仲直り
想いのたけを話し終えると、真優は小さく息を吐いた。
「ふーん、そういう事情になっていたわけ」
「……」
真っ先に口を開いたのは、話を聞く間、ずっと退屈そうに前髪をいじっていたダリアだった。何か思うところがあるのか、るりは顎に手を当てて黙考する様子。
「君の態度の理由もたしかにわからなくもないけど、もう少しやりようはあったかもね。冷たく突っぱねて黙り込むだけじゃあ、君が何を考えているのかなんて伝わりっこない。このままじゃあ、ほんとに何も伝わらなくて、関係が閉ざされたままになっちゃうだろうし」
「……やっぱり、そうかな」
客観的第三者の意見として、ダリアにそう諭すように言われ、真優は俯く。
薄々自覚はしていたものの、冷静にそう指摘されると、自分のやってしまったことに後悔が先んじる。
でも、そのときは本当にそうせずにはいられなかったのだ。
「それで、芦原さんはどうしたいの?」
「……え?」
後悔の海に沈む間もなく、真優に目を向けた栗原が噛んで含めるように優しく問う。
「重要なのはそこだよ。気持ち。藍ちゃんが一人で突っ走ってむかついたとか……、それで距離が離れてつらいだとか……、そういう気持ちもわかるけど、これからどうしたいか、が一番重要だと思う。藍ちゃんの行動に対して、どうしても受け入れられない気持ちがあって……、それで藍ちゃんと喧嘩別れみたいになっちゃって……、大きな距離ができた。それで芦原さんは悩んで、苦しんで。それからあなたはどうしたいの?」
「わたしは……」
心を配るような眼差しとともに問われて、改めて考える。
芦原真優はどうしたいのか。
「……」
「……正直、その話を聞いた最初の瞬間から、その質問に対する答えは明確だと思うけどね」
「……ダリア、ちょっと黙ってて」
「はい」
からかうように唇の端を歪めたダリアをるりが鋭くたしなめて、彼女は大人しく首を傾ける。
そんな二人のやり取りを眺めながら、真優はしばらく考えて――、そうして一つ、答えを出した。
特別な想いではないと思う。
特別な感情ではないと思う。
抱いた想いに特殊な成分なんて一つも含まれていなくて。
感じた心に誰よりも強い何かがあるわけでもない。
意地を通せるほど心根は研ぎ澄まされていないし、誰にでも胸を張れるほど、その想いが無私の心で満たされているわけでもない。
普通で、複雑な、当たり前の心。
それでも、それは彼女の想いだった。
「藍ちゃんの力になってあげたい」
「……うん」
「だろうね」
真優は迷うようにそう言って、ふう、と柔らかく息を吐いた。
※
※
※
「尖ってないよね、芦原は」
真優が気持ちを言葉にして、それを彼女ら二人が耳にした。
落ちた沈黙の後、ダリアはぽつりとそう言った。
「正直、うらやましい」
「うらやましい……?」
「なにそれ、どういう意味?」
お尻を乗せていた階段の手すりからすとんと飛び降り、真優に向き合ったダリアはその蒼い瞳をすぼめて、まぶしいものをみつめるようにする。
「ボクとかるりとかさ。いろんな意味で偏ってるからさ。そんな風に当たり前に悩んで、当たり前に答えを出せるのが、なんだかとっても羨ましいと思う」
「そう、かな……?」
真優には彼女の言っていることの意味がわからない。
当たり前に悩んで、当たり前に答えを出す……、そもそも当たり前に悩むとはどういうことだろうか。
「ほら、ボクは見た目が日本人と比べると派手だからさ。前提条件からしてちょっと特殊というか、他人がボクをどう見ているかなんて、いくら考えてもわかり切らないところがある。悩んでも答えが出せるほどの情報を持っていなくて、だから、悩む以前にある程度諦めるしかないのさ」
「……うーん?」
「見た目も感受性も、何もかもが人と異なっていると、自分のどこまでを普通だと考えていいのかわからなくなる。だから、君みたいに物事を当たり前に悩むことができるのが羨ましく思える。ボクはそもそも悩むことさえできないことが多々あるから」
彼女が何を言っているいまいち理解に至らない。わかるようなわからないような、雲を掴んでいるような、そんな感覚。
「わからなくてもいいよ。ボクはそういう風に感じているというだけの話だから」
「相変わらず、ダリアは自意識過剰だね」
「……うるさいよ」
慈しむようにるりが言って、照れたようにダリアがそっぽを向く。
それを見て、真優はほんとうに仲が良いのだな、とどこか他人事のように思う。
ややあって、気を取り直すように咳払いをしたるりが小さく笑む。
「話を戻すけどね。藍ちゃんの力になりたいって言っても、具体的にどうしたいという考えを持っているわけじゃないんだよね」
「……うん。正直、自分に何ができるのかもわからないし」
「そっか……。じゃあ、とりあえずは仲直りだよね」
「まあ、だろうね。力になりたいって言っても、今の状態じゃあ、できることなんてないに等しいし」
「仲直り……」
言葉にすると簡単で、実際にやろうとするとそれはほんとうに難しく感じられる。
「芦原さん……、あ、まゆゆんって呼んでいい?」
「え、あ、うん」
自然な言い方で咄嗟に口にされたせいでつい頷いてしまったが、冷静に考えるとすごい提案をされた気がする。ていうか、まゆゆんって。
「ありがと。まゆゆんはその……、自分がしたこと、悪いとか思ってたりする? 藍ちゃんに謝ったりとか、そういうことできそう?」
「……えーっと」
そう言われると、途端に足下を見失う。
藍と仲直りがしたいと、そういう風にしたいと思わないことはない。けれど、だからといって、あのとき取った自分の行動のすべてが間違っていたかというと、そうではない気もする。藍だって、少し秘密主義過ぎだというのはやはり思うところではあるのだ。
「……ぜんぶわたしが悪いとは思わないけど、あんまりな態度だったかな、とは思う。でも、藍ちゃんだって少しは……」
「責任があると思う?」
「……うん」
責任だなんて大仰な言い方をする気はないが、それでも、感じているところに一番近い心象はそれだ。
「藍ちゃんのこと、許せない?」
「許せないなんてことは、ないけど……」
「どうしても心にひっかかる、みたいな……?」
「そんな感じ、かも……」
忘れたいのに忘れられない。
気にしてないって笑って済ませてしまいたいのに、どうしても笑みがぎこちなくなる。
笑うことさえできなくなる。
心に引っかかる想いは消えてくれない。
なんで、どうして、意味のない疑問だけが胸の内に残響していく。
「そっか。じゃあ、許しちゃおっか」
「え……?」
それでも、るりは天使のような笑顔でそう言って、真優は言葉を失った。
「仲直りしたい、でも、引っかかる。いつも通りにしたいのに、そう思えば思うほど現実は離れていく。わかるよ。その気持ち。心って本当に自由にならないよね。考えは進みたい方向には進んでくれなくて、とりとめもない袋小路で行き詰って、同じことずっと考えてるの。繰り返し繰り返し同じこと考えて、どうしようもならない現実に苛々するばかりでさ。挙句の果てには、その怒りを他人にぶつけてみたり、自分にぶつけてみたりとか。ほんとう、ままならない。ままならなくて、どうにもならなくて、ほんっとうに胸が詰まるよね。胸が詰まって、息が詰まって、仕方がなくなる。
――それでも、さ。
それでも、傷ついても、悩んでも、苦しんでも、それでも相手を許したいって少しでもそう思えるのなら、いつかはきっと許せてしまえる気がするの」
「……いつか」
「そう。いつかきっと許せるから、ぎこちなくたっていいからさ。許したことにして無理して笑おう? 無理して笑ってるうちに、きっとそれは本当になるから」
るりの語っている理屈は、真優には到底受け入れがたく思えるものだった。
無理して笑うなんて、そんなのつらいだけで、苦しいだけで。
そんな無理した笑みを見せられた方だって、きっと息苦しくて、気まずいだけのはずなのに。
そのはずなのに。
目の前にある屈託のない微笑みを見せられていると、騙されてしまいそうになる。
わたしだって、そうなれるんじゃないか、って夢を見てしまいそうになる。
無理して笑おうなんて嘯いている彼女の微笑みには、一片の曇りも存在してはいなかったから。
それから真優は息をゆっくりと吐いて、吸って、一時の感情に流されかけた心を取り戻す。
そうして、冷静になった心で、寄せていた眉を緩め、にっとぎこちなく笑ってみた。
「そうそう」
苦しかった。
全然楽しくもないのに笑うなんて、ほんと、意味わかんない。
だけど、息苦しくても、笑顔であろうとする意志そのものが大事なんだろうなって、なんとなく思った。
少しも面白くない感想だ。
「仲直り、しよっか?」
「……うん」
るりの尋ねた問いに頷き、真優は小さく微笑んだ。
「やれやれ。よりにも寄ってるりの真似をしようだなんて、とことん息苦しい方を選ぶもんだね。前言撤回。君もめちゃくちゃ尖ってるよ」
並んで歩き出す二人を横目に肩をすくめ、ぽつりとダリアがつぶやいた。
※
※
※
「ごめんなさい」
ただ一言、わたしはそう言った。
それですべて、充分だった。
きょとんとした驚き顔を抱えた彼女はすぐに笑み崩れ、雪が解けるように目元を緩ませる。
「わたしの方こそ、ごめんね」
ぎこちなく眉を寄せて、そう言った彼女の表情に、気まずさはあっても息苦しさはなくて、気恥ずかしさはあっても、憂いは一つも感じられなかった。
それだけのことが嬉しくて、わたしはすぐに笑顔になる。
無理して作った笑顔ではなくて、それは自然と零れ落ちた。
「ありがとう」
口を突いて出た言葉は感謝の言葉。ありがとう。
何に対してありがとうなのか。
それもわからないままにわたしはそう言って。
――そうして、藍ちゃんとまた、友達になった。
はじめからそうしておけば簡単だという話ではあるけれど、そうしたいと思っても簡単にはできないこともあるのが人の心だよねというお話。それでもって、あえて誰かにそうするべきだと口にしてもらうことではじめて実行できることもあるよねというお話。