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あいだけに  作者: huyukyu
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星空

 茶道部を後にし、次に向かったのは文芸部だった。

 校舎二階の片隅に押し込められるようにして詰め込まれている文化部棟。そのうちの一室に文芸部はある。川端が所属しているという漫研も同じ場所にあり、一石二鳥でちょうどいいということで、僕と藍は文化部棟にやってきた。


 幸いにして、目的の人物はすぐに見つかった。

 文化部棟に入るまでもなく、その近くの廊下に置かれた長机の上に、映研でもらった部誌に似た冊子を並べている。


「あ、相田君に九々葉さん。こんにちは」

「こんにちは。日和君」


 僕と藍の姿を認めると柔和に表情を崩した日和は、手に持った冊子の束をどさっと机の上に放り出し、こちらに駆け寄ってきた。


「もしかして、文芸部を見に来てくれたんですか?」

「うん。涼が来たいって言うから」

「あの相田君が? うわあ、嬉しいなあ。ありがとう」

「……ああ」


 『あの』って一体どういう意味だとか気にならないわけでもないが、どうせ訊いたところで予想通りの答えが返ってくるだろうから、訊く意味がない。


「一応、お前も友達の範疇に数えられるだろうから、見に行かないのも薄情だしな。義理を果たしに来た」

「うわあ、義理堅さ百二十パーセントって感じだね。その感じ、さすがは相田君。いつも通り」

「涼は照れてるだけだけどね」


 わざと突き放した態度を取る僕を面白がるように日和が声を上げ、僕の本音を見通したように藍が小さく独り言つ。

 なんだか僕と藍の間にこいつが挟まると、致命的に会話のバランスがかみ合ってない気がしてくる。


「文芸部では例年通り、自作の小説や詩なんかを書き集めた部誌を配布しているんだ。よかったら持って行って」


 言って、日和が長机の方へ戻っていく。

 彼の後に付き従うようにして机の前までやってくると、文化部棟の方からさらに女生徒が一人出てきた。


「おお、藍ちゃん」

「あ、唯ちゃん」


 文芸部同様自作漫画の配布でもするらしい漫研の川端は、小箱に入れたいくらかの小冊子を抱えていた。


「見に来てくれたんだ。ありがとー」

「いえいえ」

「拙い漫画の寄せ集めだけど、どうぞ見てって見てって」

「唯ちゃんも描いたの?」

「え、あ、いや、わたしは描いてないよ。先輩の作業をちょろっと手伝っただけ。わたしは読む専門」

「そうなんだ」


 その割には拙い漫画の寄せ集めだとか言っちゃうんだな。身内を下げるのは基本か。

 二、三歩くらい距離を取ってそのやりとりを見ていると、ぱちりと彼女と目が合った。


「あ、相田君もどうもです」

「あ、うん」

「店番お疲れ様です」

「ああ、うん。どうも」


 今日はみんな一々僕の相手してくれるな。なんでだろう。お祭り気分でおおらかになっているのだろうか。

 それから川端は日和が部誌を並べているのと同じ机の上に小箱を下ろす。

 よく見ると長机の上には二種類の冊子が並んでいて、一つは文芸部、もう一つは漫研のもののようだ。川端の持ってきた小箱は弾の補給か。


「あ、一緒にやるんだね」

「文芸部も漫研も似たようなもんだからねー。頭の中の妄想を文字で表現するか、絵で表現するかの違いだし」

「それに、ばらばらにやるより一緒に渡した方がお客さんもばらけなくて済むしね」


 意外そうに藍が漏らすと、川端が答え、その言を補足するように日和が言って、二人して部誌を渡してくる。

 律儀に二人分。

 僕と藍で回し読みして一人分に節約するという読み方だってあるのだが、やはりどうにかして冊子をさばきたいという気持ちでもあるのだろうか。

 当然のように二冊くれる。

 売り物の文庫本や漫画であっても何度も読み返すのがまれな僕にとっては、正直こういうのをもらっても持て余し気味になるのだが、さすがに断るのも申し訳ないだろう。

 お礼を言って受け取った。


「これから二人はどこ回るの?」

「特に決めてないけど……。唯ちゃんはどこかおすすめとかある?」

「うーん。午前中漫研の子と一緒にいろいろ見て回ってたんだけど、これと言っては……。強いて言えば、天文部のプラネタリウムは個人的には雰囲気よかったかな」

「プラネタリウム……」


 興味を惹かれたのか、感慨深げにつぶやく藍。


「もうそろそろ一日目も終わりだしね。星でも見ながら落ち着いてまったりするのもいいんじゃない?」

「え、もうそんな時間?」


 言われてポケットからスマホを取り出すと、現在時刻は午後三時過ぎ。

 映画に二時間ほど時間を使ったからまあ、そんなものか。

 終了時刻は午後四時なので、終わりまであと一時間もないことになる。


「まあ、明日も日程あるわけだし……。店番担当は二人とも終わったんだよね? まるまる時間使えるんだから、むしろ明日が本番って感じじゃない?」

「たしかにそうかも。唯ちゃんの担当は明日の午後からだったよね? よろしくお願いします」

「いえいえこちらこそ」


 丁寧に頭を下げる藍に、何がこちらこそかわからないがとにかく頭を下げ返す川端。二人とも今時の女子高生にしては腰が低いな。


「じゃ、いこっか。またね。唯ちゃん、日和君」

「またねー」

「はーい」


 柔らかく手を振る藍とは反対に、僕はぞんざいに手を上げるのみにとどめた。

 なんとなくあの二人に変な気を遣う必要性を感じなかったためだ。日和は最近よく話すのでだんだん慣れてきているというのもあるし、川端は川端で、なんかものすごく図太い神経をしていそうな気配を感じるし。


 長机に並んで座る二人を尻目に文化部棟に背中を向ける。

 歩き出してからしばらくしても、これからの予定について藍が何も言葉を発しなかったので、こちらから話を振った。


「……それでどうする? 川端の言ってたようにプラネタリウムでも行って落ち着く?」

「……」


 歩きながら文化祭のしおりを真剣な表情で眺める藍に声をかけると、はたと彼女が足を止めた。


「どうかした?」

「……うん。なんでもない。そうだね。いこっか」


 口元だけで微笑んだ藍と目を合わせると、わずかに細められた瞳に浮かんだ想いが少しだけわかった気がした。

 それから、どちらかともなく手をつなぎなおして、階段を上へ向かう。


「……」

「……」


 文化祭という非日常に伴う賑々しさの中、黙って二人で足を動かす。

 あるのは沈黙だけ。

 告げるべき言葉を持たないわけではない。ただ口を開く必要性を感じなかった。

 藍が何を考えているのか、何を思い出しているのか、それは僕には明らかなように思えたから。


 天文部のプラネタリウムが行われていたのは最上階にある空き教室。

 扉は開いているものの、暗幕がかけられているため、中の様子はうかがえない。

 時折揺れる暗闇の隙間から、小さな光が漏れ出てきているだけだ。

 入り口の前には下駄箱が置かれ、その隣には『靴を脱いでお入りください。ごゆっくりおくつろぎください』と看板が立てられている。


「……」

「……」


 なんとなく顔を見合わせて、ゆるやかに暗幕をくぐった。

 暗幕の効果なのか、頭を下げてそれをくぐった瞬間、文化祭の喧騒がどこか遠くに消え去ってしまったように感じられた。


「……わぁ」


 小さく感嘆の声を漏らした藍に注意を向けることもなく、僕も無言で心を奪われていた。


 そこに広がっていたのは宇宙空間だ。

 窓も壁も暗幕で塞がれ、外から光を受け入れる余地をすべてなくし、光を閉ざした空間の中で、複数のプロジェクターを用いることによって、天井、壁、床が一つの区別もなく、プラネタリウムの光によって星色で塗りつぶされている。

 小さく輝く星が、大きく煌めく星が、赤く燃える星が、青く揺れる星が、同じように見えて一粒一粒がまったく異なるそれらの光が視界のすべてを埋め尽くしている。


 まるで自分が突然宇宙空間の中に放り出されたようにさえ感じられた。

 見慣れた校舎の一室が暗幕とプロジェクターによってこうも様変わりして見えるものか。


 音もなく、色合いもなく、見えているのは光の瞬きと光の喪失。

 明確な意味づけもなく、明確な意味もないこの空間に、どうしてこんなにも衝撃を覚えるのだろう。


 果てのない暗闇と輝く星だけで満たされた室内は、視覚的にも意識的にも外の世界と完全に隔絶されていて、そこに見えているのは終わりのない宇宙を切り取った無限の中の一瞬のきらめきだった。


 星空というのは不思議だ。ただ瞬いているだけなのに、人の心を動かす。

 ただ暗闇の中に光るその輝きを見つめるだけで、現実から遊離したような気持ちになる。


 たとえこれが本物の星空でなく、映像として照らされたものにすぎないとしても、それでも、この輝きは

本物だった。この胸に感じる感慨は一部の濁りもなく本物だった。


 足元で踏みつけるふかふかとした感触すらも頭に入らない。

 視界に焼き付けられるこの輝きと、この手に感じる小さなぬくもりだけが、意識に広がる感覚のすべてだった。


「……すごい」


 ぽつりと藍がつぶやいて、ようやく僕は我に返った。

 暗闇に満ちる星空の中、床面に敷かれた厚手の絨毯の上に僕と藍は立ち尽くしている。

 入口に立ち尽くしていては、他のお客さんの迷惑になると今更ながらに気付いた。


「……とりあえず、中入ろう」

「……うん」


 どこかうつろ気な藍の返事に、まだ星空に心を奪われたままなのだと理解し、僕はその手を引いて教室の中程に向かう。


 僕が腰を下ろすと、釣られたように藍も座る。


 闇に目が慣れてきて徐々に辺りを見回せるようになってくると、壁際の方や窓に近い奥の方に、いくらかお客さんの姿が見て取れる。

 誰も余計な言葉を発することもなく、各々この幻想的景色に耽っているようだった。

 元来、プラネタリウムとはそんなものなのだろう。

 中には寝転がって、ぼうっと空を眺めている人もいて、その姿に思い出すものがあった。


 自然に体を倒してみると、そばで藍も同じようにしていた。

 スカートで寝転がるというのが少し気になったが、脇に控えていた天文部の部員らしい生徒が即座に「使ってください」とひざ掛けを藍に差し出す。

 対応は早い上に、とても気が利いている。

 おかげで僕も安心して目の前の景色に集中することができた。


「……」

「……」


 星空に寝転がりながら、星空を見つめる。

 それはなんて贅沢だろうと思えた。

 いくばくか空を見つめ、人の出入りや風の揺らめきさえも背景のように意識の淵に消え去ってしまったころ、他の人の迷惑にならないよう、僕にだけ聞こえるようなとても小さな声で藍が言った。


「いつだったかもこんなことがあったよね」

「……あったね」


 藍と初めて話したころに、一木先生に提案されて、二人で天体観測をした。

 あのときもこうして二人で寝転がって夜空を眺めた。

 それによって、僕は自分の心を自覚し、藍もあのとき何かを感じたのかもしれない。

 今回もまた同じ天文部主催の催し物だ。本当にあの先生には感謝しか覚えない。


「あのとき涼にもらったものと同じくらいのものをわたしは返せたかな?」


 消え入るような声で彼女が言う。

 他の誰にも聞こえない。そばにいる僕だけがその言葉を聞いている。

 当然だ。それは僕に向けて告げられた言葉で、僕に向けて発せられた想いなのだから。

 九々葉藍が相田涼に伝えるためだけに紡がれた言葉であり、彼女が僕に伝えるためだけに抱いた想いなのだから。

 だから、それに応えるのもまた僕の言葉でなければならない。


「それ以上のものを、僕は藍にもらってるよ」

「……ほんとう?」

「……この無限の星空よりもとても大きくて、とてもきれいなものをずっとね」

「……ふふっ」


 格好つけるどころではない僕の言い回しに彼女が笑みを漏らす。

 でも、それは言葉がおかしいから笑ったのではなく、想いが嬉しいから笑ってくれたのだと、そう僕は感じた。間違ってもいないだろう。藍はいつも本質的なところを見つめてくれている。


「じゃあ、わたしはこの無限大の宇宙よりも大きなものを涼からもらってる」

「……大げさだなあ、藍は」

「先に言ったのは涼だよ」


 くっ、と声を抑えて喉の奥で笑った。

 藍も口元に手を当てているのが気配でわかる。


「ありがとね」

「うん」


 ぽつりと言って、ぽつりと答える。


「ありがとう」

「うん」


 ぽつりと言って、ぽつりと答える。


 そう。

 僕が藍からもらったものはとても大きくて、とてもきれいで、この星空と比べても、まったく見劣りしないかけがえのないものだ。


「あい」

「……ん?」


 つぶやくと、隣のあいが小さく首を傾げて、それから僕は微笑んだ。




修正する前の序盤の話は一応、なかったことになっています。今は序盤で肝試しだったものが天体観測に変わっているので、読んでおられない方はそのことを言っているのだとご理解ください。

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