好奇心は猫を殺す
近くのスーパーから家庭科室まで帰ってくる頃には、午後二時を回っている。
往復四十分プラスアルファの間、日和と雑談を交わしながら学校まで戻った。
主に日和が質問し、それに僕が答えるという流れであり、これまでの学校生活のこと、藍とのこと、栗原とのこと、それ以外の人間関係のことなど、さまざまなことを尋ねられた。
同性にこうまで興味を持たれて質問攻めに遭うというのは初めてのことだったが、存外全く嬉しくないものだと思う。藍に質問攻めに遭うのならば諸手を上げて歓迎するし、栗原に同じようにされるのなら、まあ、そんなものか、と許容するし、百日にされるのなら……、少なくともそう邪険にはしないかもしれない。……いや、するか。
ともかく、日和にずっと好奇心百パーセントといった視線を向けられつづけながら過ごす時間はあまり僕にとって喜ばしいものではなかった。嫌でもないし、悪意があるとも感じていなかったが、さりとて好意的に受け入れるほど、僕は日和夕という人間を知っていない。
「――相田君はどうして九々葉さんに興味を持ったの?」
「なんとなく。教室で一人で孤立してる女子っていうのが僕にとって放っておけないカテゴリーの人間として無意識に刻み込まれてるだけだ」
「それはどうして?」
「……別に。誰でも思うだろ。一人は寂しいって。特に藍はずっと無表情に本に向かい続けているだけだったからな。クラスメイトに話しかけられても、無視に近いような冷たい態度を取る。誰に話しかけられることもなくなってからも、変わらないまま。……とにかく理屈じゃないんだよ。あの姿に心を動かされた。それだけ」
「つまり、相田君にとって、女の子が一人でいるっていうのは、それだけ重い意味を持つってこと?」
「……どういう意味の質問だ、それは」
「いや、純粋に動機の確認というか、どういうところに端を発する感情なのかって考えてみただけ」
「……」
※
「相田君って自分がずっと一人でいることはどう思ってるの? 寂しくないの? 九々葉さんといる時間もそう多くないよね。つまらなくない?」
「……別に。なんとも思ってない。一人になりたいと思ったことも、さりとて誰かと積極的に関わりたいと思ったこともほとんどない。ただ放っておいたらこうなった。だから、それがあるべき姿なのかとも思っていただけだ」
「思って’いた’ってことは今は違うの?」
「……まあな」
「具体的には?」
「……具体的? ……いや、上手く言葉にできない」
「それもなんとなく?」
「……そう思ってくれてかまわない」
※
「栗原さんとはどういう間柄なの? たまに親しく話してるところも見かけるけど」
「小学校が一緒の、言わば幼馴染と言えないこともないような関係」
「へえ? 幼馴染。でも、それだけにしては、なんだか距離がずっと近いようにも見受けられるけど」
「……気のせいだ」
「九々葉さんと三人の間で何かあったりしたの? 痴情のもつれとか」
「……まったくないな、そんなものは」
※
「天城君とはぎこちない様子だよね。相田君。彼とは何があったの?」
「……お前に言えるようなことは何もない」
「ということはやっぱり何かあったんだ」
「……」
※
「百日さんに対しては――」「斎藤君に対しては――」「緋凪さんについては――」「学校以外の人間関係は――」「普段なにしてる?」「趣味は――」「好きな食べ物――」「嫌いな食べ物――」「好きなタイプ――」「嫌いなタイプ――」「初恋の相手――」「一番嫌だった失敗――」「人生でもう一度やり直したいこと――」「苦手な相手――」「一緒にいて安らぐ相手――」「きのこ派? たけのこ派?」「今年一年を振り返って印象に残ったことは?」「九々葉さん以外で好きな女子は?」「生まれ変わるとしたら何になりたい?」「強さの証明ってなんだと思う?」「自分の中で一番嫌いなところは?」「逆に好きなところ」「直したいところ」「弱いところ」「強いところ」「許せないところ」「今まで一番傷ついたこと」――エトセトラ。
――エトセトラ。エトセトラ。エトセトラ。
※
※
※
「…………――」
「なんだか、ずいぶん、口数が少なくなったね、相田君」
「……まあな」
数十分の短い間にあれだけの数の質問を投げかけられて口数が少なくならない方が異常だ。
※
最初の内は、クラスメイトに対してもう少し心を開くのも肝要かと思って、いくらか僕の経験とそのとき感じた想いなどを親切に語ってやっていたが、ニ十分もしてスーパーに入るころには心底うんざりしていた。
質問に対して一答えれば、三から五ぐらいのさらなる質問が投げ返されてくる。これでは会話のキャッチボールではない。ただの標的、サンドバックだ。
校門をくぐり、学校の敷地内に入ったときには、僕の忍耐力はほとんど瀕死の状態にあった。
「相田君と九々葉さんが付き合ってるって知ったときは驚いたなあ。二人は全然違うタイプにも見えたのに。そういう人が恋仲になることってあるんだね。どっちから告白したの? 相田君? 九々葉さん?」
「……」
「やっぱり相田君から? 九々葉さんってそういうの苦手そうだし。神経の太そうな相田君なら、余裕でそういうのしちゃいそうだよね」
「……」
「二人はお互いのことなんて呼び合ってるの? さっきは名前で呼んでたみたいだけど、二人きりのときは違うの? 愛称とか? それとも、お前とあなたとか?」
「……はあ」
「……九々葉さんって時々、陰があるよね。僕が見ててもわかるもん。ふとした瞬間に何か嫌なことでも思い出したみたいに」
「いい加減にしろ」
そして、僕が何も返答をよこさないままに、質問の対象が僕から藍へと移行するにつれ、僕の自制心という名の危篤患者はきれいに息を引き取った。
昇降口に入ろうとした日和の足が止まった。
「……え……?」
「お前の頭の中には、加減ってものが存在しないのか?」
目前に立つ容姿の整った男子生徒、好奇心塗れのぎらついた目をした男を前に、生徒用玄関の広いガラス戸、その桟を挟んで向き合う。
射抜くようにその輝いた目を見つめた。
「……なにが?」
顔色と声色の変わった僕に呼応してか、日和も硬い声で応じる。
その唇はわなわなと震え、ぎこちなく笑みを浮かべたり、反対にへの字にねじ曲がったりを繰り返す。
「さっきからずっと、人の都合も考えずに、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ質問攻めにしてさあ、お前は僕に興味があるかもしれないけど、僕はお前の質問に答えることに何の価値も抱いてないんだよ」
「……」
「大体、今の質問はひどすぎるだろ。なんだよ。どっちから告白しただの、なんて呼び合ってるのだの。いくらお前が僕に興味を持っているからって、何でそんな個人的なことまで言わなきゃいけないんだ。ふざけるのも大概にしろ」
「……あ」
言われて初めて気づいたといった風情で、日和が小さく息を漏らす。
その顔に、はあ、と大きくため息をついた。
「趣味で小説書いてるんだか、文芸部だか、知らないけどさ。お前、何様のつもりだよ。人のことを変わってるとか、神経が太いとか。失礼だろ……」
「……ぅ」
呆れるように口にして、途端に弱り切った声を出す日和。
まさか、この僕がこんな常識的な講釈を垂れる機会が来るなんて思いも寄らなかった。
人に失礼なことを言ってはいけない。そんなの、浮き続ける浮雲のような僕にだってわかるのに。
なのに、このいたいけな少女のような外見の少年には理解できないのだろうか。
だとしたら、見た目以上に、僕よりもこいつはずれている。
「……ご、ごめん。僕、ちょっと言い過ぎたみたいで……」
「言い過ぎた?」
「……え、あの……、ちがった、かな……?」
「はあ……」
言い過ぎたとか、口がすべったとか、そういう次元の問題だろうかこれは。
どちらかというと、気遣い、心遣い、相手を思いやる心の問題だろう。
「多面的に物事を見るのが好きだと言ったな?」
「……う、うん、言った、けど……」
「じゃあ、たった今の僕の視点で考えてみろ。僕は今、何を考えている」
「え……?」
言われて、覗き込むように僕の目を見る日和夕。
その直後、のけぞるように後ずさりした。
「……と、とっても怒ってる……かな……」
「残念、はずれ」
「え……」
少し気が抜けたように吐息する。
その瞬間に言い放った。
「ぶちぎれてる」
「……っ」
吐いた息を思わず止める。
もはや日和は青白い顔をしていた。
同じことだろ、みたいな突っ込みは一言も出てこないみたいだ。
「……僕のことを知りたいみたいなことをほざいたからさ。一つだけ、僕のことを教えてやるよ」
「……え」
「僕が一番、嫌いなこと、それは藍との仲に土足で踏み入られることだ」
「――っ!」
「そう。お前がたった今、やろうとしたことだよ」
「……ご、ごめ」
「謝って済む話じゃない。謝ってほしいとも思わない。ただお前の顔なんてもうみたくないだけ」
「……っ」
「……と言っても、同じクラスで、今は同じ班だからどうやってもそれは無理だよな。ということで、もう話しかけないでくれ」
冷たく言い捨てると、僕は日和の横をすり抜けて、校舎内に足を踏み入れる。
彼はそのまま立ち尽くしていた。
外履きを履き替え、内履きに足を通し、あいつがずっと自分の好奇心に振り回されている間も僕が持ちづづけていた買い物袋を持ち直したところで、ふと思い至った。
呆然と突っ立つ小柄な男子生徒の背中にただ投げ捨てるように言葉を吐く。
「……ああ、そうか。お前は僕と仲良くなりたいなんて媚びた台詞をさっき振りかざしてきたけれどさ。あれって、要するに餌だよな」
「……――っ……」
「見てて面白い、観察してて面白いペットに、ご褒美をやるみたいに餌をぶら下げて、だから、好きなだけ面白がらせろ、みたいな餌。金銭を対価に快楽を求めるよりもよっぽど質が悪い。見せかけの好意を対価に、独りよがりな自分の都合だけを通す……って、最低だな。……いや、それとももしくはあれか? 自分はこの人と友達になりたいんだ、って、自分を納得させるために使った聞こえのいいきれいごと」
言うと、びくりと彼は肩を跳ねさせた。ぽたりと、小さな水滴が固いタイルに落ちる音がした。
僕はそんなものにはこだわらず、その小さな肩に冷たい言葉の刃を染み込ませる。
「図星か図星じゃないのか知らないけど、そんな半端な気持ちで藍と関わるのはやめてくれ。傷つくのは藍だから。……別に僕に何言っても、何思ってもいいけどさ。藍にさっきみたいなこと訊いたら、本気で僕はお前を嫌うよ。今まで心の底から誰かを嫌いになったこと、あるようでないけれど、たぶん、そのとき、本気で嫌う。……あれ? そういえばお前、クラス会のとき、藍とずいぶん楽しそうに話してたけど、もしかしてさっきみたいなこと訊いてたりする?」
激情が過ぎれば過ぎるほど、心は冷徹になっていく。
思考が研ぎ澄まされ、一つの記憶がフラッシュバックする。
日和と話していて、顔を赤らめていた藍。
あれはたぶん、僕とのことを根ほり葉ほり尋ねられていたのだろう。
…………――ふーん。
「じゃあ、僕、お前のこと嫌いだわ」
無感動に言い捨てると、びくっと、日和の頼りない肩が大きく震えた。
すぐに、嗚咽が漏れ聞こえてくる。
抑えるような、耐えるような、そんな悲痛な声だった。
どうでもいいけど。
「……えぐっ……うえぇ……っ」
「あれ? 泣いたのか? まいったなあ。これじゃあ、僕が悪者みたいだな」
僕に背を向けて泣きじゃくる男子生徒を尻目にどうしようかと考えて、どうにもできないと一人結論付ける。
もう一度、買い物袋を抱えなおし、顔を泣く男から校舎内へと向けた。
「……とりあえず、僕も言い過ぎたとは思うけど、概ね、間違ったことは言ってないと思うよ。言い過ぎたかもしれないことだけは謝っておく。ごめん」
小さく頭を下げた。
「……じゃ」
冷たく言い捨てて、藍の待つ家庭科室に向かった。
いよいよ嗚咽がひどくなった。