、藍ちゃんがあのときなんて言っていたか覚えてる?」
「……なに」
「『悪気はなかったんだよね? 単にわたしのことを手伝ってくれようとしただけで――』って言ってたんだよ」
「……それは、」
その通りの言葉だったかはともかく、なんとなく覚えてはいる。
そこでそんなことを言ってしまうんだと、傍からみて少し違和感を抱いた記憶がある。
バンドの演奏が一曲目を終え、二曲目に入る。
最初の曲と違ってバラード調の曲で、落ち着いて話すのにちょうどいい雰囲気だった。
ダリアがわずかに表情を和らげる。一応、ちゃんと聞いてはいるんだな、と妙なところで感動を覚えた。
「自分が怪我をしておいて、後々、痕が残ったりするかもしれないやけどを負っておいて、そんな言葉を口にしたんだよ。表面的に見れば、これは善性に満ちた態度にも思えるけど、本当のところは違う。そんなのは相手のためにさえならない。家庭内で自分に暴力を振るう夫を肯定するような異常な心境だよ。現実逃避もはなはだしい」
「……」
「今のあの子は確実に何かが歪んでる」
「……そんな言い方……」
「他に言いようある? あるのなら教えてほしいけど」
「……」
言われて、黙ってしまう。
この場での沈黙は肯定にも等しいとわかっていながら。
「その歪んだ心境の過程がさっきの彼女の答えなんだよ」
「……過程なんだ? 結果じゃなくて」
「あの程度のものはまだ序の口さ。あれの程度が進めば、もっと重たい結果が出てくるよ」
まるで病気の症状が進行しているような口ぶりで彼女は言い、わたしはそれには閉口するしかない。
ならば、と逆に問い返す。
「それで、ダリアはどうすべきだと思うの? 藍ちゃんがそんなに歪んでいるというのなら、友達として指摘すべき?」
「……さあてね。まだ微妙。自分で気づけるのなら、それでいいと思うし。相田辺りが適当になんとかしてくれるのなら、別にそれでいいと思う。変に口出しをして、彼女の心境をこじらせてしまうのが一番面倒がかかると思うし」
「結局、様子見ってこと?」
「そう。これだけ語っておいてなんだけどね」
どこか自嘲気味に鼻を鳴らすと、腕を組んで彼女は黙る。
わたしも続けるべき言葉を見失って、しばらく口を噤む。
そうして、懸命に頑張る壇上の生徒に二人で目線をやった。
真剣に語っている風ではありつつも、お互い大事な友達である藍ちゃんについて語ってはいても、その実、出した結論が様子見でしかないあたり、本気でそれを語っていたというわけではないのだと思う。
わたしもダリアも一緒に文化祭で過ごす時間をそれなりに楽しんでいて、藍ちゃんの心配はあくまで二の次だった。それは結局は彼女の問題で、わたしたちがどうこう言うべきものでは、今はないのだと。
そうして、他人事でいられた分、このときまではずっとずっと平和だった。
――わたしと彼女が人の心配なんてしていられなくなる事態に陥るのはこのすぐ後のこと。
わたしもダリアも、きっと予想なんてできていなかった。
都合により、隔週投稿が多くなってくると思います。もしかしたら、三週に一回の場合もあるかもしれません。