文化祭
十一月一日、文化祭当日。
生徒会主催の開会式に出席した後、クレープ屋出店に向けての最終準備を行うべく、我らが一年三組の生徒はみな中庭に集まっていた。
現在時刻は午前九時半。
文化祭の開始時刻は午前十時なので、それまで後三十分しか時間がない。
その間に材料や機材のセッティングなどの内、当日にしかできない事前準備を済ませておく必要があった。
「こういうお祭りの前のひと時みたいなものって、どこか足下が定まらない感じで楽しいよね」
割り当てられた雑用係としての責務を全うし、家庭科室の冷蔵庫にしまっておいたクレープの中身となる材料を運び出していると、同じく雑用係の日和がそんなことを言った。
「足下が定まらない感じが楽しいのか? だったら、バンジージャンプにでも挑戦してきたらどうだ?」
「……いや、そういうことじゃなくて」
相田君って、時々変なこと言うよね、と日和は苦笑する。
時々ではなくて、いつもだと思うが。
「今日同じ班だったよね? よろしく」
「ああ」
二日間の文化祭期間中、一日六時間、二日で計十二時間となる出店時間を八等分し、それをクラス四十人を八等分した一班五人で受け持つことになっている。宣伝の人員がいたりとか、細かい割り振りはまた違ってくるが、各々最低でも一・五時間は店番をするようにスケジュールが組まれている。
僕は一番最初となる一日目の十時から十二時までの部に割り当てられていて、班員は、僕、藍、日和、芦原、栗原となっている。心理的に近しい人たちばかりなので、人見知りな僕としては非常に助かっている。
人員が必要な作業が粗方終了してしまうと、改めてクラスみんなをひとところに集めて、その中心に文化祭実行委員である藍が立った。
「事前準備お疲れさまでした。これからの時間、お店の方の担当になっている方はそちらの方お願いします。そうではない方はこれで解散です。文化祭、十分楽しんできてください。ありがとうございました!」
彼女が頭を下げ、小さくぱちぱちと拍手。
それからクラスの八分の七は三々五々散っていった。
残されたる店番担当五人。
「じゃ、手早く配置済ませちゃうよ」
みなを励ますように栗原が言い、僕らは昨日設営しておいたテントの中に入った。
藍と栗原は売り子兼最後の仕上げ係。僕と日和は下地作り。芦原は状況によって、その二つの役割を行ったり来たりする。
なお、クレープの生地については、結局、出来合いのものを業者から購入することに決まった。美月の邪魔があったとはいえ、試作の段階で藍が怪我をしてしまったことが原因の一つとして挙げられるが、調理者によって生地の厚さや大きさをいまいち上手く統一することができなかったというのも理由の一つではある。特に不器用な男子が試しに生地を焼いてみたときなどは惨憺たる有様となった。
まあ、だからこそ、そういった匙加減の上手い藍や栗原に負担が集中することなく、スケジュールの分配を均等に行うことができたという点からみれば、結果的にはそれでよかったと言えるのかもしれない。
「涼、みてみて」
「……ん?」
中庭に据え付けられたレンタル式冷蔵庫の中からその出来合いの生地を取り出しつつ、そんなことを考えていると、藍に呼び止められる。
振り返ると、制服の上から花柄のエプロンを着て、髪の一房を淡い藍色のリボンで留めた藍の姿がそこにあった。
「おお、かわいい」
「ふふ、ありがと」
素直な感想を漏らすと、嬉しそうに頬を緩ませた藍がお礼を言った。
その横には、何か言いたそうな顔でこちらを見ている栗原の姿もある。彼女もまた藍と同じように、ブレザーの上から空色のエプロンを着ていて、薄ピンクのリボンで髪をポニーテールにしている。
「栗原もいい感じだな」
「……どうも」
小さく会釈をして言った彼女はそのままぷいと顔を背けて、店の前の看板の位置を整えたりし始める。
二人とも同じ装いをしているのは、特別な衣装がない代わりに、売り子担当は一応、エプロンとリボンという統一した出で立ちで店頭に立つ、ということがクラス会議で決まったためだ。恥ずかしい、という意見もあったが、大勢は、せっかくの文化祭だしそのくらいしてもいいんじゃないという雰囲気に流れた。
「……栗原さんにしては珍しくぶっきらぼうな反応だね」
そばでやり取りを見ていた日和が首を傾げてそう言った。
正確な彼女の気持ちはわからなくとも、少しばかりの類推を行える程度には彼女のことを知っている僕はあえて話を逸らすように口にする。
「……ぶっきらぼうなんて言葉を日常的に使う奴を初めて見た」
「そう? ……まあ、たしかにそんなに使うような言葉でもないかもね」
「それも、文芸部だからってことか」
「さあ。でも、小説を書くようになって、日常的に正しい意味で言葉を使うよう心掛けるようにはなったかな」
「ふうん」
興味のなさそうに相槌を打って、なんとなく残り一人の女子であるところの芦原を見た。
彼女はエプロンこそつけているものの、リボンに関しては前の二人とは違った使い方をしていて、髪ではなく手首に結び付けて、シュシュみたいな扱いにしていた。
……いや、たしかに髪にリボンをするみたいな明文化はされてないけれども。
わざわざそんな斜め下の使い方をしなくてもいいだろうに。
目が合うと、彼女は小さく首を傾げた。
しばらくして、校内放送で文化祭の開始が告げられる。
生徒会長の二橋という男子生徒の号令の下、今年度の星見ヶ丘高校文化祭が開催された。
やにわに、校内各所から寄せては返す波のようなさざめきが反響して聞こえ始める。
「お客さん、来るかな?」
中庭から一直線に見える、派手な装飾が施された校門の方を見ながら、藍が独り言のようにつぶやく。
返答を求めているかいないか微妙なそのつぶやきに、半ば反射のように言ってしまう。
「いや、来ない方がおかしくないか」
「そう?」
「……他のクラスとクレープが被ってるわけでもないし、見た目的には十二分に整ってるし、そもそも高校生の文化祭で作るクレープにそんな大げさな期待してる人もいないだろうし。ちょっと気になった人は普通に買ってくれると思うよ」
「だといいんだけど……」
自分で陣頭指揮を執ったからか知らないが、いまいち自信が持てないらしい藍。
その彼女を励ますように、芦原が言った。
「もし誰も来なかったらそのときは藍ちゃんがコスプレでもして客引きすればいいよ」
「……え、ええっ!?」
……いや、励ますように、というか、半ば脅しみたいな感じだが。
「ちょうどメイド喫茶でもなんでもやってるところはあるし、一着くらいお願いして衣装を借りればいける」
「い、いけなくていいからっ」
「ほら、ほとんど藍ちゃんの考えを基にしてやったんだから、リーダーとしての責任は取らないと」
「……そ、それは……そうだけど……」
責任などという言葉を持ち出されると弱いらしく、言葉に詰まる藍。
焦る彼女を尻目に、まあ、どうせ誰も来ないなんてないだろうけど、とひどく冷めきったことを考えていると、その通りにさっそくお客第一号がテント前に立った。
「あ、いらっしゃいませー……って、なんだダリアか」
「なんだとはなんだ」
人当たりのいい栗原が無理やり作ったような高い声で歓迎の声音を上げたが、そこにいたのは身内の金髪だった。途端に音階が一オクターブ下がり、後ろにいる僕からは見えないが、たぶん作った笑顔も消え失せたのだろうと思う。
そのあからさまな態度の変化に彼女が苦笑を浮かべる。
「……一応、客として来てるんだけど?」
「あー、はいはい。それでご注文は?」
「……スペシャルスイートサンデー、二つ」
メニューの名前をまじめに口にするのが恥ずかしいのか、微妙に頬を染め、視線を逸らして彼女が言う。それでも、これ、とか、それ、とかってぼかさない辺り微妙に律儀だな、などと思ってしまう。
「あ、最初だから、わたしが作っていい?」
「どうぞどうぞ」
藍が僕ら四人を見渡して言い、みなに異論がないのを見て取って、代表して僕が答える。
試作の段階から何度も作っているだろうに、自分で作りたくて仕方がなかったのか、彼女はものすごくわくわくした様子だ。
軽やかな足取りで僕の隣までやって来ると、二枚の紙皿の上にそれぞれ生地を広げ、ふんふんと鼻歌を歌いながら生クリームを塗りたくる。
それから、バニラアイスやストロベリー、ブルーベリー等の具材をその上に乗せ、チョコレートソースやチョコスプレーというらしい色とりどりな細切れのチョコでコーティングする。
最後に丁寧にそれらを生地で包み、横に紙フォークを添えれば完成だ。
「できた」
小さな胸を張って、手柄を誇るように言う仕草がかわいくて、思わず頬を緩めてしまう。芦原も栗原もどこか似たような表情だ。日和だけはあまり顔色を変えなかったが。
「はい、お待ちどおさま」
「……ありがと」
藍から紙皿を受け取った栗原がそのまま百日に手渡す。
お礼を言った百日は微笑の下に少しだけ藍に視線を送り、その笑みを深くする。それから何を思ってか、校舎内ではなく、校門の方に歩いていった。
そっちで何かの催し物をやるという話は聞いていないのだが。
……もしかしたら、文化祭にやってくる誰かをそこで待つつもりなのかもしれない。
彼女の事情は知らないが、遠ざかるその背からは少しだけ緊張感が読み取れる気がする。
あいつにもいろいろあるのだろう。ほんとうにいろいろと。
それから少しして、昼前の時間帯だというのに、この学校の生徒も外からの見学客も含めて、ぽつぽつとクレープ屋にもお客が現れ始める。
それほど多人数がやってくるわけではないにしろ、初めてやる作業にいろいろと戸惑いながらも、お客をさばいていく。
「……ざんねん。藍ちゃんのコスプレ姿は見れそうにないね」
おどけたように芦原が言って、藍がそれに、もう、と唇を尖らせた。
週一投稿をやめるとは言いましたが、それは義務感や惰性で書くのが間違っていると思ったからで、最低週一という目標は変えずにやっていくつもりです。