親子
出店の位置は校門が見通せる中庭、昇降口のすぐそばにあるので、文化祭にやってきた人の姿などは詳細に観察することができる。
一般の人の入りはそれほど多くない。今日が平日で、しかも週初めの月曜日であることを考えれば、それも当然か。
開催後十分が経過した今、ぽつぽつと見える一般客。
その中に交じってはいても、やはり金色の髪をした百日の姿というのは非常に目立つし、また彼女と一緒にいる人物というのにも当然目が行ってしまうことになる。
クレープを二つ買った後、一旦は校門の方に向かった彼女は、待ち人と合流したらしく、一人の男性を引き連れてこちらに戻ってきた。
彼女と一緒にいる男性は、四十台前半といったところで、ありふれた高校の文化祭を訪れたというのにも関わらず、スーツにネクタイというフォーマルな装いをしている。わずかに下がった目尻や目の下の泣きぼくろなど、どこか柔和な印象を与える顔つきをしているが、深く皺の寄った眉間と痩せこけた頬が彼の歩んできた道のりの苦労を象徴していた。
どことなく、彼女と輪郭が似ているところからして、おそらくは百日の父親なのだろう。
彼女の家庭の事情は百日本人から聞き及んだこともあって知っている。彼女を産んですぐ彼女の母は父の財産を奪って逃げ、彼女は父の実家で幼少期を過ごした、ということだったか。
先ほどクレープを二つも購入していたのはてっきりトムの奴にでもあげるのかと思ったら、自身の父へ渡そうという心遣いだったらしい。
現に、彼の片手にはさっき藍が作ったスペシャルスイートサンデーがある。
世界に不幸が起こってもどこ吹く風といったいつもの態度と違って、彼と一緒にいる百日の表情には微妙に緊張が見て取れる。肩は強張っているし、足取りもぎこちない。
なかなか珍しいものを見ている気がする。
そのぎこちない仕草で以って、彼女は僕らがテントを構えているこちらの方を指し示し、父親に何事か囁いた。
大方、自分のクラスの店だとでも告げたのだろう。
すると、父親の方は何を思ったか、それまで一口も口をつけていなかったクレープを一呼吸の内に口の中に入れてしまう。
隣で見る百日は唖然とした表情で、蒼い目を真ん丸にしていた。
それから、数十秒の後にそれを咀嚼し、今度は大股の足取りでこちらに向かってくる。
その後ろを慌てた様子の百日が追いすがった。
「すみません」
「はい?」
売り子である栗原の前に立った彼は、後ろで娘が顔を真っ赤にしているのにも気づかずに、丁寧な口調で言う。
「私は百日ダリアの父、百日修史と言います。いつも娘が大変お世話になっていて……、ほんとうにありがとうございます」
「あ……、いえいえ、こちらこそ、ダリアさんとはいつも仲良くさせてもらっていて……、わたしとしても彼女といると本当に楽しいし、彼女の存在をいつもありがたく思っています」
恐縮した様子で応える栗原に、修史氏はありがとうございます、ともう一度言って、今度は深く腰を折る。
慌てた栗原は呼応するように自身も頭を下げた。
しばらくして、二人は同時に頭を上げる。
その間に百日が追い付いてきていたが、頭を下げて向かい合う栗原と修史氏の姿に何とも言えずにその隣に立つに留まった。
「失礼ですが、あなたが九々葉さんですか? 小学校の頃から一緒だったと言うお話の。娘は自分の友達についてあまり語りたがらないもので」
ちらと隣の百日を窺いながら言う修史氏だったが、百日自身は不機嫌そうにぷいと顔を背ける。
「あ、いえ、わたしは栗原と言います。九々葉さんはこちらです」
言って、栗原が隣の藍を両手で控えめに指し示す。
「あ、九々葉藍です。はじめまして」
「はじめまして」
頭を下げる藍に対して、修史氏もまた頭を下げる。どうにも腰が低い人らしい。
「小学校の頃からずっと、懇意にしていただいて、本当にありがとうございます」
「あ、いえ、わたしの方こそ、ももちゃんにはお世話になることも多いので。いつも感謝してます」
「ももちゃん……」
「あ、いえ、ダリアさん、ですね。すみません」
「ああ、いいや、決して責めているわけではないんです。娘がそうした愛称で呼ばれているのが意外で……。本当にありがとうございます」
心の底から嬉しそうに相好を崩した修史氏は、藍の手を取ってぎゅっと握りしめる。まるで熱心なファンがアイドルの握手会に来たみたいな有様だ。
さすがに耐え切れなくなったのか、耳まで真っ赤にした百日が「お父さん!」と声を上げる。
「いつまで恥ずかしいこと続ける気なの! そばで見てるボクの気持ちにもなってくれない!?」
「……なにを言ってるんだ。お前と仲良くしてくれる子に感謝の気持ちを伝えないでどうする」
「いや、わかるけど! そんな大げさにしなくていいじゃん!? もっとこう、程度ってものがあるでしょう!?」
「こちらは感謝を伝える側だぞ? 程度がどうこうなんて失礼じゃないか」
「そういうことじゃなくて!」
地団駄を踏んだ百日が、どうしてわからないのかとばかりに虚空に手を振り下ろす。スカートの裾がなびいて、艶のある金髪がふわりと揺らいだ。
そんな彼女の様子を見て、おもむろに栗原が口を開く。
「……あの、ダリアのお父さん」
「あ、はい。どうしました?」
「その……、わたしも、藍ちゃんと同じかそれ以上にはダリアと仲良くしているつもりで、彼女自身はどうか知りませんけど、わたしは彼女のことを親友のように思っているんです」
「……し、親友!? ダリアに!?」
再び腰を折ろうとした修史氏を栗原が慌てて止める。
「あ、えっと! 別に感謝してほしいとかそういうことを言っているわけじゃなくて! 彼女にもちゃんとそういう風な友人がいるんだってことをわかってほしくて。……あと、それでその、よくダリアさんの部屋とかにも遊びに行かせてもらうんですけど。二人きりで話していて、あるとき、彼女ぽろっと言ってたんです。『お父さんには小さい頃からたくさん迷惑をかけちゃったから、これから少しでも恩返しがしたいんだ』って」
「……る、るりっ!?」
台詞の途中で目を見開いた百日が彼女に手を伸ばすが時すでに遅く、言い終えたところで、わずかにその指先が栗原の肩に触れた。
その姿勢のまま百日は一瞬、硬直して、恐る恐ると様子で自身の父親の顔を窺う。
「……そうか……。そうか……」
瞑目して噛みしめるようにそうつぶやいた修史氏は、ややあって目を開くと、手を伸ばしたまま不安定な体勢で硬直する娘の頭に手を乗せ、ゆっくりと撫でた。
「――っ!?」
びくっと体全体で跳ねた百日がずざざっと後ずさる。
「急になにするの!?」
「ありがとう、ダリア」
「っ……な、なによそれ」
「いや、お前が私の娘で本当によかったと思って……」
「っ……もうっ! これ以上恥ずかしいこと言い続ける気なら、付き合ってらんないから! ボクもう行くよ!」
ふんと鼻を鳴らした百日が、昇降口の方に早足で消えていく。
その後ろ姿を見つめていた修史氏が改めて、こちらに向き直って、最後にもう一度、深く、頭を垂れた。
「ほんとうに、うちの娘をよろしくお願いいたします」
「「はい!」」
栗原と藍が声を揃えてそう応えると、顔を上げた彼は柔らかい微笑みを浮かべていた。
そのまま会釈をして、ダリアの消えた昇降口の方へと向かう。
その眉間の皺は心なしかここへ来るときよりも、大分、和らいでいたように見えた。
修史氏が去ってしばらくして、今度は自分もやってみたいと、芦原と売り子を交代した栗原が僕のそばに立った。藍と芦原とそれから僕は売り子をやってみたいと言い出した日和は店頭に立っている。もはや最初の役割分担などどこへやらといった具合だが、別に義務でもないのだからいいのだろう。もっとも、僕は接客なんてごめんだが。
「ダリアってさ……」
注文されたデッドマンデーの生地を包み込みながら、彼女がぽつりとつぶやく。
「百日がどうかしたのか?」
「わたしたちの知らないところでなーんかいろいろとやってるよね……」
「……さあ、知らないけど」
藍のファンクラブのことを想起し、けれど、正直に話したら栗原はどう思うかもわからなかったので、適当な言い方でごまかす。
「秘密主義って言うかさ。陰でこっそりやるのが好きって言うかさ」
「まあ、そういうイメージはあるな」
「もう少し打ち明けてくれてもいいのにね。今日、お父さんが来ることだって、わたし何にも知らなかった」
唇を尖らせて、軽く顔をしかめる。
意外に思って見つめると、ハッとしたように彼女は表情を緩めた。
「……それが不満なのか? 親友として?」
見てはいけないものを見たような気になって、それを取り払うように言葉を継ぐ。
「別に。わたしだって、藍ちゃんの今回のこととか、ダリアには何も言わなかったからね。これが自分勝手な思いだって言うのはわかってる」
彼女は小さく首を振って、それから、けれど、と言葉を続けた。
「もう少し、あの子に寄り添ってあげたい気もするかなって……」
ふぅん、と言葉にならない応答をする。
今でも十分、栗原は百日の近くにいると思うのだが、甲斐甲斐しく誰かを構うのが好きな彼女らしく、それでもまだ足りないということなのか。
「まあ、いいんじゃないの」
「……適当な返事だね」
独り言みたいにぼそっと漏らすと、憤慨した彼女が鼻を鳴らした。
それに不満を覚えたからでもないが、言い訳のように付け足した。
「百日にとって、お前が大事な友達だっていうのは、僕にだってみればわかるよ。周囲からみててわかるものを、それを無自覚の本人が、不安そうにもっと近づきたいなんて言ってるのをみると、何をばかなことを、って言いたくもなるのさ」
「……相変わらずひねくれた言い方なのはともかくとして……。それって、ほんとに?」
「ほんとに」
怪訝さと不安と期待が入り混じった表情で一心に見つめる様子に、からかうこともできずに素直に頷く。
そっかぁ、と胸を撫で下ろすように彼女が独り言つ。
「少なくとも、ダリアと似たところもある相田君にそう見えてるってことは、わたしはそんなに距離を置かれてるわけでもないってことなのかな?」
「だと思うよ」
「……そっかー」
もう一度同じように胸に手を置く。一瞬の沈黙を挟んで顔を上げた彼女は綻ぶように笑った。
「安心した」
その様子を見ていると、なんだか無性に感じるところがあって、心に浮かんだ印象をそのまま口にする。
「なんか、まるであいつに恋してるみたいだな」
実際、恋人に嫌われてないか心配する女子みたいなことを言っている気もする。
そう言うと、彼女は急に真顔になって、ほう、と熱のこもった息を吐く。
「まあ、あの子が男の子だったら、好きになってたかもね」
そう言って笑う。
満更でもないように。
「でもね。やっぱりわたしとダリアは友達でいいんだよ」
「……どうして?」
理由を訊いてほしそうだったので、素直にそう問うと、優しく笑って彼女は答えた。
「燃え尽きたら終わりの花火じゃなくて、ぽかぽかと燃える暖炉の熱みたいにずっと優しくそばにいてあげられるから」
「……なるほどね」
答えると、彼女は意味深に僕を見つめた。
まあ、心からの友達って言うのはきっとそういうものなのかもしれないな。
何とはなしにそう思った。