考えすぎ
教室に入ると、珍しく涼が人と話している姿がに目に入った。
教室中列の座席で彼と話すのは日和君。
昨日、涼と電話で話し、一通りの事情と彼の気持ちを聞いていたわたしは、どうやら二人が仲直りできたらしいということに安堵し、胸を撫で下ろした。
「おはよう、二人とも」
「あ、おはようございます。九々葉さん」
「おはよう、藍」
その事実が少し嬉しかったのもあり、二人に軽く声をかけて、自分の席に着いた。
それからすぐに向き直って、二人はぽつぽつと話し合っている。
日和君はどこか楽し気に唇の端に微笑みを刻んでいて、涼は不機嫌そうな仏頂面だ。
彼が仏頂面をしているのは比較的いつも通りなので、別段本当に不機嫌というわけでもないだろう。
タイプが違うように見える涼と日和君は、話は合うのだろうか。わからないけれど。
まあ、タイプが違うことが必ずしも話が合わないということにもならないだろうし、話が合わないことが気が合わないこととイコールでつながっているわけでもないのだろう。
現に涼とわたしはまったく違うタイプであるのにも関わらず、恋人同士という関係性にある。
きっと人の相性なんて、直接話してみるまでわからないものなのだと思う。
「……ふぅ」
前々から考えていたところの涼をクラスになじませるという計画がちゃんと順調に進んでいっているという事実に安堵した。
昨日の夜、彼からああいう話を打ち明けられたときにはどうなることかと思ったけれど、本当によかった。
わたしが涼の役に立てたかどうかはわからないけど、そうだったらいいな、と思う。
それで少しでも恩が返せていたらいいと思う。
返しても返してもまったく足りない恩だけど。
「……あの、九々葉さん」
そんなことを考えていた折、後方から声をかけられて我に返った。
振り返ると、美月ちゃんが立っていた。
「あ、おはよう、美月ちゃん。どうしたの?」
「……えっと……。昨日、わたし、料理班の手伝いしてて、試作用に足りなかったココアパウダーとかチョコレートソースとか……、細々としたものを、買ってくるように言われたんだけど」
「え、そうなの? わたし知らなかったんだけど……」
「……柏木さんに言われて」
柏木さんというのは緋凪さんとよく一緒にいる、落ち着いたダークブラウンの髪がきれいな女子生徒だ。わたしと同じ料理班で、昨日の準備時間では、ありがたいことに実行委員のわたしよりもリーダーシップを発揮して活動してくれた。
おかげでわたしはほとんど何もすることなく淡々とクレープを作ることに専念できた。
その彼女に美月ちゃんは買い出しを命じられたという。
「……あ、領収書はちゃんともらった? クラスの予算から払わないとだし」
「……も、もらってない……」
「あー……」
ただ単に買い出しと言われただけだとそういう点を失念してしまう気持ちはわからないでもない。
何より彼女が買い出しを頼まれたことをきちんと把握してなかったわたしも悪いし。
「いくらだった?」
「……五百八十円」
「あ、じゃあ、とりあえず、わたしが……」
「そ、そうじゃなくて……!」
「え……?」
領収書なしで予算から払うのがいいのか悪いのか、よくわかってない勉強不足なわたしなので、とりあえず自分のお金で立て替えようかと鞄に手をやったところ、珍しく声を荒げた彼女に遮られる。
「……さっき、家庭科室に寄って、冷蔵庫に買ってきたものを入れようとしたら、なかったの」
「なかったって何が?」
「その……、昨日相田君が冷蔵庫に入れておいたっていう買い物袋」
「……え」
昨日、日和君と一緒に買い出しに行ってもらって帰ってきた涼には、その買い物袋に大きくクラス名を書いて家庭科室の冷蔵庫に入れておいてもらうようお願いしたはずだった。
模擬店をやるいくつかのクラスで共有する場所なので占有はできないけれど、小さな買い物袋一つくらいを入れるスペースならあって、冷蔵庫を使う際には、袋にクラス名を書いてしまうよう、実行委員会の方でお願いされていた。
美月ちゃんの話では、それがないという。
「……見間違いとかじゃなくて、ほんとに?」
「す、少なくとも、冷蔵庫に入っていたのは、二年三組と三年一組って書かれた袋だけで、一年三組のものはなかった……と思うけど……」
「……そう、なんだ」
小さな声で相槌を打つのみに留まると、彼女が慮るようなまなざしでわたしを見た。
「他のクラスが間違って使っちゃったとか……?」
「どうかな。昨日の今日で一つ残らず使っちゃうなんて考えにくいし、第一、実行委員の人がクラスの人にきちんと説明していなかったとしても、他のクラス名の書いてある袋をわざわざ広げて中身を使おうなんて、普通思わないはずだけど」
「……そ、そっか」
まるで自分が悪いことをしたかのように消沈した様子で俯く彼女に、わたしは努めて明るい声をかけた。
「……とりあえず、わたしも自分の目で確認したいし、美月ちゃんもついてきてくれる?」
「あ、うん。もちろん」
彼女と連れ立って、家庭科室に向かうことにした。
文化祭一週間前を迎えた今日からは、丸一日がその準備に当てられることになっている。
足を踏み入れた家庭科室の中では、いくらかのクラスが始業の鐘が鳴る以前から、すでに何らかの作業を行っていた。
その隙間を縫って、教室前方に置いてある一般的な家庭用と比べると比較的大き目な冷蔵庫に向かう。
中を開いてみると、たしかに目につくところにはわたしたちのクラスである一年三組と書かれたビニール袋は存在しなかった。
「……ね? ないよね」
「うん。そうだね」
自分の勘違いではなかったことに安堵したからか、どこか誇るように口にする彼女に答えるとともに、料理の熱気で少しぽかぽかとしている室内を見渡してみる。
顔つきとか発育から見て、たぶん、上級生だと思われるクラスの人たちが作業をしていて、そのいずれもご飯もの、というか、一般的な食事の類を調理している、あるいは調理しようとしている人たちばかりで、わたしたちのようにスイーツを作ろうとしている人たちはいない。ホットケーキミックスだったり、小麦粉だったり、あるいは果物だったりを使う料理を作っているような人は一人も見当たらなかった。
「……うーん」
「……」
だとすれば、一体全体、どういうことなのだろう。
昨日の終業の鐘がなったときに、家庭科室に残っていたのはわたしたちのほかには一クラスだけで、その一クラスは焼きそばを作っていた。あの後に間違えてわたしたちの物を使うというのはやはり考えにくい。
そして、今日の朝についても同様のことが言える。
考えるられる可能性があるとすれば……。
「……考えすぎ、だね」
「……え?」
例えば、悪意を持ってわたしたちのクラスの準備を邪魔しようとしている人がいるとか、そんな風に考えるのはきっと、被虐意識の強いわたしの勘違いにしか過ぎないというものだろう。
少なくとも、そうまでして嫌われるような何かをした覚えもないし、されるような人がわたしたちのクラスにいるとも思えない。
「……とりあえず、教室戻ろっか」
美月ちゃんに告げると、彼女は頷いて、心配そうな眼差しでわたしを見返した。




