Observing,Thinking and Dreaming.
次の日。火曜日。
午後になり、文化祭準備が始まると、藍の号令によりクラスが各班ごとに四つに分裂する。
装飾班。当日班。料理班。雑用係。
人手が必要なことを見越してか、装飾班が一番数が多く、二番目が当日班、三番目が料理班、最後が雑用係という配分となっている。
雑用係の構成員は四人。
僕、日和夕、そして、美月と呼ばれていた藍の友達と、絹川という名の女子。
……何か、微妙にクラスで浮き気味なところを寄せ集められたみたいなイメージがあるな、僕含め。日和は実際のところ、どうだか知らないが。
作業を行うためにじゃまだろう、ということで、机は粗方片付けられ、数脚を残し、教室後方に集められる。
黒板の前に一番数の多い装飾班、向かって右に当日、左に料理班が集まり、最後に後ろの方で所在なさげに突っ立っている四人が雑用係だった。
「えっと、それじゃあ、各班ごとに作業を始めてもらえたらな、と思います。とりあえず、大まかにやるべきところはまとめてきた紙があるので、それを目安にしてもらえたらな、と。それ以外にも何かやりたいことがあればわたしや斎藤君に随時相談してください。黙ってやるのはノーで」
口に手で覆いをした藍が声を張り上げてそう言う。
最後に、僕と目が合うと、小さく手招きをした。
それでは、それぞれ作業を始めてください、と藍が号令をかけ、クラス内の雰囲気がさざめく。
かしましい雑談や相談の声で教室が満ちていく中、その空気に取り残されるような三人を尻目に、藍の下に向かう。
僕と向き合うと、彼女は申し訳なさそうな顔をした。
「……涼、えっと、ごめんね。半ば押し付けるみたいな形になっちゃって……」
「気づいたら雑用係にされてたこと?」
「……うん」
「まあ、どうせどこに配属されようとあんまり気にしないから、別にいいんだけど……。とりあえず、今、僕らは何をするべき?」
残してきた三人を振り返るように言って、藍を窺うと、彼女もまた三人の方に目をやって、そうだね……、と唇に手をやる。それから、居場所を見失っている風な彼らにもまた手招きをした。
ちらちらとこちらの様子を窺っていた彼らが一様にほっとした顔になって、こちらに近づいてくる。
「……四人には、とりあえず、料理班の手伝いをやってもらおうかな、と思ってます。食材を切ってもらったりとか、材料の買い出しに行ってもらったりとか、たぶん、そういう手伝いになると思う。それ以外だと、他の班で何か手伝いが必要なことが生じれば、随時人を分けたりしてやってもらうことにしようかなって感じ」
比較的見知った面子の前だからか、砕けた口調で藍が言って、それぞれ頷いたり、軽く返事をしたりと反応を返す。
薄く微笑を浮かべた日和が、素直な称賛を滲ませた声音で言った。
「九々葉さんってすごいですよね」
「……え、なにが?」
「以前、話したときはもっと、落ち着いたことを好むイメージがあったんですが、自分から実行委員をやるって宣言して、みんなをまとめてる。ずっと見てましたけど、ほんとすごいと思います」
「そ、そうかな……。ありがとう」
やや眉を寄せた藍が照れるようにお礼を言って、絹川が日和に追従する。
「……わたしもすごいと思う。緋凪さんとか、あからさまに九々葉さんに突っかかる態度で、超めんどくさそうだったのに、昨日も上手くいなしたりしてて、とっても感心した」
「あ、ありがとう」
個人名を出してのその言い草に微妙に苦笑いを浮かべる藍。
詰め寄った絹川は強く藍の両手を握りしめて、至近に顔を寄せた。
「見習いたい」
「……あ、うん、ほんとにありがと」
鼻先十センチの距離で切れ長な瞳の女子と、柔和な顔つきの女子が見つめ合っている光景。
……ふむ。
まあ、悪くない。
「……」
その様子をなぜか顔を赤くして見つめている美月某はあわあわと二人に交互に目をやっている。
「……藍ちゃん、そろそろ家庭科室移動しない? 料理班が教室にいてもやることないしさ」
「あ、うん、そうだね」
そのやり取りを藍の後ろから近付いてきた女子が遮る。
藍と同じく料理班所属になった弓広だった。藍の友達で、剣道部所属の顔つきの険しい女子。
藍に顔を寄せていた絹川に、心なしか責めるようなまなざしを向けている。
「……」
「……なに?」
その視線に気づいた絹川が不機嫌そうに弓広に目を向けた。
「別に何もない」
ぷいと顔を背けた弓広が、黙って教室の外に出て行く。
その様子を見て、藍が絹川に話を振る。
「……え、ええと、き、絹川さんはかなちゃんのこと知ってるの?」
「ううん。話したことないけど」
「そ、そうなんだ……」
なんとなく、気まずい沈黙が落ちる。
雰囲気を変えるように、ぽんぽんと藍が頬を叩いた。それから、クラス内の他の班に向かって、声を張る。
「わたし含めて料理班は家庭科室の方にいるので、何かあったらそちらにお願いします!」
「はーい!」
「おっけー!」
栗原と珠洲の明るい返事に、一つ、藍が頷く。
料理班の他の面子に声をかけ、移動を促した。
それから、僕を見て、雑用係の残りの三人に目を向け、行こっか、と薄く笑う。
なんでもないその笑顔に少しなごんで、教室を出る藍の後に続いた。
女子二人はある程度料理できるだろうけど、男子は……、みたいな思い込みが大いに働いたからか知らないが、家庭科室について早々、僕と日和は二人で買い出しに行ってこいと命令される。
命令したのはもちろん藍ではなく、緋凪傘下のリーダー格の女子。
藍は取りなそうとしてくれたが、僕自身も女子の多い料理班の中で上手くやっていく自信がとりあえずなかったので、心の準備を蓄える時間を持つという意味でも、一時的に買い出しという名の逃避に励もうかと考えた。
「……ごめんね、二人とも」
頭を下げる藍に笑って手を振り、日和とともに、他クラスの生徒も料理の試作等で多く見られる家庭科室を後にする。
「……」
「……」
無言で校舎内を歩く僕と日和。
仲良くもない男と二人で並んで歩くような趣味は僕になく、すたすたと歩く僕の後ろに日和が付き従うような形となる。
「……あの、相田君」
靴を外履きに履き替え、生徒用玄関から中庭に踏み出したところで、意を決したように日和が言葉を発した。
「……なんだ」
「僕はその、日和夕、って言うんだけど」
「知ってる」
「そ、そっか」
「僕は相田涼」
「知ってるよ」
「そうか」
ざっくばらんに会話を交わし、校門を出たところで、ふと思い至る。
「日和って、何通学?」
「えーと、バス」
「自転車はない?」
「そうだけど……」
「そうか」
あったら、自転車で行った方が手っ取り早いと思ったが、ないなら仕方ない。
右を見て、左を見て、なんとなく適当に右の方へと舵を切る。
「……この近くってスーパーあったっけ?」
「どうだろ。この辺全然知らないや」
ポケットからスマホを取り出し、スーパーの位置を調べる。
幸い、歩いてニ十分ほどのところにそれはあった。方向もこちらで合っている。
が、話したこともない男子と二人きりで往復四十分というのもなかなかきつい気がする。
まあ、女子ばかりの家庭科室に準備もなく放り込まれるよりかは幾分かましだが。
僕が先導する形でスーパーへ向かい始めると、それに並ぶように、日和が歩く速度を速めてきた。
隣に人形のように造作の整った小柄な男子が並ぶ。
しばらくの間、興味深そうに僕の顔色を窺っていたその男子はやがておもむろに口を開いた。
「相田君は九々葉さんのことが好きなんだよね?」
「……急にどうした」
振られた話題に動揺を隠せずに声が上ずる。
その様子を見て、日和が薄く滲むような微笑を見せる。
「やっぱり相田君みたいな人でもこういう話題を振られると動揺するんだね」
「……動揺はしてない。少し驚いただけだ」
「それを動揺したっていうんだと思うよ」
「……見方によってはそうかもしれないな」
素直に日和の言い分を認めてしまうのが悔しくて、微妙な反論を加える。
それに何を思ったのか、日和は笑みを深めて、それから、小さく息を吐いた。
相田君って変わってるね、とそう漏らす。
「僕が変わってるんじゃない。みんなが自分の内実を隠してまともぶってるだけだ」
真面目な口調で反駁すると、ますます面白そうに笑みを深めた日和が声を上げて笑う。
ひとしきり笑った後、遠い時間に想いを馳せるように空を仰いだ。
「僕は変わった人が好きなんだ」
ぽつりとつぶやく。空を見上げるその瞳はその実、まったくそれを見ていない。見ているのは頭の中、心の中にある何らかの対象、あるいは概念といったところか。
「その、好きって、人間としてって意味か?」
「そう。人間として。女性として、って意味になると、まだよくわからないかな」
「ふぅん」
興味のないような声を漏らし、頭の中で今の言葉を反芻する。変わった人が好き。
「だから、相田君のことも、九々葉さんのこともとても好きなんだ」
「……あ、っそ」
面と向かって男に好きなどと言われた経験は皆無であり、微妙に反応に困る。冷たく返すべきか、あたたかく受け入れるべきなのか。それとももう少し胸襟を開くべきなのだろうか。
「それに、そういう変わった人っていうのは、僕の趣味にも合っているしね」
「趣味って?」
「僕、文芸部なんだ」
わかりやすい論拠を示すかのようにポケットから小さな文庫本を取り出して見せる。
本のタイトルは『こころ』
夏目漱石の有名な作品だ。本をほとんど読まない僕でも知っている。たしか教科書にも載っているはずだ。
「趣味で小説を書いているから、自分の価値観では理解できないような変わった人には興味が沸いてくるんだ。この人はどういう考えでその行動を取っているのか」
「ふぅん」
また興味のないような相槌を打つ。
それを気にした様子もなく、日和は続けた。
「もちろん、小説というのはどちらかというと、変わった人間というよりは、万人に理解されるような考えを持った人間の方が多く描写されているというのは理解しているつもりだけどね。でも、僕としては、そういうものにあまり面白みは感じないんだ。それをして当たり前の人間が当たり前のような行動を取って、当たり前のような幸せを手にする。そういうものが面白いとは僕は思わない」
「……」
「そうあるべくして生まれたような人間がそうあるべくして幸せになる。規定、固定、定常、条理、あらかじめ独善的なレールが引かれたような物語が僕は嫌いだ」
その点においては、と日和は僕と目を合わせる。
「相田君みたいな人はとても興味深いと思う。荒っぽいようで、どこか繊細な風もある。大多数に冷たいようでいて、優しさを見せる瞬間もある。矛盾しているようで、矛盾していない。人間らしくないようで、どこかとっても人間らしい。そういう人間を観察するのが僕はとても好きなんだ」
「……観察ね」
「そう。観察」
好奇心旺盛な子どものような顔で日和はそう言った。
「小さいころから人を見るのが好きだった。この人はどう考えてこういう行動を取ったんだろう。なんであのとき笑ったんだろう。なんであのとき泣いたんだろう。なんであのとき怒ったんだろう。そういったもろもろの行動理由、感情の理由を求めて、ずっと観察と思考を繰り返している」
「……その結果が小説を書く?」
「そう。まさしくその通り。観察と思考を繰り返せば、自ずとトレースできる人の思考は多くなる。多面的に物事を見られるようになる。多面的に見ていくと、色を変える物語って面白いと思わない?」
小柄な体躯で比較的大柄な僕の顔を覗き込むようにして、日和夕はそう問うた。
僕はそれに少し考え、正しく答えるべき解が思い当たらなかったので、感じたままをただ答えた。
「まあ、さっきからずいぶん楽しそうにお前が語っているのを見れば、面白そうだとは感じるよ」
「……あ、ごめん。相田君と話せて、つい嬉しくなって……」
「……」
そういうことを同性に言われると、まじでどう反応すべきなんだろうな。
わりと気持ち悪い気もするが、人間的にという枕詞が付いているだろうことは想像に難くないし、好意的な発言に対して否定的に返すのはさすがの僕も気が引ける。
「じゃあ、百日みたいな人間はどうなんだ? あいつほど変わっている人間はそういないと僕は思うんだが」
「……あー、彼女は……」
「……なにか違うのか?」
「違うって言うか、僕じゃ手に負えないというか、本当に理解の端切れも手に取ることができないというか。あんな風な人は初めてみたから、どう考えていいかわからずにいる」
「…………」
言われてるぞ、百日。
まあ、どう考えればいいかなんて、そんなの、あいつはただの寂しがり屋で照れ隠しが異常なかわいい乙女だと思っておけばいいと思うのだが。
「じゃあ、僕はまだ理解できると?」
「それはね。一人が好きなところとか、僕もわからなくもないし」
「……なるほどね」
藍と同様に、一人で席に座って本を読む姿は、まあ、見受けられるな。
「だからまあ、僕としては君ともう少し仲良くなりたい、だなんて、ひどく身勝手なことを思うわけなんだけど……、だめかな?」
「……別にだめではないが」
「が?」
「……お前って……、いや、いい」
「?」
投げかけようとした言葉を飲み込む。
さっきの理屈を聞いた手前、何となく思ったことがあったのだが、あえて言うようなことでもないような気がした。
もし日和が僕ともっと仲良くなりたいというのなら、いずれわかってくるところだろう。同じ班でもあることだしな。
「……とにかく、問題はない」
「そう? ありがとう」
朗らかに微笑む日和夕を見て、僕は眉をひそめた。