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あいだけに  作者: huyukyu
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昼のち巡る

 十二時五分。

 後発の班への引継ぎを終え、晴れて僕らは自由の身。休日ってすばらしいよね。一つも時間を拘束されないんだもの。これから保健室にこもって文化祭終了まで嘘寝をこいていようが、誰にも責められないんだもの。


 まあ、僕の隣にいるニコニコ顔の彼女が、そんなことは決して許してくれないんだけどね。


「さあ、涼。文化祭を思いっきり楽しむ時間だよ」

「あーい」


 肩の力を抜いて気の抜けた返事を漏らした。

 それに、彼女がもう、と頬を膨らませる。


「文化祭準備で忙しかった分、二人の時間を取り戻そうという気概は涼にはないの!?」

「文化祭を一緒に回るという体験を二人の時間として認識できる器が僕にはないんだよ」


 ひねくれたことを言うと、藍がはあ、とわざとらしく大きなため息をついた。

 それから、ちらちらとこちらに視線を送りながら、芝居がかった仕草で独り言つ。


「せっかく、涼のために、お弁当を持参してきたんだけどなあ」

「……ほう?」

「涼の好きだって言う甘くない卵焼きとコロッケとウインナーと唐揚げを満載にしてきたんだけどなあ」

「……ほお?」

「二人っきりになれるように、実行委員権限でクラスの方は荷物置き場として立ち入り禁止にしてあるんだけどなあ」

「……ほう!」


 それでも涼が嫌って言うなら仕方ないなあ、とちらっちらっと僕を窺う。

 この手の誘いに素直に乗ってしまうのは業腹だという人間はいるかもしれないが、残念ながら僕は違う。餌をちらつかされれば、たとえその先に苦悩が待っているしても、真っ先に飛びついてしまう人間だ。


「喜んで一緒に文化祭を回らせていただきます」

「……うむ、よろしい」


 大儀そうにうなずく藍。

 その顔は曇り一つない笑顔に彩られている。


 何より、春の日の日差しのようなこんな魅力的な笑顔を向けられてしまえば、僕は一生敵う気がしないわけだし。

 惚れた弱みだ。




 昼時を迎え、徐々に活気だってきた人ごみをすり抜け、一年三組の教室までたどり着く。

 机と椅子を後方に寄せ、地べたに直接各人の荷物が置かれた室内はがらがらだ。

 弁当の類を取りに戻る生徒もいるかもしれないが、その場合は空気を読んで退出なされることを願おう。


 自分たちの机と椅子を教室後方の空間から引っ張り出し、がらんどうの中央に並べる。

 向き合ってお弁当を広げた。

 開陳されたるは色とりどりの食材たち。午前中の労働の後ということもあって、喉がくきゅると鳴る。


「どうぞ、召し上がれ」


 待ちきれないという生理的欲求を済ましたポーカフェイスで押し隠す僕に、微笑ましさを堪え切れないように藍が笑みくずれながらそう言って、僕はぱちんと手を合わせる。


「いただきます」


 箸を手に手に、さっそく彼女お手製の献立のうち一つを掴み取った。


「ふんわりしててうまい」

「ありがと」


 だしの効いた卵焼きを口に含むと、ふわりとした食感とだしの深みが絶妙だった。

 それから、藍も手を合わせて食べ始める。


 しばし、目の前の美味に向かう。

 取り立てて会話はなく、がやがやとした喧騒が一つ、階を隔てて聞こえてきていた。

 文化祭という、一日単位で見ればいつもの日常以上に動的な時の中、時間単位、分単位で見ればはるかに静的な時を彼女と過ごす。

 俵型のおにぎりを箸でつまんだ。軽くかじると、鮭の塩味が口に広がるとともに、ねえ、というとても落ち着いた声が耳に届いた。


「いろいろと協力してくれてありがとね、涼」

「協力って?」

「ほら、文化祭実行委員の活動の中で、買い出しとかいろいろ手伝ってくれたでしょう?」

「ああ、そんなことか」


 彼女がやっていた仕事全体から見れば、ひどく些細で、取るに足らない微量の努力だ。


「そんなこと、じゃないよ。わたし、とてもありがたかったんだから」

「あれだけのことが?」

「あれだけって一口に言っても、他にも涼はがんばっていたよ。今日も、午前中ちゃんとクラスのために働いてくれたし」

「みんなやってることじゃん」

「そうだよ。みんなやってること。でも、それでもありがたいなって思ったから、ありがとうって言うの。それっていけないこと?」

「いいや、全然」

「うん。だよね。だから。ありがとう」


 屈託のない眼差しとともに、天使のような微笑みを向けられると、自然と顔が熱くなってくるのを自覚する。


「どういたしまして」

「……うん」


 消え入るような声音でそう返すと、彼女も小さく頷いて、またお昼ご飯に向かった。


 


 ニ十分ほどの後、ご飯を食べ終える。

 幸い、その時間中に教室に入ってきた生徒はいなかった。みんなそれぞれ文化祭らしい昼食時を過ごしているということだろう。


「はあ」

「……お昼ご飯を食べたばっかりなのに、もうため息?」

「これはため息じゃないよ。一息ついただけ」

「その二つはどう違うの?」

「僕の気持ちが違う」

「なるほど」


 納得したのかしていないのか、比較的どうでもよさそうにうなずいて、藍がスカートのポケットから折り畳まれた文化祭のしおりを取り出す。


「なにから回ろうか」

「やっぱり回らないといけないんですね」

「……そんなに嫌?」

「……もううじうじとしたことを言う気もないけど、実を言うとそんなに興味が湧いてこないのも事実」

「それはどうして?」

「高校生のお遊びだっていう認識がどうしてもあるからかなあ」

「……涼はちょっとひねてるもんね」


 苦みの含んだ微笑で言葉を濁す藍。

 ちょっとひねてるどころの騒ぎではないと思うけど。

 一周回ってたまにまともに見えるときがあるくらいひねくれてる。

 それでも、そんなひねた僕に嫌な顔一つせず付き合ってくれる藍は天使。


「騒々しいのよりは、落ち着いたところを回った方がいいよね」

「そうしてくれるとありがたい」

「じゃあ、これは? 映画研究部の上映会」

「自作映画?」

「ううん。レンタルしたものらしいよ」

「……それはわざわざ文化祭でやるほどのものか?」

「でも、それこそ涼の言う、素人の自己満足みたいなものを見せられるよりはいいんじゃない?」

「まあ、それはそうかもしれないけど」


 ていうか、僕そこまで辛辣なことは言ってないんだけど。

 実のところ、藍も心の中ではそう思っているのだろうか。

 笑顔の裏を疑いたくなる。

 じっと見つめると、ん? と、彼女が小首を傾げた。


「とりあえず、いこ」

「はいはい」


 半ば引きずるように腕を引っ張られて、やむなく僕は立ち上がった。

 腕全体を包み込むように感じたやわらかい感触に、思わず抵抗する意思が消え失せたのは内緒だ。




 人通りを避けるようにして、映画研究部が使っているという人気の少ない視聴覚室の方に向かっていく。


「いらっしゃいませ」


 ほとんど校舎の端っこのような場所で、ここに辿り着く五十メートルぐらい前から誰ともすれ違わなくなった。普通の教室の二倍から三倍近くの広さがある視聴覚室の前に、机と椅子、それから小さな立て看板だけが置かれている。


「あれ? 末長さん?」

「ああ、九々葉さん。よくぞこんなうら寂れた場所へ」


 その椅子に座っていたのは同じクラスの末長朱美だった。栗原と仲のいい友達。藍と協力して文化祭準備を盛り上げる手助けをしていた。


「末長さん、映画研究部だったの?」

「そうだよ。もっとも、この部は研究どころか、鑑賞しかしてない暇人の集まりだけどね」


 肩をすくめた彼女は顎で背後の室内を指し示す。

 中では、視聴覚室前方の大きなスクリーンにプロジェクターから光が当てられている。しかし、まだ上映前のようで、何の映像も映っていない。

 その何も映っていないスクリーンを茫洋と見つめる生徒が三人。男子二人に女子が一人。それぞれが前だったり後ろだったり、大きな距離を置いて各々のポジショニングで陣取っている。


「御覧の通り。身内しかいない上映会よ。まさしく閑古鳥が鳴くって奴ね」

「……お客さん、誰も来なかったの?」

「午前中は誰一人。だから、あなたたち二人が初めての客よ。といっても、別にお金を取ろうというわけじゃないんだけど」


 と言って、はいこれ、と小さな冊子を二枚、僕と藍に渡してくる。


「部員が見た映画の感想をまとめた簡単な部誌って奴ね。いらなかったら捨てていいわ。ただし、家に帰ってからね。こことか他の場所で捨てられると私たちの評判が落ちるから。上映会を見に来た人は全員強制的にそれを受け取って帰ってもらう決まりよ」

「……強制的に?」

「ええ、強制的に。返却は許可されていないわ」


 言い回しが強かったので、思わず聞き返すと、ひどくまじめな顔を取り繕った末長が僕の方を見てゆっくりと頷いた。


「末長さんの感想もあるの?」

「……ええまあ。駄文よ」

「わかった。ちゃんと全部読んで感想を言うね」

「……恥ずかしいからやめて。大体、わたしが映画を見た感想の、さらにそれに対する感想なんて、わけがわからないわ」


 藍がきらきらとした瞳で答えると、ばつが悪そうに彼女が視線を逸らす。

 落ち着きを保つ理路整然としたイメージのあった彼女だが、それでも年齢相応に照れることはあるらしい。クラスメイトの意外な一面を見た気がした。


「上映は一時からよ。あと少しだから、好きなところに座ってみるといいわ」


 それから早口にそう言った彼女は、早く行け、と言わんばかりにぷいと顔を逸らしてしまう。

 ありがとう、と一言告げて、藍が中に入る。僕もその後ろに続いた。


 前の方のスクリーン正面の座席に二人並んで座る。

 近くに座っていた眼鏡をかけた男子生徒がちらとこちらに視線を向けた。目が合うと軽く会釈をする。向こうも律儀に返してきた。風格的にあれが部長な気がする。なんとなく。

 しばらくぼうっと椅子に座っていると、ふと思い出して隣の藍を向く。


「そういえば、タイトルはなんだっけ?」

「『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』……」

「何か聞いたことあるような」

「じゃなくて……」

「じゃないんかい」

「『最高の人生の見つけ方』」

「……知らないけど、たぶんそれひとところも被ってないよね」

「えへへ」


 いや、えへへじゃなくて。

 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?って言いたかっただけだろ。


「あ、ほら、始まるみたいだよ」


 ごまかすように藍が先ほどの部長っぽい人を指し示す。

 彼が近くのノートパソコンにレンタルビデオショップでレンタルしてきたらしいDVDを入れると、上映が始まった。


 静かにスクリーンに見入る。


 文化祭の日に、学校でひたすら映画を見るというのもどうなんだろうな。

 まあ、別に藍といられれば僕はそれでいいんだけど。


 この後はもう少し文化祭らしいことでもしてみるか。

 僕は思った。




しばらく健全ないちゃいちゃを挟み込みながら、文化祭巡りの予定です。

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